第23話 神と詐欺師と探偵と

 そこは神殿だった。

 鏡を思わせるような美しい大理石により造られた壁と床、そして色とりどりの装飾が施された建造物。そこに佇むだけで聖性すら感じる大広間、その中を歩む小さな影がいた。

 見窄らしいボロ布で全身を覆っており、その容姿を視認するのを物理的に防いでいた。尤も、仮にボロ布が無かったとしても、その影を見るのは不可能に等しかっただろう。周囲に吹き荒れる破壊の嵐がその身を隠しているのだから。

 

 閃光が奔る。炎が、水が、風が、大地が、この世に内在する遍く概念が殺意を伴って小さな影に掃射されていく。破滅的な破壊の奔流を受けてなお、その身体はおろかボロ布の繊維を解けさせることさえ出来なかった。だからこそ、その破壊を巻き起こしている者達は必至の形相で更なる力を呼び起こして行く。

「倒れねぇ、倒れねぇよぉ!!」

「死ね、死ね、死んで、死んでよォ!」

「ダメだ、数が足りてねえ!もっと呼んでこい!」

 放たれる破壊の殆どは竜印によるものだが、中には竜銘イデアも含まれていた。竜印と比べれば隔絶した力を誇る竜銘イデアだが、眼前をゆったりと歩く影には微塵たりとて効いていない。

 血液を武器にし、自在に操る竜銘イデアが影を打ち据える──無傷。

 重力を捻じ曲げ、空間ごと破壊する竜銘イデアが影を飲み込む──無傷。

 大気成分を自由に書き換える竜銘イデアが無酸素空間を作り上げる──無傷。

 この世に存在しない原子を用いて物体を作り上げる竜銘イデアが物理法則を破壊しながら影を斬り刻む──無傷。

 一歩進む、それだけで彼等は涙を流しながら抵抗を強める。そんな中、影はまるで鬱陶しい風を払うかのように、纏うボロ布のフードを外す。

 褐色の肌に美しい銀色の長髪。そしてその合間から除く。その影の正体はダークエルフだった。本来なら魔王領の一部にしか住んでいないとされる部族の1人が、何故か竜印と竜銘イデアの猛攻を受けながら神殿の最深部を目指していたのだ。

「目障りだな、お前達」

 複数の炎がダークエルフの顔を包み込むも、一切の影響を受けていない。肌を焼くどころか髪の毛1本も動いていないのだ。

「うおおおおおおおお!!!!」

 遠距離がダメなら近距離──力で押し切ると言わんばかりに複数の戦士が背後からの援護射撃を受け突貫し、ダークエルフの身体に剣や斧を叩きつける。

「…………それで終わりか?」

 渾身の一撃。しかも死を間近にしたが故の火事場の馬鹿力も含めたそれは彼等にとって正に生涯最高の一撃だった。だがそれは、呆気なく防がれた。否、防がれたというのは幾らか語弊がある。ダークエルフは防御姿勢を取っていない。頭に、肩に、胸に叩きつけられた獲物それらは呆気なく根本からへし折れ地面を転がって行く。純粋に、ダークエルフの皮膚が彼等の武器以上に強固だったのだ。

 そして、ダークエルフは目の前にいた戦士の胸に色気すら漂わせるように指を這わせ、そして──。

「⬛︎⬛︎れ」

 人には理解し得ぬ言語で艶かしく囁くと、戦士は呆気なく死んだ。苦しむこともなく、安らかに逝った。次いで、右側と背後にいた剣士達には柔かな笑みを浮かべ、先と同じく「⬛︎⬛︎れ」と囁く。次瞬、同じように緩やかに倒れる剣士達。

 それを見た周囲の者達は漸く気付く。自分たちが必死の思いでその歩みを止めようとしている者は、ただ囁くだけで自分達を纏めて殺せるのだと。そしてそれは、余りにも遅かった。

 

「皆、⬛︎⬛︎れ」

 

 それを聞いた、先程まで敵意を持ってダークエルフに攻撃を加えていた少女は、まるで母親に抱かれた時の安堵感を抱きながら数秒で意識を失い、そして数分後に安らかに死んだ。そして他の者達──異界者イテル達もまた同様に、静かに息絶えていくのだった。

 

 

「…異界者イテル共も、マトモなのが居ないな」

 自身の歩みを阻もうとした者達を謎の力で一掃したダークエルフは、神殿の最奥に到着していた。余りに広い空間、小さな村なら複数収めてもお釣りが来るほどの空間、そこは無数の本棚に埋め尽くされていた。見上げれば天井は遥か遠く、高くにあり。その壁全てが本が仕舞われていた。更には空中に浮かぶ本棚まであり、重力すら無視する幻想的な光景が広がっていた。

 だが、ダークエルフはそこに感嘆することもなくどんどん歩みを進めて行く。その視線の先にあったのは、机だった。重厚な木製の見事な机。本来なら丁寧に磨かれた天板が照明の輝きに照らされていただろうが、乱雑に積み重ねられた本の塔がそれを隠していた。天板のほぼ全てを覆い尽くす本の山の合間を除けば、そこにはダークエルフがここに来た目的の人物が居た。

「やあ、お久しぶりですねぇカーラ様。何千年前でしたっけ、貴方がここに来たの」

 そこに居たのは黒い髪の毛をショートヘアーでまとめている、中性的な男性だった。身体の線が細く、ダボっとした服装に加えハイヒールを履いている為傍目から見れば女性とも間違えられそうな端麗な顔つきをした人物だ。だが、その服装の中華風の意匠をダークエルフ──カーラは知らない。少なくともこの世界で生まれたものではないのは違いない。

「知らん、俺に時間の概念を問うな。それで、上にいた連中は貴様の差金か……徐福」

「酷いですねぇ、貴方が呼んだんでしょうに」

 徐福──異界地球において、不老不死を求めた皇帝の為に仙郷に向かった方士の名を、カーラは忌々しそうに捨て吐いた。そんな様子をケラケラと笑いながら観察し続ける徐福。

「吐かせ、アレらを呼んだのは貴様だろう。オレが招いた者達とは違う。俺をあの間抜けな皇帝始皇帝と同じように騙せると思うな」

 その瞬間、カーラの姿は大きな椅子に座り込む徐福の背後に居た。瞬間移動か、はたまた別の技法かは不明だったが、徐福はそれを気にも留めない。無論、、だ。

「んふふふふ、彼の方は耄碌されてましたから。仮に天下を統一されて数年後なら、私の戯言など容易く看破されましょう」

 徐福は諭すようにカーラの台詞を訂正していく。徐福が会った時の始皇帝は死を恐れていた。肉体が、精神が、魂が老いていく感覚に恐れを抱いたからだが、彼はいつか来る自己の死を否定したかった訳ではないことを、徐福は知っている。

「遍く民草を導き続ける、自分が死ねば新たな戦乱が訪れる、と彼の方は仰ってましたよ。そこは、カーラ様と同じだと思うのですがねぇ、如何です?」

「くだらん。俺は人間なぞどうでも良い」

 カーラは吐き捨てるようにそう呟き、本棚から何冊かの本を物色していく。その全てが金属の装丁が施された革表紙の本であり、作り手を知らぬカーラでも見事な出来だということが分かる。そんなカーラを揶揄うように、徐福は下衆じみた笑みを浮かべながら問いかける。

「ふぅん、なら何でに住んでる神龍様が、こうして来てるんですかねぇ……ああ、ツンデレってやつですかね?嫌よ嫌よも好きのうち──」

「黙れ。次に同じことを口にすれば貴様を消すぞ、徐福」

 ──その瞬間、世界が軋んだ。

 大気が、良いやそれどころか世界そのものがヒビ割れてもおかしくない、そう思わせるような気迫を神龍と呼ばれたカーラは放っていた。この世界に住まう全ての魂を同時に破壊し尽くしてしまえる程のそれを、間近で受けた徐福は先程までの余裕を失っていた。同時に理解する、神龍これはそういうものだ。天地を破壊し、その上で天地を創り直すなど片手間で出来てしまう超越存在。神龍カーラの僅かな不機嫌が世界の命運を決めてしまうのだと、徐福は改めて認識する。

「次はない、良いな」

 その忠告と共に、放たれた気迫は消え失せる。冷や汗が止まらない徐福は話題を変えようと考え、カーラに問いかける。

「ええ、申し訳ないカーラ様……ところで、上にいた異界者イテルの皆様は…」

「始末した。あれらは弱い……俺から逃げようとした者は、逃すつもりだったがな。どうも与えられたなる物に浮かれていたようだ」

 馬鹿かあいつら、と徐福は思った。あれ程までの力を持つカーラから逃げようとしないとは、無能にも程があると考えた。つまりそれは、ということでもあった。

「はぁ…いやまあ、確かに?死守せよって命じはしましたがねぇ……馬鹿正直に守るとは」

「どうも連中、自分が最強であると自惚れているらしい。少なくとも、俺の知る限り最強に近しい者程それらからはかけ離れているのだがな」

 最強たり得る者は、己の強さを自覚しているものだ。それ故に、他者との比較を行い、その差を冷静に見極める力を持つのも必要不可欠だ。決して、自分本位で物事を見ている者では辿り着けない極致なのだとカーラはかつての友達を思い浮かべ、そしてその記憶を消し去ろうと首を振る。

「ま、それについては同意しますよカーラ様。にしても、1人か2人は残して欲しかったですねぇ……異界同士を繋げるの、大変なんですよ?」

 徐福は横目に映る魔法陣をチラ見し、やれやれと戯けてみせる。連合も活用している、異界者イテル召喚の儀式に必要なそれを作り上げたのは、今も本を物色しているカーラその神龍ひとだ。徐福はそれを使って呼ぶだけの簡単なお仕事、という訳だ。

「呼べ。奴等を用いて、この地に騒乱を引き起こせ………ああ、そうだな…お前がいた世界を優先しろ。どうも、お前達の世界は中々に、強い。俺の為に働け、四賢人の名に恥じぬ働きを見せてみろ」

 だからこそ、カーラは徐福に対して命令むちゃぶりを下す。精々俺の為に働け、という暴君のような命令を受けた徐福はへいへいと軽薄な態度で応じる。

 それを確認し、カーラの姿は神殿最奥部から消失する。先程も見せた瞬間移動、その絡繰を徐福は知っている。

「……時間停止、遍く時の流れを司る神龍…いや、神刻龍カーラ。おっそろしいですねぇ」

 時間停止。元来止まることのないはずの時間という概念を強制的に停止させる力、それが天と宇宙の狭間に住まう神龍…神刻龍が持つ絶対の権能。それらを地表に向けて行使することはないが、一度使ってしまえば最後、凡ゆる存在が2度と動くことは無い。

「正しく脅威的だよ、かの神は」

 くわばらくわばらと祈る徐福に対し突如声がする。低い慇懃無礼な態度を思わせるそれの持ち主を徐福は知っている。

「はー……アンタですか、何のご用でー?」

「決まっている。クライアントの依頼を受けたのだ、精々気張らねばなるまい。誰を召喚ぶか決まっているかね」

 安楽椅子に深く座り込んだ、高級な布地で編まれた黒のスーツを身に纏う紳士がパイプを片手に紫煙を燻らせながら徐福に問いかける。

「これは初歩的なことだ、友よ。我々のクライアントの命令は神龍の仔イノスの抹殺。だがこれには一つ問題がある」

「ガルド・フォーアンス。人類種最強の男が神龍の仔イノスの可能性が極めて高い、ってことでしょ?んなもん言われなくても知ってるよ。でもさぁ、そいつ殺すのって私達四賢人の至上命題じゃないじゃん?」

 四賢人──カーラがある目的の為に、この世界に初めて呼んだ異界者イテルの総称。生まれた時代も土地も異なる、だがたった一つの共通点故にこの異界に訪れた怪物の群れ。

「私たちは不老不死を研究し、それを実現させるためのものなんだからさぁ……殺すのは無理だってぇ」

 不老不死、人類が夢見る生命の極致。死なず老いず永劫に在り続けるそれを彼等は追い求めているのだ。

「でも、アンタって小説家でしょ?不老不死なんて研究してたのかな、

「似たようなことは、ね。だが私と君は分野が違う。私の場合は…不老不死を創り出した、が正しい。あの、忌々しい世界から死を否定された出来の悪い息子シャーロック・ホームズをね」

 ──不老不死を目指し、欺いた徐福。

 ──望まれぬ不老不死と化したキャラクター読者の求めたシャーロック・ホームズを綴ったアーサー・コナン・ドイル。

 そして、この場には居ない2人の同胞。

 ──永き旅路の果てにその階を見つけた王。

 ──全く異なる観点から不老不死の概念を成立させた男。

 彼等が目指すのは、正真正銘の不老不死。それが何を意味するのかは彼等も知り得ない。神の思考についていける者は、この世のどこにもありはしないのだから。

 

 

「さて、ではストーリーを決めていこう。主人公は…この世界の人間が良い」

「何で?別に誰でも良くない?」

 パイプの火を消し、懐にしまうアーサーは目を閉じて思考する。これから先、世界をどう回すかを決めるのだ。

 アーサーの呟きに疑問を抱いた徐福の問いに、アーサーは単純なことだよと説明を始める。

「良くはない。この世界のことは、この世界の人間が決めるべきことだからね。我々異界者イテルは傍観者として、部外者として彼等の旅路を観察しよう」

 その発言を聞き、徐福はなるほどと頷きながら空に指先を走らせる。次瞬、空間に浮かび上がるのは無数の映像だった。だがそれは記録媒体によるものではなく、リアルタイムの映像だった。

 神刻龍カーラより賜った、四賢人としての権能。徐福のそれは時空間を超越した門を開くことが出来る。カーラの支配領域である限り、徐福は好きな瞬間を眺め続けることが出来るのだ。そんな映像を2人仲良く眺めていく徐福とアーサー。だがそれは観察の為ではなく、選定の為だった。

「そしてそれが決まったなら、世界を回す者を選ぼう。そうだな……なるべく、善の人間にしよう。当時はともかく、今の社会的常識から善と捉えられる者を」

 悪を呼ぶのは駄目だ。何故なら、悪は敗れる運命にある。シャーロック・ホームズを殺す為にアーサー自らが作り上げた世界的犯罪者モリアーティですら敗れたのだ。善を殺すなら、善以外にあり得ない。存在する正義と、それに対立する正義の激突。それこそが、この世界の運命を変えるとアーサーは知っている。

「そうすれば、自ずと見えてくる。我々がこの世界に呼ぶべき者を」

 アーサーと徐福は見る。新たな動乱を巻き起こす異界者イテル達の姿を。

 1つの文明を終わらせかけた、デーンロウの覇者の姿を。赤色の馬に跨り、戦場を蹂躙する武神の姿を。時の教皇すら手中に収め、魔王と称された怪物の姿を。だが、彼等ではない。彼等では悪にしかなり得ない。

 必要なのは、全く異なる英雄像ヒーロー。誰かのために誰かを殺す、そんな英傑を。

 

「「見つけた」」

 そして、2人はある人物の姿を見つける。

 

 

「ふはははははははははは!!!!」

 男は笑う。迫り来る雲霞の如き軍勢を前にして、只管に哄笑する。迫る長槍ハスタの穂先が男の全身を貫くものの、分厚い筋肉が致命傷を防ぐ。返しの一撃と言わんばかりに男が振るう小剣シーカが槍と兵士を粉々に打ち砕いていく。

 天から降り注ぐ投槍ピルムから必死に逃げ惑いつつも、次々と襲いかかる敵兵を薙ぎ倒していく。だが、それも終焉に近づいていた。

 共に進んでいた仲間達が地に伏していく。斬られ、突かれ、射られて、死んでいく。流される流血が彼等の末路を指し示しているが、男は諦めない。目指す地平の果て、自由の黎明が来ると信じているから。

 だからこそ、男は叫ぶ。まだだ、まだだと。

「さあ来るが良い、圧政の象徴達よ。我が名は決して朽ち果てぬ!!この先、多くの者達が自由なる黎明を目指し、進む限り!!!我が名は──!!!」

 

 後世において、その男は啓蒙・社会・共産主義の観点から高い評価を下された。曰く、不当な為政者に立ち向かった英雄、最も偉大な古代プロレタリアートの真の代表者と。

 

 その男の名は────スパルタクス。

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