第642話 奇跡の代償(肆)
朝露の余韻を残した白光が、王城の高窓から静かに射し込んでいた。
政務の間は、重厚な石材と彫刻装飾に彩られた広間でありながら、その内部には異様な緊張と沈黙が漂っていた。
玉座を正面に据えた円卓には、王国の重鎮たちが居並んでいる。
内政、財務、軍務、各領邦を束ねる大貴族――いずれも王政において中核を担う人物ばかりであったが、全員が声を潜め、誰一人として最初の言葉を発しようとはしなかった。
空気が、冷たい。
玉座に腰掛けた王は、右手で額を押さえたまま一冊の報告書をじっと睨んでいた。
既に十度以上読み返したはずの文書。何度読み返そうと内容は変わるはずもない。
……王都大聖堂、壊滅。
隕石の落下による建物の崩壊。及び、周囲の都市機能も麻痺。
だが、それ自体は既知の事実――問題は、その後だった。
「――確認されている限り、王都教区に属していた聖職者、全員の消息が不明です」
侍従長が低く読み上げる声が、静寂の間に落ちる。
「事件翌朝より各方面に使いを出して調査を進めておりますが、現時点で所在が確認できた者は一人もおりません。名簿上の関係者、約二百七十四名――全員の消息が、断たれております」
円卓の一角。北方辺境伯が顔をしかめ、低く呟く。
「まさか、神殿騎士までか? 教会の実働戦力が全滅したと……?」
「正確には“確認不能”ですな。現地の調査にあたった部隊の報告によれば、争った形跡すら確認できなかったとのことです」
答えたのは財務大臣。白髪の老臣が険しい面持ちで言葉を重ねる。
「神の奇跡とでも言うのかね?」
「既に一部で、天上の審判が下った。教会が悪魔を使役していたなどの噂が出回っております」
侍従長が重々しく頷く。
「このままでは、民の不安は拡大するばかりです。特に教会への信仰に依存していた地域ほど動揺が大きく……このままでは暴動が起きかねません」
「加えて、教会派に属する貴族たちの反応も鈍い。出仕を拒む者、屋敷に籠もる者、使者への返答を保留する者……いずれも
公爵が低く唸るように言った。
「大聖堂が吹き飛び、全員が行方不明となり――その直後に王都全体がダンジョンに包まれた。……偶然にしては、出来すぎておる」
重臣たちの視線が、玉座の王へと集まる。
――これは、楽園の仕業なのではないか?
そして、王はそのことを知っているのではないか?
そんな疑念が、声にならぬまま場に滲む。
だが、王はその視線から逃れようとはしなかった。
その眼差しには、強い意志と覚悟が宿っていた。
「……混乱の責は、すべて余が負う」
低く、明瞭な宣言だった。
空気が僅かに揺れ、数人の重臣が身を正す。
「まずは教会派の貴族について、王命に対する恭順の意思を確認せよ。応じぬ者、反応すら返さぬ者に対しては、然るべき措置をとる」
王の言葉は、退位すら覚悟した者のそれだった。
このままでは王国が持たぬ――それを誰よりも理解しているのだろう。
そんな王の覚悟を感じ取り、
「御意にございます」
先に臣下の礼を取ったのは、侍従長であった。
それに続くように、重臣たちも頭を垂れる。
なにが起きているのか、誰がやったのかは問題ではない。
いま動かなければ王国の未来はないと、王の覚悟から悟ったのだ。
「王都教区の混乱に乗じて、他派勢力が動く可能性は?」
内政大臣が問うと、軍務卿が首を横に振る。
「現時点で、国外からの異常な動きは確認されておりません。ただ、教会が沈黙を保っているのが不気味ではありますな……」
「王都の教区で起きたことを、教会が把握していないはずがないか。それでも黙したままでいるというのは――」
「なにか、意図があってのことと考えるべきでしょう」
財務大臣の言葉に、場がふたたび重苦しい沈黙に包まれる。
星霊教会には、大きく二つの派閥が存在する。
ひとつは秩序を重んじ、王権と連携してきた保守系の〈天環派〉。
もうひとつは、星辰の理と魂の輪廻を重視する精神主義の〈星環派〉。
王都の教区は〈天環派〉の牙城であった。
その〈天環派〉が消えた今――もう片方の派閥が動かないはずがない。
政務の間の扉が強く三度、叩かれた。それは緊急の知らせがある時の合図だった。
「入れ」
王の指示と同時に扉が開かれ、ひとりの兵士が肩で息をしながら膝をついた。
「報告申し上げます! 国境の監視塔より緊急伝令。星環派を名乗る使節団が到着――主教を名乗る女性が一団を率い、陛下への謁見と王国への正式な入国許可を求めております!」
その一言に、円卓の空気が弾けるように揺れた。
ざわめきが走り、緊張が明確なうねりとなって空間を包む。
想定していたよりも、ずっと動きが早かったからだ。
「星環派だと……? 幾らなんでも動きが早すぎる……」
誰かが吐き捨てるように言ったその瞬間、王の思考にひとつの影が差した。
(……まさか)
王は目を細め、静かに心の中で呟いた。
(〈賢人会〉――白の盟主か……?)
王は静かに息を吸い、重く吐き出す。
星環派の主教と言えば、あの女しかいない。真っ白な貴婦人の姿が、王の頭を過る。
厄介なことになった。それが、最初に王が思ったことだった。
白の貴婦人――いや、〈白の盟主〉と呼ばれる〈星環派〉の主教は、イギリスのグリニッジに本拠を構える〈賢人会〉に名を連ねる〈六色〉のメンバーの一人だからだ。
欧州の裏社会を牛耳る組織と言えば、分かり易いかもしれない。だが、マフィアなどの非合法な組織をイメージするのなら、それは間違いだ。〈賢人会〉は文字通り、世界の裏を仕切ってきた組織だ。
その影響力は凄まじく、ありとあらゆる場所に彼等の目と耳があると考えた方がいい。大国ですら警戒し、配慮を必要とするほどの組織だった。
「入国を許可すると返答せよ。ただし、王都は混乱の最中にある。こちらの準備が整うまで、使節団の方々には西の街に逗留していただく。丁重にもてなすよう伝えよ」
「はっ!」
兵士は姿勢を正し、踵を返して駆け戻る。
その背を見送る重臣たちの表情は、困惑と緊張に塗り潰されていた。
「……陛下。星環派の主教と言うのは、やはり……」
「白の盟主で間違いないだろう」
財務大臣の呟きに王が答えると、重臣たちの間に流れる空気が変わる。
深刻な事態であることが、伝わったからだ。
「しかし、あまりに動きが早すぎます。まるで、すべてが計画されていたかのような――」
楽園を疑っていた者たちも、星環派の余りに早すぎる動きに教会を疑い始める。
もしかすれば、前提がそもそも間違っていたのではないかと考えたからだ。
「可能性は排除できまい。だが、余たちは今さら事の真偽を探っている場合ではない」
王はゆっくりと立ち上がる。
背後から射し込む朝光が、その姿に淡く重なる。
「天環派が沈黙し、大聖堂が消え、民の不安が燻る中で求められるのは、迅速な対応だ」
誰も異を唱えなかった。
重臣たちは、すでにそれが避けて通れぬ道であることを悟っていたからだ。
問題は宗教だけの話ではない。国家の行く末を問われる局面に差し迫っていた。
だからこそ、引く訳には行かない。
「であれば――堂々と受けて立つしかあるまい。玉座に座する者としてな」
遠く、まだ陽の届かぬ西の空に、白い雲がうっすらと揺れていた。
告げられぬ兆しのように。言葉にならぬ意思を帯びて。
だが、誰にも――その意味を確かめる術はなかった。
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