第23話 手を穢す

「~~~♪」


前と変わらない歌声が木霊する。

雨音が消えている。

少女の声だけが脳裏に吸い付いてくる。

逃げ続けていた私たちは、いつからか少女の誘いを甘受していた。

意識の及ばない遠い深層地帯で、少女の歌に惹かれたらしい。

聞こえない声。

でも確かに聞こえていた歌。


「ああ———あの子がこの歌を」


今ははっきりとその歌が聞こえている。

肌に吸い付く嫌な雨雫に気も留めず、少女をじっと見つめる。


「ら、らら」


相変わらずだ。

歌い踊り続けるだけの機械のよう。

楽しいという仕組まれた感情に従うだけの人形のよう。


「らら」


でも前の私とは違う。

人を守る私が、また間違えることはない。

今度こそ依頼主を守ってみせる。

剣柄を握りしめる。


「え……ファルコンさん、何を」

「下がって」

「どうしてそれに手を……?」


至極理解できない風に聞いてくるフーベット。

きっとあの歌に魅了されてしまったんだ。

早くあの少女を倒さないと、彼女も……。


「これが私の仕事です。あなたを必ずあの街まで送り届けます」


—————————————————————————————————————


剣を引き抜き、歌い続ける災害に向かって突進していった。

聞いたことのある歌声だった。

歩いている途中、突然耳に届いたあの旋律は私がどうしてか知っていたものだった。

どうして聞き馴染みがあったのだろう。

どこかで聞いた覚えはない。

だけど確かに聞いたことがある。

どこか奥底の、灰色の石の床で眠る夢。

どこでもない虚空を見つめ、薄温い水が小さな穴に落ちていくのを待っていた。

醜悪な香りの中。淡い光しか届かない場所で生きるには。

時間を数え、時間を歌うしかなかった。

そう、歌。

私は歌ったことがある。

歌ったことが———。




どうしてか、足が、腕が前に進んでいた。


—————————————————————————————————————


———え。

なんで。

どうして、そんなことを。


「……」


身体のバランスが崩れ後ろに倒れこんでしまった。

剣は手から離れ、無造作に転がされている。

フーベットの小さな手が私の腕を掴んでいる。


「……」

「———」


振り向いて彼女の顔を見るが、目線を下に向けていて表情を読み取れなかった。

前の方を向く。

目の前にはぐたりと倒れている少女の姿。

脹脛についた切り傷から血液が流れている。

水と混ざり合った赤い汁が地面に広がっている。

私は、少女の胸を狙った。

心の器官を射抜くように剣を突き出した。

しかしその瞬間にフーベットが私の腕を引っ張ってしまって、軌道がぶれて足に向かってしまった。

剣は少女の足の肉壁を削った。

歌う災害は先ほどとは打って変わって微動だにしていなかったが、時折身体をぴくりと小さく震わせていた。

歌声も聞こえない。

代わりに地面を打つ雨の音がその場を支配していた。

少女の顔を見るとその目はとても虚ろなもので、雨の雫が涙のように目から垂れているのが見えた。

僅かに口も動いている。


「——、———」


声にもならない小さな呼吸をしている。

……ひょっとして歌っているつもりなのだろうか。

まだ息の根がある。とどめを———。

フーベットの手をほどいて立ち上がる。

そして剣を拾い上げようとした。


「———あ」


剣先に赤い汚れが付いている。

それを見た瞬間、動悸がおかしくなった。


「あ、ああ」


少女の方を恐る恐る見る。

足からは相変わらず血が流れている。


「あ、あ、」


手を見る。

大きく震えていた。

連鎖するように足が揺れ、まともに立てなくなってしまった。

倒れこむ。

自分のしたことがはっきりするたびに、息が切れていく。

動悸が……とま、らない。

ガタガタガタと、ふるえ、ている。


「はぁ……はぁ……」


私は、初めて、自分、の、手、で、剣、で、ひ、ひと、を、さし、さした。


「だ、だれか」

傷のない体を引きずって助けを請う。


「たすけて、イ、イロンデル、イロンデル……せんせい……」


なんて、無様な。

これが護衛の仕事を背負った私の姿。


これの何を持って、先生の後を継げたと言えるんだろう。

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