#3 非日常の日常

「……ん、もう朝か……」

 7月28日の朝を迎えた。

 アブラゼミは相変わらず騒々しい。

「……あち、あちぃよ…………」

 部屋の中は昨日の朝よりも蒸し暑く、意識せずとも顔が歪んでいる。

「むりぃ、あつすぎる……」

 アナログ時計は6時30分を示している。が、そんなものには眼を配る余裕もない。

 汗がじんわりと身体を駆け巡る最中、なかなか気怠そうに起き上がる。

「シャワー……エアコン……」

汗を流すシャワーと清涼を提供してくれるエアコンを求め、そそくさと階下へ降りるのだった。


「んー、今日も暑いなあ」

「ほんとほんと」

 昨日と同じようにシャワーで汗を流し、朝食を軽く取り、学校の準備をするというルーティンを終えた美莱ミライ

 そして、今は幼馴染の華來カコと自転車で登校中だ。この二人きりの登校も美莱のルーティンである。

「今日の最高気温は33℃だってさー」

「うげー、そんなに暑いの? 初めて知ったわー」

「だと思った。朝でもニュースは見ない、世間知らずな華來お嬢さまだもんねえ?」

 と、美莱の鋭い発言に対して。

「時間ないしー」

 と、適当にあしらう華來。

「天気予報くらいなら見る時間あるでしょー?」

「うぐっ……」

 こう言われると、華來は黙って硬くなる。図星を突かれたようだ。

「だってさあ、見ても面白くないし、仕方ないじゃん!」

「ニュースに面白さを求めるのは違うんじゃ……」

「う、うるさいうるさーい! それにそれに、美莱が教えてくれるから大丈夫だもん!!」

 チリンチリンとベルで抗議する華來。

 薄紫色のミディアムストレートヘアーを揺らして、美莱を見据えて睨んでいる。

「……それ、私がいなくなったらどうするの?」

「いいもん! どうせ、私はずっと美莱といっしょにいるんだから!」

「……そう、だよね」

 華來のとっさの苦し紛れに、美莱は寂しげな表情を浮かべる。

「……なーにー? そんな難しい顔してー?」

「……華來はさ、本当にずっといっしょでいれると思ってるの?」

「え? そりゃまあ、そうでしょ。そんなカンタンに私らの絆が引き裂かれるとでも?」

「そ、そうじゃないの。ただ、ね」

 美莱は知っている。知ってしまっている。

 『ずっといっしょ』という華來の願いが絶たれてしまうかもしれないことを。そんな大事件は、今日を含めて五日後の8月1日に起こるだろうことを。

(……華來の笑顔を守るためにも、絶対に華來は殺させない……)

 寂しげに揺れる美莱の長く美しい白い髪。

 自転車のハンドルを力強く掴み、またも強く決心する美莱なのだった。




 無事に登校した美莱と華來。時間ギリギリに登校したため、脚早に座席へと着く二人。

 すると、ここで美莱がある異変に気づいた。

(……あれ? あいつがいない……)

 昨日の放課後に初めて相対し、その際に華來に対する邪悪な執着を覗かせた怪しい男、『未和イマワ 凪芽ナキメ』の姿がないのだ。

(今日は欠席……?)

 未和は華來を殺したと思われる容疑者の一人なので、欠席となるとその詳細な素性は調べにくいだろう。

 どうしたものかと、美莱は頭を抱える。

(……いや、待てよ? あいつがいないのなら、もっと未和に近いものが調べられるのでは……?)

 考えを巡らせ、このような結論に辿り着く美莱。

 未和がいなければ、怪しまれずに素性を調べられるかもしれない。彼がいないとわからないこともあるだろうが、今まさに必要なものは……。

(少なくてもいいから、あいつの情報がほしい。……例えば、あいつの机の中。なにかが残されているかもしれない…………)

 未和がいない今日がチャンスだと思い、未和の周りを調べる隙を窺うことにしたのだった。


 結局、未和が登校してくることはなく、そのままお昼休みを迎えた。

「今日は未和いないねー」

「そうだね。なんかあったんでしょ」

 未和など、華來に対する病的な執着について以外には、まったく興味がないというような態度を見せる美莱。

「美莱ったら、いつもより冷たくない? まあ、いいや。今日こそ屋上で食べよーよ」

「もちろん。さ、行こ行こ!」

「おー、今日は大胆だねぇ」

 どうやら、昨日の華來という悪魔のささやきは、未だに効果が残っているようだ。

 だれの眼も気にすることなく、いそいそと教室を立ち去る二人なのであった。


「うーむ、ひらかない」

「えー」

 ホコリが舞う屋上の扉前で、昨日と同じく考えあぐねる二人。

 この頑丈な扉の封印を解ければ、涼しい風に吹かれながら、さぞ充実した昼食時間になるだろう。

「ねね。『いっせーの』でひらかないかな?」

「たしかに。昨日は試せなかったもんね」

「そうそう! さあ、初めての共同作業!」

 そう言って、左側の取手に手を掛ける華來。美莱も右側の取手に手を掛けている。

「はいはい。……じゃあ、いくよー」

「任せて!!」

 寸分の狂いもなく、同時に二人は力を込める。そして……。

「「いっせーの、せっ!」」

 脚に力を込めて、取手を内側に引っ張る。腕の力をさらに込めて、取手をいっそう引っ張る。

 ……ガコン、ガコン。

「……ひ、ひらかないし」

「ぜえ、ぜえ……」

 体力のない華來は息を上げ、真っ赤な顔をしている。

「あーあ、ムリかあ。…………あれ?」

 そこで美莱があることに気づく。

 ホコリにまみれて、なにかが隠れているようだ。そこに手を掛けてみると……。

(……ん? これ、回る……)

 …………カチャ。

「「え?」」

 軽快な音が二人の間に響く。

 再度、取手に手を掛ける美莱。

「……え?」

 ……ギィィィィ…………。

 重苦しい音を立て、頑丈そうな扉がひらく。そもそも、鍵が開いていなかったようだ。

「……ねえ、美莱?」

「……あー」

 ホコリの空気よりも息苦しい空気が、美莱たちの間を包む。

「なにか、言うことは……?」

「……てへっ」

「もうっ」

 華來が顔を膨らませて呆れ顔をしたことで、美莱のうっかりは水に流してもらえたのだった。


「わー、涼しー」

「屋上っていいねー」

 日陰に腰を下ろして、お弁当を食べ進める二人。

 髪の毛を撫でる清涼な風が吹く中、二人きりのお昼時間を満喫している。

「昨日は未和のこともあって、落ち着いて食べられなかったもんねー」

「そうそう。あいつ、ほんとイカれてるんじゃない?」

「わかるわかる。わたしのなにがいいんだか」

 そう言って、玉子焼きを頬張る華來。

「んー、なんでだろね?」

 ミートボールを食べ進めながら、華來を見つめ考える美莱。

「ちょっとちょっと。そこはウソでも『狙われるくらいにはかわいいよー』って、フォローするとこでしょー!」

「えー? そんなフォローされてうれしいの?」

「まったく!!」

「くふふっ、即答かいっ!」

「あははっ、当たり前でしょー!」

 顔を向かい合わせて、心底おかしそうに笑う二人。夏の太陽にも負けないくらいの輝く笑顔をこぼしている。

 そんな中、一陣の風が二人の間を突き抜けた。

「「わっ」」

 風に気を取られ、箸で持っていたおかずを落としてしまったようだ。

「あっ、もったいない……」

「これは食べられないかな。……美莱、食べる?」

「私は残飯処理班ではありませ〜ん」

「だよねぇ。はあ、最後の玉子焼き落としちゃった」

「私も最後のミートボールだったのにぃ」

 屋上で食べる際のデメリットを痛感し、がっかりとうなだれる美莱。

 しかし、華來は気持ちを切り替えたようで。

「……あ、そうだ! 美莱、その玉子焼きひと切れちょうだい!」

「え〜っ」

 美莱のお弁当箱に残っている玉子焼きをめざとく見つけ、さっそくおねだりを実行する華來。

「お願い! ね?」

「……じゃあ、そのプチトマトを完食出来たらいいよ〜」

 そう言って、明らかに避けられたであろうプチトマトを指す。

「ええッ!」

「あ〜れ〜? どうしたの? まさか、トマトすら食べられないお子さまなのかな〜?」

 と、嘲笑を織り交ぜて、挑発をしている。

「ぐっ……! このぉ、みくびりやがってぇ……!」

 華來はプチトマトを恐ろしいモノを見るような眼で見つめている。プチトマトを箸で持つ手が震える。

「…………あ、むっ……もぐ、もっ…………」

「おお」

 青ざめた表情でプチトマトを少しずつ噛みしめる華來。

 ぐじゅりと口の中で潰れるプチトマト。その酸っぱい味わいとなんとも言えない感触が身体に染み渡る。

「……ごくん。…………はあ、はぁ……」

「よく食べられましたー」

 涙目になっている華來の髪の毛を撫でる美莱。

「うぅ、気分悪い……」

「ふふ、じゃあご褒美。口開けてー、あーん」

「あーむっ。…………むぐッ……!?」

 またもや、ぐじゅりと口の中で微妙な感触が暴れる。

「こ、れっ……プチトマトぉ……!」

「おいしいー?」

 無邪気そうに問う美莱。自身のお弁当のプチトマトをわざと食べさせたようだ。

 天使の慈悲を装うとんでもない悪魔である。

「うぅっ……お、おいしくな〜い! 美莱のばかっ、あほっ、まぬけっ!!」

 泣きながら抗議をする華來。

「ごめんごめん。ほら、ホンモノの玉子焼き!」

「……あむっ!」

 怒りながらも玉子焼きを頬張る華來。青ざめた顔に血の色が戻ってくる。

「おいしい?」

「……」

 美莱と顔を合わせようとしない華來。美莱のほうもからかいすぎたと反省しているようだ。

「…………ごめんっ」

「……ケーキおごりね!」

「うぅ……わかりましたぁ…………」

「まったく、もう。美莱だからこれくらいで済んでるんだからね。感謝してよ?」

「は〜い……」

 突然の出費に肩を落としながら、華來とのランチを終える美莱なのであった。




 特になにもなく今日の授業は終わり、今は放課後。

 二人の所属する華道部は今日も活動している。

黎乃クロノちゃん来ないねー」

「ほんとだねー。なにしてるんだろー」

 黒金のような藍色のミディアムロングを持つ一年の部員。本名は『黎乃 カエデ』。

 そして、あの娘が華來を殺した可能性も美莱は疑っている。

(……そういえば、黎乃ちゃんって何組なんだろう)

 未和の件も調べなくてはならないし、黎乃のこともついでに知っておけば、どちらが犯人かの見当も着くかもしれない。

「華來ー。黎乃ちゃんって何組なの?」

「え、覚えてないの!?」

「うん」

 無理もない。美莱には、黎乃という少女が華道部の新入部員だったという確かな記憶がないのだから。

 それどころか、美莱の記憶ではここの華道部は華來たちの代で廃部になっているのだ。

「1組だよ。ちゃんと覚えておきなー?」

「ごめんごめん」

 それなら、話は早い。

 本人たちがいない間に周りを調べてしまえば、怪しまれずに情報も集まるだろう。

「……華來。ちょっとお手洗い行ってくる」

「おっけー。あ、ケーキ忘れないでね!」

「わ、わかってるってば……!」

 お昼ごはんの件も忘れないようにしつつ、美莱は華道部の部室からそそくさと退出した。

(よし。まずは未和のほうから……)

 華來を一人にするのは怖いが、動かなくてはどうしようもない。

 そう心に決め、自分たちのクラスへと歩みを進める美莱なのであった。




「ここが未和の席……」

 放課後のクラス。人はおろか、人影も確認出来ない。

「…………中身は、ふつう……」

 ガサゴソと机の中身を調べる美莱。

 西陽が直接差し込んでくるおかげで、照明はなくても視界は良好だ。

「……ん? ノート……」

 バサっと落ちる一冊のノート。使われている形跡はあるが、表紙にはなにも書かれてはいない。

「授業用ノートなら、なにかしら書いてあるハズだよね……」

 パラパラと少しずつひらいていく。最初の数ページは白紙のまま残されている。……だが。

「…………っ!」

 数ページひらいたところで異変に気づく。

 見開きの左ページに、彼の髪色を想像させる深緑色で『尾久山オクヤマ 実夏ミカ』と書かれていたのだ。そして、その名前の上には赤いペンでバツ印が施されている。

「どういう、こと……?」

 見開きの右ページには細かい文字でなにかが書き殴られている。

「……『中1の7月〜中1の2月』?」

 ページの上段にはそう綴られている。

 そして、その下には何者かについての説明が書かれていた。おそらく、この尾久山という人についてだろう。

「なにこれ……??」

 恐る恐る、次のページを捲ると、また別の名前が書かれている。

「『城星ギセイ リン』……『中1の11月〜中2の4月』……」

 ページを捲る。

「『伝要デイル 晴果ハルカ』……『中2の5月〜中2の9月』……」

 また捲る。捲る。もう一度捲る。

「……どれもこれも……だれかの名前だ…………」

 見開きを使って、色々な女性の名前が綴られている。そして、その全てに赤いバツ印がつけられている。

 日付けも漏れなく書かれており、少しずつ今の時間へ近づいてきているようだ。

「なんだろう……この人たちは…………」

 未和はなにを書き記しているのだろうか。

「…………付き合ってきた人……だったりして……」

 だとしたら、今まで付き合ってきた女性をこのように記録していることになる。そうなれば、未和はかなりの異常者だということは疑いようもないだろう。

 加えて、記されている日付けが真実ならば、二股や三股をしていた時期も存在することになる。

「あいつ……想像以上にヤバいやつかも…………」

 未和が隠している闇を垣間見ている気分になって、背筋をぞくっとなぞられている感覚に陥る。

「……次のページ…………」

 パラリと捲る。……すると。

「……え? 華來の名前……!?」

 そこに書かれていたのは『上代カミシロ 華來』という深緑色の文字。

「バツ印もない……日付けも……」

 今までは赤いバツ印も日付けも欠かさず書かれていた。しかし、華來のページではまだ書かれていないようだ。

「…………な、なに、これ……」

 本来は日付けの下に何者かについての説明が書かれていたのだが、今回はどうも違う。

 というのも、そこには華來への『恨み辛み』が書かれていたのだ。

「……華來への妬み嫉み、嫌いなところ……華來が好きなわけではないのかな…………」

 赤いペンで、しかも荒い文体で。

 今までの女性たちの説明は深緑色で書かれていたというのに、華來についてだけは名前以外、血のような赤色で書かれている。

「……『あの日の少女が、もう一度僕の前に現れた』って……」

 美莱の注目を誘う一文。

「未和って……昔、華來と会ったことがあるの……?」

 華來と美莱は幼稚園の頃からの付き合いだ。初めて会ったときから今まで、離れていた時期などないに等しい。

 そんな中、こんな特徴的で異常な男がいれば、美莱も華來も覚えているだろう。

「…………だめだ。あの男と会った記憶がない……」

 幼少期に会っているなら、記憶がないのでも仕方ない。今、考えていても無駄だ。

(……そろそろ戻そう)

 そう考えて、ノートを元の場所に戻そうとする美莱。

「…………ん?」

 すると、ノートの切れ端に小さな文字でなにか書かれているのを発見した。

「なになに……『葉二ヨウジは警戒+美莱・黎乃にも注意』……?」

 メモ書きのように滑らせたような文体で書かれている。

「私たちの名前……と、葉二……?」

 目を惹くのは『葉二』という、おそらく人の名前であろう言葉。ここに来て、新たな人物が浮上した。

 プラス記号のあとに書かれている美莱たちの名前は、昨日の出来事が原因で書き加えられたのだろうことが読み取れる。

「葉二……どこかで聴いたような……?」

 カツカツ、カツカツ。

(……!!)

 何者かの脚音。こちらに近づいているようだ。

(……隠れたほうがよさそう……)

 咄嗟に判断し、音を殺してロッカーに入り込んだ。例のノートもいっしょだ。

「……だれもいないな」

(き、聴いたことのない声だ……)

 声を出してしまわないよう、口を手で覆って、動きも最大限に抑える。

 ロッカーの外から聴こえてくるのは、少々高めな少年風の男の声である。

「あったあった。華來センパイの机」

(華來の知り合いなのかな……)

 ガサゴソと物音を立てている謎の男。華來の机を漁っているのだろう。

(下手に動いて物音を立てたらマズいし、外は確認出来ないな……)

 今はじっとしていることしか出来ない。もどかしさが募るが、なんとか動かずに何者かが帰るのを待っている。

「……それにしても、いつになったらセンパイは気づいてくれるのやら…………」

(こ、この男、なにしてるんだろう……?)

 未和といい、この男といい、おかしな行動をする人物に付き纏われる体質なのだろうか。

「…………あった。よし、回収っと」

 男はそう言って、脚音を立てながら遠くへ走り去っていった。

 ……キィィ…………。

「ふぅ、危なかった。それにしても、なにしてたんだろう……」

 未和のノートをバレないように机へ戻し、華來の机を調べる。

「……特に不審な点はない、かな」

 荒らされている形跡は多少残っているものの、逆に言えばそれまでである。

「ノートでも借りに来たのかな」

 放課後になって借りに来るというのも変だし、なにより無断で取るのはいけないことだ。しかし、考えていても埒が明かないので、今はそう思うことにした。

「……さて、次は黎乃ちゃんのところだ」

 続けて、黎乃のクラスへ向かうのだった。


「見つけた。黎乃ちゃんの机」

 一年のクラスは南の棟の四階に位置している。なので、ここまで登るのもひと苦労だ。

「勉強熱心な生徒が残ってるクラスもあったし、慎重に調べよう……」

 なるべく音を立てないように机を漁る。

 中はかなり整頓されていて、教科書やノートの類も少ない。真面目そうな彼女のことだ。逐一持ち帰っているのだろう。

「偉いなー。……って、そんなこと言ってる場合じゃなくて」

 このまま収穫もなしでは、ここまで来た甲斐がない。そのため、未和の机を調べるよりも念入りに調べている。

「…………ん?」

 平べったい本のようなものに手が当たる。

「……ネコちゃんの写真集?」

 パラパラと捲ってみれば、かわいいネコたちの色んな写真が掲載されている。

「黎乃ちゃん、こういうの好きなんだ。学校にまで持ってきちゃうとか、かわいいかよ……」

 そうして、パラパラと捲っていくと、やがて小さな紙がハラリと宙を舞った。しおり代わりのメモ用紙のようだ。

「……裏になにか書いてある」

 青い文字が裏に滲み出ているそれを拾って、裏返す。

「『どうすれば、華來先輩を救えるのだろう』……? どういうこと……??」

 整えられた文体でそう書き記されている。

 その下には救い出す方法のようなものが書かれている。それに加えて、未和のときと同じようにいくつかの方法は赤いバツ印がつけられていた。

「なにこれ……? 華來を救うって……??」

 まるで、華來が殺されているのをすでに知っているかのような口ぶりだ。

(黎乃ちゃん、何者……?)

 よりミステリアスさに拍車がかかる黎乃という少女。彼女はいったい、なにを知っているというのか。

「……ん? まだなにかある……」

 ネコちゃんの写真集にメモ用紙を戻し、机へ返そうとしたとき、一つの豪華な用紙が目に入った。

「賞状だ……しかも大きめ……」

 黎乃当ての賞状。その内容は、軟式テニスの新人大会で上位の成績を取ったというものだ。

 普通は持って帰りそうなものだが、なぜこんなところに仕舞っているのだろうか。

(……どこかで見た気が……?)

 昔の記憶を混濁させるこの賞状。

 『軟式テニスの新人大会』というワードが頭の中を駆け巡る。

「…………あっ、そっか」

 十年前、高校三年生の春の終わり。生徒総会で賞状授与式があった。

 その際、この賞状をもらっていたのが黎乃だったのだ。

「だから、黎乃ちゃんと話したこともないのに、見たことはあった気がしたんだ……」

 違和感が少しずつ確信へと変わる。

 黎乃という少女は華道部ではない。テニス部の期待の新人というだけで、華道部に入部しているハズはない。

「……それなら、どうやって黎乃ちゃんは華道部に……?」

 黎乃の途中入部も美莱の記憶にはない。だが、華來と黎乃の仲のよさを考えると、途中入部したわけでもなさそうだ。

 いったい、どんなトリックを使ったのだろうか。

「……ネコちゃん好きに悪い娘はいなさそうだけど、警戒はしておこう……」

 もしかしたら、華來に接近するために入部した可能性もある。なぜ、あそこまで仲がいいのかだけは不思議だが、考えていてもまだ応えは出ないだろう。

「……そろそろ戻らないと」

 三十分も時間を使ってしまったようだ。

 華來の説教を予想しながら、部室へと帰る美莱であった。




「遅い!!」

「申しワケありませんでした……」

 眉間にシワを寄せて怒る華來。

「もう! ほんとに帰っちゃったかと思ったじゃん! ケーキのおごりもパーになるところだったよ!」

「うぅ、ごめん。どんなに高いケーキでも買ってあげるから……」

 そう弁明すると、ぴくっと眉を上げる華來。

「……その言葉、ほんとうだね?」

「え? ……あ、やば……」

「よし! じゃあ、すぐ行こう! 今すぐ行こう!!」

 一人で完成させた生花を床板に飾るや否や、スクールバッグを準備する華來。

「くっ、やってしまった……」

「さあ、行こう! 駅前のケーキ屋さんに行こう!!」

「うっ、地味に高そうなところに……」

 例の墓から南東に行くと、地元ではそこそこ大きな駅がある。

 駅前の町は、田舎ではもはや流行の発信地なのだ。そんな町のケーキ屋であれば、それなりに値は張るだろう。

「ほらほら! 行こ行こ!!」

「わかったってばぁ……くそぉ……」

 高いケーキを妄想し眼をときめかせる華來に対して、散財が確定した美莱の眼はなんとも黒ずんだ蒼色をしていた。




「ふぁぁ……スペシャルなケーキだぁ……!」

「うぅ、そのセットだけで千円もするとは……」

 涙を浮かべ、愕然とする美莱。対して、スペシャルなケーキとセットのアイスティーを前にした華來は、今にも頬が落ちそうな表情を浮かべている。

「いただきまーす!」

「い、いただきます……」

 現代では大繁盛を遂げているこの人気店も、開店して半年のこの時期では、夕方にもなれば人も少ない。

 現代のいわゆる『映え意識の高い』商品も、この時代ではそこまで数もない。

(なんちゃらグラムも浸透してないし、ティックなんちゃらにいたってはリリースされてないもんなー)

 十年前と現代でこんなにも世界は変わった。

 『流行』というものは、なんとも恐ろしいものである。

「甘いのにくどくない……最高……」

「いいなぁ……」

 スペシャルなショートケーキセットを食べる華來を羨みながら、単品のレアチーズケーキを頬張る美莱。

 三百円でも充分に美味なのは、流石の駅前ケーキ屋といったところか。

「ふふん、いいでしょー? プチトマトを無理矢理食べさせるやつになんて、一生あげないもんねー」

「うぅ、あんなことするんじゃなかった……」

 ひと回り大きなショートケーキは、すでに半分が華來の中へと吸い込まれてしまっている。

「……ああ、おいしい……」

「私がお金払ったのにぃ……」

 恨めしそうにつぶやく美莱。

「……しょーがないなー。特別にひとくちやろうじゃないか。寛大な華來さまによる慈悲をちゃんと噛みしめるのだぞー?」

 そう言って、ショートケーキの切れ端を差し出す華來。勝ち誇ったような表情は隠し切れていない。

「……うぅ、このぉ……あむっ」

 華來の同情による慈悲を受け取らざるを得ず、差し出された切れ端をついばむ美莱。どう見ても餌付けである。

 敗北感というスパイスを振り掛けられていてもなお、ケーキの美味しさは損なわれていない。『甘いのにくどくない』という感覚を、嫌々ながらもわからせられてしまったようだ。

「ははっ、餌付けしてるみたい!」

「うぅ、もうひとくち……!」

 ケーキのあまりの美味しさに屈する美莱。

「はいはい。それじゃあ、最後のひとくちですよ? 負け犬さん?」

「…………あむっ、もぐもぐ。……ぐす、うぅ…………」

 美味しいものを食べているというのに、眼からは感動ではない悔し涙が流れている。

 そんな美莱の様子を嘲笑しながら、ケーキを見せびらかすように食べ進めるいじわるな華來なのであった。


「ごちそうさまー」

「あぁ、お小遣いが……」

 天へと昇った尊い紙幣ぎせい。……否、この場合は『華來にやられたかわいそうな紙幣やつら』と言うべきだろう。

「いやー、おいしかったねえ?」

「うぅ、このこの〜!」

 華來の背中をとんとんと叩く美莱。衝撃も威力もそこまでない。

「あはは、痛くも痒くもないなー。……っと、そろそろ帰らないと陽が完全に落ちちゃいそうだね」

「わっ、ほんとだ」

 太陽はそろそろ西の山へと沈む。

 暗くならないうちに帰るため、二人はすぐさま自転車に飛び乗った。


 自転車のライトが辺りを照らす。

 陽はとうに落ちてしまって、辺りは徐々に暗くなってきていた。

「いやー、暗いねえ」

「田舎の夜のあぜ道ってなにか出そう」

 冗談めいた発言をする美莱。

「ホタルとか?」

「そうじゃなーい! 怪異のこと!」

「あー、はいはい。妖怪とかね」

 適当にそう返す華來。

 妖怪や幽霊の類には興味がなさそうだ。

「……あー、そうだ。花火大会さー、どこで見るの?」

「…………あ、忘れてた」

 調べたいことが渋滞していて、一番重要なことをすっかり忘れていたようだ。

「えーっ。あんたが神社で見るのは嫌だって言うから、他の場所で見ることにしたんじゃん」

「ご、ごめんごめん。んー、そうだなぁ……。学校前の坂なんてどう?」

「……あ、意外といいかも。そこにしよっか」

「うんうん」

 華來の応えに安堵する美莱。

(あそこなら神社からも遠い。それに民家も近くにあるから、殺されるリスクは少なそうだし)

 花火大会の日、華來は神社の境内で殺された。

 二度と同じ過ちを繰り返さないためにも、華來の周りには充分気をつけなくてはならない。

(今日、手に入れた情報は『未和のノートの存在』。それに『黎乃ちゃんのメモ書き』。……あ、『葉二』っていう男の名前もあったっけな)

 情報を整理する美莱。今のところ、未和が一番怪しいだろうか。

(でも、黎乃ちゃんも怪しいことに変わりはない。それに葉二ってやつも……。そうだ。葉二という男のこと、華來はなにか知らないかな)

 葉二という新たな人物。調べておくに越したことはない。

「ねー、突然なんだけどさ」

「なにー?」

「葉二ってやつ、知らない?」

「よ、葉二っ!?」

 急に声を荒げる華來。

 『葉二』という名前に動揺しているようだ。

「ど、どうしたの?」

「よ、葉二……あの男は……」

 最低な男だと、華來は宣言する。

「な、なにかあったの……?」

「か、華來は忘れたの!? あの問題児、『端楽ハシラ 葉二』を!」

「は、端楽……あっ!!」

 美莱は想い出した。『端楽 葉二』という男を。初めての後輩になる予定だった、元華道部員。

 端楽はあろうことか、卒業した前々部長の作品を故意的に一部破壊したのだ。そのせいで当時三年生の前部長、そして当時二年生の華來の反感を買い、華道部を強制追放。

 その後、学校内で小規模の暴力沙汰を起こし、一ヶ月の停学処分になったのだった。

「あの端楽か……!」

「みんな、『端楽くん』って呼んでたから、美莱は下の名前を覚えてなかったんだね? でも、私は覚えてるよ……。あいつだけは許せない。華道部の風上にも置けないよ」

 珍しく怒りに震えた声を発する華來。

 先輩の作品をないがしろにした彼のことを根に持っているようだ。

「お、落ち着いて……」

「……あ、ごめん。深呼吸、深呼吸……」

 美莱の呼び掛けで、華來は正気を取り戻したようだ。

(それにしても……端楽……元華道部員。華來たちに追放されたのを恨んでるかもしれない。……端楽も容疑者の一人だね)

 明日は金曜日。明日中に端楽を調べておかなくてはならなくなった。

(未和、黎乃ちゃん、端楽……犯人はいったいだれなんだ……??)

 花火大会の日までに犯人は突き止める。そうしないと、華來の命が危うい。

 明日の終業式が終わったら、さっそく端楽の情報を集めると覚悟を決めた美莱であった。


 華來の余命まで、残り今日の夜中と丸々四日間。

 三人目の容疑者が浮上し、犯人探しは混沌を極める中、事態が急展開を迎えつつあることを美莱は知る由もなかった。


 《続》

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