彼と私はずっと「友達」
石田空
1
「またフったんだってね」
「
ポニーテールにすらっとした体型。笑顔も可愛くって、体育会系のさっぱりした性格で女子からも男子からも人気な子。でもフラれちゃったんだ。
光くんはごろんと机で寝返りを打って、唇を尖がらせる。
髪の毛は黒で、艶がない。リンスしないしドライヤーでちゃんと髪を乾かす習慣がないからだ。全身石鹸で洗うのはやめろと何度言っても聞かないんだからしょうがない。身長は170とちょっとで、男子としては低くもないけれど高くもない。
顔は格好いいのかどうかっていうと、そこまで格好いいタイプじゃないんじゃないかと思う。でも別にブサイクでもない。
でもまあ……何故だろう。
光くんは無茶苦茶モテる。モテまくる。うっかり源光なんて名前なために「光源氏か」とは何度だって言われ続けた。別におばさんも悪意があってそんな名前を付けた訳じゃないだろうに。
光くんは顔に机の痕を付けて、友達に抗議をする。
「だってさ、好きじゃないのに期待させるのって失礼だろう? もしかして好きになってもらえるかもしれないって待たせるのもひどい話だから、なんとかばっさりフッたんだけどなあ……」
「お前ひどい奴だね」
「どこがぁー!?」
さんざん光くんは友達に文句言っているものの、それは「ひどい奴だよ」コールで流されてしまった。
そうだね、光くんはひどい奴だね。
私もそう思ったけれど、それは胸にしまっておいた。
「ちいちゃん、源くんまた女子に告白されたって聞いたけど」
ちょうど購買部から帰ってきた
「……もうそんなところまで回ってたの?」
「うん、チア部の主将が撃沈したって。立ち聞きする気はなかったんだけれど、また光源氏がやらかしたって言ってたから」
「……うん、そうだね」
私は打ち付けた頭を撫でながら頷いた。
「いいの? ちいちゃんはそれで」
雛ちゃんに聞かれて、私は首を振る。
「いいもなにもないよ」
****
「光くん、お疲れ様」
「
「本当に大変だよねえ」
私は思わず笑いながら、ふたりで家路に着いた。
マンションの隣同士なもんだから、小さい頃から同じ道を通っていたのだ。学区が同じだから、小中高ずっと一緒だ。なんでも話せる友達だと、そう思っている。
ずっと私と一緒にいたせいなのか、光くんはひとりっ子にもかかわらず、女子の扱いが上手かった。
さらりと重い荷物を持ってあげる、ふたりで歩いているとき車道側に立って歩く、泣いている女子をはやし立てることはしない……。
同年代の男子の馬鹿さを知っていたら、女子が放っておかないんだ。融通が利いて、下手に茶化さないで話を聞いてくれて、なによりも優しい男子なんて、そんなに多くはない。
でも、光くんはちっとも女子になびくことがなかった。一時期は「既に幼馴染の女子がいるからじゃないの?」とも言われていたけれど、私と光くんが本当になにもないと知ってからは、勘ぐられることもなくなった。
「俺のこと、いったいなんだと思ってるんだろうな、女子は」
「大人びてて格好いいって思ってるんだよ。憧れるんだよ、そういう人には」
「そんなの、外面だけ見てるだけだと思うけどなあ……」
幼馴染のよしみで、光くんは割とドライだということを、私は知っている。
彼は外面がいいもんだから、その外面のよさのせいで、女子はすぐ好きになってしまう。でも彼は自分がそこまで大したことはないって思っているもんだから、なかなかままならないもんだよなあと思う。
それに、私は彼のその性格を知っているせいで、彼の好みも知っている。
「俺は、俺が大人げなくてもかまわないって思っている子がいいんだけどなあ……」
彼が一度ものすっごく好きだった人を知った瞬間、私の失恋は確定したのだ。
……彼が一度熱を入れたのは、小学校の先生。若い先生だと舐められて、真っ向から学級崩壊になりそうだったのを、光くんが根回ししてクラスのやんちゃな男子を抑え込んだのを見て、思い知った。
私じゃ彼をどうすることもできないと。
****
幸い、彼の本質は私以外誰も気付かなかったせいで、今のところ光くんは「光源氏」「女子をすぐにフる」というレッテルが貼られてしまって、友達から「ひどい奴だね」と言われる程度で、なにも起こらなかった。
そのことに私はほっとしていた。
光くんに年上の女の人がアプローチをかけてしまったら、きっと私の恋は今度こそ終わってしまうからだ。
でも、そんな日は脆くも崩れ去った。
「今日から二週間お世話になります、教育実習の
似たり寄ったりな黒いスーツに白いブラウス。ひとつにまとめた髪に、表情は快活。
その人を見た瞬間、私はピンと来てしまって、ちらっと光くんの顔を見た。
光くんは普段素っ気ない表情をしていることが多い。それこそ女子が「大人っぽい」と思うような顔。単純に興味がないだけなのに。その彼が真剣に紫先生の顔を見ているのを見て、私は悟ってしまった。
終わった。彼女は間違いなく彼の好みだと。
私はグジグジと痛むものを感じたものの、それに蓋をすることにした。
もう小学校のときから、彼の趣味には気付いていたし、覚悟もしていたはずだ。光くんは絶対に私のことを好きにならないし、嫌でも私は彼の好みにはなれないってことに。
応援しよう。それがせめてもの、私の恋心にさよならする方法だと、私が一番よくわかっている。
****
紫先生ははつらつとした性格で、あっという間にクラスに溶け込んだ。授業もわかりやすいし、質問のしかたや生徒からの質問への回答もよどみがない。おまけに女子とはすぐ仲良くなったし、男子とも友達感覚でしゃべれるのは大きい。
それでも。光くんは真剣に紫先生を見つめるだけで、なにもしようとしなかった。
「モーションかけなくっていいの? 二週間しか、学校にいないよ?」
私がこっそりと光くんに問いかけると、光くんは面倒くさげに私のほうに視線を寄こしてきた。
「しないよ。そんなの先生に失礼だ」
「どうして?」
「……先生と生徒じゃ、どうにもならない」
そりゃそうだけれど。せめていい生徒になりたいって印象に残ればいいのに。私はそう歯がゆい思いで見ていたけれど、同時に安心もしていた。
光くんは外面が大変いいものだから、きっと外面を気にしてなにもなく終わるだろうと、そう安心しようとしていたけれど。
慢心は敵だ。彼の外面のよさと計算高さを、もうちょっと考えればよかった。
そして、それは下校前のホームルームで唐突に起こった。
「先生、活動費が足りません」
「ええ……?」
うちの学校では、レクリエーション代をひと月ごとにクラスで集めて、そこからお金を崩して使うというスタンスを取っている。
それのお金の回収をしているのは担任なんだけれど、今回はお金の徴収時期と教育実習期間が重なったために、紫先生が回収をしていたんだけれど。それを集めて計算していた会計委員の子が言ったために、誰がお金を出していないのかで大騒ぎとなってしまったのである。
「活動費を提出してない子は?」
「全員提出してます。私、全員分の封筒の確認しましたから」
「だとしたら……お金がどこかに落ちた?」
「落ちてないです」
会計委員の子は今にも泣き出しそうになり、紫先生も困惑気味だ。おまけに担任はこれを見守るだけで口を出さない……ここで担任がトラブルを解決してしまったら、教育実習にならないからかもしれないけれど、これには口を出したほうがいいんじゃないかって、ついつい思ってしまう。
たしかに回収日には誰も休んでいないし、少なくともうちの列では誰かが出していないとかはなかったと思うけれど。
どうするんだろうと思ったら、紫先生は普段の快活な声から一転、「今日もう一度先生が確認しますから、今日は一度帰りましょう」と硬い声で言って、解散となった。
紫先生は実習ノートだって書かないといけないはずだし、先生たちといろいろ勉強会だってあるはずなのに。掃除は「今日はいいです」と追い出されても、私はなんとなく気まずくってドアの前をうろうろしているとき、本当だったら帰るはずの光くんが教室に残っていることに気付いた。
紫先生が泣きそうな顔で、それこそ先生の皮が破れて大学生の顔が姿を見せている中で、光くんは紫先生の向かいに座った。
「先生、お金の計算、手伝させて」
「で、ですけど。これは私の仕事で」
「会計だって計算間違えたのかもしれないし、誰も忘れてないと思う。だから、もう一度」
光くんがそう言って、一緒に計算しはじめたのを、私はもやもやした気分で眺めて、ようやく先に帰る決心をした。
紫先生が可哀想だと、小学生時代の頃を思い返しながら、しゅんとした気分になって。
****
次の日から、紫先生と光くんの雰囲気は明らかに変わった。紫先生が光くんの前だと、先生の皮が上手くかぶれなくなってしまったのだ。
今のところは私以外全容を察した人はいないみたいだけれど、男子はともかく女子は微妙な変化に気付いたみたいだ。
「あれ、紫先生。化粧変わった?」
「えー、変わってないよ? 学校に行くときは化粧を抑えてるから」
「でも、先生なんか知らないけれど、昨日より可愛いよ?」
「えー? からかわないの」
そんな女子同士のきゃらきゃらした会話を耳にしつつ、雛ちゃんは私に心配そうに寄ってきた。
「ねえ、源くん、紫先生と……」
「今はなにもないと思うけれど、時間の問題だと思うよ」
「千鶴ちゃんはさ、本当にいいの? 本当に」
「……残念だけれど、私だったら光くんはどうにもならないんだもの。でも私」
憂鬱な気分になりながら、頬杖をついた。
「光くんをどうにかできる人なんて知らないよ。だから、余計につらい」
****
紫先生が教育実習が終わり、学校を去っていく。
光くんが紫先生とスマホを持ってしゃべっている。そこからして、きっとアプリのID交換でもしていたんだろうな。これで、ふたりの縁は切れない。生徒と先生じゃ無理でも、高校生と大学生だったらなんの問題もないんだから。
紫先生が去っていくのを見ながら、軽く手を振っている光くんに私は「ねえ」と声をかけた。
「ああ、千鶴ありがとう。おかげで上手くやれた」
「……そう、よかったね。おめでとう」
「覇気がないなあ」
「ねえ、光くん。これは私の妄想だけれど、聞いてくれる?」
「え、なに?」
「会計の子が何度計算してもお金が合わなかったの、あれは原因、光くんがお金をわざと少なく入れていたからじゃないの?」
活動費を入れた封筒を一通一通確認していたら、計算が間に合わないから、全員ちゃんと入れているだろうという信頼の下、全部開封してから計算をはじめる。
だから封筒は全員分出揃っていても、計算が合わなかった。
光くんはきょとんとした顔で、私を見る。
「でも、俺と紫先生が計算したら、ちゃんと計算は合ったぞ? 新札がくっ付いていたから、それで計算をミスったんだってわかったんだ」
「もし新札が入ってたんだったら、会計の子、もっと慎重に計算してたから、お金が合わないって大騒ぎにはならなかったよ」
「前から思ってたけど、千鶴は俺をいちいち悪者にしたがるよな」
そう言われてしまったら、私はもう答えることができなかった。
実際に、計算はちゃんと合っていたんだから、会計委員のミスってことで終わってしまった。本当のことはわからない。
光くんはふふんと笑う。
「ようやく、理想の人が見つかったんだ。お前のおかげで、ようやくなんとかなりそうなんだ。ありがとうな」
「……そう、おめでとう」
彼が目を細めると、彼の悪い癖が出ちゃったんだと、私は寂しく思う。
光くんは、悪気がなく欲が深いんだ。だから、外面だけで好きになった子のことは、平気で無下に扱ってしまう。
紫先生にとっても、彼がヒーローのように見えているから、今のところ光くんに夢中だから大丈夫だろう。
でも、彼が飽きてしまったら? やっぱり外面だけしか見てもらえないって気付いてしまったら?
やっぱり彼は無下に彼女を扱うようになってしまうと思う。
私はずっと「友達」でいるから、彼と距離感を保って一緒にいられるけれど、私は光くんの中に入り込む勇気はない。
私の失恋は、好きになった時点で確定しているんだ。
私は彼の悪気のない悪意に、耐えきれる自信がないから。
<了>
彼と私はずっと「友達」 石田空 @soraisida
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