堅物天使とギャル悪魔の同族狩り~体目当てで奴隷少女を助けました~

武海 進

第1話

 脱走防止用の茶色く錆びた鉄格子が嵌められた明り取り用の小さな窓から差し込む煌々と輝く大きな満月の月光に照らされながら、私は手を合わせて熱心に祈りを捧げる。


 今までも物のように買われては売られの繰り返しの中で救いを求めて幾度も祈ってきたが神様が私を救うことは無かった。


 穴が空き放題の薄汚れた服を着て、野宿よりはマシと思える程度の奴隷部屋に閉じ込められているのがその証拠だ。


 しかし、それでも無駄だとは内心分かっていながらも私は祈る。


 ぞわりと背筋を汚泥のようにゆっくりゆっくりと伝う死への恐怖から逃れる為に。


 日に日に増える仕事量に辟易しながらも、他の奴隷仲間たちのことを思えばまだ自分は恵まれている。


 今日もそう考えながらご主人様や屋敷の人間に折檻されぬようにと必死に働いていた。


 しかし、馬小屋の掃除中にご主人様がやってきて遂に最近庭に作った小さな聖堂に夜来るようにと言いつけられてしまった。


 それが私が恐怖し、祈る理由。


 聖堂が完成して以来、何人もいた奴隷仲間たちが私と同じように呼び出され、そのまま誰一人として帰って来なかったからだ。


 ガナシアン帝国の法律では奴隷は購入者がどうしようと、例えば殺したとしても決して罪に問われることは無い。


 流石に他人の奴隷をどうこうとなると罪に問われるらしいが、それでも他人の物を壊したことに対する罪と同程度のものだと以前古株の仲間が教えてくれたことがあった。


 だから仲間内では聖堂に連れていかれたら、気が狂ったご主人様に殺され食われてしまうと噂になっていた。


 最初の内は数日に一人呼び出される程度で、一通りご主人様の相手をした後、お手付き品としてどこかに売られてしまったのだろうと考える仲間がほとんどで、一番臆病だった仲間がヒステリーを起こしてそんな話を喚き散らしていただけだった。


 だが、次第に頻度と一度に呼び出される人数が増えていくにつれ、噂が信憑性を帯び始め、いつしかそれが事実だと信じる者が大勢出始めた。


 そうして遂に、小さな奴隷小屋が自分だけの物になってしまったのだ。


 この状況ではずっと所詮は噂話だと信じないようにしていた私でも流石に信じるより他ない。


 実際はとうに信じていて、ただ恐ろしく目を背けていただけなのかもしていないが。


 こうなると、奴隷の身分で唯一縋れるものである神に救いを求めて祈りを捧げたくなるのも無理のない話である。


「神様、どうか私をお救い下さい。もし、ご主人様に殺されるのが運命だというのなら、せめて私の魂を天国へ導いて下さい」


 正しい祈りの言葉もやり方も知らないから私はただひたすらにそう呟く。


 隙間風が入り放題の小屋でも今日はまだ暖かい夜にも関わらず、祈りの為に組み合わせた手の震えが止まらない。


 いや、手だけではない、全身が震えている。


 時と共に強まる恐怖に祈りを紡ぐ口すらも震え始め、最早自分が何を言っているのかすら自分でも分からなくなってきた。


「天国ってゆーか天界なんてなんも無いつまんないとこなんだから、魔界、アンタら風に言うなら地獄の方が刺激的でちょー楽しいから、あーしは行くなら魔界の方がが良いと思うよ」


 祈りを遮るように声が聞こえた。


 自分以外誰にもいないはずの場所で突然聞こえた声に驚きはしたが、きっと気のせいだろう。


 今、屋敷にいる人間でこんな甘ったるく色気のある声を出す者はいないはずだ。


 きっと恐怖のあまり聞こえた幻聴だろう。


「ヘーイそこのかわいこちゃん、無視すんなし。目、開けなよ」


 まただ、また幻聴が聞こえた。


 今度は具体的な指示を出してきた。


 このまま無視していてはいつまでも幻聴に祈りの邪魔をされてしまうと思った私は、仕方なく幻聴に従い痛いほど固く閉じていた目を開ける。


 誰もいないことを確かめれば幻聴も治まるだろうと考えたからだ。


 だが、目を開けると幻聴と思った声の主、闇夜よりも深い色、全ての光を飲み込んでしまいそうな黒髪の女が立っていた。


 いや、正しくは浮いている。


 見た目は少し濃いのではと思うメイクが映える褐色の肌に、黒い革のような素材で作られた局部以外殆ど隠されていないぴったりとした衣装を着た、結構な頻度でご主人様が連れ帰る娼婦か踊り子のような妖艶な女、といった風体だ。


「あ、悪魔だ。神様はやっぱり私を助けてくれないんだ……」


 救われないことを悟ってしまい無駄な祈りを止めた途端、必死に堪えていた大粒の涙が止まらなくなり、頬に滝が出来るのを感じる。


 目の前でふよふよと浮かび、笑みを浮かべる女の肩甲骨の辺りからは蝙蝠に似た黒い羽が、腰からはつるりとした質感の先が尖った尻尾が伸びている。


 それはまだ売られる前、幸せだった頃に母が聞かせていくれた寝物語に出てくる魂を地獄へと誘う悪魔の特徴に合致していた。


 だから目の前の存在は、きっと恐らく十中八九悪魔に違いない。


 私は今まで真面目に生きてきた。


 どんなに辛くとも努力は報われると信じ必死に働いたし、いつも助けてはくれない神様への信仰心だって忘れたことはない。


 それなのに何故悪魔が現れたのだろうか。


 恐怖と絶望と困惑が心の中で暴れ始めたせいで感情が我慢の限界を超えてしまい滝の水量を増やしてしまう。


「ちょいちょい泣くなし。別にあーしはアンタの魂取りに来た訳じゃないから」


 遂に大声で泣き出してしまった私に悪魔は戸惑い、困った顔をする。


「落ち着きなさい、貴女のような信仰の厚い者を主が見捨てる訳がありません。私が主の御使いとして貴女に救いを与えましょう」


 背後から聞こえる穏やかで優しい声に振り向くと、またも女が一人浮いていた。


 悪魔とは正反対な神々しい見た目に私は直ぐに彼女の正体を確信した。


「天使様なのですか?」


 白いキトンの上に身に着けた一点の曇りも傷もない白銀の鎧と、首を垂れる程に実った小麦畑を連想させる金色の髪は月明かりを受け輝きを放ち、背中から生えた白鳥よりも白く美しい羽は正に神話に登場する天使様としか形容しようがない。


 まるで高そうな額縁に入れられた絵画からそのまま飛び出してきたような姿だ。


「ええ、そうです。さあ、共に行きましょう」


 差し出された悪魔とは対照的に少しの衝撃で簡単に割れてしまいそうな陶器のように白い手を私が取ろうとすると、猛烈な勢いで悪魔が割り込んできた。


「ちょっと待つし! 何勝手に話進めてんの! この娘はアンタ一人のもんじゃないでしょ!」


「五月蠅いですよ悪魔。救いを求める清らかな人間を導くのは天使の使命、悪魔はお呼びでは無いのです」


 先程までの神秘的な雰囲気はどこへやら、傲慢そうな笑みを浮かべた天使様は虫でも追っ払うかのように手を振り悪魔を私から遠ざけようとする。


「カッチーン! 今回の仕事は二人でやれってお互い上から言われてっしょ! おマヌケ天使!」


 鋭く尖った犬歯がはっきり見える程に大きく口を開けた悪魔は大声を出しながら天使様の鼻に噛みつかんばかりに顔を近づけ怒る。


 白い肌を真っ赤にしながら天使様も負けじと顔を突き出す。


「誰がおマヌケですって! 貴女と違って私は堕落してないのですからしっかりと自分の役目と責任は理解しています。そもそも貴女などいなくても問題ないのですからさっさと魔界に帰ったらどうですか」


 二人の視線がぶつかり激しく火花を散らす。


 顔と顔が近づき過ぎて額がごっつんこしても二人は気にしていないのか互いに唸り声を上げて怒りのままに威嚇し合う。


 ただでさえ状況が呑み込めていない私は、天使様と悪魔の喧嘩にどうしていいか分からずにオロオロしてしまう。


 その様子に気づいたのか二人は気まずそうに同じタイミングで咳払いをすると喧嘩を止めて私に向き直った。


「これはすみません、悪魔のせいで時間を無駄にしてしまいました。私の名はイージス、貴女にお願いしたいことあり参りました」


 再び天使様の顔は威厳ある厳かとでも言うべきなのだろう顔に戻った。


 神の御使で奇跡を起こす力を持つという天使様が私に何を頼むことがあるのだろうか?


 寧ろ助けて欲しいと願いたいのはこちらの方なのにと小首を傾げていると、天使様を押しのけ悪魔が顔を近づけてきた。


「あーしはリリス。このおマヌケ天使と同じで頼みがあんだけど聞いてくんない? ちゃんとお礼はするからさ、良いよね、良いよね!」


 同性でもドキリとする輝く笑顔に思わず頬が朱に染まる。


 だが、そんな魅力的な顔は私から悪魔を引き離そうとする天使様の手により頬をぶにりと潰されながら視界から消えてしまった。


 再び二人の間に戦いの火ぶたが切って落とされ、互いに互いを私から遠ざけようと手と手をがっちり組み合わせて押し合いへし合いを始めてしまった。


 私は二人の再戦を眺めながらも目先の危機を思い出し、悪魔への恐怖と天使様への畏怖が混ざって頭が混乱しながらも、勇気を振り絞って口を開く。


「あ、あの! お二人は一体私に何をさせたいんですか!」


 自分でも驚くほど大きな悲鳴に近い叫び声に驚いたのか、二人は喧嘩を止め顔を見合わせると私へ向き直った。


 悪魔は催促するかのように天使様に向けた手をひらひらとさせる。


 天使様は頬を膨らませ怒った顔をしつつも、私への二人の願いについて話し始めた。


「私たちはそれぞれ天使と悪魔だというのは説明しなくても大丈夫ですね」


 イージスの問いかけに大きく首を縦に振る。


 そんなことは誰が、例え幼子が見ても分かることだ。


「実は我々天使と汚らわしい悪魔は人間界、つまり貴女の住む世界では実体が無いのです」


 天使様の説明が今一つ呑み込めずに首が一周してしまいそうな位傾げてしまう私に天使様が手を差し出し、触れてみるように促す。


 恐れ多いとは思いながらもその手を取ろうとするも、触れたと思った瞬間すり抜けてしまう。


 頭が疑問符に支配された私は天使様への畏敬の念を忘れて何度も手をスカスカとすり抜けさせてしまう。


「驚きましたか? こんな風に私たちはこの世界の物には触れることが出来ず、干渉出来ないのですよ。但し、一つだけ干渉する方法があるんです。それは波長の合う人間の肉体を借りることなのです」

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