16. 森へ

 豪華絢爛な玉座に座ったTシャツ短パン男が、軽鎧を着た壮年の男性に声をかける。


「状況は?」

「王都全域にて猛烈な悪臭が充満しており、住民たちは臭いに耐えきれずに動くこともままならずに苦しんでおります。悪臭は王城にまで届き、恐らくはこの場以外はすでに壊滅状態かと……」

「そうか」


 謁見の間。

 広々としたその部屋の中で、玉座付近に人が集まっていた。


 お互いの距離が近いが、それは緊急事態について会議をするためではなく、限られた小さな範囲以外は悪臭で満ちているからだ。


「もうあんなくっさいの嫌よ!」


 そう声を荒げるのは第四王女のプレック様だ。

 流石にこの状況で冷静さを保てるほどにはメンタルが育っていないようだった。


 陛下、王妃様、五人の王女様は無事にここに避難して来た。


「…………」

「…………」


 王妃様と長女プラム様は真面目な顔をして真っすぐ立っているが、プラム様は露骨に顔色が悪く怯えているようだ。あの臭いに襲われると分かっていて表向きは平然と出来ている王妃様がすごいのか、それとも偉い人と言えどもプラム様のように動揺が表に出てしまうのが普通なのかどっちなんだろうな。


「もう無理もう無理もう無理もう無理」


 次女プリンテンス様は小声で何かをブツブツ呟いている。あの臭いがあまりにも嫌なのか、眼鏡がずれていることにすら気付いていない様子だ。冷静な頭脳派と言えどもあの臭いはダメらしい。


「おねえさま……」


 五女プローディア様はうろたえる姉達のことを心配しているマジ天使。一番幼くて一番喚き叫んでもおかしくない幼女が一番落ち着いているってどうなのさ。


 ちなみに王子様は全員が王都を離れているのでここには居ない。


「皆さまこちらの薬湯をどうぞ。落ち着きますよ」


 そのお湯はどこから出したんだ。

 エリーさんと俺はプックルと一緒に行動していたのでこの場に居る。


 プックルの様子はどうなのかって?

 陛下たちの会話を真剣に聞いて自分に何が出来るかを必死に考えている様子だ。先ほどはプローディア様が一番落ち着いているって表現したが、正確にはプックルの方が落ち着いているな。

 こっそり俺の服のすそを握っているから本心ではとても怖いのだろうが、それがまたかわいい。


 さて、王女様達の様子を確認するのはこのくらいにして陛下たちの会話に集中しよう。


「原因は分かっているのか?」


 陛下と話をしている壮年の男性。

 その人物は騎士団長なんだとさ。


 王国騎士団長、ナイツェーゲル。

 指揮能力もさることながら、特筆すべきは戦闘能力。

 王国最強と名高く、ここ数年で最も強い男と言われているらしい。


 あらゆる武技と魔法を使いこなすオールラウンダーで、プックルは彼を目指して複数の戦い方を鍛えていたそうだ。


「分かっていません」

「例のキノコは見つかってないのか?」

「臭い森の監視員からの連絡によると、森から臭いが漂って来たことに気付いた時に確認したけれどそれらしき物は見つからなかったと。また、都に臭いが届いた後に物見櫓から西方を確認しましたが、そちらでも確認できませんでした」

「そうか……」


 この騎士団長ってどこかで見覚えがあるけれど、誰に似てるのかな。

 思い出せそうで思い出せないのがもどかしい!

 結局陛下たちの話に集中出来てないな。


「シュウ様、どうしました?」


 俺の様子を不審に思ったプックル様が聞いて来たので素直に説明する。


「似ている方ですか……ご家族の方にお会いしたことがあるとかでしょうか」

「騎士団長の家族か」

「はい。お父様は先代騎士団長でして、ナイツェーゲル様に匹敵する武術の才の持ち主です。お顔立ちもそっくりだと有名ですね」


 最強の息子がもっと最強ってどんな家系だよ。

 異世界だし、血筋ってのが重要だったりするのかね。


「お父様の名はアッゴヒーグです」

「ぶほっ」

「シュウ様!?」

「悪い、知っている人だったからびっくりしただけだ」


 まさかの名前が出て来て思わずむせてしまったじゃねーか。

 こんなシリアスな時に何をふざけてやがるって目で陛下に睨まれてしまった。

 まったく真面目に見えないTシャツ野郎になんか言われたくねぇ。


 アッゴヒーグさんが先代騎士団長で滅茶苦茶強い人ねぇ。

 確かにナイツェーゲルさんにあごひげをつければ似ているな。でも不思議とナイツェーゲルさんは歴戦の戦士って感じがするのにアッゴヒーグさんは左遷されたオッサンにしか見えない。


 おっと、流石にもう余計なことを考えるのは止めよう。


 陛下は俺の事には特に触れずに、この場に居る最後の人物に声を掛けた。


「サイエナー、キノコが無くても臭いを王都に届ける方法はあると思うか?」


 彼女こそが、この地獄のような状況の中でオアシスを生み出した功労者だ。悪臭を近づけない魔道具を使って、玉座の付近だけ空気を清潔に保っている。


 ちなみに宰相はいない。

 連れてこようかと俺が提案したのだが、陛下が不要だと判断した。あいつは使い物にならないとか、王命に背いた罰だとか言われてたけれど宰相がそれで良いのか。


「あるよ」


 サイエナーさんは陛下だろうが口調を気にしないタイプか。サイエナーさんだからしゃーないと思える不思議。


「あの臭いには濃密な魔力が含まれているからね」

「そういえば昔、魔力だけを取り出す研究をやろうとしてたな」

「臭いの採集が出来なかったから諦めたけどね」


 採集したところで研究する人が地獄を見るので、誰もやりたがらなかったんだろうな。


「魔力には指向性がある」

「だから動かすことが出来る、か」


 臭いのついた魔力を動かすってイメージなのだろうか。

 でも一体誰がそんなことを。


「はぁ、こんなことなら王命で無理矢理調べさせれば良かった」

「あなた」

「わ~ってるよ」


 臭いが発生した十年前は色々と調査しようと頑張ったのだろう。だがどうしてもあの臭いに耐えきれずに調査は進まず、王都に害を及ぼす気配が無いからか、次第に放置の流れに変わってしまった。当時死に物狂いで調べておけば、この状況になっても対策を建てられたかもしれないが、そんなのは後の祭りであって今は今出来ることを考えるべきだ。


「シュウ、調べて来い」

「え? 私ですか?」

「お前以外に誰が出来るって言うんだ」


 そりゃあそうか。

 言われなくても調べに行くつもりだったが、陛下に言われると何か抵抗感がある。


「サイエナーさん、臭いをガードする魔道具は他には無いんですか? 研究所にあるなら取ってきますよ。そしてそれ使って騎士団長さんみたいな強い人が行くのが一番良いと思いますが」

「あるけれど、意味ないよ。このくらいの濃度ならガード出来るけれど、もう少し強くなると壊れちゃうから」


 ですよねー。

 そんな便利な魔道具があったらさっさと使って臭い森を国が調査出来ていただろうしな。


「グダグダ行ってないでさっさと行ってこい」

「分かりました」


 このままだとプックルがゲロインになってしまうからな。

 さっと行って原因を突き止めてくるか。


「シュウ様……」


 プックルが不安そうに俺を見つめている。


「大丈夫だよ。あの森は俺の庭のようなところだからさ」


 臭い森が庭って最悪だな。


「これを……」

「これは?」


 人差し指と親指でつまめるサイズの深い緑色の宝石のようなものを渡された。


「これを持っていれば魔法の制御を補助してくれます」

「なるほど」

「シュウ様は魔法を使われるのですか?」

「少しな」

「それならお役に立てそうです。良かった」

「ありがとう」


 まだ魔法に慣れてなくて使う時はいつもかなりの集中が必要だから、それが軽くなるなら大助かりだ。


「それじゃあ行ってくる」

「行ってらっしゃいませ」


 よ~し、頑張るぞ。


「見ろよ。あいつ俺らがいるって完全に忘れてるぞ」

「はっはっはっ、若者の恋はこうでなくては」

「おねえさましあわせそう」


 よ、よ~し、逃げるぞ。

 ごめんプックル、いじられるのは任せた!


――――――――


「オエエエエエエエエ!」

「たすけオエエエエエエエエ」

「もう出なオエエエエエエエエ!」

「オエッオエッオエオエオエオエッ」


 街中は地獄だった。

 誰も彼もがゲロの海に沈み、胃の中を空にしてもなお吐き気が止まらず空ゲロをして苦しんでいる。


 王都の空気は間違いなく臭い森と同レベルの悪臭に染まっている。臭い森マイスターの俺が言うのだから間違いない。


 ケイトさんやハーゲストさんはどうしているだろうか。

 彼らだけでも王都の外に逃がしてやりたいとチラっと思ったが、それは森に行って原因が分からなかった時だ。


 急ごう。

 こんな地獄をいつまでも続けさせてはいけない。


 まずは王都内の確認だ。

 森の調査も必要で本命はあっちなので時間をあまりかけては居られない。


 森で悪臭を生み出す例のキノコが王都に無いことだけ確認しておこう。

 王都は広いが、ここまで濃度の高い悪臭で覆われているならば、キノコは森と同じくそこら中にあるはずだ。そしてそれが原因ならばそのキノコを排除してしまえば良い。


「無い……のか?」


 少し周囲を探してみたが見つからない。

 建物と建物の間のような日が当たりにくくてジメっとしてそうな場所も探した。


 いや待てよ。

 あのキノコは森の外に生えて無かったな。


 だとすると生えているとしたら自然が豊かな場所。

 王都で当てはまる場所は……公園か。


 俺が初めて王都に来た時に立ち寄った公園には木々が沢山生えていた。

 あそこならばキノコが生える条件を満たしているかもしれない。


「…………ない」


 何処にも無い。

 臭い以外は自然の公園だ。


 念のため他の公園も確認してみたけれど何も無かった。


 これ以上王都を探しても時間の無駄だろう。

 臭い森へ行こう。


 路上で苦しむ人々を放置するようで気が引けるが、前だけを見て森に向かって走った。


「あちゃ~」


 王都を出て森へ向かう途中、何人もの男性が倒れて苦しんでいた。

 なんとなくだが見た目的に騎士団の人だろうか。


 もしかしたらあの森に入れる人を作れって陛下が騎士団に命じたのかもしれないな。特級解呪ポーションの材料があるのに俺しか入れないなんて問題だから、俺みたいに臭いに慣れさせて採集させるつもりだったのだろう。選ばれた団員さんは可哀想に。

 訓練中に森の異変に巻き込まれて王都まで逃げ切れずにここで苦しんでいるってところか。


「アッゴヒーグさん!?」


 倒れている人の中に見知った顔の人を見つけて、思わず足を止めるところだった。しかし今はそんな時間は無いので、申し訳ないけれどスルーすると決めた。


「元騎士団長がその有様ですか?」

「オエエエエエエエ!」


 でもやっぱり単なるスルーは悪いかなと思ったのでとりあえず煽りながら通り過ぎたら、吐きながら怒っていて器用だなと思った。


 それからは誰にも会わず森まですぐに辿り着いた。


「なんだこれは?」


 森には確かに異変が起きていた。

 しかしその異変の内容は全く想像だにしてなかったものだった。


「キノコが無い……」


 悪臭の原因を放つキノコが全く見当たらないのだ。

 てっきりキノコがもっと増えているのかと思ったら真逆の状況に気味が悪い物を感じる。


「臭いは変わらないのか」


 キノコが無くなったからといって森の中の臭いは以前と全く変わらない。臭いが王都に移動したってわけではなさそうだ。


 森の中に入り、付近を観察しながら最奥の池に向かって探索・・する。


 はは、ようやく本物の探索者をやってるって感じがするな。


 異常はなし。

 異常はなし。

 異常はなし。


 分岐も含めて虱潰しに探しているが、どこも異常は無いな。

 キノコが一切見当たらないだけだ。


 もっと経験を積んだ探索者なら何かに気付くかもしれない。

 エリーさんやサイエナーさんなら原因を特定できているかもしれない。


 俺じゃ無かったらもう……ダメだ、弱気になるな。

 皆を救えるのは俺しか居ないんだ。


 それにサイエナーさんの臭い防御装置は臭いの濃度が強くなると効果が無くなるって言っていた。もしかしたらもう限界を超えていてプックルやエリーさんや皆が苦しんでいるかもしれない。


 俺がなんとかするしか無いんだ。


 余計なことを考えないで集中しろ!


 だが調べても調べても他の異変が全く見つからない。

 そして結局何も分からないままに最奥まで辿り着いた。


「!?」


 ソレを見つけた瞬間、足が勝手に止まり息を潜めた。

 近くの太い幹の木を探し、そっと静かに移動して身を隠す。


 そして再び恐る恐る池の前の広場の方を覗き見た。


 そこには筋骨隆々のゴリラのような魔物がいた。

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