第28話

 体中にじんわりと鈍い痛みで、私は目覚めた。


「おや、目が覚めたのですね。体は大丈夫ですか?」


「まだ早いし二度寝キメちゃいなよ」


 寝起きで天使様と悪魔に顔を覗き込まれると、何だかお迎えが来たような感じがしてしまう。


「体中痛いです……」


「効力が切れ始めたのですね。すぐに楽にしてあげますから」


 一瞬どきりとしてしまう。


 奴隷時代、怪我や病気で働けなくなった仲間が楽にしてやると言った主人によって殺されるのを幾度か目の当たりにしたことがあるからだ。


 無論、イージス様がそんなことをするはずもなく、力を使って本当の意味で体を楽にしてくれた。


「悪魔の言うことに同意するのは癪ですが、まだ夜明け前ですし、もう少し眠っていても良いですよ」


 イージス様のお言葉に甘えて、眠ろうと目を瞑る。


 だが、妙に頭が冴えてしまって中々眠れない。


 目を開けては眠る為に瞑るを繰り返す。


 そんな私を見たイージス様に無理に眠ろうとしなくとも目を瞑っているだけでも体は休まるのだから瞑ったままにしなさいと注意されてしまった。


「そだ、あーしが眠れるように羊数えてあげよっか」


 それは普通自分で数えるものなのでは、と疑問を呈する前に、リリスさんは私の耳元に顔を近づけると羊を数え出した。


「羊が、一匹。羊が、二匹。羊が、三匹」


 リリスさんが羊を数える声だけではなく、息遣いまで細かく聞こえる程の距離で数えるものだから、何だかとてもいけないことをされている気分になってきて、頬が熱くなるのを感じる。


 何故だか羊の数が増えるにつれてリリスさんの声に妖艶さが増し、息遣いも荒くなってくる。


「何をしているんですかこの淫乱悪魔!」


 ガツンという衝撃音と共にキャインとリリスさんが上げた悲鳴に驚き目を開ける。


 どうやら恐ろしい形相のイージス様の鉄槌がリリスさんの頭に落ちたようだ。


「何すんだし暴力天使! あーしはただキュエルっちがよく寝れるようにって羊数えてただけじゃん」


「何がよく眠れるようにですか! どう見ても誘惑してるじゃないですか! 見なさい、キュエルの顔が真っ赤になっていますよ」



 指摘されと恥ずかしくなってきたせいで余計に顔が真っ赤になる。


「マジで普通に寝かしつけようとしただけなのにー。もしかしてキュエルっちってこういうの好きなタイプ? それならそうと言ってよね。もっとえげつないのやってあげっか——イッタ!」


 再びイージス様の鉄槌がリリスさんの頭に落ちた。


「怪我人相手に何をやっているんですか。貴女、羊を数えた目的忘れてますよね」


 いつもの通り喧嘩が始まるかと身構えるが、リリスさんが頭を摩るだけで終わった。


「さ、流石にそれはそだね。これはあーしが悪いわ」


 私の体を気遣ってリリスさんが引いてくれたようだ。


「分かればよろしい。騒いでしまってすみませんキュエル。今度こそゆっくりと寝むってくださいね」


 この騒ぎで更に目が冴えてしまったのだが、果たして私は眠れるのだろうか。


 いや、こんなことを考えているとますます眠れなくなってしまう。


 今は何も考えずにただ眠ることに集中しよう。


 二人が静かにしてくれたお陰か、考え過ぎて疲れたせいなのかは分からないが、段々と睡魔が襲ってきた。


 このままいけば眠れそうだ。


 だが、そんな私の期待は無慈悲にも扉をノックする音で打ち砕かれてしまう。


「キュエルさん、お加減は如何ですか? 神父様が起きられているのでしたら、祈りの後になってしまうのですが傷の具合を見たいと仰っているのですが」


 窓の外を見てみると、太陽はとっくに顔を出していたらしい。


 たかだか眠るだけに悩み過ぎてしまったようだ。


「キュエル、体を借りますね」


 私は頷きながら両手を広げてイージス様を受け入れる。


「どうぞ、入って下さい」


 返事を聞いたイレイナは待ってましたとばかりに入ってきた。


「これ、よかったら来てください。幼い頃に私が来てい物なのですがサイズは合うと思いますので」


 イレイナが持ってきてくれたのは修道服だった。


 そういえば悪魔が買った自分の好みでは無い服は昨日ドロドロのボロボロになってしまったのだった。


「キュエルさんの服は今洗って干してあります。乾いたら繕ってみますけど、あまり期待はしないで下さいね」


 裁縫は得意分野では無いとイレイナははにかむ。


「もしお辛いようでしたら着替えるのを手伝いましょうか?」


 痛みは抑えているにで平気とはいえ、断ると不自然に思われるかもしれないと悪魔に忠告されたので、自分はイレイナの申し出を受けることにした。


 借り物の寝巻を脱ぐと、他の所は大丈夫そうだったが、一番傷が深い左腕に巻かれた包帯に少し血が滲んでいる。


 それを見たイレイナは辛そうな顔で謝って来た。


「すみません。私を守ったせいでこんな大怪我を負わせてしまって」


 何一つ非は無いことを誤ってくるイレイナに自分はどう返せばいいか分からず言葉に詰まる。


 寧ろ、あの一件の非は巻き込んでしまった自分にあるので謝らないといけないのは自分の方だ。


「気にしないで下さい、これも仕事の内ですから」


 事情を知るはずもないイレイナに、素直に自分が巻き込んだともいう訳にいかず、悩んだ末にどうにか気を遣わせないであろう返事を自分は絞り出したつもりだったが、それでもとイレイナの顔は曇ったままだ。


 こういう時は悪魔の方が上手く場を収められるだろうなと思いながら目で助けを求めるが、返事を言ってしまった後では手遅れらしく、駄目だこれは、とでも言いたげに首を振るだけで助言はくれなかった。


 その後は気まずい沈黙が流れ、無言の内に着替えが終わった。

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