第32話 期待と関心

 月面都市の完成式典まで、あと一週間に迫った頃――

 テレビやネットのニュースは、そのことで話題が持ちきりとなっていた。

 月に都市が建設されていると言うだけでも驚きなのに、そこにギルド加盟国の代表が招かれると言うのだから話題になるのも当然だ。

 最初に人類が月に降り立ったのは、いまから八十年以上も前のことだ。しかし、ここ半世紀ほどは有人ロケットによる月面着陸は行われていない。それは安全性やコストの問題など様々な事情があってのことだが、現在いまでは無人のロケットによる調査もまったく行われていなかった。

 それは月にダンジョン・・・・・が確認されたためだ。


 正確には調査そのものは三度に渡って実施されたのだが、無人の調査ロケットが月に辿り着く前にロストするという謎の事故に見舞われたのだ。そのため、アメリカは事故原因が究明されるまで計画を白紙に戻し、調査を行わない意向を表明した。それが二十年前のことだ。

 しかし、この話にはがあった。

 月には魔女の住む国があって、魔女との密約で計画が打ち切られたとする噂が――

 突拍子もない荒唐無稽な話に思えるが、ホワイトハウスに行方不明となっていたロケットと共に銀髪の魔女が現れたとする情報が流れたことで、一部の界隈で噂が広まったと言う訳だ。

 しかし、アメリカが口を閉ざしたことで真相は闇の中へと消えていった。

 それが、月が緑に覆われるという嘗て無い異変が起きたことで状況が一変する。

 これまで頑なに口を閉ざしていたアメリカが、月に魔女の国が存在することを認めたのだ。


 その国の名は――月の楽園エリシオン


 この発表の裏には楽園との協議があったとの話だが、世界は驚きに包まれた。

 月の国と繋がりがあると以前から噂のあった〈トワイライト〉には問い合わせが殺到し、ダンジョンが一般開放されて以来の熱狂を呼ぶ騒ぎへと発展していた。

 そんな世界が注目する中でギルドから公式に発表があったのが、月面都市の完成式典にギルド加盟国の代表が招かれたというニュースだった。

 既に発表から一ヶ月以上が経過していると言うのに未だにテレビやネットの話題は楽園に関するものが大半を占めており、それだけ多くの人々が〈月の楽園エリシオン〉に関心と期待を抱いている様子が見て取れる。

 しかしその裏で、国家間では激しい駆け引きがはじまっていた。


「ロシアが〝宇宙条約〟を持ちだしてきた」


 そう話すのは世界探索協会――通称ギルドの理事を務めているアレックス・テイラーだ。

 宇宙条約とは、国連が発効した宇宙空間における活動の自由を定めた条約で、要約すると『宇宙にあるものは誰のものでもなく人類共有の財産である』と定めた条約だ。

 この条約を盾に、月の領有を認めないつもりなのだろう。

 しかし、


「従う道理がありません。我々は〝国連〟に所属していませんので」


 レギルの言うとおり〈月の楽園エリシオン〉がそれに従う理由はない。

 あくまで国連が定めた条約で、楽園はそもそも地球の国家に属していないのだから――

 他にも〈月協定〉と言うものもあるが、ロケット開発が進んでいる先進国の多くはこの協定を批准していない。そのため、半ば形骸化したルールと言えるものになっていた。

 それを楽園に当て嵌めようという考え自体が、浅はかで愚かとしか言えないというのがレギルの考えだ。


「まあ、そうなるよな。俺も何を言ってるんだって感じだしな……」


 これに関しては、アレックスもレギルと完全に同意見だった。

 そもそも国連に加盟している国でさえ真面目に守っていないルールを、楽園に当て嵌めようとすること自体、無理のある話なのだ。

 実際こんなバカなことを言っているのはロシアだけで、他の国は問題にすらしていない。

 いつもは真っ先に何かしらの行動を起こす中国ですら静観の構えだ。

 ただ――


「あの国は狡猾だ。恐らく問題提議すること自体が狙いなんだろう」


 こんな話が通るとは、ロシアだって思ってはいない。

 しかし、それを国際社会がどう受け取るかは、また別の話だ。

 ――月に魔女の住む国がある。

 それ自体は別にいいが、幾ら夢のある話だとはいえ、月の独占・・を世界は許すだろうか?

 恐らくは国際世論を煽動することで楽園から譲歩を引き出し、月の開発とダンジョン利権に自分たちも食い込むことがロシアの狙いなのだと、アレックスは推察していた。


「バカなのですね」

「いや、だが実際に厄介だぞ。世論を味方につけられると……」


 ロシアに同調する国は少なからずでるだろうと言うのがアレックスの予想だった。

 そうなれば、地球での活動に少なからず影響がでる。そして、その影響を真っ先に受けるのは〈トワイライト〉だ。だからこそ〈トワイライト〉の本社にまで足を運び、アレックスはこうしてレギルに注意を促しにきたのだ。

 アメリカとしては楽園との関係はこれまでどおりに維持したい。

 いまになって他の国に横槍を入れられるのは面白くないと言うのが、アメリカの本音にあるのだろう。


「構いません。我々にとっては些細な問題でしかありませんから」


 しかし、レギルの考えは違っていた。

 アメリカが考えているほど〈トワイライト〉を必要としていないからだ。

 必要なのは〈トワイライト〉ではなく、主の快適な生活を維持するための物資だ。〈トワイライト〉は、そのための手段の一つでしかない。二十年前ならいざ知らず、いまは他にも手がある。

 それに地球との関係を断ってもやっていけるように、メイドたちには地球の技術と知識を学ばせてきたのだ。すべてを自分たちで賄うことは難しくとも、この二十年で大半のものは自分たちで調達・・が可能なレベルにまで達している。

 そのため、いまの楽園であればあるじに不自由をさせることはないとレギルは自負していた。 


「楽園の考えは変わりません。遥か太古の時代から、月は主様のもの。そのことに納得できないのであれば、我々との共存は不可能です。ギルドとの関係も見直す必要があるかもしれませんね」

「いや、ちょっと待ってくれ! 今回のことはロシアが勝手に言っていることで――」

「なら、その国をギルドから除名すればいいだけのことでは?」

「ぐっ……そ、それは……」


 レギルの言い分は理解できるが、ロシアをギルド加盟国から除外するというのは簡単にできることではない。仮に他の加盟国の同意を得られたとしても、そのあとで起きるであろう諸々の問題を考えると難しいというのがアレックスの考えだった。


「まあ、いいでしょう。嫌でも一週間後には、世界は思い知ることになるのですから」

「なんか物凄く嫌な予感がするんだが……」


 政治家のなかには楽園を甘く見ている者が少なからずいることは確かだ。

 探索者でないために実感が湧かないのだろう。しかし、アレックスは違っていた。

 二十年前、どうしてアメリカは楽園と友好的な関係を結ぶことができたのか?

 それは簡単だ。当時の大統領が――アレックスが探索者だったからだ。

 それも世界に五人しかいないSランクの探索者だったから気付くこと・・・・・ができた。

 月の魔女の底知れない恐ろしさに――

 絶対に敵に回してはいけないと感じさせる圧倒的な力に――

 あの時、魔女からの提案を断っていれば、どうなっていただろうかとアレックスは考える。

 答えは考えるまでもなく簡単だった。

 アメリカは最悪のシナリオ・・・・・・・を迎えていたはずだ。


(モンスターの氾濫が終わったと思ったらこれか。モンスターより恐ろしい連中に喧嘩を売るとか何を考えてやがる! クソッタレの政治屋どもめ!)


 楽園を挑発した国と政治家たちに心の中で悪態を吐くアレックス。

 これから一週間、せめて自国の政治家たちがバカをしないようにと、アレックスは対応に奔走することになるのだった。



  ◆



「いまのってギルドの理事の一人・・・・・よね。確か、アレックスと言ったかしら?」


 アレックスがいなくなったのを見計らったかのように声を掛けられ、レギルはやれやれと言った表情を見せる。

 Sランクの探索者は疎か、〈原初〉に名を連ねる自分にも気配を感じさせるどころか、存在そのものを認識させない・・・・・・なんて真似ができるのは一人しか思い当たらなかったからだ。


「その登場の仕方はいつもやめてって言っているでしょ――スカジ・・・


 空間が揺らめき、まるで最初からそこに座っていたかのように執務室の机に腰掛けたスカジの姿が現れる。いや、実際にずっとそこにいたのだろうとレギルは察していた。

 戦闘と隠形に優れたメイドばかりを集めた〈狩人〉の長だ。

 ましてや、彼女の権能スキルを考えれば、このくらいのことは出来て当然だからだ。


「はいはい、分かってるわよ」


 レギルの小言をいつもの調子で受け流すスカジ。

 そんなスカジの態度に呆れた様子を見せるも言っても無駄と諦め、レギルは執務机の上にいつの間にか・・・・・・置かれた報告書に目を通し始める。何も言わないのは、これもスカジのやったことだと分かっているからだ。

 報告書には、式典に参加する各国の代表団の詳細な情報が記されていた。

 それこそ過去の経歴や家族構成から交友関係に至るまで、ありとあらゆることが一人一人余すこと無く詳細に記されている。本来は秘匿・・されているであろう情報まで――

 大国の諜報機関ですら真っ青になる諜報力だ。

 しかし、それが〈狩人〉と呼ばれる彼女たちの実力であった。

 その気になれば、彼女たちに集められない情報はない。そして――


「なんだったら鬱陶しい連中を掃除・・してあげてもいいわよ?」


 楽園に害となる存在を掃除・・するのも彼女たちの仕事だ。

 アレックスとの話を聞いていたのであれば、なんのことを言っているのかは想像が付く。

 ここで頷けば、明日は報告書ではなくが並べられていることだろう。


「その必要はありません。観客が多い方が盛り上がりますし、道化・・も舞台には必要ですから」


 消してしまうよりも利用価値があると言うレギルの話に、それもそうねとスカジはあっさりと納得する。その態度からも察せられるように、確認を取っただけで本気でやるつもりはなかったのだろう。

 そもそも本気で彼女が楽園のになると判断したのであれば、既にこの場に首が並べられている。アレックスが注意を促した程度の情報など〈狩人〉が把握していないはずがないからだ。

 

「まあ、いいわ。一応、注意したわよ。油断して足をすくわれないようにね」


 そう言い残して、現れた時と同じように気配を感じさせることなく、スカジはレギルの前から姿を消す。

 まるで最初から存在しなかったかのように目の前から忽然と――

 何度言っても注意を聞かないのはどちらなのかと呆れ、レギルは溜め息を漏らす。

 ただ、スカジの言っていることも分からない訳ではなかった。

 人間は弱い。弱いからこそ、頭を使う。いまもどうすれば自分たちが最大限の利益を得られるか考え、画策していることだろう。ロシアの行動も見方を変えれば、ただ自国の利益のために動いているだけの話だ。


「彼等の愚かなところは、自分たちの常識ものさしでしか物事を推し量れないということ――それは各国のスタンピードへの対応の差を見れば明らか」


 常識が邪魔をして理解できていない。

 アレックスはマシ・・な人間だが、そんな彼でも楽園の本当の力を見誤っている。


「少しはマシな方々がいれば良いのですが……」


 そうあって欲しいと、レギルは願うのであった。

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