第8話 スカウト2 大間佳奈

紗代がSSDのワークスライダー第一号となって一年になろうとしていた、昭和27年(1952年)。




 長崎から遠く離れた青森県深浦町。ここに、後に世界へと羽ばたいていくことになる少女がいた。


 青森は終戦が間近に迫っていた昭和20年7月28日から29日に掛けて青森市に大空襲があったものの、それ以外の場所は特に大きな被害もなく、甲種合格者を中心に若者が徴兵されたことと配給制以外は戦前と変わらぬのんびりした生活ぶりであった。


 深浦町もそんな場所の一つである。




 深浦町は自治体の面積としては青森県で5番目の大きさながら、険しい山岳地帯が海岸線近くまで迫り、自治体に占める原野の割合は実に90%近くに上る。


 おもな産業は漁業で、過酷な自然環境のため殆ど人の手が入らなかった原生林は大変貴重であり、後に白神山地は日本初の世界遺産に登録されることに。


 日本海に面しているものの、沿岸を対馬海流が流れていることや、やませ(偏東風)を奥羽山脈に遮られるため、積雪は青森にしては意外と少なく、比較的温暖な場所でもある。




 しかし、可住地が海岸線にほぼ限られる関係上人口は少なく、典型的な鄙びた漁師町であった。


 後に大間と並んでマグロの水揚げで知られるようになるが、今となっては信じられないような話だけど、当時のマグロは下魚扱いで揚がっても現地の住民が口にすることはまずなく、イカやサケ、ヒラメ、ブリ、タラなどが食卓を賑わせていた。


 


 マグロは当時水揚げされても殆どタダ同然で業者に引き取られ、肥料として畑の肥やしにもされている。また、地元でも仕方なく食べることになってもその巨体が災いして一匹でも近所にお裾分けして余ってしまうため、ホントに処理に困る魚であった。


 マグロが如何に嫌がられていたかというエピソードについては枚挙に暇がない。


 何しろマグロは鮮度落ちが早く塩漬けや干物にも使えず、保存方法と言えば醤油に漬け込む『ヅケ』くらいしかないため江戸前寿司での需要以外誰も食べなかった上、しばしば他の漁に紛れ込んでその巨体で漁網が傷むために漁師からも敬遠されていた程だ。


 ましてやトロに至ってはネコマタギなる不名誉なあだ名を頂戴した程で、マグロが高級魚として脚光を浴びるようになるのは急速冷凍などの保存技術及び流通が飛躍的に発達する70年代に入ってからのこと。また、それに伴い様々な調理方法や料理が生み出されるようになったことでマグロは黒いダイヤの地位を得るのである。


 深浦がマグロから恩恵を受けるようになるのは、当面先のこと。




 そんな漁村に、実は天性の女子ライダーがいたのだ。




 深浦町のとある中学校。鄙びた漁師町に於いて、ある物が盛んであった。


 それは、二輪レースである。何しろ海岸線近くまで山岳地帯が迫る地形は、レースを行うのに格好の条件を備えていたのである。後に世界遺産となる白神山地でレースだなんて今の視点で見れば卒倒ものの話であるが、当時はそう思われてなかったことに留意しておくべきだろう。


 また鄙びた漁師町であるが故に、戦後の窮乏も重なって娯楽に飢えていたことも、こうしたレースを後押しした。


 主に東北の山間部で行われる一連のレースは、戦後各地に雨後の筍の如く誕生したライダーズクラブの一つ、東北ライダーズクラブが主催していたが、更に一部学校が部活の一環として参戦していたのである。




 そんなある日、放課後の学校の裏庭にあるガレージで今日も一人の少女が作業着に身を包んでバイクの整備に精を出していた。尤も、作業服といっても戦争当時に母親が着ていた国民服とモンペだったが。


 余談ながら、戦後しばらくの間、国民服及び復員兵が軍装をそのまま作業用途などに転用していた例は少なくない。物資に乏しく新規の服を手に入れるのも儘ならなかったせいもあるが、一方で使い勝手に優れていたためそのまま使い続けていた人も多かったという。


 因みに軍の鉄帽は鉢植えに転用され歳月が経つ内に土に還ったケースも珍しくない。ある意味国民服も軍装も、戦争が終わって尚日本国民のために役に立ち続けたと言えなくもないだろう。 




 でもって、少女の名は、大間佳奈 (おおま かな)。当時13歳。昭和時代の女子生徒の典型的な髪形である黒髪お下げがよく似合う、地味な見た目ながらも可愛らしい女の子である。


 実家は漁業と飲食店、更に雑貨店を経営しており、彼女自身は理数系が得意且つ成績優秀なのもあって所謂奨学金を受けて高校大学と通い将来はエンジニアとなって実家を助けるつもりでいた。教師たちも彼女なら大学の奨学金は間違いなく受けられるだろうと考えており、その優秀さが伺える。


 実家は更に漁船の整備工場も経営しており、工場を継ごうと考えていたのである。


 別段生活に困っている訳でもなく、出そうと思えば彼女を大学まで出すくらい問題なかったが、彼女は実家に負担を掛けまいと懸命に勉強していた。因みに下には弟が二人、妹が一人いる。


 バイクの整備をしていたのは、実地経験でもあり、また娯楽に乏しい当地に於いて機械弄りは自身にとっての娯楽としての側面を兼ねていた。


 佳奈は整備に関して天性の才能があったようで、彼女の整備したエンジンはいつも好調だと評判もよかった。このため大学チーム及び時にワークスが密かに支援していた有力プライベーターを脅かすこともあった。尤も、中学校の部活レベルの悲しさ、話題になることはあっても成績に結び付くことはなかったが。




 と、熱心に整備している所へ、白髪混じりのいかにも典型的な初老の教師である顧問の先生が声を掛けてきた。


「大間、整備中のところ、話があるんだが」


「何でしょうか?」


 先生の声に振り替える佳奈。その表情は少し困ったような様子である。


「実はだな、ここでもうすぐ東北ライダーズクラブ主催のレースがあるだろ?肝心のライダーが練習中の事故でケガをしてしまって、大間、代わりに出てもらえないか?」


「私がですか?」


 突然の申し出に戸惑う佳奈。当人も整備の後、調子を確かめる目的で走らせることはある。が、レーシングスピードで走ったこともあるもののこれまでレースなんてしたこともなかった。そんな佳奈の内心を先読みするかのように先生は畳みかける。


「出場してくれるだけでいい。別段ビリでも文句は言わんよ。部活の一環として勝つより参加することに意義がある。とにかく出場して枠を埋めてくれるだけでいいんだ、頼む」


「わ、分かりました。それなら……」


 懇願するような先生の物言いに断ることもできず佳奈は二つ返事で承諾してしまった。因みに当校のレースでの成績は部活としての出場のためそんなに芳しい訳ではなく、別段プレッシャーがある訳でもないので気楽な立場だったから佳奈も引き受けたのであった。


 まさか、これが彼女にとって天性の目覚めでありレースキャリアの始まりであり、後にマン島及びGP制覇へと繋がっていくことになるなど当人も思ってもいなかっただろう。


 


 まさかの自身の参戦が決まってしまったことに暫く戸惑いを覚えつつ、佳奈はあることを試してみようとマシンを全面的に弄ることにした。


「そうだ、せっかくだし、自分の思い通りの操作ができるように変更しちゃえ」


 テスト走行でも何度か自分なりのライディングを試したことはあったが、それがレースで通用するかどうかは未知数であった。しかし、今回は枠埋めなので気楽な立場だし、失うものなどないという開き直りが、彼女を突き動かしていた。


 結局、夢中でマシンのセッティング変更を終えた時、漆黒の帳が下りて星が瞬く9時になっていた。


 誰もが顔見知りの鄙びた漁村で別段危険がある訳ではないとはいえ、女の子が夜遅くに歩いていて良い訳はなく、下校の途中時折出会うご近所さんに叱られ、そして帰って来たらこれまた両親にメチャクチャ叱られたのは言うまでもない。一応事情は分かっていたので夕食抜きとはならなかったが。


 電話の一本くらい入れておくべきだと思う読者もいるだろうが、当時はまだ電話も限られた家にしか普及してなかった。従って遅くなるなどの連絡を入れる手段はない。


 佳奈の家は村の中では比較的裕福な方だったとはいえ、電話が入るのは翌年である。それまでは村長の家にしかなかったという。


 因みに一般家庭に於いて電話の普及が本格化するのは高度成長期に入ってからであった。




 三日後、白神山地の山道を使った東北ライダーズクラブ主催のレースが開催され、東北中からここ深浦町に集結し、鄙びた漁村は束の間の賑わいとなる。この間饅頭屋は無論、佳奈の実家も屋台を出店して自慢の魚料理で大いに儲けていたのは言うまでもない。


 そんな中で佳奈がエントリーするのは何と一級車となる750㏄クラス。レースは一周約6キロの白神山地の山道を閉鎖して臨時に作られたコースを8周、48キロで争う。今回は19台がエントリーしていた中、佳奈は三列目、13位からのスタートである。


 


 スタートが間近に迫る中、佳奈はジェットヘルメットを被りゴーグルを降ろし黒のスカーフで顔を覆う。黒なのは日光の反射防止である。


 大勢の観客に混じって佳奈の家族も見守る中、グリーンフラッグが振られ盛大に土埃を上げながら一斉にスタートする19台の一級車。密集体型の中、まず第一コーナーに飛び込んでいくのは誰なのか。


 その光景に、意外と思ったのか観客から驚きの声が上がる。


 第一コーナーへトップで飛び込んでいったのは何と佳奈であった。女子ならではの体重の軽さを活かして伸びるトップスピードに助けられ、更にこれまで見たこともない鋭い旋回で短くコーナリングして後続を引き離していく。


 これには寧ろ応援で駆け付けていた学校の生徒や更に顧問の先生、そして部活関係者も大騒ぎ。何しろこれまで何度か上位を走って見せ場を作ったことはあったが、トップを走ったことなど無論一度もない。


「す、すげえ、大間のやつ、あんなに速かったのかよ」


「それに、あんな走り、見たことない。あんなにダイタンに切れ込んだら普通ならコケてるぞ」


 誰もが佳奈の走りに驚きを隠せなかった。何より立ち上がりが極端に早く、コーナーに入った瞬間からエンジンが唸っているのが聞こえた。


 それは普通に考えれば異常である。しかし、明らかに速い。その走りは差し詰め全盛期のフレディ・スペンサーに似ていた。


 その走りに驚愕していたのは観客だけではない。後方から佳奈を追尾するライダーや、密かに視察に来ていたホンダなどの技術者も驚きを隠せないでいた。


 そして、見事8周を走り切り佳奈はチェッカーを受けた。佳奈にとっても、勿論学校にとっても初勝利であり、まさかの大番狂わせでもあった。


 


 佳奈は鮮烈なデビューウィンを飾り、賞金2万円と副賞の饅頭をいただき、副賞は慣例通り参加者で分け合い互いの健闘を讃え合う。




 それにしても、佳奈がこれ程速いとは。顧問の先生も驚く他はなく、そして佳奈に言った。


「大間よ、二週間後に三沢でまたレースがあるから出場してみないかね?」


「あれ?今回だけでは……!?」


 この時当人はあくまで代役としての参加であり、自分としてはこれが最初で最後のチャンスとばかりに全力で走っただけに過ぎなかった。しかし、先生の見方は違った。佳奈にはもしかしたら天性の才能があるかもしれない。もしも本物なら、次のレースでもこのライディングを武器に勝利してみせるだろうと考えていたのである。


 腕を組んで考えあぐねる佳奈。


 しかし、勝利すれば2万円……当時の大卒初任給でさえ公務員で6500円前後の時代である。佳奈は後の授業料や家計の助けになるかもしれないと、一度は断ろうとした所を考え直して承諾するのであった。


「分かりました、私でよろしければ」




 二週間後、三沢基地の滑走路を閉鎖して作られた珍しい舗装コースであったが、駐留米軍も多数エントリーしたレースで佳奈はまたしても優勝。その時披露したライディングに、米軍関係者はクレイジーだと賞賛を贈ったという。そして、顧問の先生はこの時確信した。大間は間違いなくライディングに関して天性の才能に恵まれていると。




 こうして、当初整備員として部活に関わっていた佳奈はライダーの一人となり、一年後には東北に敵なしと言われるほどになっていた。とにかく強かった。そして、活躍の話は当然久恵夫人にも届くことに。


 


 昭和28年(1953年)夏のある日、レースを明日に控え家に帰ると見知らぬ女性が顧問と一緒に待っていた。そして母親も慌ててまだ玄関口にいる佳奈に駆け寄って来る。


「大変よ、佳奈。何でも今来ている御婦人が、アンタをプロのレーサーとしてスカウトしたいって」


「ええっ!?」


 寝耳に水の話に、佳奈も驚きを隠せなかった。


「さあ、お客さんを待たせないで、早く着替えなさい」


 来訪していたのは無論久恵夫人。更に顧問も同席していた。


 セーラー服から大急ぎで私服に着替え、居間に於いて久恵夫人と向き合う。母親はコーヒーで持て成す。


 そして、久恵夫人は開口一番こう告げた。


「東北に敵なしの女子ライダーがいるとの話を聞きつけて、貴女の走りを何度か見させていただきました。貴女は東北で埋もれている場合じゃない、貴女には、世界を目指してもらいますわ」


 そう聞いて、背中にぞくりとしたものを感じる佳奈。女特有の鋭い勘が告げる。この人は、決して酔狂ではなく本気でそう言っていると。突然世界と言われて、佳奈は思うところがあった。


「もしかして、マン島と、WMGPを目指しているというのですか!?」


「そうよ、それも、参加ではなく制覇をね」


 マン島、WMGPと言えば、東北の地でもバイクに乗る者の間で知らない者はいない。しかも、今目前にいる女性は目標を制覇だと言ってのけた。そんなスケールの大きなことを本気で考えている人を、今まで見たことがない。


 


 当時、日本は漸く戦争の焼野原と戦後の混乱期を脱した時代、高度成長期前夜でまだまだ経済基盤も貧弱な中、食べていくだけで精一杯の人も少なくなかった中で、久恵夫人の話をそこら辺の人が聞いていたら、大半は大言壮語、大風呂敷といって一笑に附すか法螺吹き呼ばわりするかがオチであろう。或いは、ひどい場合だと精神異常者呼ばわりする人もいるかもしれない。


 だが、目前にいる女性は、日本のメーカーとライダーによる世界制覇が可能だと本気で信じている。


 


 実は、佳奈もレースに出場を重ねるにつれ、世界で戦ってみたいと密かに思ったことはある。だが、それは鄙びた漁村に生まれた自分には縁のないものだと思っていた。そこへ、突然その可能性が開けたのだ。


「わ、私に、その可能性があるというのですか!?」


「ええ。貴女には、間違いなく世界を制するだけの才能がある。レースを見て確信しました。貴女には、プロのレーサーとして、世界へと羽ばたいていく義務があるのです。それが、天性の才能を神から与えられた者が果たすべき責任ですわ。井の中の蛙でいてはなりません」


 自分にはそれだけの力があり、その力を使う義務と責任がある。そんなことまで言われて心を動かされない者などいないだろう。そして、何より、言葉の奥に彼女の覚悟の大きさをまざまざと感じ取ってもいた。


 


 傍らで話を聞いていた顧問も背中を後押しするように言い放った。


「大間、お前はこんな鄙びた漁村で燻っている器じゃない。天から与えられた才能を、世界でぶつけてみろ!!」


 二人の気迫に押される佳奈。


「わ、分かりました。そこまで仰るなら、私も肚を括りましょう」


「それなら話は早い。取り敢えず、こんなところでどうかしら?」


 そう言って久恵夫人は指八本を提示した。


「8000円ですか、悪くないですね」


 当時、女子でそこまで稼げるのはそういなかったので、これでも悪くはなかった。しかし……


「ううん、桁が一つ違うわ。8万よ」


「は、は、8万円、で、で、ですか!?」


 8万円と聞いて、目を見開き口をあんぐり状態でコーヒーがこぼれてることにも気付かない佳奈。因みに当時、8万円といえば現在の額に換算すると80万円に相当する。


 こうして、佳奈のSSDワークスメンバー入りが決まった。その記念とばかりに翌日のレースも見事優勝した。




 そして一か月後、深浦駅にはこれから広島へと向かう長い旅路に出るため一人列車に乗った佳奈の姿があった。駅には佳奈の家族や学友、顧問、更に近所の顔見知りなどが総出で見送りに来ていた。


「広島は原爆で灰になったことにもめげず苦しくとも必死で今尚復興に励んでると聞いとる。その人たちに負けぬようはばたいてこい」


 顧問からの激励が身に染みた。


「ええ、先生。それでは、私は世界へと羽ばたいてみせます」


「そうだ、その意気だ」


 やがて、発車時刻となり汽車特有の甲高い汽笛が響くと共に線路に動輪の鈍い御よが軋む音が聞こえると列車はゆっくりと動き出した。同時に誰もが万歳斉唱で佳奈を見送る。


「さようなら、みんな、さようなら、深浦……」


 遠ざかる故郷に薄らと涙を浮かべる。




 8年後、マン島と、そしてWMGPグループSを制することになる佳奈にとって、これがプロのレーシングキャリアの始まりであった……


 

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