第2話

 肉体を借りる。


 まだこれまでの人生において、と言うには私の生きた時間は少し足りないだろう。


 それでも一度も聞いたことの無い言葉に戸惑っていると、リリスと名乗った悪魔がイタズラっぽく笑いながら近づいてきた。


「おっじゃましまーす」


 彼女はそう言うと私のお腹に頭を突っ込んできた。


 するとどうしたことか、少女の肌はリリスと同じ褐色に染まり、栗毛の癖が強い何年も櫛を入れていない髪もリリスと同じ黒いストレートのポニーテールへと変わってしまう。


 顔つきもどことなくリリスへ似たものに変わり、生まれてこの方少女が一度もしたことの無いメイクも顔に浮かび上がるように現れた。


 そして最後の仕上げとばかりに背丈は変わらないが痩せた体、特に可愛らしいサイズであった胸とお尻の肉付きが良くなり蠱惑的な色気を醸し出す。


 一秒にも満たない間に終わったこれらの変化により、少女のことを余程よく知る者ではなけらば最早別人にしか見えない程に彼女の姿は変わってしまった。


「こんな感じ。変な感覚でオモシロイっしょ」


 まるで別人のように変わってしまった私は今おかしなステップで踊っているが、自分の意思で踊っているわけでは無い。


 寧ろ必死に踊りを止めようと体に指示を出している。


 しかし困ったことに体が全く言うことを聞かないどころか、目玉一つ動かせず勝手に口が知らない歌を口ずさんでいる始末だ。


(ど、どうなってるの?)


「アハハハハハ、ごめんね。堅物天使のガッチガチの説明じゃ解り辛いと思ったから実践しちゃった」


 実践と言うからにはこれが彼女たちの言っている体を借りということなのだろうか。


 何かの例えなのだと思っていたのにまさか言葉のままだったとは……


「何してるんですか身勝手悪魔! 彼女の体からさっさと出なさい!」


「嫌だしー。折角人間界に来たんだし、一仕事する前にパーっと遊ばなきゃ」


 イージスに向かって少女の体を使いリリスはあっかんべーをする。


 リリスの態度にイージスは怒り心頭怒髪天、頭から湯気を出しながら地団太を踏む。


 浮いているので地面を踏めてはおらず、足は空を切っていて天使の威厳が損なわれた何とも間抜けな姿にリリスは思わず吹き出す。


 それがイージスの切れかけていた堪忍袋の緒に致命打を与えてしまう。


「……貴女がそういう態度ならこちらも実力行使に出るまでです。とりゃーーーー!」


 煌めく白い羽を散らしながら大きく翼をはためかせたイージスは、頭から一直線に少女の体に突撃する。


 不味い、リリスがそう思い慌てて逃げ出そうとした時には一歩遅かった。


 イージスが少女の体にダイナミックな体当たりというか頭突きををかますと、少女の体からリリスがはじき出されて代わりにイージスが入った。


 すると今度は少女の肌は褐色から対照的な透き通るような白に変わる。


 髪色も黒から金色へと変化し、派手なメイクは綺麗さっぱり消え去った。


 魅惑的だった体も今度は筋肉質なものへと変わり、胸は元の大きさよりもへ絞ってしまう。


 鎧と肌の露出が少なく体形を覆い隠していたキトンのせい分からなかったが、悪魔が体に入った時のことから想像するにこれがイージスの体形なのだろう。


「ふむ、これが人間界で肉体があるという感覚ですか。中々興味深いですね」


 天使様は感触を確かめるように私の手で握っては開いてを繰り返す。


 そんな天使様を悪魔は不服そうに見ながら私の体を奪い返す算段でもしているらしく、虎視眈々と隙を窺っているよう見えた。


 一方の私は、少しずつ肉体を借りるという言葉の意味を戸惑いは当然あるが理解し始めた。


 天使様と悪魔はそれぞれ幽霊のようなものであり、この世の物に触ったりがそのままだと出来ない。


 だが、何らかの事情で幽霊のままだと困る二人は自分たちが好き放題動かせる体が必要なので自分の前に現れた。


 大体、そんな風に解釈した。


 合っているかは分からないが。


(あの、天使様。聞こえているなら体を返して欲しいのですが)


「これは失礼しました。すぐ出て行きますね」


「アンタも人のこと言えないねー」


 一か八かで言いたいことを念じてみると、どういう訳か天使様と悪魔両方に通じた。


 とりあえず体に入った相手だけではなく外の相手とも会話出来ることが分かったことに安堵する。


 控えめな主張を聞いたイージスはリリスから少女を助けるという大義名分を忘れて憑依した感覚を楽しみ始めていたことを反省したようで、リリスの挑発は甘んじて受け入れたらしく乗らなかった。


 天使様は私の身体から直ぐに出てくれた。


 途端、私の体は見慣れたいつもの姿へと戻った。


「あ、あー。……声が出る」


 自分の元へと体が帰ってくるという不思議どころでは済まないおかしな感覚に戸惑いながらも、私は体が本当に自分の思い通りに動くか念の為に確かめ始める。


 完全に自分の意のままに体が動くことを確認した私はいつの間にか自分の前に揃って浮き、様子を伺っているらしき天使様と悪魔に深々と首を垂れた。


「私の体、お二人の好きに使って下さい。でも、代わりに私をここから逃がして下さい! このままじゃ殺されてしまうんです!」


 泣きそうな声で懇願してくる少女にイージスとリリスは戸惑い顔を見合わせる。


 視線が合った瞬間互いにそっぽを向くも、仲良く同じタイミングでため息を吐くと少女に向き直り睨み合いつつも目配せし合い、今度はリリスが二人の代表として話し始めた。


「ちょいちょい、落ち着くし。何がどうなったら殺されるなんて話になんの。見た感じアンタ奴隷みたいだけど自分の所有物を壊す馬鹿なんてそうそういないっしょ」


 小首を傾げて不思議そうにする悪魔と、奴隷という言葉に嫌悪感をむき出しにしている天使様に私はここ最近のご主人様の行動と奴隷仲間たちが消えていった話をした。


「あーね、アンタのご主人様は頭のネジがどっかいっちゃってるタイプっぽいのね。安心するし。おマヌケ天使もあーしもアンタの体がないとマジこまっから助けたげる」


「またおマヌケって言いましたね! まあそれは一旦脇に置いておくとして、私も異存ありません。貴女の体がどうこう以前に目の前で助けを求める者を放っては置けませんから」


 イージスはリリスのせいで怒気が籠ってしまった声を直ぐに優しい声音に戻し、少女を安心させるように話しながら頭を撫でて震える彼女を落ち着かせようとする。


 イージスの手がすり抜けてしまい、二人の存在を理解はしていても慣れてはいない少女を驚かせさえしなければ素晴らしい対応と言えただろう。


 それはともかくとして、イージスとリリスは少女をどうやって奴隷小屋から脱走させるかを考え始める。


「やっぱ今すぐソッコーで逃げ出すのがベストっしょ。あーしが憑依すればこんな小屋、ラクショーで出れるし」


「いえ、逃げ出さずに彼女の主人に立ち向かうべきです。罪を悔い改めさせるのが正しい道なのですから。それに他の奴隷にされている人たちもまだ生きているかもしれないのですから助けなければなりません」


 百八十度意見が対立した二人は再び額を激しくぶつけて唸り声を上げながら互いの計画を否定し合う。


 自分のことなのにすっかり蚊帳の外に置かれてしまった私は、早くしないと連れて行かれてしまうとただ焦ることしか出来ない。


 二人の威嚇の唸りが最高潮に達した時、小屋の扉が開かれ、この家に使える老執事が現れた。


「時間だ、行くぞ」


 いつもは奴隷相手でも物腰の柔らかい老執事の威圧感に驚いた私は思わず逃げ出そうとしたが、首根っこを掴まれると老人とは思えぬ力で引きづられて小屋の外へと連れて行かれてしまう。


 威嚇し合いに夢中でそのことに気づくのが遅れた二人は慌てて羽を大きく動かし後を追う。


「この体たらく、我ながらなんと情けない。悪魔の意見など無視してさっさと行動するべきでした」


「それはこっちのセリフだし、おマヌケ天使!」


 この後に及んでもまだ歪み合う二人であったが、何とか追いついた老執事の怪力に違和感を覚えたリリスがヒクヒクと鼻を動かすと、顔つきが冷静なものへと変わる。


「お馬鹿な言い合いはここまでっぽい。あの執事、プンプン臭う」


 リリスの顔を見て事態を察したイージスもリリスへの敵意を引っ込め気を落ち着かせる。


「残念ながら救えるのは彼女だけということですね。主よ、哀れな魂たちに天界にて一時の安息をお与え下さい」


 イージスは聖堂に連れていかれた奴隷たちの生存に僅かの希望が無いことを悟り少女と同じ様に手を組み合わせ、悲惨な最後を遂げたであろう奴隷たちの為に祈りを捧げた。


「それで、どうするんですか。今回は貴女の領分のようですが」


「とりま、このままあの娘には悪いけど聖堂まで着いてくのが一番っしょ」


 少し距離を空けたまま、普通の人間には見られないのを良いことに二人は隠れもせずに少女と老執事を堂々と尾行する。

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