第10話 キメラの力

 俺の右肩から伸びたゼリー状の物体はみるみる形を変え膨張していく。

 さしものミノタウロスもこの異常事態を前にして怯んでいる。

 極度に肥大化したそれは軟体動物のようにグネグネと脈動し、ついには巨大な手のように変形した。


 なんなんだこれは。


 状況を理解できずにいる俺を置き去りに、その物体が急速に動き出す。


 ミノタウロスの首を掴んで握りつぶそうとし始めたのだ。

 ミノタウロスは泡を吹きながら巨大な拳を引き剥がそうとする。


 しかし、掴んだ部分はぐにゃりと伸びて一切の抵抗を許さない。

 たまらず、ミノタウロスは俺の首を絞めていた手を離した。


「がはっ!ゲホゲホ!!」


 息を目いっぱい吸い込んで思うさま吐き出す。

 次の瞬間、地面へと落下しその場にへたり込む。


 ゆっくりと呼吸を整えてから目の前の光景を改めて眺め、俺は困惑する。

 巨大化した俺の右腕が別の生き物のように勝手にミノタウロスの首を締めあげていた。


 しかも、腕は触手のように不規則に波打っている。その様を見るに、骨があるようには全く思えなかった。


 こんなおかしな物体が本当に俺の腕なのか?どうにも確信が持てない。

 しかし、胸の動悸が収まり、全身の力みが解れたと同時だった。


 ミノタウロスを拘束していた拳がゆっくりと開き、その拳の動きが俺の感覚と連動しているのを感じた。


 自分の右手の指を順番に動かそうとしてみる。すると、目の前の巨大な指がぬるりと動く。


 信じがたいが、やっぱりこれは俺の腕なのか。


 そう理解した途端、この腕の扱い方が直感的に理解できた気がした。


 元の形に戻す。


 一心にそう念じると、今度は腕が収縮を開始。あっという間に元通りの形に戻った。

 しかも、ミノタウロスに折られた跡もなくなっている。


 それだけじゃない。内臓の痛みもいつの間にか消えていた。

 信じがたいが、この体は肉体を再生する力を備えているということなのか。


 自分自身の体の異様さに思わず寒気を覚える。


「グォォオオオオ!!!」


 洞窟内にこだまする雄叫びを聞き、反射的に身構える。

 俺の手から解放されたミノタウロスがハンマーを手に取り臨戦態勢に入っていた。


 さっきまでの俺では勝ち目は皆無だった。


 だが、今理解したこの体の力を使えばなんとかできるはずだ。

 俺は右手の指先に意識を集中する。すると、爪が即座に伸びて鋭利な刃物と化した。


 ミノタウロスが大きく一歩踏み出し、鉄槌を横薙ぎに振り抜いてくる。


 なんだ?さっきよりミノタウロスの動きが遅く感じる。


 俺はハンマーの軌道がギリギリ届かない位置までバックステップで下がった。

 ハンマーが通り過ぎてできたミノタウロスの隙を逃さず、すり抜けざまに右手の爪で胴体を切りつけた。


 さほど力を入れていないにも関わらず、ミノタウロスの脇腹がパックリと裂ける。


 ほとんど抵抗を感じないほどの凄まじい切れ味だ。

 その殺傷力の高さに我ながら驚く。


 ミノタウロスは息を荒げ、ハンマーを両手で握りしめ真上に掲げた。

 大きく振りかぶって、頭上から高速で鉄槌が振り下ろされる。


 焦っているのか、奴の攻撃は大振りなものばかりになっていた。

 その渾身の一撃もまるでスローモーションのように見える。


 ハンマーが迫るのを無視して、俺はミノタウロスの懐へと一気に肉薄した。

 そのまま手刀をみぞおちに叩き込むと、ハンマーはミノタウロスの手を離れて壁に向かって放られる。


 ミノタウロスの胴体に深々と突き刺さった爪が決定打となった。

 ミノタウロスは膝から崩れ落ち、その場に倒れて動かなくなる。


 倒れたミノタウロスの姿を眺め、大きく息を吐く。


「ふぅ……、やったのか」


 まだあまり現実感がないが、俺はやり遂げた。

 それだけは確かだ。


 首輪を外して生き残った。

 これでやっとエルドランに帰れる。


 両手を握りしめ、俺は喜びをかみしめた。

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