雨天結構

小狸

短編

 *


 天気予報通り、雨であった。


 朝から曇天模様で、嫌な予感はしていた。


 降水確率は昨日の時点では30%であった。


 私が家を出る時分には降っていなければ良いな、というくらいの心持ちであった。


 今から考えてみれば、30%というのは結構な確率である。


 三対七なのだ。


 人間とは不思議なもので、数字を少なくすると、何も変わっていないのに、実感的に変わったように見える。


 じじじ、と、窓の隙間から、雑音のような音が響いて来る。


 私にとって、雨音は総じて雑音ノイズである。


 ゆえに、雨は嫌いである。


 辺り構わず雑音が鳴り響いているようなものなのだ。


 それは、誰でも嫌だろう。


「はー、だる」


 部屋のカーペットにごろりと横になって、スマートフォンを起動した。


 大学時代の友人から、LINEラインが届いていた。


 そんな通知音も、私の人生を阻害する雑音も同じである。


 既読にしようか、どうしようか迷った。


 既読にせずにメッセージを読むコツは、通知欄で連絡を見ることである。


 その友人は、束沼たばぬま君という男性で――大学のサークルで一緒になり、卒業後なぜか時々飲みに行く仲なのだった。付き合っているのか、と囃し立てられたこともあったけれど、こちらとしてはそういう気にはならなかったし、そもそも彼氏を作ろうという気が、私にはなかった。


 まあ、向こうには、ひょっとしたらその気があるのかもしれないけれど。


 事実、束沼君は大学時代に付き合っていた彼女と、去年別れた後だという。


 彼氏。


彼氏――ねえ?


 面倒、というか、自分には無理な気がする。


 無理だ。


 もう二十代も後半に差し掛かった私だけれど、未だ実家暮らしに甘んじているし、ここから人と付き合うのなら、どうしたって「結婚」は意識しなければならない。少なくとも相手は、そうだろう。


 生き方も、過去も、何もかも違う人と、一緒に暮らして、ともすれば子どもを作るかもしれない。


 無理だ――と、改めて思う。 


 そんな風に思う、私は子どもなのだと思う。


 いや、ひょっとして年齢が進めば、湧きあがって来るものなのかもしれない。結婚願望というものが。


 しかしそれは、今更というものだろう。


 結婚適齢期というものがあること、そして私の年齢の上昇と共に、男女共に子どもを作る機能が衰えてゆくことを、私は知っている。そしてそれらが衰退していくと同時に、結婚市場においての価値は薄れていくと思って良いだろう。


 それに、生物学的に――生物の生きている意味というのは、子孫を残すことだと相場が決まっている。


 子育てする世代へ、国や自治体から多くの支援制度があるのも、それが由来だろう。


 子どもを作る。

 

 次の世代を育てる。


 それが人間の役割なのだと言われれば、私は閉口せざるを得ない。


 でも。


 どうにも地に足がつかないのだ。


 誰かに、自分を委ねるなんて――そんな真似。


 恋なんて、一過性の片想いくらいのもので。


 全幅の信頼を置けた相手なんて、一人もいない。


 いないのだから、仕方がない。


 それとも、彼が、そうなのだろうか。


 私は束沼君のことは普通に好きである。


 しかしそれは普通から逸脱することは決してない、安定と安心の束沼じるしである。その「好き」が「愛」に転じることは決してないと断言できる、そんな領域の交友関係である。


 ただ――もし。


 その価値観が、途中で変遷するのなら、どうだろう。


 自分が愛するのではなく、愛してもらうという形でも、成立する。


 しかし、果たして。

 

 私は、愛される人間なのだろうか。


 人から好かれる、人間だろうか。


「…………」


 私はLINEを起動し、束沼君に返信しようとした。既読は付けた。相手に悟られて既読無視だと思われても癪なので、せめて十分以内には返信したいところである。


 どくん、と――心臓が少し、喉に近付いたような感覚があった。


 自然、スマホの画面に集中することになる。


 この状態になると、鬱陶しい雨の音は聞こえなくなる。


 どうする?


 この返信次第で、、なるかもしれない。


 この会合で。


 何かが。


 変わった。


 としたら?


 私は。


 私は。


 私は。


 私は。


 私は。


 私は。


 私は。


 私は。


 ――私は?


 そんな思考に、ふと――雨音ノイズが混じって。


 私は、我に返った。


「いや、これは、違うわ」


 束沼君には、『ごめん、その日予定があって行けません』という旨の連絡と、涙目の絵文字を入力して、そのままスマホを閉じた。まあ、恐らく彼からは『了解』とか、そんな風な可もなく不可もない返信が来るだろう。そこに反応すると堂々巡りなので、ここで会話は終わりである。


 ふう――と。


 溜息よりも軽い何かが、口の中から溢れた。


 ちょっと危なかった。


 危うくところだった。


 愛されるのを待つ。


 好きになってくれる人を好きになる。


 そんなの、私らしくない。


 受け身でどうする、って話。


 好きな人も、愛する人も、生涯の伴侶も。


 


 そう思ったのだ。


 集中力をオフにしたからか、雨の音が、さっきより一層強く響いた。


 今日が雨で良かったと、初めて思った。




(「雨天結構」――了)



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雨天結構 小狸 @segen_gen

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