第8話 爪跡と悲劇


 バス停まで早足で向かっていた真那はポツリと呟いた。


「不味い、寝坊した」


 現在の時間は午前9時。朱莉との約束はダンジョンの11層転移門前に9時半だ。今から向かっても時間通りにたどり着くことができるか微妙である。


 休日はいつも9時頃に起きている真那。約束があるからと8時に目覚ましが鳴るように用意した。しかし、寝起きで頭が上手く動いていなかったのか、止めて再び眠ってしまったのだ。その結果、目覚めたのは8時45分。


 慌てて着物に着替え、パンを口に突っ込むと家を飛び出した。多少動きやすく工夫されているとはいえ、着物という服装。場合によってははしたなく見えるため、人目が多い場所で全力で走るのは憚れた。もちろん、ダンジョン内ではそういったことは気にせず走り回っているが。


 早足――普通の人の全力疾走にも迫る速度で向かうのだった。


「何とか間に合った……」


 バス停に到着していたバスに飛び乗る。そして、すぐにバスの扉が閉まり、動き出した。あと少しでも遅ければ、間に合わなかっただろう。胸を撫で下ろす。近くにあった座席に腰を掛け、胸元からスマホを取り出し時間を確認する。


「はぁ……」


 溜息をつく。バスの運行予定から考えても本当に約束の時間ギリギリの到着となるなってしまった。


 今後のことも考えて気を付けないと。そう心の中で呟く。スマホを片付けて、車窓から見えるいつもの風景を眺める。変化はなくとも平和で幸せな普通の日常。


「もうそろそろしたらあの時期か……」


 かの事件――真那の実の両親が亡くなってから10年もの月日が経った。ギルドがあるダンジョンから半径500m以内の場所にはいまだに影響が色濃く残っている。


 あそこは現在、ダンジョンから500m以内に民家を建てることは禁止されている。人の出入り自体は自由だが、探索者以外の人がいることはほとんどない。


 建物もギルドやクラン、お店などダンジョンに関係している物しか存在していない。ある程度建物は増えてきたが、空き地もまだ目立っている。


 何かが準備されている場所の前をバスが通った。


「行ってみようかな……?」


 ポツリと呟く。毎年、慰霊碑前で行われる追悼式の準備をしていた。


 真那は追悼式はもちろん、慰霊碑にも一度も行ったことがない。いや、正確に言えば行けていない。ダンジョンに潜るのには抵抗がないし、お墓参りだって行っている。だが、慰霊碑には何とも近寄り難かった。


「…………」


 当時のことを思い出して、眉をひそめる。


 被害の規模の大きさ。真那の両親の立場。そして、社会に広まる不安。などなどいくつもの原因が絡み合った結果、起きた悲劇。別の言い方をすれば、人間の本質を示すような出来事。


 真那にとってその場所は全く別のものに見えるようになっていた。




 ギルド本部前でバスを降りた真那は裏口に回る。


 本来、普通の探索者はダンジョンへ潜る時、ここには来ない。ダンジョンに向かい、申請を出してから潜る。それが普通だ。


 真那は裏口に着くとギルドの職員証をかざして、ドアを開ける。中へと入り、歩いていると。


「あっ、真那ちゃん! おはよう」

「立花さん、おはようございます」

「今日はどうしたの? いつもよりだいぶ早くに来て」

「今日は少し用事があったからですよ」


 真那の担当をしている立花琴音が声を掛けてきた。琴音はギルドマスターが優秀で口が堅い人として真那の担当にしたのだ。


 二人は年が近いということもあって、案外すぐ仲良くなった。そうなることを見越しての人選ではあった。だが、そこまですぐ仲良くなるとは思ってもいなかったギルマスは飲んでいたお茶を噴き出しかけたらしい。


「なるほど。あっ、真那ちゃん。帰る時に寄って欲しいんだけど大丈夫かな?」

「はい、それは大丈夫ですけど。何かあるんですか?」

「ギルマスからの手紙があるの。それを渡さないといけないから」

「そう言うことですか、分かりました」


 ギルマスからの手紙。何かあったのかと疑問に思いつつも、頷いた。


 手紙で何かを伝えようとしてくるというのは初めてのことだった。ただ、伝達方法的にそこまで急を要することではないはず。琴音には伝えられない何か重要なことなのだろう。


 因みに真那とギルマスは偶にお茶をしている。仕事が終わったかなという時間に顔を出し、色々とお話をする。ギルマスにとってもそれは楽しいひと時なのだとか。ギルマスの秘書曰く、その翌日は仕事が捗るとのこと。


「それじゃあ、頑張ってね」

「はい、ありがとうございます」


 手を振る琴音。真那は軽く会釈してから、その場を後にした。


 そうして、向かった先はギルドの本部の地下。ギルド所有の転移門がある場所だった。ダンジョンの転移門とは使用時にストックされている魔力を消費したり、他の場所からの転移ができなかったりといくつか違いはあるものの、基本的な性能は一緒だ。


 真那はここに魔力を溜める代わりに自由に使うことが認められている。最初は半年ほどはギルマスがその魔力を負担し、使用頻度も一日に一回だった。しかし、真那が急速に強くなったため、一月も掛からずに任せらるようになり使用も自由となった。


「えっと、11層は……」


 転移門を起動させ、転移する11層の表示を探していた。普段潜っている100層や下層ではなく、中層。見つけるのに苦戦してしまう。


 検索機能や音声認証機能を付けてる提案を今度してみようと決意しつつ、スクロールする。


「あった。よし」


 そして、何とか探し出した真那は転移した。

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