第12話 スカウト3 調布英梨花 後編

 決勝は二日目に入り、一級車によるレースが間もなく始まろうとしていた。


 


 英梨花は側面に意匠化した隼をマーキングした、ややオレンジがかった黄色と黒のAGVフルフェイスを被る。その間も、ついチラチラとSSDの方を見てしまう。相手は既に同じくベルのフルフェイスを被り腕を組んで悠然と構えている。こちらのことは全然気にしていないようだ。


 因みに相手のヘルメットはフレディ・スペンサーを思わせるマーキングだが、赤の部分はマグロか何かのシルエットを象っているようだ。


(それにしても、随分と目立つ出で立ちね。赤のマシンだなんて挑発的もいいところだわ。まさかとは思うけど、本当にSSDのワークスで、ヘルメットの下はこの間ブラジルのレースに出た五島紗代なんてことはないわよね)


 英梨花は気にしない素振りをしながらヘルメット越しに視線だけを移して相手を窺う。こんな草レースにまさかSSDのような大企業のワークスが出てくる訳なんてないよねえと無理やり言い聞かせているのだが、しかし、英梨花の勘は、それが杞憂ではなく今回最大の脅威になると警告してくる。




 やがて、スタート1分前となり、レーサー以外の関係者はコース外に退避。そしてレーサーたちは頭のスイッチを切り替える、所謂レーサーモードへと移行する。そのやり方はレーサーによって様々で、英梨花もバイザーを降ろし、深呼吸して心を無にすることでレーサーモードへ移行するのだ。




 そして、今大会の競技委員長がスタート用のグリーンフラッグを持ってスタートラインに立ち、準備に入る。その様子を誰もが穴の開く程注視する。傍らには時計が設置されており、競技委員長は秒針の動きを見つめながらフラッグを降ろすタイミングを計っていた。


 コース上に今回エントリーする一級車18台の爆音が轟く。尚、排気量が大きい一級車及び特級車は押し掛けではなかなかエンジンが掛からず後方から来たマシンに追突されたりといった事故も多かったことからエンジンを始動させた状態で待機し、スタートと同時に飛び乗る方法を採用している。


 刹那、フラッグが勢いよく振り下ろされ一斉にマシンへ飛び乗りスタートし1コーナー目掛けて疾走していく。


 人工的に仕切って作られた一周約4km左回りのコースを12周するレースが始まった。因みに右回りが主流の中、左回りは珍しい。


 


 スタートで見事なダッシュを見せ、およそ200m先の1コーナーへトップで進入していったのは英梨花。このまま逃げ切るのか。英梨花を先頭に、長蛇の列を作って次々とマシンが飛び込んでいく。


 英梨花もまた、ハングオフスタイルを駆使し、更に特徴的だったのが膝を擦る程の深いハングオフにあった。コーナーのアウトから進入し、非常に短い時間で向きを変え、鋭い立ち上がりでコーナーを脱出していくのだが、その間の動きは非常にスムーズ。


 それも時計のような精確さであり、動きにはムダがない。しかし、それは言い換えれば客視点では面白味には欠ける。だが、ライダーにしてみればスムーズな走りで相手を寄せ付けないというのはこれ以上に恐ろしいこともない。


 そのライディングはイメージ的にケニー・ロバーツを彷彿とさせる。


 


 当時英梨花の外見上のスタイルの特徴として、ひざ回りにパッドのようなものを装着していたことだった。そう、英梨花はコーナリングする時膝を擦るのである。無論これはロードのみで見られるもので、ダートでは足を投げ出してコーナリングしていた。


 傍から見れば実におかしな走りに見えただろうし、現にそういう声も英梨花は何度も聞いている。だが、英梨花は意に介さなかった。現にこの方が速く走れるのだから、これを利用しない手はないと考えていた。


 実際、膝を擦るメリットは大で、これによりバンク角を正確に把握できる上、全身を内側に大きくオフセットするハングオフと組み合わせることで相対的に重心が低くなり、旋回性と安定性を両立することができる。加えてコーナリングしている間、所謂三点支持になるのでコントロール性も高められると同時にマシンのバンク角は浅くても結果としてコーナリングスピードが高まる。バンク角が深いとその分安定性が低くなるので英梨花にとってはメリットだらけだった。


 いつしか膝を擦るのが常態化してから、カジタニにそれに対応するパッドなどの製作を依頼し、結果落ち着いたのが当時登場したばかりのマジックテープで脱着可能にした革を充てることだった。それまでは膝周りにガムテープを巻き付けて対応していた。


 


 余談だが、本来のガムテープは切手と同様糊面に水を使用するタイプのことを言うのだが、我々が日常に使用しているのは水を必要としないタイプで、厳密にはガムテープではなく粘着テープと呼ぶのが正解にも関わらず、『ガムテープ』は商標登録されていないのでガムテープと呼称すること自体法的に問題はないため誤用が定着してしまっており、メーカーは混同を避けるため啓蒙活動をしていることは意外に知られていない。


 因みにガムテープはエジソンの発明であり、日本には大正12年(1923年)にアメリカから原料と製造機械が輸入され製造が始まった。




 今回も英梨花の勝ちパターンであるリードを広げて逃げ切りを決めるのか。それは観客にとっては見慣れた光景であり、英梨花が敗けるのはトラブルかスタートでリードに失敗したかのどちらかと言われており、誰の目にも今回の英梨花の勝利は最強ロメックスに乗っていることからして疑いはなかった。筈であった。


 先頭に立って今回ももらったと思い、ふと後ろを見ると、まさかの事態に英梨花は一瞬狼狽した。


「まさかっ!?」


 そう、英梨花をあのSSDのマシンがピッタリマークしていたのである。その上、コーナリングでは自分と同じくハングオフと膝擦りに近いライディングを駆使している。


 今回、どちらかというと高速寄りのレイアウトなのでロメックスにとっては有利と思われていたのだが、そのロメックスに追随していくのが国産マシンなので、まさかの展開に周囲の観衆も大騒ぎになっていた。




「おいおい、あの赤のSSD、マジでロメックスを追いかけてるぜ」


「にしても、あのSSDかなりメチャクチャしてないか!?コーナーに入って早くからエンジン音が唸ってるのが聞こえるし」


 客の言うように、コーナーに入ったばかりの所でエンジン音が唸ってるのが聞こえるなんて普通はない。




「このロメックスと張り合おうとする国産車がいるとはね。にしても、何てメチャクチャな走りなのかしら。そのくせに速いし」


 英梨花も予想外の展開に驚きを隠せない、この時、二人とそれ以下との間にはかなりの差が開いていた。何より、自分と同じようなライディングをする者がいることに英梨花は自分だけじゃなかったのかと思うのだった。


 緩い1コーナーを終えるとテストコース内の本来なら様々な実証実験を行う関係で設けられた様々な形状のコースを継接ぎして組み合わせたテクニカルセクションに入っていく。




 最初の洗礼は8の字を仕切った連続S字セクション。何と、ここで引き離すつもりが逆に差を詰めてくる。


「くっ、あのSSD、なかなかやるじゃない。時折聞こえるエンジン音からして恐らくは4気筒ね。このロメックス相手にコーナーで差を縮めてくるということは、4気筒の軽さに加えてハンドリングは優秀とみたわ。加えてライダーのハングオフも利いてるわね」


 チラチラと後方を見ながら、今回これはトンデモな敵が現れたと戦慄する英梨花。そしてこの時確信した。間違いない、あのマシンの正体はワークスだと。


 英梨花の6気筒に対して、相手をそう推測している4気筒にも取り柄はある。それは、シリンダーが少ない分エンジンが軽くコンパクト、同じ排気量なら一気筒辺りの爆発力が大きくなるためトルクが大きく立ち上がりで有利、更に爆発の間隔が大きくなる分コントロール性に優れるのも見逃せないメリットと言える。


 爆発間隔がコントロールに与える影響は大きく、通常4ストエンジンは2回転に1回爆発が起き、2回転=720度なのでそれを気筒数で割ると爆発間隔が分かる訳で、6気筒だと120度ごと、4気筒だと180度ごとになる。


 当然のことながらパワーが出ているのは爆発している間だけであり、爆発から次の爆発までの間隔が短い方がパワー及びスムーズさの点で有利なのは自明の理と言えよう。


 しかし、二輪の場合この爆発間隔の短さは時に扱いにくさに繋がることもある。4気筒は次の爆発までの間隔が長くなる分それが扱いやすさにつながる訳で、加えて一気筒辺りのトルクも大きく、それが立ち上がりの有利さにも繋がる。また、爆発間隔が長いということは思い切りアクセルを開けられるということでもあり、その分コントローラブルになるのでコーナーの多いサーキットのように振り回すような走りに向いている。


 どういうことかというと、爆発の間隔が短くなるということは常にパワーが出ている状態になるため二輪の場合コントロールがその分難しくなるのである。なので、高速サーキットではそのメリットは大なのだが、逆にテクニカルサーキットでは多気筒のメリットは活かしずらい。


 つまり、多気筒を採用するということは他にも考慮しなければならない技術的難題があるということで、総合的に考えた結果6気筒ではなく4気筒を採用するメーカーが多いのだ。


 それでも英梨花のロメックスは至ってスムーズにコーナリングしていくので、その辺は技術力やライダーのテクニックなども絡んでくるため究極的にはメーカーやライダーの嗜好の問題と言えなくもない。




 やがて11周目、二台のデッドヒートの様子は変らずSSDはピッタリとロメックスを追走していた。国産車は通常ならこの辺りでヘタってくる筈なのだが、SSDにその兆候は見えない。それどころかいつ抜き去ろうかと機を窺っているようにも見える。


「間違いない、ヤツは最終ラップ、テクニカルセクションで私を抜いて連続コーナーで引き離すつもりだわ。でないと最終コーナーを抜けた後の直線で私に抜かれるだけだものね。ところが最終ラップでは直線は半分しかない。つまり、ヤツでも勝ち目があるということになる。そうはさせるものですか」


 英梨花は頭脳明晰だけあり何で抜かそうと思えば抜けるのに仕掛けて来ないのかを見抜いていた。最後の長いストレートで追い抜かれ元の木阿弥になり結局マシンに負担を掛け最悪の場合トラブルでリタイヤになるリスクがあるのだろう。だからこそ最終ラップまで仕掛けるのをじっと我慢しているに違いないと。


 


 最終ラップに入ったことを告げるZ旗が振られ、競輪よろしく鐘が鳴らされる。因みに最終ラップに入ったことを知らせるために旗を振るのはアメリカのレースのみであり、振るのは白旗である。


 尚、FIA主催のレースで白旗はオフィシャルカーや救急車がコース内に入って来たことを知らせるために使われることが多い。また、コースオフしたレースカーが復帰した際の初期加速中の低速走行、或いは何らかのトラブルでスローダウンした場合も使われる。


 Z旗なのは恐らくレーサーに目立たせるのと同時に最後の周回だから気合を入れろという意味合いもあると思われるが、後に国内で選手権などレースの体裁が整ってきても継続して使われることに。




 長く緩い高速コーナーを兼ねた1コーナーを回りテクニカルセクションに入るところで予想通り仕掛けてきた。


「そうはさせるものですか!!」


 が、ここでSSDのライダーは予想外の行動に出た。英梨花のインに鋭く斬り込むと、何とカウンターも当てないままパワースライドして立ち上がりハンドリングを活かして英梨花を抜き去った。


 普通パワースライドしたらカウンターを当てるのが常識の筈なのだが、それを絶妙なバランス感覚と巧妙なアクセルコントロールで制御して立ち上がったのである。カウンターを当ててない分だけタイムロスがないが、その分リスクも大きい。なかなか出来ることじゃない。


 恐らく相手にしても最終ラップだけでしか許されない切り札だったに違いない。


「それにしても、何て走りなのよ」


 英梨花は見たことのないライディングに驚きを隠せなかった。自分もダートも心得はあるけど、あんな走りは見たことも聞いたこともない。いやはや世の中は広いものだと思わざるをえなかった。


 そして、ハンドリングの優位性を活かして英梨花のロメックスを引き離していく。


 最終コーナーで起ち上がり最後のストレートで再び6気筒の優位性を活かして詰め寄るが、一車身差でSSDにチェッカーフラッグが振られた。




 そして、ウイニングランに入るが、並走している英梨花は悔しくはあったけど全力を尽くしたのもあってかそこにはある種の清々しさがあった。互いに健闘を讃え合う。


 周囲からも稀に見る名勝負に大歓声が上がっていた。




 やがてピットロードに帰還してマシンを降りヘルメットを脱ぐ英梨花。同時に同行していたメカニックやお手伝いさんが駆け寄る。実は英梨花はよれよれだった。


「だ、大丈夫ですかお嬢様」


「へ、平気よ。まったく、こんな疲れるレースさせるだなんて。でも、全力投球だったから負けたけど反って清々したわ」


 と、SSDに乗っていたライダーもヘルメットを脱いだ。その正体は何と、自分と同じく女の子。自分と異なり何処か田舎感がある。そう、その正体は五島紗代ではなく大間佳奈であった。その顔に、英梨花は見覚えがあった。佳奈は英梨花の方を見てにこりと笑う。


「まさか、その正体は大間佳奈だったとはねえ。貴女の噂は聞いてるわ。東北に敵なしの天才ライダーがいるってね」


「私も、関東にその名を馳せるライダーがいると聞いてました。その貴女と戦えて楽しかったわ」


 と、そこへ現れたのは久恵夫人。英梨花は彼女も当然見覚えがあり、そして今回出場したSSDはワークスチームであることを彼女が登場したことから見破った。


「道理で国産とはいえ強い筈だわ。何せワークスだもの」


 と、そこへ久恵夫人は畳みかけるように英梨花へ単刀直入に切り出した。


「貴女のことは、噂に聞いてますわ。どうでしょう、これを機に我がチームに加入してみては。そして、ゆくゆくはマン島、そしてグランプリを制覇するため一緒に走りましょう」


「なるほどね、そのために送り込んできた刺客だったわけか。お断りします、と言いたいところだけど、世界を目指すだなんて、そんなスケールの大きなこと言うチームの申し入れを断る訳ないでしょ。いいわ、国産車での世界制覇というのも悪くないわね」


 何処か素直じゃない面が覗くが、英梨花はこの日、SSDワークスに加入した。




 レース終了後、恒例の終了パーティーとなり誰もが和気藹々となるのもこの時代の特徴と言えるだろう。英梨花の大盤振る舞いは毎回のことだが、SSDでは今回広島名物のお好み焼きを振舞った。


 初めての味に、英梨花も満足の様子。


「これがお好み焼きか。レース後はどんな食事も美味しいんだけど、これは格別ね」


 意外かもしれないが、英梨花は庶民派グルメは嫌いじゃないどころか気楽にいただける所を大いに気に入っており、密かに駄菓子やもんじゃ焼きもいただいたことがあり、お好み焼きをすんなり受け入れたのも当然と言えよう。


 


 この瞬間、英梨花はSSDの一員となったのであった。同時に、SSDは屈指の理論派という一大戦力を手にしたのである。






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