7. イカれた薬師

「こんにちは~」


 王都南東部、古い町並みの商店街の裏通り。

 その一角にその建物はあった。


 清潔感溢れる真っ白な壁は、周囲の建物の歴史を感じる褪せた色合いとは対照的で目立ってしまっている。


「依頼を受けに来ましたが、誰かいませんか?」


 今日もまた役所の依頼を受けてここに来た。

 臭い森の魔物はまだ森の周辺をうろついているらしく、採集に行けなかったのだ。


 仕方なく役所に行ったら、例のオバサンが見下しながら渡して来たのが今日の依頼。どうせまた碌でも無い依頼なんだろうが、お金が欲しいので背に腹は代えられない。せめて命の危機だけは止めて下さい。


「あら珍しい。死にたがりさんなのね」

「失礼しました」

「冗談よ」

「いつの間に後ろに!?」


 家の中に人影が見えて中から話しかけて来たと思ったのに、どうして後ろを向いたらそこにいるんだ。そうか分かったぞ、二人居るんだ。


「うふふ、家には誰も居ないわよ」

「わぁお」


 確かに家の中を覗いても誰も居なかった。


 何がどうなっているのか分からないが、実は本心ではそれとは別のことで動揺していた。


 だってこの女性ひと、めっちゃエロいんだもん!


 美人でスタイル抜群なのはもちろんのこと、すっごい良い香りがして大人の色気がプンプン。しかも白いチャイナドレスっぽい服を着ていて、腰のスリットがとても深くて見え……見え……ない!


「あらあら、イけない子ね」

「あっ」


 くそぅ、今見えそうだったのに!

 わざと足を動かして絶妙に見えない角度を保ってやがる。


「うふふ、立ち話なんてしてないで中に入りましょう」

「はいぃ」


 とろけるような声を聴くだけで何でも言う事を聞きたくなってしまう。

 これはもしかして催眠の魔法?


「あなたが勝手に魅了されているだけで私は何もしてないわよ」


 そんな馬鹿な。

 本当はサキュバスなんだろう?


「というか心読むの止めてもらえませんか?」

「あなたが分かりやすいだけよ。それにもう演技は終わりなのかしら」

「そっちもバレてましたか」

「うふふ、男の人のやましい視線には慣れてるから」

「そんな煽情的な服を着て唇を舐めて煽るからそんな視線で見られるんですよ」

「うふふふふ」


 俺がどうして素直にエロいお姉さんに興奮し続けないのか。

 それは日本の職場に似たような雰囲気の人が居て、とてつもない地雷女だったからだ。


 会社だっていうのに露出の多い服を着て男を誑かし、貢がせまくっていた。その癖、指一本触れさせない。若い頃に墓下が騙されてたんまりと貢がされてからその女の本性に気付いたらしく、俺に押し付けようとしてきやがった。尤も、俺みたいな出世出来なそうな男には興味が無いらしく誑かそうとしてこなかったがな。

 とはいえ、俺みたいな落ちぶれた人間に無視されるのは腹立たしいらしく、誘惑されるそぶりを見せないと機嫌が悪くなるのが面倒だった。


 そんなこんなで、妖艶な女性には毒があることを身をもって体験しているが故、多少・・抵抗力があるのだ。分かっていても少しはドキドキしてしまうのは男の性だから仕方ない。

 ちなみにその女性は年を取って見た目が悪くなったことで男から見向きされなくなり、ホスト狂いからの借金漬けでいつの間にか退職していた。


「それで新薬の治験に協力するようにとの依頼ですが、本当に死んだりしないんでしょうか」


 部屋の中に入るとお姉さんは席に案内してくれて薬草茶を出してくれた。それを味わいつつ、俺は依頼についての話を始めた。


「もちろんよ。これでも薬師としての誇りがあるわ。人を傷つけるような薬なんて……割と作るけれど今日のは違うわ」

「わぁお」


 毒薬も作っちゃうんだぁ。

 まさかこの薬草茶にも俺に言う事を聞かせるような成分が入ってたりしないだろうな。


「うふふふふ」


 だから薬草茶をチラ見した俺の内心を読むの止めてくれませんか。

 それと読んだなら何も入れてないって宣言して欲しいのですが。


「依頼を受けてくれるのかしら」

「……お受けします」

「ありがとう。助かるわ。誰も受けてくれないから困ってたのよ」


 そりゃあ誰も人体実験なんて受けたくないでしょうからね。俺みたいにその日暮らしでどうしても金が欲しい人間でもなければ飛びつかないだろう。そういう人間が他にいないってことは、この街は経済的にかなり繁栄しているのか?


「それじゃあ準備するから少し待ってて頂戴」


 お姉さん、もとい、依頼主のエリーさんは部屋の中を動き回り薬の準備を始めた。その姿を目で追うと、スリットからチラチラと見える肌色が気になって精神的に良くないので、部屋の中を観察する。棚やテーブルが綺麗に整頓されていて、チリ一つないのではと思えるくらい清潔な空間だ。薬を作る関係上、衛生面に気を使っているということだろうか。

 素材は棚とか冷蔵庫っぽい見た目の箱とかに格納してあるらしく、お姉さんはその中からいくつかを取り出して薬作りを始めた。薬草をすりつぶしたり、液体を混ぜたり、小さな鍋で火にかけたりと、俺がイメージしている薬作りとそうは違わないみたいだ。


「ごめんなさいね。来てくれる人がいるなんて思わなかったから、完成品を用意してないのよ」

「いえお構いなく。むしろ薬作りの様子を見られて面白いです」

「あら、見たこと無いのかしら」

「はい」


 あれ、エリーさんが煮込み中の鍋に手をかざしてる。鍋の中が淡く光っているように見えるけれど、もしかして魔力を篭めているのかな。異世界っぽくて良いね。


「お・ま・た・せ」


 試験管のような入れ物に入ったコポコポと泡立つ紫色の怪しい液体、などではなく透明感のある薄い青色の綺麗な飲み薬だった。


「とても綺麗ですね。効果は何ですか?」

「気持ちをスッキリさせる効果よ」

「スッキリですか」

「気分が落ち込んでどんよりしちゃう人向けのお薬ね」


 なるほど、うつ病の人向けの薬ってことなのかも。

 見た目が綺麗なのも、これを飲めば気分がスッキリするに違いないって思えるようなプラシーボ効果を狙っているに違いない。


「これを飲めば良いのでしょうか」

「ええ、ぐいっといって頂戴」

「…………」


 本当に大丈夫なのだろうか。

 死んだりしないよな。


 部屋の様子からは綺麗好きな薬師という良いイメージしか浮かばないが、だとすると何故誰もこの依頼を受けようとしないのだろうか。単に人体実験のようで怖いという印象によるものか。それとも俺が知らない危険性があるのだろうか。


「ほらほら、男の子でしょ。怖がってないで飲みなさい」

「…………えい!」


 さわやか!

 ハンバーグ店では無い。


 全くべとつかないほんのりとした甘さと、ハッカのような香りがとても心地良い。この薬の効能が全く無かったとしても、この味わいと香りだけでリラックス効果がありそうだ。


 少し体がポカポカして楽しい気分になってきたぞ。これが薬の効果だろうか。


「どんな感じかしら」

「なんか凄く幸せで楽しくて思わず笑って……ぷっくすくす……あはは、あははははははは!」


 あれ、どうして俺、笑ってるんだろう。


「いーっひっひっひ、あひゃひゃひゃは、くっくっくっくっぐひゃははひゃ」

「カナリスの花の割合が多すぎたかしら、でも減らすと多幸感による依存症が発症する可能性が高くなるし……他の素材を選んだ方が良さそうね」

「あっひゃっひゃっひゃっ、笑いっすぎっくすくすくすくすお腹っ痛っうひゃーっひゃっひゃ。エリーさんあははははは止めて!」


 これ以上は腹筋が限界です。

 もう効果分かりましたよね、治す薬を下さい。


「効果時間も確認したいから頑張ってね」

「そんなああっひゃっひゃっひゃっ」

「嬉しそうで良かったわ」

「ちがっぐふふふ」


 チクショウ、楽しそうにこっちを見やがって。

 やっぱり普通の依頼じゃなかったじゃねーか!


――――――――


「お腹痛い……」

「だらしないわねぇ」


 デスクワークばかりしてた人間に腹筋の強さを期待しちゃダメです。

 体が若返って多少マシになったけれど、若い時も大して強くなかったし。


「ほらこれ筋肉の疲れを回復させる薬よ」

「良いんですか? お金かかるなら我慢しますけれど」

「経費よ経費。ケチくさいこと言わないわよ」

「それじゃあありがたく」


 血のように赤い色なのと生臭いのが気にはなるけれど、痛みが軽減されるならと飲み干した。臭い森の香りに比べればなんてことないな。


「あら、素直に飲んだのね」

「げっ、まさかこれも試薬ですか!?」


 確かにあれほど痛い目を見たのに確認せずに飲むだなんて、俺はなんて馬鹿なんだ。


「それは店売りもしている普通の薬よ。そうじゃなくて臭いでしょ」

「ああ、そういうことですか。俺は臭い森に採集に行ってるのでこの程度なら気にしませんよ」

「え!?」


 エリーさんは目を丸くして驚き、棚から薬草らしきものを持って来た。


「もしかしてこれって君が採集してるの?」

「あれ、臭い薬草じゃないですか。俺が採って来たのを使ってくれてたんですね」

「そっか。あなたがこれをねぇ……うふふ、とても助かってるわ」

「そ、そうですか」


 やばい。

 なんかすげぇ嬉しい。


 だって自分が頑張ってこなした仕事が他の誰かの役に立ってるってことなんだぜ。

 会社員だった頃は裏方や雑務ばかりやらされてたし、やったからと言って誰からも感謝なんてされたことが無かったからな。


 嬉しすぎて顔が赤くなっちゃって、それがすごい恥ずかしい。

 褒められ慣れてないからムズムズして変な気分だ。


「それじゃあ次はこれを使った新薬を試してもらおうかしら」

「え? でも俺は正常ですよ?」


 臭い薬草はED治療に用いられるってハーゲストのオッサンが言っていた。俺は健全だし、エリーさんを見て反応しないように気を遣うので必死なくらいだ。


「新薬って言ったでしょ。既存のものとは効果が違うのよ」

「そういうことですか」

「それじゃあ作るからちょっと待っててね」


 さっきの笑いが止まらない薬のこともあるから、ギブアップすることも考えていたのだけれど、自分が採集した薬草を使った新薬と言われると興味がある。怖いけれどこれくらいは試しても良いかな。


「はい、どうぞ」

「今度のは無色透明なんですね」

「味付けや香りづけまではまだ考えてなくて」


 それならさっきの薬の風味はエリーさんがつけたものだったんだ。異世界の薬はマズい物ばかりなんて話も定番だけれど、そうじゃないっぽくて本当に良かった。


「さあ、飲んで飲んで」

「その前に効果を教えてください」

「さあ、飲んで飲んで」

「教えてくれないと飲みませんよ!」


 効果を知らずに実験台にされるだなんてとんでもない。

 心の準備ってものがあるんだ。


「体に悪くないから平気よ」

「それは当然そうであって欲しいのですが、効果も教えてください」

「さあ、飲んで飲んで」

「どうして頑なに隠そうとするんですか」

「ダメか~」


 もちろんダメですよ。

 新薬ドッキリとか質が悪すぎます。


「エリミ草で作った例の薬と逆効果のものよ」

「エリミ草?」

「一般的に臭い薬草って呼ばれているもの」


 あれってエリミ草っていうのが正式名称なんだ。


 っておいおい、エリミ草で作る薬ってED治療薬だろ。それと逆効果ってことはEDになる薬……


「わぁお」


 こんな危険薬なんか、絶対に飲まないからな!


「これ薬じゃなくて毒薬でしょ!」

「あら失礼なこと言うわね。これはれっきとした医療薬よ」

「医療薬って……買う人いるのですか?」

「浮気性な夫に」

「あ~あ~聞きたくない!」


 怖い怖い。

 この世界の女性マジで怖い。


 浮気しそうだと勃たせなくするとか、鬼の所業だ!

 いや浮気しないけどさ。そもそも相手いないし……


「性犯罪者に使うとか、他に子供を作らないことを証明するためとか、使い道はいくつもあるわ。というわけで教えたから飲・ん・で」

「い・や・で・す」


 この世界では俺は丁度成人になりたての年齢なんだろう。それなのにこれから女性とあんなことやこんなことが出来なくなるなんて酷すぎる。こっちの世界に来て生活が安定したら少しはそういうことも考えたいなって思ってたのに。


「正規の薬を飲めば治るから大丈夫よ。私を信じて」

「さっきの薬を飲むまで信じてました」

「本当に問題だったら、万能薬で治してあげるから」

「万能薬?」

「ほとんどの異常を治してくれる神秘の薬よ」


 そんな凄い薬が存在するならそれだけあれば他の薬はいらないのでは。


「ちなみにおいくらですか?」

「ちょっとした豪邸が一軒建つくらいかしら」

「わぁお」


 そりゃあ安価な薬が必要とされるわけだ。


「もちろんサービスよ。というより、薬の治験をする場合は万能薬を用意するよう国からきつく言われてるのよ」


 治験のルールについて法か何かでしっかりと定められているってことかな。まともな国に転移出来て良かった。


 でもだとするとエリーさんは万能薬を入手出来るほど稼いでいて、この部屋にそれが置いてあると。


「狙われませんか?」

「うふふ、狙ってみたらどう?」

「遠慮します」


 絶対とんでもない防犯対策がされてるに違いない。


「ほらほら、そろそろ飲んで」

「うっ……」


 絶対に治ると言われても勃たなくなる薬を飲むなんて抵抗がありすぎる。


「…………………………………………えい!」


 かなり迷ったけれど、思い切って一気飲みした。

 味も臭いもまったくしなかった。


「どんな感じかしら?」

「どんな感じって言われましても。何も感じませんよ」


 さっきの薬は飲んですぐに効果を感じられたけれど、今回は普通の水を飲んだかのように何も起きていない。俺の息子は本当に使いものにならなくなったのだろうか。


「それじゃあ試してみましょう」

「え?」


 エリーさんは立ちあがって俺の横に来ると、立ったままスリットに手をかけて大きくまくった。それでも大事な部分が見えないように絶妙に隠していたけれど、ものすごいエロスな見た目で普段の俺なら滅茶苦茶興奮していただろう。


「な、何も感じない……マジで!?」


 だが俺の息子が反応しないどころか、そもそも性的な興奮すら皆無だった。


「ちゃんと効果出てるのね。それじゃあこれはどうかしら」

「エリーさん!?」


 エリーさんの手が俺の息子に向かって伸びて……


――――――――


「しくしくしくしく」

「完全に反応なし、と」

「しくしくしくしく」

「どれだけ刺激を与えても小さくて萎えたまま、と」

「しくしくしくしく!」


 もうお婿にいけない!


「この程度で情けないわね。もしかして童貞だったのかしら」

「そうですよ、悪いですか」

「逆ギレはみっともないわよ。ただの治験なのだから気にしなければ良いのに」

「そ、そうですね。ただの治験なんだからノーカウントですよね」


 こんなに綺麗なお姉さんが相手なら喜ばしい筈なのに、全くそんな気すら起きないのはやっぱり薬のせいなのだろう。


「でも私も少しやりすぎだったかもしれないわね。お詫びにポーションの作り方を教えてあげる」

「え?」


 エリーさんは本棚から一冊の本を取り出して俺に手渡した。


「これに古今東西様々なポーションのレシピが書いてあるわ」

「レシピ読むだけで作れますかね」

「もちろん製薬魔法も必要よ。それも教えてあげるわ」

「良いんですか?」


 薬師が商売としてなりたっている以上、製薬魔法は誰でも使える魔法ではないか、あるいは秘匿されている魔法なのかと思うのだけれど。


「構わないわ。ただ一日二日で覚えられるものではないから、何回か来てもらわないとダメだけど」

「それってどのくらいかかりますか? 俺、普段は探索者をやってまして」

「日数はあなた次第。一日にかかる時間は長くて半日くらいかしら。私が暇なときに相手してあげるわ」


 臭い森で採集するだけなら半日くらいで終わるから、残った時間でここに来れば出来ないことは無いか。自力でポーションを作れるだなんてとても便利そうだから助かるけれど、習得まで時間かかりそうだな。


「分かりました。それではよろしくお願いします」

「新薬を用意して待ってるわ」

「それは今日限りです!」

「なによ、そのくらい良いじゃない」

「臭い森の素材持ってきますから勘弁してください」

「あらそう? 色々と試してみたかったから助かるわ」


 どうやら実験体にならなくて済みそうだ。

 この人の場合、さらっとお茶とかに混ぜそうだから油断はならないけど。


「それじゃあ次の薬の治験をはじめましょうか」

「その前に治して下さい!」

「あら、バレちゃった」


 やっぱりこの人は油断ならない。

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