第31話

 この事件を受け、神と魔王による協議が行われた。


 休戦協定の手前、人間界に出奔した者がいるだけでも大問題だと言うのに、互いに独自で解決しようとすれば、今度こそ共倒れになる戦争の引き金に成り兼ねないからだ。


 それぞれの世界に残っている天使も悪魔もそれだけは今は避けたいと思いながらも、協議の内容次第では最悪の事態もあり得ると覚悟していた。


 しかし、己の統治する世界へと戻った両者から下された指示は予想外のもので天使にも悪魔にも動揺が広がった。


 それぞれの世界から代表者を一名選出し、コンビを組ませて人間界へと送り込み、出奔した者たちを強制送還する。


 これが協議の結果決められた対応策だったからだ。


 この指示に、両世界から少なくない数の出奔者が出ていると言うのにあまりにも消極的な対応なのではといった声や互いに互いと組むことなど出来ないという声も上がったが、それは鶴の一声で抑え込まれ、代表者の選出が行われることとなった。


 そうして選ばれ、人間界へと送り込まれることとなったのが、イージスとリリスだったのだ。


 派遣が決まった時、自分には分からなかった。


 戦争から長い時が経った今でも天界の復興は完璧には終わっていない。


 だからこそ、戦争前よりも大幅に減ってしまった同胞たちと力を合わせて行かなければならいのは皆が理解していることだ。


 それなのに何故一部の同胞たちは主の命令に背いてまで人間界に出奔してしまったのか。


 いくら考えても分からなかった。


 出奔した者皆がそうではないだろう。


 だが、目の前にいる同胞が出奔したのは戦争を再び始める為だという。


「戦争の結果が痛み分け終わったのは確かに私も遺憾に思っています。ですが、あれだけ同胞を失い、未だ天界の傷が癒えていないというのに、それでも貴方は戦争を望むと言うのですね」


 自分でも驚くほどに荒げた声で問う。


 あの凄惨で何の罪も関係すらなかった人間を巻き込んだ戦いを、目の前の同胞は戦争を望むと言うのだ。


 怒りが沸かない訳が無い。


「ええ、そうです。どれだけ天界が傷つこうとも、どれだけの同胞を失おうとも、今度こそ全ての悪魔を葬り、魔界を亡ぼすのです!」


 ハヴェットのよく通る声で天使は狂ったように笑う。


 その姿は何かしらの狂気に取りつかれているようにしか見えない。


「あれ、完全にイっちゃてんじゃん」


 引いた顔をする悪魔に、したくはないが同意する。


 どうやら彼の精神は、戦争によって歪んでしまったらしい。


 最早、彼を同胞とは呼びたくない程に。


「貴方、こんな愚かなことは止めて天界へ帰る気はありませんか? 今ならまだ主もお許しになって下さるかもしれません」


 無駄な気はするが、一応自分は説得を試みることにした。


 悪魔のように実力行使で強制送還など、天使のすることではない思ったからだ。


「私が愚かだと。愚かなのは天界にごまんといるただただ主の命令に従うだけしか能がないお前のような者たちだろうが! 私は違う。確かに主の命令に逆らってはいるが、これも主の為にやっていること。今度こそ勝利を主に献上する為にやっていることなのだ!」


 支離滅裂なことを喚く同胞に、頭が痛くなる。


 主の為だ何だと言ってはいるが、要は戦争に決着が付かなかったことが不満なだけなのだろう。


 そんな一個人の不満だけで戦争を再開させてしまっては主に何とお詫びすればいいのやら。


「それで、どうすんの? 交渉は決裂っぽいけど」


「そんなもの、決まっています。実力行使でどれだけ抵抗しようとも天界へ強制送還します」


(し、神父様を殺すんですか!)


 キュエルの激しい動揺が伝わってくる。


 自らを奴隷としていた相手にさえ罪悪感を抱くような優しい彼女にとって、善良であり皆から尊敬される神父であるハヴェットを手に掛けると想像してしまってはこの動揺も当然だろう。


「安心してください、悪魔と違って天使の場合はまだ助けられます。体に入っている天使を追い出せばいいだけですから」


(そうなんですか。それならイージス様、私のことは気にせず神父様を助けてあげて下さい!)


 戦いがどれだけ恐ろしく痛いものかは昨日身を持ってキュエルは知ったはずだ。


 それにキュエル自身はハヴェットとは一度も話したことは無い、言ってしまえば縁も所縁も無い相手だ。


 それでも彼女はハヴェットを助ける為に戦おうとする自分を止めるどころから背をしてくれた。


「本当に貴女は優しい娘ですね。必ずやハヴェットを救うことを主と貴女に誓いましょう」


 相手が天使の力を人目をはばからずに顕現させるというのならこちらも目立つだどうのと言っている場合では無い。


 全力を出す為に、ウィンプルを外し投げた自分は白銀に輝く鎧を発現させ身に纏う。


 無論、発現させたのは鎧だけではない。


 共に数多の戦いを潜り抜けた、鎧と同じく白銀に輝く両刃の刀身を持つ愛剣もだ。


 そして、万全の状態で戦う為にキュエルの体を完全に癒した自分は剣を構える。


「さあ、ハヴェットの体を彼に返すのです!」


「どうやら貴女には私たちの崇高な考えを理解して頂けないらしい。仕方ありませんが、倒させてもらいますよ」


 ハヴェットの手にも剣が現れる。


「どこからでも掛かってきなさい」


 ハヴェットは空中から剣先をこちらに向け、余裕の笑みを浮かべる。


 地上に降りてくる気は無いらしい。


「キュエル、人間には些か刺激が強いかもしれませんが、我慢して下さいね」


(え、イージス様、何をする気——キャアアアアアアア!)


 キュエルは悲鳴を上げる。


 急に体が浮かび上がり、そのままハヴェットへと向かって高速で飛行を始めたのだから、当然の反応だろう。


 キュエルに申し訳なく思いながらも、自分は翼を羽ばたかせる。

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