散り菊とエンバー(仮)
河崎
第1話
街が死んでいく。だんだんと冷たく乾燥していく様は死体の辿るそれと同じだった。
大学構内に吹きすさぶ北風が林を揺らすとどうどうと音を立てて枯葉が崩れ落ちた。辛うじて生にしがみつく葉々を無慈悲に散らした寒風は、次に道行く学生を標的にしてその身を縮み上がらせた。そうして一体を端から端まで馬鹿にして飛び回ったのち愉快そうに晴天へ帰っていくのであった。
晩秋の大気に冷やされた肺を煙草の煙で温めようと喫煙所に逃げ込んだ。風にさらされないだけで幾分か生き返った心地がした。
屋外に三つある大学の喫煙スペースは四方を大きな硝子窓で、上面を換気扇付きの天井で囲まれている。それは逆さまにひっくり返った水槽のようで、中にいると喫煙者を皮肉ったインスタレーションの一部として展示されているような気分になった。実際外からはそのように見えているのだと思う。通行人は動物園の奇怪な生き物でも見るかのように硝子の奥の私を覗く。視線に苛ついて負けじと睨み返したけれど、既に通行人は興味を失ったのかもうこちらを見ていなかった。目力が行き場なく彼方へと向けられた。
ふと硝子に反射した自分と目が合い、強張った表情筋を緩める。今度は馬鹿馬鹿しい顔になったので気まずくなって視線を落とした。一年前から履き倒した白いスニーカーがアメ横くらい汚れていた。
ポケットから取り出した煙草の箱が少し潰れている。さっきまでリュックサックに入れていたから満員電車に揉まれたときに少し潰れてしまったらしい。もしくはアトリエの床に叩きつけるように置いたときかもしれない。煙草の箱には昨日青い絵の具で付けた指跡がぺったりと固まっている。ボックスケースの蓋を開けると、みちみちと音を立てて貼り付いていた絵の具が剥がれた。中には寄れた煙草が数本と、その隙間に突っ込んだ百円ライターが入っている。いつものようにそこにある光景に何の感慨もなく、そそくさと、取り出した煙草を咥えて火を点けた。吸い込んだ冷たい空気が火種を煌々と燃やし、微かに葉の焦げる音を立てる。喉の奥をざらざら擦りながら煙が肺に満ちた。弱々しく、横隔膜がそれを体外へと押し出す。吐いた煙が換気扇の生み出す対流に掻き回されて霧散していくのを見て、心地いいような息苦しいような孤独を感じた。心地いいのも息苦しいのも、ただ煙草のせいの錯覚なのかもしれない。
大学で、私は孤独だった。周囲の人たちとは大学生なりの社交性で関係を築くよう努めたつもりなので、傍から見れば後ろ指を指されるほど独りぼっちには見えていないかもしれないけれど、内容のない会話を繰り返す自分は周りからひどく浮いて見えた。大学生になって三年近く経っても特段仲のいい女友達は出来なかったし、男友達はいつの間にか恋人になっているか、向こうに相手ができて疎遠になっているかのどちらかだった。結局、大学で一番仲がいいのは誰かと聞かれれば、高校からの付き合いがあった古川の名前を苦し紛れに挙げることしか出来なかった。
古川と私は同じ公立高校の美術部に所属していた。高校に入学したての頃美術部の体験入部のために校舎の端にある美術室に入ったとき、彼女は数人の生徒の中心にいて楽しげに他愛のない談笑をしていた。あまりにも周りと打ち解けていたので、そのときは一つ上の先輩だと勘違いをした
吸う。吐き出す。吸う。吐き出す。灰を切る。単純な動きの繰り返しがいつの間にかルーティンワークとなっていた。煙草の先端は鉛筆みたいに短く尖って燃えている。これを灰皿に落とせば止まっていた時間が動き出す気がして、訳もなく焦りを覚えた。私は何に追われているのだろう。何を追いかけているのだろう。方角も分からず何かに駆られて闇雲に走る自分を想像すると前も後ろも実体のない暗がりで包まれていた。
一吸いするたびに着々と火種が指先に迫るのを見下ろす。遂には指で熱を感じるほどになってしまっていた。火傷するのも煩わしく感じた。ようやっと喫煙所の外へ出る踏ん切りをつけて、火の点いたままの煙草を灰皿へ落とす。吸い殻は暗渠に積もった他の吸い殻の上に落ちて鎮火することも叶わず、陰気な燃えさしだった。沈むこともできず、辺りを輝かせることもできないそれは自分と同じで惨めだった。
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