ミロの邪神

葉島航

一、ことの経緯

 私、葉島航が「カクヨム」で小説を公開し始めて、一年と三か月が経つ。

 ロイヤリティプログラムにも参加せず、あくまで趣味の範疇として、執筆した小説を細々と公開してきた。

 仕事や子育ての合間を縫って小説を仕上げるので、短~中編が中心だ。当然のことながら、プロット作りから執筆、推敲、投稿までを一人で行う(最近は推敲がおざなりで、投稿後に誤字を見つけることも多い)。

 しかし、今回は少し事情が異なる。

「ミロの邪神」と題したこの作品は、やや歪な連作短編となる予定だ。各短編は長さもまちまちで、何の説明もなく唐突に始まるものもあれば、何の解決も示されずに終わるものもある。なんとも不親切な作りの小説だ、と思う向きもあるかもしれない。

 それらの短編は、ある怪奇作家が仕上げた長編小説の残骸である。

 残念なことに、彼の作品のほとんどは失われてしまった。かろうじて現存しているものも、ごく一部を残して損なわれてしまっている。たとえば、冒頭部分や結末部分、あるいはその双方がごっそり消えてしまっているとか。説明不足だったり、尻切れトンボだったりするのはそのためだ。

 彼の作品がこのまま消えてしまうのが忍びなく、私はこの「カクヨム」上にデータとしてそれらを残そうと考えた。それが、この「ミロの邪神」である。

 ここで、もう少し子細に、ことの経緯を説明しようと試みたい。そのためには、まず、作品群の作者である私の伯父、葉島寛治郎について触れる必要があろう。

 

 私は父方の寛治郎伯父さんのことを、「カン伯父さん」と呼んでいた。

 彼は風変わりな人だった。ステテコに腹巻という服装で年中を過ごし、酒好きで話し声が大きい。縁側に寝転んで、漫画に読みふけっている姿を思い出す。

 ずっと独り身で、私が物心ついたころから、古い平屋に暮らしていた。

 もとは古アパートで独り暮らしをしていたそうだが、父親(私にとっての祖父)が農作業中に足を切断する大けがを負ってしまい、それを機に実家へと戻ったらしい。祖父の介助はもちろん、後年祖母が認知症を患ってからはその介護も担っていたという。

 祖父母は私が生まれる前に亡くなっていたから、私は一人で暮らすカン伯父さんしか知らない。

 幼い頃、夏休みに訪ねていくと「おお、コウちゃんかあ」と破顔して迎えてくれたことを思い出す。

 宿題のやり方を尋ねたりすると「俺は学がないからなあ」とか言って答えてくれず、そのすぐ後に「なあベーゴマって知ってるか?」「サワガニのつかまえ方でも教えてやろうか」などと言って遊びに誘い出す。良い意味で、悪い大人だったと思う。

 日中は、製鉄所で汗をだらだら流して働いている。なんでも、中学を卒業してからずっと同じ製鉄所で働いていたのだそうだ。一時、経営が傾いて給料が出なくなり、他の社員たちが雪崩れるように退社したときにも、黙々と勤め続けたらしい。その義理堅さと誠実さは、周りのよく知るところだという。

 そんな彼の唯一の趣味が、小説を書くことだった。製鉄所での仕事を終え、帰宅してシャワーを浴びると、ゆっくりと晩酌をしながら原稿用紙に向かう。作品をどこかに送るとか、誰かに見せるとか、そういったことには興味がないようだった。

 ただ、一つの作品を書き上げると、近所の印刷所に依頼して冊子に仕上げてもらっていた。凝った装丁の本を、たった一冊だけ。

 その世界に一冊だけの本は、家の客間にはある小さな本棚へ並べられる。私が小学生の頃には、すでに二十を超える冊子があったはずだ。

 カン伯父さん本人は、そうした自作の小説について言及されるのを嫌った。

「高校も出ていない人間が書いているから、文章も筋書きもひどいもんだ。あくまで個人的な道楽として書いているんだ」

 そんなふうにして謙遜する。

 幼い私はよくその背表紙を眺めたものだった。たまに手に取って中身を開いてみるのだが、言い回しや漢字の読みがよく分からず、結局挫折することを繰り返す。だから、私がカン伯父さんの小説について知っていたのは、彼の作風が怪奇一色であることくらいだった。

 そんな彼が心臓の病で亡くなったのが、三年前だ。製鉄所の社長さんが、時間になってもカン伯父さんが出勤しないことを不審に思い、親族に連絡を取ったのだった。そして、布団の中で静かに横たわっている彼が発見された。

 亡くなる一週間前に、私は彼と会っている。たしか私が結婚したばかりで、その内祝いを持って行ったのだと思う。

 そのとき、何とはなしに、小説の話になった。私がちょうど趣味で小説を書き始めており、どこかの文学賞に応募するのか、それともウェブ上に投稿するのかを迷っていたのだ。

 カン伯父さんは「そうか、最近はインターネットで小説を発表することもできるんだな」と笑っていた。

「伯父さんもどう?」

 と誘いかけると、

「悪くないな。ただ、パソコンはどうも分からんから、コウちゃん頼むよ」

「げ、あの本を全部打ち込むってこと?」

 そんなふうにオチがついて終わったはずだ。伯父さんがどこまで本気だったのかは分からない。

 この約束のことは、伯父さんの死後にも折に触れて思い出していた。半ばふざけ半分の口約束とは言え、伯父を失くした感傷も手伝い、「伯父の小説を世に出さねば」という思いは確かにあった。

 ただ、いかんせん長編小説を手打ち入力するのは、時間的にも労力的にも不可能だ。どこかに印刷用のデータがあるはずで、本人も生前「小説のデータはUSBにある」と漏らしていたらしい。しかし、それらしいUSB端末がどこにも見当たらず、パソコンのハードディスク内にもデータは残されていなかった。一縷の望みを抱いて、伯父が小説の冊子化を依頼していた印刷所を訪ねてみたが、こちらのデータもやはり破棄されてしまっていた。

 結局、伯父の小説をウェブにアップする試みは、断念せざるを得なかったのである。

 私は心の奥底に、わずかな後ろめたさと抱き合わせにして、伯父の小説に関する思いをしまい込むことになった。


 そして一か月前、カン伯父さんの家が焼けた。

 その家は、次男である父が引き継いで、私も掃除のためにちょくちょく出かけていた。不要な家具や荷物は処分を進めていて、家の中はだいぶ味気ない。父は、この家を売りに出すか、それとも別荘のように所有しておくか、決めかねているようだった。父にとっての実家に当たるのだから、迷うのも無理はない。

 そうしている矢先に、家が焼失してしまったのである。

 原因はおそらく放火ということだった。ガスは止めてあったし、火が出るようなものはない。何より、火元は家の中ではなく、庭先の軒下だと推察されるのだそうだ。

 伯父の遺品に類するもの――特に通帳や権利書など――は、私の父が管理していたので、特に金銭面のトラブルに見舞われることはなかった。

 ただ、私にとって何より悲しかったのは、伯父の小説が焼けてしまったことだ。

 こんなことなら、早くにデータ化しておくべきだった。少なくとも、冊子を全て手元に置いておくべきだった。そんな後悔が私を襲った。

 わずかに焼け残った小説の一部を、私は自分の手元に引き取った。手に持つと崩れてしまいそうなものもあり、ファスナー付きのプラスチックバッグに入れて保存してある。

 皮肉なことに、それは焼けてしまったことで、私が働きながらでも文字起こしできるだけの分量に収まっていた。

 冊子のページが炭でくっついてしまう前にと、私は毎晩、ピンセットでページを一枚ずつ剥がしながら、キーボードを叩いた。

 そんなふうにして、わずかに残った伯父の小説を、私は遅ればせながらデータ化し終えたのである。当初はそれで満足だった。少なくとも、伯父の小説の全てが消え失せてしまうことは免れたのだ。

 しかし、人間とは欲深いもので、次第にむくむくと「これらを『カクヨム』で発表してみてはどうか」という思いが生まれてきたのである。ウェブ上で小説を発表することについて、伯父が「悪くない」と言ったこと、「コウちゃん頼むよ」と言ったことが、ここに来てありありと思い出されるのだ。


 私には、小説の執筆仲間と呼べる存在がほとんどいない。そんな仲間ができるほど、私は小説に時間も労力も割いていないのだ。

 唯一の例外が、高野さんである。

 高野さんは大学の先輩で、ルポライターを本業とする傍ら、小説もいくつか上梓している。私と彼女は、小説を介して出会ったわけでも、ましてや「カクヨム」を介して出会ったわけでもない(そもそも、私はウェブ上の出会いというものに懐疑的だ)。たまたま大学で仲の良かった者同士が、たまたま社会人になった後にも小説を書いていたというだけである。だから、本来の意味での「執筆仲間」とは言えないのかもしれない。

 とにかく、その高野さんに私は相談を持ち掛けた。伯父さんの小説を「カクヨム」で発表するべきか否かについての相談だ。

 彼女の返事は早かった。

「するべきだと思うよ」

 そのきっぱりとした物言いに、言い出した私の方が面食らってしまった。

「するべき、ですかね?」

「うん。シンプルに、伯父さんの小説が世に出ないで終わってしまうのは寂しいでしょう?」

「まあ、それはそうですが。でも、焼け残った部分をアップしたとしても、小説として楽しめるかどうか」

「楽しめるよ」

 これにもまた一刀両断である。彼女の断定には嫌味なところがなく、いっそ清々しい。

「人は分からないものに惹かれるものだよ。最初から最後まで明快な物語より、明確な結末が示されずに含みをもった物語が愛されるのは、いつの時代もいっしょ。私はあなたの伯父さんの作品を読んでいないから確かなことは言えないけれど、『前後のつながりが分からない怪奇小説』なんて、私だったらそそられるわね」

 確かにそうかもしれない。難解な作品の解釈について、ネット上で考察合戦が絶えないというのはよく聞く話だ。

「タイトルは『ミロのヴィーナス』なんてどう? 両腕がないからこそ、私たちは彼女の『理想的なポーズ』について、あらゆる可能性を幻視できる。小説だって同じよ。事前の説明がないからこそ、あるいは明確な結末がないからこそ、私たちはいくらでも解釈を楽しむことができる」

「ミロのヴィーナスですか。示唆的でいいですね」

「怪奇小説だから、『ミロのイーヴィル』ってところかしらね」

 そんな彼女の意見を参考にして、私は「ミロの邪神」というタイトルをこの作品群に付けることにした。


 以上が、ことの経緯である。

 私は焼け残った伯父の作品を、ある種の連作短編としてここに残していく。

 高野さんが言うように、その説明不足な「分からなさ」を、読んだ方々には楽しんでほしいと思う。そして同時に、触れてほしいのだ。カン伯父さんという、名も無き怪奇作家が残した物語の、奇妙で恐ろしくて異質な感触に。

 ただし、その物語の断片たちがどんな幻視をあなたに与えるか、私には分からない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る