The forgotten little story

阿久津 幻斎

追われ人と鱗

 とある村の外れにある崖の上に、冷たい海風が吹き抜ける城跡がありました。そこには、はるか昔に村人達から追放されて幽閉された、半魚人の女が住んでいました。鰭のような下半身の特異さは、小さな村で生きる人々にとっては災いの象徴であり、忌み嫌われていました。

 季節が冬で止まったままの城跡で一人ぼっちで生きる女は、葉を落とした老木達が体を捻る音や、翼が四枚もある梟の独り言に耳を澄ませ、寂しさから目を背けるようにして暮らしていました。

 夜になると両足が魚の鰭のようになるので、人と同じ姿の昼間に城跡の周りを歩いては、昔の出来事に思いを馳せていました。

 ある日、いつもと同じように夜が来て、もうすぐ朝になろうとしていた時でした。城跡の中心にある大きく窪んだため池で一人泳いでいた女は、近くに人の気配を感じて水の中に身を潜めました。弱まった月の光が朧気に差し込んで、水面には星達の輝きがうっすらと落ちていました。

 気配はだんだんと近くなり、少し離れた場所でぴたりと止まりました。女は水面から僅かに顔を出して気配の先へと視線を滑らせました。

 そこに居たのは傷付いた傭兵でした。柱にもたれかかって、肩を揺らすように荒い息をしていました。服もボロボロで、血があちこちに飛び散っていて、あまりの光景に女はいても立ってもいられず、上半身だけ水面から出して傭兵に声をかけました。

「あなたは誰ですか?怪我をしていますが、戦争へ行っていたのですか?」

 傭兵はぐったりとした首を持ち上げ、目を細めて女を見ました。

「ああ、あなたは、女神様ですか。最期に、僕の願いを、聞いてくれますか」

 息も絶え絶えに答える傭兵は、女を女神と呼びました。

「私は女神ではありません。忌み嫌われ、大昔にここへ幽閉された半魚人です」

「あなたを忌み嫌う人が、この世にいるでしょうか。だって、そんなに、美しいのに」

 女は池から出て鰭の足と手を使って傭兵に駆け寄ると、血で汚れた額を濡れた手で優しく撫でました。

「僕は、もうすぐ死ぬでしょう。国の裏切り者として処刑される前に、あなたに、僕の命を、終わらせて欲しいのです──」

 傭兵は懇願するように咽び泣きました。

 女がどうしようかと思案しているうちに、城跡の周りが騒がしくなってきました。柱の影から顔を覗かせて見てみると、そこには数十名の傭兵たちが押し寄せてきていました。

「お願いします、女神様、終わらせてください」

 女は、血の泡を吹きながら噎せ返る傭兵を抱えてため池に戻ると、一気に速度を上げて城跡から飛び出しました。すると、まだ薄暗かった地平線から太陽が顔を覗かせ、女の鰭は二つに裂けて人間の足に変わり始めました。崖から荒れた海へと真っ逆さまに落ちていく途中、女は傷付いた傭兵をきつく抱きしめて口付けをしました。泳げない体になってしまった女と傭兵は、そのまま海へ落ちて死んでしまいました。

 もう誰もいなくなった城跡に押し寄せた数十名の傭兵達は、崖に打ち付ける波で舞い上がり、消えかけの月明かりと朝日で照らされて虹色に輝く鱗を見て、美しい、と呟きました。

 ですが、本当のところ、月と太陽と海だけが二人を祝福しているようでした。

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