第12話

「では、私はここで失礼しますね」


「ありがとうございました。貴女と出会えていなかったらどうなっていたか。これも主の御導きですね」


 やっとの思いで辿り着いた、遠くからでも充分目立つ大きな教会の前で別れを告げると、シスター・イレイナは深々とお辞儀をしながら見送ってくれた。


 人込みに流されて手が離れてしまうと直ぐに彼女は逸れてしまい、何度か探しては手を繋ぐを繰り返す羽目になって少しばかり、いや、正直に言うとかなり苦労したが無事に送り届けることが出来て良かった。


 どうやら田舎から所用で出てきた彼女は、途中までは農作物を売りに来た農家の知り合いと一緒だったお陰で帝都には迷わず来れたらしい。


 だが帝都の目的地にて、持って来た農作物売りに行くと言うその農家と別れたそうだ。


 そして用事を済ませた彼女は今晩泊めてもらう予定の教会へ行こうと大通りに出た途端に迷ってしまったらしい。


 そんなところに親切な人間を装ったあの二人組に声を掛けられ、言われるがままについて行ってしまい裏路地の一件に繋がったようだ。


(無事に送り届けられて良かったですね)


「全くです。きっと敬虔な彼女を救う為に主が私たちをあの場に巡り合わせて下さったのでしょう」


「いやいや、あのシスター方向音痴過ぎっしょ。人のこと簡単に信じすぎだし教会で純粋培養すっからあーなるんじゃね。てか、アンタの上司も巡り合わせる前に道案内くらいすればいいっしょ」


 全く得にならない面倒ごとに巻き込まれたと思っているのか、悪魔は鼻を鳴らして嫌味を言ってくる。


 確かに聖職者になると、世俗とは距離を置くので多少は世間知らずになる場合もある。


 しかし、全くもって関わらない訳では無い。


 祈り来た者たちの悩みや告白を聞くこともあれば、買い物などで出かけることだってあるし、冠婚葬祭と聖職者は切っても切り離せない関係だ。


 さらに聖職者が政治を取り仕切る国もこの大陸にはあり、帝国からの再三の侵略を受けても独立を守り抜いている。


 それは欲に塗れた者たちと対等に渡り合う術を持つ者がいる証明であり、一概に聖職者だから世間知らずで騙されやすいと言うのは言い掛かりも甚だしい。


 そもそもの話、方向音痴や騙されやすいのは本人の生まれ持っての気質であって、聖職者云々は関係ないだろう。


 後、悪魔は道案内くらいしろと言うが、人生の道だけでは無く、一々移動の道筋まで示していたら万能の主であってもあまりの忙しさで倒れられてしまうかもしれないのだから、そこまでの無理は言えない。


 そう悪魔に反論してやりたくはあったが、太陽はとうに沈み、月が顔を出てしまっている。


 しかし流石は帝都、こんな時間になっても人通りは一向に減らず、建物からは光灯鉱を利用しているのであろう照明器具の明かりが溢れている。


 どうやら帝都には昼も夜も関係ないらしい。


 さて、ここで言い合いをすればするだけ帰りが遅くなり、成長期のキュエルの貴重な睡眠時間を削ってしまう。


 体を借りる身としてそれは見過ごせない。


 仕方なく自分は喉まで出掛かった反論を無理やりゴクリと呑み込んで自分は宿へ帰ることを優先することにした。


 道中、夜になって出たらしい露店の香りに誘われかけはしたものの、昼間の反省から心を強く持ってどうにか耐えた。


 それ以外は然したるトラブルに巻き込まれることは無く、無事に宿の前まで辿り着くことが出来た。


 だが、扉を開けようとすると悪魔に止められた。


「ちょいちょい待つし、宿ではあーしじゃないとダメじゃん。変わって変わって」


 宿でのやり取りは全てリリスがしていた為に、イージスが入った状態のキュエルが宿に入ってしまっては、見た目の違いで色々と話がややこしくなってしまう。


 不本意ではあるがここは変わるしかないだろう。


「変わった途端にまたどこかに走るのは無しですよ」


「りょーかい。この時間にキュエルっちくらいの年頃の娘が出歩いてちゃ厄介事に巻き込まれかねないし、もう今日は大人しくするって」


 信用して良いものか少し悩みはしたが、いつまでも入り口前で突っ立っている訳にもいかないので仕方なく悪魔と交代した。


「……ふっふっふっふっふ! 騙されたなおマヌケ天使!」


 悪魔はキュエルに入った途端に全速力で走りだした。


「しまった! 待ちなさい!」


 慌てて追いかけようとするが、数歩走ったところで悪魔は止まると振り向いて来た。


「うっそぴょーん、騙されてやんの。いい加減休ませたげないとこれ以上はキュエルっちの体持たないっての」


 両手を顔の前でひらひらと動かして煽りながらそう言った悪魔は今度は本当に宿へと入っていった。


 確かに今日は殆ど自分か悪魔が体を動かしてあちらこちらへと動き回った。


 普段のキュエルの運動量がどの程度かは分からないので何とも言えないが多かれ少なかれ体に負担は掛かったはずだし、他人に体を動かされるという慣れぬ感覚で精神も消耗しただろう。


 少し考えればわかることだ。


 自分に怒りが沸いてくる。


 気づかなかったこともだが、悪魔に指摘されたのが——昼間の件も合わせて——何よりも悔しく腹立たしい。


「……はあ、流石にこの怒りは身勝手過ぎますね」


 大きく深呼吸をして昂った気を落ち着けた自分は悪魔の後を追って扉をすり抜ける。


 宿屋の主から預けておいた鍵を受け取ったあーしは部屋へ入ると、ベッドに腰掛けて夕食にとおマヌケ天使が買ったパンと鶏肉か何かを揚げた物を食べ始めた。


「これ冷えててもなかなかイケんじゃん。どう、キュエルっち」


(おいしいです、悪魔……様)


「アハハ、無理に様とかつけなくていいよ。人間からしたらあーしらは基本敵みたいなもんだかんね。でも悪魔って呼び捨てもなんかアガんないし、リリスでいーよ」


(そんな、命の恩人を呼び捨てになんて出来ないです。あの、その、じゃあ、リリスさん、でも良いですか)


「ホント真面目ちゃんだね。ま、キュエルっちが呼びやすいならそれでいーよ」


 悪魔相手にまで気を遣うキュエルっちのことをますますあーしが気に入って、出来ることなら撫でまわしたい、何て考えながらパンを齧ろうとすると視線を感じた。


 視線の主は腕を組みそっぽを向いているが、目はこちらを向いているおマヌケ天使であった。


 あーしが視線に気付いたのをおマヌケ天使も気付いたようで、人差し指通しを合わせてもごもごしながら話し始める。


「全く、キュエル、悪魔とあまり馴れ合うものでは無いですよ。……私もイージスと呼んでくれてもいいんですよ」


 あれま、こっちの真面目ちゃんも意外と可愛いところがあった。


「あれあれー、もしかしてあーしとキュエルっちが名前で呼び合うらぶゅーな関係になってくのが羨ましいのかなー」


 うりうりと天使——イージス様を私から出たリリスさんが小突くと、イージス様は顔を夕日よりも真っ赤にして項垂れるのであった。

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