曰く、俺は彼女の運命の人らしい。
渡路
おはようございます、私の運命の人
「目を、覚ましたのですね──おはようございます、私の運命の人」
黒塗りの高級車と勢いよく衝突事故を起こした日の翌々日、奇跡的に目覚めたおれに、まったく見知らぬ美少女が、おれの手を両手でぎゅっと握りながらそう言った。
事故った後遺症で幻覚を見ているに違いない。
あまりの驚愕に、全身を強張らせていると、念仏かよみたいなスピードで長台詞を吐き出し始めた美少女に、そう確信したおれは、半ば気絶するように眠りについた──のだが。
「あなたは今日から私の婚約者になっていただきます」
「一から礼儀作法を覚えていただきますし、同じ学校に通っていただきます」
「習い事も……そうですね、幾つかしていただきましょう」
「出かけるときは当然、一緒ですし」
「も、もちろん、ベッドも共にします」
「病めるときも健やかなるときも傍にいることを約束し」
「生涯、私から離れないことを誓っていただきます!」
「──だって、だって貴方は」
「私の、運命の人なんですもの、ね?」
どうにも幻覚だった方が、百万倍良かったタイプの厄ネタ美少女だったらしい。
これなんてデストラップ? おれの人生がマッハで詰んでんだけど。
「父さんと母さんな、異世界を救って一山当てようと思うんだ」
「マジか」
その日、おれは気でも狂ったか、あるいはヤクでもキメたのかみたいな一言を残した両親が、割とマジに蒸発したので余裕で路頭に迷っていた。
あるのは借金と笑顔だけ、みたいな家族だったため、当然頼れる親戚はいない(というか知らない)し、公的機関に頼ると言っても、どこに何をどう伝えれば助けてもらえるのか、まったくの無知だったため、途方に暮れて街中を歩いていた。
これはもう、いっそのこと身投げでもした方が楽なんじゃないか、という思考が過るものの、やはりその選択には怖気づいてしまうというもので、本当にあてどなく、ふらふらと彷徨っていた。
死ぬにしても、せめて尤もらしい理由が欲しかった。
自分で言うのもどうかと思うのだが、あまり恵まれてはこなかった人生である。
死に様くらいはかっこよくしておきたい──という、プライドと言っていいのかもわからない、下らない思考を回してた。
そんな時である──見知らぬ(推定)女子高生が、怪しげなおっさんたちに、車に連れ込まれるところを見てしまったのは。
犯行を済ませた彼らは、びっくりするくらい素早く車に乗り込み反転、おれを躱すようにして、急発進の急加速を見せた。
だから、まあ、飛び込んだ。
反射的に身体が動いたんだ──と、かっこつけるなら言うところなのだが、実際のところは、「あ、これ神様転生チャレンジだ」なんてことを考えていた。
こういう不慮の事故で死ぬときは、異世界に転生するものだとクラスの知り合いと、我が両親が言っていた。
そんなわけで、割と気軽に飛び込んだおれは、激しい衝撃と痛みを全身に覚えつつ、速やかに永眠した──
「──はず、だったんだけどな」
何か生き残ったらしい。しかも、事故の規模の割に、外傷はそこまで激しくないだとか。
受け身が百億万点だったとか、神に愛されてるレベルでラッキーだったとか、お前頑丈すぎ、本当に人間? だとか、そんなことを医者は言っていたか。
これまでのアンラッキー分、全部ラッキーに回ったのかもしれない。
そうだとしたら、余計な幸運もあったものだなと思う。
ていうか実際、これ以上生きてても仕方ないんですけどぉ!
未来のビジョンが完全に死んでるんだよね。
何ならこの入院代すら払えないから、借金は太っていく一方である。
モウマヂムリリスカシヨ……。なんてことをぼんやり考えていたら、扉は無遠慮に開かれた。
ここは個室で、だからこそ、おれに用件のある人以外はやってこない。
なので反射的に背筋を伸ばすと、現れたのは、美しい黒の髪を靡かせる美少女だった。
見覚えは──ちょっとある気がする。あれ? こんな美少女、どこで見たんだ?
自慢ではないが、スマホなんてものは持っていないし、テレビだって家にはなかったので、見ることは少なかったおれである。
こんなモデル、あるいは女優さながらの美少女は見たことがない──思わず困惑していると、彼女は静かに歩み寄ってきて。
それからおれの手を、ギュッと握った。二度と離さんと言わんばかりの握力で。
「目を、覚ましたのですね──」
そして言ったのだ。
美しいソプラノボイスと、完全にハイライトを喪失した、真黒な瞳と共に。
恐ろしいくらいに白い肌を、妖しく紅潮させて。
「おはようございます、私の運命の人」
といったような、一言を。
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