IOM ~Isle Of Mann~ 不死鳥の栄光 焼野原から世界へと羽ばたいた少女たち 

@kinshisho

第1話 伝説

紅い疾風が、フェニックスの咆哮と呼ばれる甲高いエグゾーストサウンドを響かせた刹那、瞬きが終わらない内に彼方へと消えて行く。


 その咆哮は、精密に組み上げられた機械特有の、全ての部品が一寸の狂いもなく精確に奏でるメロディーが一つへと融合した、邪気の無い澄んだオーケストラ。


 そのサウンドは時として生命体を連想させ、人々に強烈な余韻を残していく。そう、赤い疾風は、地上最速の金属生命体…………






 広島県広島市佐伯区五日市。というより、今尚五日市町と言っても通用するこの街に、その赤い疾風を生み出した重工業メーカーの本社がある。その企業の名は、宍戸重工。通称SSD。


 因みに、五日市町は市になる前、唯一人口が10万人を超える、日本で最も人口の多い町でもあった。


 


 従業員数は2万人を数え、重工業分野で広島を、そして日本を支える一翼を担う。その分野は様々であるが、取り分け有名なのはSSDと呼ぶブランドで知られる二輪車であろう。バイク好きでこの名を知らぬ者はいない。


 


 尤も、ブランドイメージとしては非常に有名ではあったが、二輪がこの企業に於いて占める生産割合は、たかだか2%に過ぎなかった。これはメグロ及び陸王ブランドを擁する川崎重工とほぼ同じである。


 


 だが、その二輪車こそがSSDこと宍戸重工が世界へと飛躍していくことになった原点でもあるのだ。現在の宍戸重工は寧ろその正式名称よりもSSDの名称が遥かに有名であり、現に本社の屋上の塔屋看板にも赤地にSSDの文字が金色で誇らしげに描かれており、社標がフェニックスマークなのもあって、かなり離れた場所からでも目立つ。


 


 本社にはSSDミュージアムが併設されており、ここにはSSDが発表した市販車やレーサーといった各種二輪モデルが展示されており、老若男女問わずバイク好きが訪れ賑わっていた。最近は日本ブームの影響で外国人の姿も多い。




 ミュージアムはパノラマガラスが特徴的な三階建て直線主体のアシンメトリーな外観で、外装はアルミパネルで蔽われており、未来的な趣に溢れていた。因みにこの建物が完成したのは昭和60年(1985年)のこと。既に40年近くも前である。


 


 それまでは本社のエントランスにスペースを設けて展示していたのだが、さすがにコレクションが増えて手狭になってきたのもあり、丁度敷地の旧機械工場が生産効率向上によって不要になって取り壊しが決まったため、ここに改めてミュージアムを設けることとなった。


 


 建物面積は約3000㎡、延床面積は約8000㎡に上る巨大なもので、コレクションはほぼ全て動態保存となっているのが特徴であり、時折本社敷地内にあるテストコースで走行イベントが行われることもある。


 


 尚、テストコースの一部は教習コースのようになっている部分もあり、そこでは警察の協力の許、二輪に対するイメージ向上のための安全講習会といった啓蒙活動も盛んであった。啓蒙活動には現役、或いは往年のレーサーが参加することもあり、そうしたイベントは当然参加者も多く県外どころか最近ではネットの普及で情報が回るのが非常に早くなったせいか、折からの日本ブームもあって何と海外からの参加者もいるという盛況ぶりであった。


 往年の名レーサーに会える。日本よりもレース文化で一日の長があった欧米ではモータースポーツの過去に対する敬意も深く、講習会であっても彼らには価値あるイベントなのだ。


 


 一階にはコレクションの整備工場とカフェがあり、更に土産物コーナーにはSSD関連のみならず広島系企業ではほぼお約束と言えるカープグッズやサンフレッチェグッズもあり、更にSSDコラボのもみじ饅頭なども販売していたりする。因みにSSDは広島応援宣言企業の一つとして地元球団やサッカーチームにもスポンサーの一つとして出資してもいる。


 


 カフェなどがあるエントランスの奥からが一階の展示スペースとなっていて、二輪車の草創期の歴史を交えながらSSD黎明期のモデルが展示され、このため歴史的に重要と思われる各メーカーや収蔵している博物館に許可を得て製作したレプリカや他社のモデルも展示されていた。


 


 二階には主に戦後から現代に至る市販モデルが展示されており、SSDはメグロと並んで大型モデルを中心に展開しているのもあって見応えは十分すぎる程で、かと思えばこんなモデルも作っていたのかと意外なモデルの存在を知る来場者も少なくない。また、歴史的に重要なモデルやSSDに影響を与えた、或いは市販モデルとライバル関係にあった他社モデルも並行展示されていた。そのため、開発の背景やその市販化が世間に与えた影響なども垣間見ることができる。


 


 その中には映画やテレビドラマなどで実際に使用された特別モデルや、白バイ、所謂ポリスモデルもあった。他には意外な用途に見出されたモデルも見ることができる。消防用バイクもその一つ。


 市販当時の国内事情や様々な時事に関する情報も並行展示されており、まるで当時にタイムスリップしたかのような錯覚を覚える来場者も少なくない。


 


 そして、三階にはこのSSDのメインとも言えるモデルが展示されているのだが、それは勿論これまで活躍したレーシングマシンの数々である。最近ではオフロードレースにも出場し優秀な成績を収めているものの、やはり人気は何といってもロードレーサーであろう。


 


 SSDのマシンは赤をベースに青と白のラインが入っているのが特徴であり、それ故目立つ。赤は日本を表すというより、広島のイメージカラーとして選ばれ、そこへ蒼天を駆け抜けるイメージで青と白がアクセントとして入れられているのだという。


 


 赤をベースに青と白のコントラストは取り分け目立つカラーリングであり、現役時代はさぞかし目立っていたであろうことは想像に難くない。年配にとっては懐かしく、若者にとっては往年のレーサーであってもその勇姿は、やはり美しい。時代を超越した存在感を誇るのがレーシングマシンなのである。


 


 また、マシンのみならずSSDのマシンを駆ったライダーの写真に活動履歴、ヘルメットやツナギといったライディングギアも展示されている他、嘗ての名シーンがモニターに流れており、往年のファンから若者まで世代を越えた来場者が釘付けになっている。


 


 因みに三階の奥の一画には二輪に関する世界各地の文献の他、SSDの市販モデルのカタログも収蔵され、一種のミニ図書館となっていて改めて二輪の歴史を細かく見ることが可能だ。その中には戦前に発行され戦争により焼失したと思われていたものが見つかった例もあり、学術的に貴重な文献も少なくなかった。




 そんなミュージアムで一際輝いている二台のマシン。それは、昭和35年(1960年)、グループS(750㏄)及びグループX(1000㏄)に於いて、SSDとして初めてマン島及びWMGPを制した記念碑的存在でもあった。しかも、この二台はWMGPに於いて全レース表彰台独占という空前絶後の快挙をも達成しており、二輪の世界史に燦然と輝くべき金字塔でもあると言えよう。


 


 21世紀に入った今でも通用する、速く走る以外に不要なもの全てを削ぎ落した攻撃的なフォルムは時代を超越した美しさがあり、バイクというより地を走る戦闘機の趣さえあった。何より、カウルに行書体で刻まれた『零』の金色の文字が、嘗て無敵の戦闘機の代名詞でもあった零戦を連想させるからかもしれない。また、零の文字が刻まれているのは歴代のレーシングマシンでこの二台が唯一でもあった。


 


 そんな、SSDにとっては後にWMGPに於いて名門チームへと飛躍していくその記念碑的存在でもあるマシンを一組のカップルが食い入るように見つめている。因みにこのカップルは大学のツーリングクラブに所属しており、アマチュアレースにも出場経験があった。




「いつ見てもこのマシンが放つオーラは別格だよなあ」


「そうよね、何と言ってもこれに女の子が乗ってマン島と、そしてGPを制覇したんだから。同性として憧れちゃうよねえ」


 


 特に女性の方は憧憬の念を以て目を輝かせて見つめるのだった。実際、この種のミュージアムでは珍しく来場者に女性が多かった。尤も、これは戦後の世界的なある事情により、二輪関連のミュージアムには女性が少なくなかったのであるが。


 


 そして、その二台のマシンを間近で見ているカップルに遠慮するように3mくらい離れたところで、まるで嘗ての友人との再会を果たしたような喜びに満ちた瞳で見つめている老婆がいた。赤いチャンチャンコが似合いそうな老婆ではあったが杖をついているものの全体にシャンとしており、その老体から放つオーラは、かなり凄まじい過去の持主であることを窺わせた。


 


 そんな老婆が気になったのか、カップルが話し掛ける。


「あのう、貴女もバイクがお好きなんですか?」


 その一言に老婆は嬉しそうに答える。


「ええ。今はもう年取ってこんな大きなのは乗れなくなったけど、貴方たちくらいの頃はもうブイブイイワせてたねえ。アッハッハ」


 そう言って豪快に笑う老婆。


 そして、老婆は更なる衝撃の一言をカップルに向かって告げた。




 「実はねえ、私はその昔、コレに乗ってたの。コレを見てると、もう60年以上も昔だというのに、あの頃のことが昨日のことのように思い浮かぶねえ」


 その一言にカップルは、エエエ~ッ!!と、館内に響く程の驚きの声を上げた。そりゃこんな老婆から言われれば無理もない。


 そう言われて激しく動揺している二人であったが、ここでは落ち着いて話もできないだろうと老婆が機転を利かせて一階のカフェで話を聞かせてもらうことに。




 カフェには硬派なイメージのライダーに合わせストロングな味をイメージさせる濃いめのコーヒーの香りが漂っている。また、サイドメニューもそのイメージに合わせ気軽でシンプルなものが多い


 


 さて、一行はエスプレッソを注文し、最奥の席で改めて話を聞くことにした。そして、老婆は窓の景色を見つめながら遠い目をしてゆっくりと言葉を紡ぎ始める。


「私がレーサーとして活躍していたのは今からもう60年どころかもう70年近く前になろうかねえ。あの頃は若かったし、今思えば若さゆえの勢いに任せた無謀なところもあったかもねえ。今と違って当時は貧乏だったけど、それでも楽しかった。純粋にバイクに乗れていればそれで充実していた毎日だった。そして気が付けばGPにも出場するようになって、世界を制したのはホント昨日のことのようだよ。若気の至りと言えばそれまでだけど、若さの特権でもあったねえ。あれは、私たちが精一杯生きてきた証でもあるの」


 


 すっかり話に聞き入り、カップルにとっては老婆の一言一言が値千金に等しかった。やがて、女性の方は老婆をじっと見つめている内、あることに気付いた。


 (もしかして、この御婆さんの正体は……)


 


 彼女が手帳に挟んでいる白黒写真と、老婆を交互に見て、それは確信に変わる。因みにその写真には、レーシングスーツに身を包んだ若い女性が写っていた。快活そうに笑うサラサラした黒髪の女性だった。


 彼女は恐る恐る尋ねた。まるで畏れ多いかのように。


「ま、ま、まさか、貴女は西原翔馬 (しょうま) ではありませんか?」


 そう聞いて彼氏も驚く。彼に至っては声が裏返っている。


「おいおいおい、西原翔馬っていえば、マン島とWMGPを三年連続で制した、あの伝説のレーサーの!?」


 


 正体を見破られて苦笑いする老婆。


「おやまあ、まさか、この私のことを知ってるだなんて、もう私はそこらへんの御婆さんと何ら変わらないけどねえ」


「な、何言ってるんですか。私たち女子ライダーの間では西原翔馬って言えば伝説のレーサーとして誰もが知ってますよ。何よりあの時代に果敢に世界に挑み、そして頂点に立ったんですから。貴女方のような先駆者のお陰で今尚世界の二輪レースで多くの日本女子が活躍できてる訳ですし」


 


 彼女はすっかり上気して興奮気味であった。無理もない、あの伝説のレーサーが目前にいるのだから。


 今、彼女の目前にいるのは、齢80を過ぎた御婆さんではなく、紛れもない伝説のレーサー、西原翔馬であった。少なくとも彼女の目には、あの若かりし頃の当人が映っていた。


 


 世代を越えてすっかり意気投合して話し込んでいる三人。カップルにとってはどれも世界的なレーサーだからこそ聞ける裏話も少なくなかった。


 


 翌日のキャンパスでは仲間内で大騒ぎとなることだろう。何しろ伝説のレーサーと話をしただけでも大変なことなのに、貴重な話も多数聞けたのだから。




 SSDと、そして西原翔馬という老婆。そこには、一体どんなドラマが秘められているのだろうか。


 


 そして、物語はここから始まる……


 

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