異世界探偵オリト

柿月籠野(カキヅキコモノ)

第一話 消えた腕時計

異世界探偵(予定)

「ぐがっ」

 鳴り響いた電話の音に、四十しじゅう過ぎのおじさんは鼻を鳴らして飛び起きる。

 犬がボロボロにしたソファから転がり落ち、腰をさすりながら立ち上がって、どうにかこうにか、デスクの上の電話を取る。

「は、はい、こちら、第五世界、タワ星、ハシム国、異世界探偵社、クワツ……」

 おじさんは、寝起きであることが丸分かりの声で、相手と喋り始める。

 彼の名前は、オリト・クワツ。歳は、四十二歳。

 現在発見されている十二の世界をまたぐ難事件を解決する、異世界探偵だ。

 しかし『異世界探偵』というのは、公式の職業ではない。

 オリトが、勝手にやっているだけだ。

 十二の世界はそれぞれ探偵や警察などの機関を持つが、複数の世界が関わる刑事事件を専門に解決する機関は、十二の世界の存在が正式に認められておよそ二百年が経った今も、いまだ存在していない。

 利害関係が複雑に絡み合う中で、どの世界も最悪な状況――つまり、異世界間戦争――を避けるために、他の世界から来た犯罪者――異世界人犯罪者に対して厳しい措置を取ることができないでいる。

 だがその結果、異世界で罪を犯した者たちは野放のばなしも同然となっている。

 今や、ここ、第五世界の犯罪者も、その半数以上は異世界人だ。

 にもかかわらず、異世界人の犯罪者は第五世界人の犯罪者よりも逮捕されにくく、逮捕されても軽い量刑で済む。特に凶悪な罪を犯した場合には、出身の世界でも罰則が与えられることがあるが、法律の違いや、遥か遠くの地で行われた犯罪行為を裁くことの難しさ、また、二重に罰を与えることの倫理的問題などから、通常よりも緩やかな措置となることが多い。

 このような状況の中で、オリトは脱サラして『異世界探偵社クワツ』を設立した訳だが――。

 ただのおじさんのオリトに来る依頼といえば、近所のネズミ退治だの、トイレの詰まり取りだの、そんな雑用ばかり。

 その依頼というのも、知り合いと、『何でもやります!』との文言もんごんを掲げたホームページを奇跡的に見た人からのものだけで、『異世界探偵社クワツ』は、『地域の何でも屋クワツ』と成り果てていた。

 しかし――。

 今日の依頼は、なにか違うようだ。

 はいとかそうですかとか言いながら相手と話していたオリトは、電話を終えると、レンガの壁を見つめて一人でぱちぱちと瞬きをする。

 …………。

 分からない。

 オリトには、分からない。

 今日の依頼は何か違う、以外のことは、何も。

 実はオリトは、ただのおじさんではない。

 全世界一のポンコツおじさんなのである。

 オリトは受話器を持ったまま助手のヤン少年を呼びに行こうとして、受話器と繋がった電話の本体を床に落とし、その大きな音で、結果としてヤン少年を呼ぶことに成功する。

「オリトさん?」

 居住スペースに続く扉が開いて、赤茶色の髪にそばかすの目立つ白い肌をした少年が、ひょっこり顔を覗かせる。

「あ、電話、壊れたんですね」

 ヤン少年は何でもないことのように言うと、気に入りの革のベルトポーチから工具を取り出し、無惨むざんくだけた電話機に駆け寄っててきぱきと直していく。

なんの電話でしたか。犬の散歩代行ですか」

 ヤン少年は、元通りになった電話をデスクの正しい位置に置くと、嬉しそうにたずねる。弱冠じゃっかん十四歳にして探偵助手として働く彼は、どのような仕事も好きなのであった。

「ううん――」

 オリトが首を横に振りかけたその時、ヤン少年が先程さきほど発した『散歩』という単語を聞きつけたフヨルが、自分で扉を開けて事務所に飛び込み、オリトに喜びの体当たりを食らわす。白地しろじに茶色のぶちの長い毛が、彼女の巨大な体に踊ってオリトを巻き込み、板張りの床を転がっていく。

 先刻せんこく腰を強打したばかりだったオリトは、再び腰を強打して立ち上がれなくなり、ヤン少年におんぶされて馴染なじみの整形外科せいけいげかへ行き、湿布しっぷを貼って安静にしてくださいと言われ、またヤン少年におんぶされて事務所に戻る――。

 このようなごく小さな事件ののち、オリトはヤン少年とフヨルに、今回の依頼について話すことになったのであった。

「昨日、隣の第六世界のイバイ星の高級ホテル――ネメテド・アンの一室で、盗難事件が起こった」

 オリトはソファに座り、肘を膝に付いて両手を組んで、探偵らしい重々しい口調で言う。

 しかし、腰を痛めているオリトの背筋せすじは体操選手のようにぴんと伸びていて、ヤン少年はオリトの真面目まじめそうな顔から目をらさないようにするので必死であった。

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