第33話 マッド・ジューン その2

 「も、もしかして、まさか……」

 翔馬の驚きの声に動じることもなく、客人は微笑みながら返答した。

「久しぶりね、翔馬」

 ハーフタイプのヘルメットにスカーフなのでぱっと見た目には男女の区別がつかないが、その声や雰囲気から翔馬には誰なのかすぐに分かった。

「まさか、サッコーとマン島で会うなんて思ってもなかったわ。にしても何でマン島にいるのかしら?」

 サッコーと呼ばれた女性の名前は、広瀬紗智子。翔馬と同期で二輪部に所属し、国内の様々なレースでミドルクラスを中心に活躍していた。

 その紗智子が何故マン島に来ているのか。

「実はねえ、GPの前座としてクラブマンレースがあるでしょ。それにメグロのマシンでプライベート枠で参戦するの」

 そう聞いて、聡明な翔馬はその意味がすぐに分かった。

「やられた!!そういう手があったか」

 そう、クラブマンにプライベートで出場するというのは建前であり、事実上メグロワークスとしてマン島に参戦するのだ。GPレースに出るにはまだ準備に時間が掛かる。だが、その間も少しでもデータが欲しい。だからこそ市販レーサーで参戦できるクラブマンにプライベーターの名目で紗智子をマン島へ送り込んだ訳である。

 嘗て国内の各種レースにメーカーが有力プライベーターへ支援を行い、事実上のワークスとして活動していたのと同じ図式であった。更に紗智子からとんだ爆弾発言が。

「実はねえ、もうすぐ見えると思うんだけど、ホンダもクラブマンにプライベーターとして参戦してるのよね」

「な、なんですって!?」

 それを聞いて、誰よりも驚いているのは久恵夫人であった。

「まさかね。ホンダもそのテを使ってたなんて盲点だったわ」

 この時代、プライベートで海外に渡航するのは日本人にとってカネだけでは困難だった。外貨持ち出しも厳しい規制があり、何かしらの必要と認められる相応の理由がないとまず無理であり、海外旅行など夢のまた夢でしかなかった。

 ホンダも当時、高度成長の波に乗って企業経営は大いに躍進しており、3年前と異なりスーパーカブの大ヒット(史実より二年早い登場)も相俟って最早倒産に怯える企業ではなく、クラブマンチームを海外に送り込むくらいどうということはなかった。何よりもスピードを重要視する本田宗一郎の性格からして、GPレースへの参戦を待たずに少しでもデータを集めるべく比較的敷居の低いクラブマンレースへ参戦を決めたに違いなかった。

 因みに紗智子の情報によると、ホンダは古くからホンダのマシンで国内レースはおろか東南アジアのレースにも参加していたイギリス人ライダーと日本人ライダーが男子部門に参戦するという。

「私がSSDに入った後、暫くして姿を消したって聞いてたから、まさかと思ったけどメグロのライダーになってたとはね。ていうか、同じこと考えてたのはSSDだけじゃなかったってことか」

 そう、ホンダは可能性があるとは思ってたが、メグロもとは予想外だった。つまり、残るメーカー、ヤマハ、スズキも来年くらいには参戦してくるであろうことも読めた。皆、考えていたことは同じだった。どうせやるなら世界の頂点を目指そうじゃないかと。

 まあ、エントリーする排気量が異なるため、直接SSDとぶつかる訳ではないが、それでも久恵夫人以下、メンバーには先を越された感があった。

 二輪業界も自動車と同じで、主力は大衆車クラスに相当する50~250㏄クラス。日本ではホンダ、ヤマハ、スズキが取り分け力を入れており、この先血みどろの戦いになるであろうことは想像に難くない。その後メグロも加わるので猶更だろう。

 実際、これから5年もしない内に一連の軽量クラスは日本メーカー同士の激しい頂点争いに取って代わることとなる。

 出し抜かれたという思いも残る中、翔馬は紗智子から聞いた話でどんな戦いぶりを見せるのだろうかと興味が湧く。

「成程ね。それは楽しみだわ」

 でもって紗智子も、

「あたしはこのホテルの近くにある民家に泊まってるから、遠慮なくおいでよ」

 紗智子は民泊なのだが、実はメグロを個人的にイギリスへ輸出しているバイヤーの親戚がマン島に住んでおり、そのツテで停まらせてもらっているという。実は、紗智子は日本へ市場調査に来たバイヤーに才能を見出され、海外進出を目論んでいたメグロの思惑とも利害が一致したため、今回クラブマン資格でマン島への出場が叶ったのだった。

 同期に先を越された悔しさはあったが、翔馬は同胞として応援しようと思っていた。

「紗智子、日本人として三人目の出場だから、先駆者として頑張ってちょうだいよ。私たちも来年には後を追うから」

「ええ。でも、翔馬はGPに参戦するつもりでしょ?こっちの方が羨ましいわよ。今回の成績次第ではあたしの首が飛ぶかもしれないしなあ」

 そう、紗智子もスカウトされた以上、恩人の面目を潰す訳にはいかない。

「紗智子なら世界でも十分通用するわ。世界がどんなものか、肌で知る貴重な機会だと思って気楽に乗ればいいじゃない」

 そう言って、紗智子の手を握る翔馬。そして、他のメンバーも同胞を応援とばかりに手を重ねた。


 その後、ホンダのメンバーも加わりアルコール抜きでも若さに任せて散々盛り上がり、健闘を誓いあうのだった。加えて、言葉は分からないけどいつの間にか多国籍パーティーと化し、パブは夜明けまで笑い声が絶えることはなかった……

 

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