第35話 コゼット・ジェヌー
黄色い声に手を振って応えるGPレーサー。その中で一際目立っていたのが、グループSを主戦場にしているコゼット・ジェヌーと、グループXを主戦場にしているビアンカ・ロッシである。
コゼットは1939年生まれ。流れるようなブロンドは、洗練されたパリモードのモデルを彷彿とさせる。が、優雅な立ち居振る舞いからパリの出身と思われがちであるが、ノルマンディー地方にある都市、カーンの出身である。要するに田舎娘であった(何故かコゼットを岩塊が直撃)。
『ちょっとちょっと、田舎娘で悪かったわね!!』
それはさておき、彼女もまた戦争の傷を背負っていた。彼女の生後間もなく、フランスはナチスドイツの前に呆気なく敗北、それから4年後、ノルマンディー上陸作戦に於いてカーンは激戦地となり、ドイツ軍を狙った空襲で民間人に多数の死傷者を生じるというあるまじき事態も招いている。
その上、カーンは交通の要衝であったため両軍もその重要性を熟知していたことから2か月近い一進一退の攻防が繰り広げられた結果、中世から続く伝統ある都市は灰燼に帰した。彼女の故郷は、今尚復興の最中である(再建完了は1962年)。
自宅は敗北後に接収されて将校の保養施設となった上、空襲で焼失してしまった。自宅も去年再建したばかり。
彼女の実家そのものは裕福で、フランス有数の食品大手、ル・ノルマンディーの創業者一族であった。
ル・ノルマンディーは主にノルマンディー地方を中心にレストランとホテルも経営しており、リゾート地だったこともありフランス国内は無論、欧州中からセレブが訪れるので経営そのものは順風満帆で、フランス解放までの一時期を除き、彼女は今日まで比較的何不自由なく過ごした。
父の知人がバイクレースを趣味としていた縁で始めたバイクにあっという間にのめり込み、デビューは去年のこと。グループSでデビューイヤーにプライベーターで出場しながら上位入賞を繰り返し、更に1勝をマークしたことで注目を浴び、今年チームごとビュガティ・ワークスに迎え入れられる。
去年はマン島でいきなり3位入賞、今年も既に2勝をマークし、更にエースがレース中のケガによりシーズン途中の引退を余儀なくされたことから2カーエントリーだったのもありエースに昇格せざるをえなくなり、トップレーサーへと急成長していく。
このため、フランスの誇りを掛けたマン島制覇の期待が彼女の双肩に掛かっていた。戦後のフランスは戦前と異なり逸材がなかなか現れなかったのもあり、その黄色い声援の多くはフランスからの応援団である。
久々のフランスからのトップレーサーの登場に、黄色い声も無理からぬことと言えよう。
余談だが、内心密かに田舎娘コンプレックスを抱きつつ、地元ノルマンディーには誇りを持っていた。彼女曰く、
「ノルマンディーには何でもある。ただワインを除いて」
フランスというとワインが名高いが、高温多湿で雨も多いノルマンディー地方ではワインの原料となるブドウが育たない。一方よく採れるのがリンゴで、それによるワインであるシードル、更にシードルを蒸留熟成させたカルヴァドスで知られる。尚、カルヴァドスと名乗れるのはノルマンディー地方で原料から生産熟成され、指定されたメーカーの生産した製品のみが名乗ることを法律で許されており、それ以外はアップルブランデーとして区別される。
また、酪農や漁業も盛んな反面土地は痩せており小麦の代わりに蕎麦の栽培が盛ん。蕎麦生地によるガレットはノルマンディーの名物の一つ。
こうした背景からノルマンディー地方の食文化はなかなかに濃く、欧州でも有数のグルメ地方と言えるだろう。
だからこそコゼットは田舎娘でありながらも強烈な矜持を抱いているのだ。因みに実家は勿論シードルとカルヴァドスも生産しており、これらは奇跡的に殆ど被害がなかったことから戦火を潜り抜けた奇跡の酒として高値で売り、一族と企業の復興の足掛かりを得た。
後方で上陸しているフレンチブルーのビュガティのマシンには、実家兼メインスポンサーでもあるル・ノルマンディーのロゴが大きく映える。
白文字のロゴを除けばフレンチブルーの車体に黄色と白のラインの入った外装は意外とシンプルで、ル・ノルマンディーのスポンサーカラーでもあった。
そんな彼女は人気だけでなく実力も十分であり、マン島に於ける優勝候補の一角と見做されていた。フランス人特有の気位の高いところはあるが、寧ろそこがいいと憧れる同性のファンも多い。
また、彼女の場合、気位の高い部分も人徳のためだろうか、意外と嫌味にならない。確かに気位は高いかもしれないが、道理は弁えており人当たり自体はいいので嫌う人はまずいない。
黄色い歓呼の中、コゼットは最後まで愛想を振りまきながらダグラスのホテルへと消えていく……
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