第29話 マン島紀行 中編

 あれから一週間後、一行は機上の人となった。向かうは一路ヨーロッパ。目的地はマン島である。




 飛行機でアラスカのアンカレッジを経由し、ロンドンのヒースロー空港に降り立つと時差ボケを解消するため現地で一泊後、ロンドンからリヴァプールに向かい、そこからフェリーに乗ってマン島のダグラスへ上陸する。


 アクセスには空路もあるものの、フェリーで上陸したのは、運賃が安いのもあるが(何しろ当時は1ドル360円で極度の円安の上に外貨持出制限も厳しかったため)、来年マン島に出場することを決めており、機材を搬入する際の予行演習を兼ねていたからである。


 フェリーは他にもヘイシャム、更に北アイルランドのベルファスト、アイルランドのダブリンからも出ているが、いずれもダグラスに入港するのは共通していた。但し、ベルファスト及びダブリンからのフェリーは便数が少ない。


 因みにリヴァプールと言えば、あの伝説のロックバンド、ビートルズの出身地であり、ロックの聖地だと見做す人も少なくない。ロックの聖地である一方、嘗てはマンチェスターと並ぶイギリス有数の工業都市であり、マンチェスターで生産された工業製品を輸出する港湾都市でもあったが、それ故戦争では度々激しい空襲に見舞われた他、戦後に次々と植民地が独立しイギリス本国が斜陽化していくのと合わせ衰退、その地位を失っていった。


 その後、リヴァプールは観光都市、芸術都市へと変身し再出発していくことになる。


 


 一行が上陸した時には嘗ての工業都市の面影は既に失われており、そしてビートルズがメジャーとなる前夜で、この年キャヴァーン・クラブがオープンし、ジョン・レノンが前身となるクオリーメンを結成し演奏していて、まだ駆け出しだった(但し、一行が上陸した時は更にその前夜で、活動開始は8月からであり、クオリーメンはその一週間前に才能試験としてゴルフ場で演奏している)。


 メンバーがジョン・レノン以下、あの4人となりビートルズと改称するのが3年後、メジャーデビューは更にその2年後のことである。


 その後、キャヴァーン・クラブから10年に渡り著名なアーティストが多数誕生しており、代表的なところではローリング・ストーンズ、エルトン・ジョン、クイーンがいる。


 余談だが、当時ナイトクラブの多くが地下室で経営しており、キャヴァーン・クラブは元々防空壕であった。


 しかし、ロックファンにとっては聖地中の聖地とも言えるキャヴァーン・クラブは1973年(昭和48年)3月、惜しまれつつ閉店。程なくマージー・レールの地下路線建設現場になった。


 それから11年後の1984年(昭和59年)、キャヴァーン・クラブはリヴァプールFCの選手だったトミー・スミスが所有権を取得して再建されるも1989年(平成元年)に再び閉店、2年後に所有権が替わって再開以降は安定して経営が続けられ観光スポットにもなり、2018年(平成30年)にはイギリスの歴史的建造物ベスト10の一つにも選ばれている。


 一行はそのキャヴァーン・クラブの前を通っているのだが、ここが後にロックファンの聖地となることなど、この時点で知る由もない。




 それより、一行にとって苦痛だったのが、各地での露骨な侮蔑の視線であった。そう、あの戦争からまだ12年。日本は敗北した側であり、イギリスは経済的には敗北も同然だったとはいえ勝利した側である。加えて、日本の所為でその後全ての植民地を失った恨みもある。戦後程なくヨーロッパで多くの富豪が没落し、破産に至った者も少なくなかったが、それは植民地の喪失も無関係ではない。


 筋違いとはいえ、当事者の側からすれば日本への怨みつらみは相当なものだったろう。


 戦前もジャップと言われたり白人優越思想から来る日本人への侮蔑もかなりのものだったが、それでもあの頃はまだマシな方だった。だが、大東亜戦争で有色人種が白人に敗北し、折からの白人優越思想が重なり生意気なジャップの鼻をへし折ってやったと言わんばかりであった。戦争に敗北するというのは、これ程の代償を支払うのである。


 それでも、侮蔑の視線に毅然とした視線を向けると、大半は押し黙って去って行ったが。


「全く困った連中だよなあ。まるで犯罪者を見るような目で、何が紳士の国だ」


 どうせ英語しか話せない連中には分からないだろうと、小声で日本語で悪態をつく雪代。ここまで来ると寧ろ呆れと哀れみしか感じない。


「ふざんけんじゃねえよ」


 不意に女性らしからぬ低いトーンの声が響く。


 例外が一人。そう、翔馬である。翔馬も大人の態度で表向き怒りは堪えていたが、実は内心爆発寸前だった。意外かもしれないが、英梨花と並び翔馬も英語には堪能であり、それ故、小声でも英語を理解できるが故の侮蔑や嘲りが否応なしに翔馬を直撃していたのだった。こういう時、外国語を理解できるというのは苦痛以外の何物でもない。


「こういうのが自分たちの品位を貶めてることに気付かないのが同じ英語圏の人間として情けなくなるわ」


 エイミーも翔馬には同情の様子。当人はアイルランド国籍で白人間差別の対象でもあり、更に日本生まれの日本育ちである影響から、こうした差別を嫌う。


「さっきの身形のよさそうなおばさんさあ、小声で何と言ってたと思う?A group of yokel is walking(山猿の集団が歩いてるわ)って。おまけに視線はボクに向かってたし、そりゃ翔馬だって腹立つの分かるなあ」


 マライソムも不愉快を隠そうともせず、英語が理解できることがこんなに苦痛に感じるとは思ってなかった。


 因みにエイミーはともかく、マライソムも英語及びフランス語に堪能である。


 実は、翔馬は雪代よりも喧嘩っ早い。メンバーに加わる前には地元の不良と何度もケンカしているし、危うく警察沙汰になりかけたことも一度や二度ではない。久恵夫人が彼女のメンバー加入を促したのも、当人の才能を買っていたのに加え、このケンカがいつか当人の経歴のみならず西原家にも瑕をつけることを危惧したからであった。ましてや西原家は広島有数の名家である。名家の看板を汚す訳にはいかないのは当然だろう。


 


 無論、当時日本から世界へと羽ばたいていった日本人にほぼ共通する体験であり、先駆者故の試練だろうか。


「だめよ、翔馬。今ここで警察沙汰なんて引き起こせば、全てが水の泡になるわ」


「分かってますって」


 一行のリーダー兼保護者でもある久恵夫人に窘められて何とか落ち着く。その繰り返しであった。




 だが、ダグラスに着くとそれも一息ついた感はあった。そして、一軒のハーフティンバー様式の宿屋らしき建物のドアをノックした。

 その宿屋の名は、『スーザン』 何故この名を冠しているのかは、後に明らかとなる。


「ようこそ」


 丁重さを感じる声と共に重厚な樫の木で作られたドアがゆっくりと内側に開き現れたのは、何と日本人女性であった……

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