第9話 戦いの見返り、そして決意

 悪魔シェダレージアとの間に契約を結んですぐ、私はもう少し細かい契約の細部を詰めていった。

 まず、人畜への加害行為全般の禁止。悪魔も私たちと同じように、何らかの命を糧としている。食事については、与えられない限り摂食を禁じた。

 加えてシェダレージアの存在が許される「領地」の設定。私、ティアマリーナからの指示がない限りは、集落から若干離れつつ、物見から目の届く程度の距離にある、大木の木陰で待機するように。

 言うまでもなく、これら「厳命」に背くことあれば、その時点で契約魔法が執行。契約の魔法陣が縛鎖となって完全に拘束する。


 出来損ないなりに、それなりの数の訓練や作戦・・には参加させていただけた私だけど、悪魔や邪教徒相手の契約魔法が機能しなかったと、そんな話は聞いたことがない。


 これだけの準備を終えてようやく安心した私は、再びメリッサさんのお家にお邪魔になることにした。

 というのも、影使い相手がこちらに向かってくるのに都合がいいよう、時間帯は合わせて・・・・やらないとだから。

 昨晩は、日没あとに部屋を抜け出し、夜通しでの作戦だった。だから、今からちょっと朝食取らせていただいて、今晩の戦いに備えて今から就寝する予定。

 あの地に後釜なんて来ないよう、連日連夜にわたって戦うつもりで、昼夜逆転生活になっちゃうのは仕方ないところ。

 こういうの、昔の作戦でも慣れっこだったけど。


――違うのは、そばに普通の方々いるってこと。

 そして、自分の意志ひとつでやっているってことだった。


 メリッサさんのお家にあがり、リビングに腰を下ろすと、手際よく朝食の準備をしていただけた。


「もうじき寝るわけだし、あまり多くない方が?」


「人並みの量であれば大丈夫です」


 そう答えて、ふと思い出したのは、決して食糧事情に余裕がある集落ではないということ。

 だけど、この集落に落ちた影は払拭できたし、もう来ないようにするつもりでやってる。

 それに、私へのお礼とか、そういうお気持ちもあるでしょうし。変に遠慮しちゃうのは、逆に良くないのかな……


 慣れないことに、思いがけず落ち着かない思いをいだく私。

 だけど、それはメリッサさんも同じようで。二人分の朝食がテーブルに並ぶと、どことなく戸惑い気味の苦笑いを向けられた。


「いや~、あはは。呼び方とか話し方とか、変えた方が……」


 と、私への接し方について思い悩まれているご様子だった。そう深刻そうな感じはないのだけど。

 私としては、これで偉そうにしようだなんて気持ちは、これっぽっちも――


 まったくない、って言い切れるかというと、それは違うって自覚はあるのだけど。

 でも、偉くしたいって思いや考えは、決して、こちらの方々へ向けたものではない。


「行き倒れたところ、助けていただいた身ですし……そのお礼にしては、過剰で居心地悪くも思われているかもしれませんが」


「う~ん、鋭い……」


「あまり、あがめられると、私も少し居心地悪いですし……普通の客人として接していただければ助かります」


 そうは言っても、こんな「普通」の客人なんていないのだけど。


「それで、呼び方は……ティアマリーナさんだよね? じゃあ、ティアさんとか?」


 親しみやすい微笑を向けられたあと、すぐに「馴れ馴れしいかな?」と続けられたのだけど……

 これは少し――いえ、かなりときめくものがあった。

 自分の中の、どの琴線に触れたのかはわからないけれども。


 私は、今まで愛称で呼ばれたことはない。

 でも、このティアっていうのが愛称だっていうのはわかる。

 ティアマリーナというお名前をいただいて、今まで色々とあったけど……


 見限られた私の名前に、いま、新たな輝きが与えられたかのよう。


「ちょ、ちょっと……大丈夫? 呼び方、良くなかったかな?」


 言われてハッとして、私は涙ぐんでいる自分に気がついた。

 ここに来るまで色々あったから、不安定になっているのかも……


「いえ、大丈夫です……ちょっと……いえ、すごく嬉しかったものですから」


「嬉しかったって、ティアって呼んだのが?」


「ひとから愛称で呼ばれるの、初めてでしたから」


 すると、優しげな微笑が真顔になって、何度かまばたきされた。

 私が只者じゃないっていうのは、お察しがついているはず。じゃなきゃ、悪魔相手に太刀打ちしようがないし……

 そもそも、悪魔相手に用いる魔法契約だって、世間一般には広まってないって聞いたことがある。

 そうした私の背景について、メリッサさんに限らず、この集落の方々、特に若い世代の方々から関心を寄せられている。そうした関心は、行き倒れを拾われた時点で相応にあって、あの一戦を経て更に強まった。

 でも、根掘り葉掘り詮索まではされていない。


 きっと遠慮と好奇心のせめぎあいがある中、メリッサさんが、「もしかして」と頭につけて尋ねてきた。


「聖職者さん?」


 ああ、どうしよう。

 そうだといえば、明らかな僭称になる。

 違うといえば、じゃあなんなの? って話になって……そこからの説明で、難儀するかもしれない。


 思いがけずいただいた難問に、出来損ないなりに考え、私は答えた。


「聖教会の、いち信者と申しますか、関係者と言いますか……正式な籍はないのですが」


「はぁ、なるほど……なんか、込み入った感じ?」


 煮えきらない返答は、嘘ではないのだけど、私を正確に言い表しているわけでもない。

 元見習い聖女であって、追放されたという、重大な過去を明かしていないのだから。


「すみません」と頭を下げる私に、メリッサさんが「いいのいいの」と応じてくださった。


「ティアマリーナさんって、聖教会からいただいた、そういうお名前っぽいなって思って」


「はい、そのとおりです」


「そんなお名前に、私が愛称を与えちゃったのは、なんか畏れ多いなー、みたいな」


 そうはいいつつ、にこやかにしてくださるメリッサさんに、私はひとの温かさを感じずにはいられなかった。


――うん、決めた。


 いまも、自分の意志ひとつで、授かりものの神威を振るうことに迷いはあるのだけど……

 この地に住まう人々を守るため、私はそれに徹しよう。


 だって、こんな優しい方々を見捨てる神意なんて、あろうはずもないのだから。

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