この中に嘘つきがいます

1

 この中に嘘つきがいます。僕は椅子いすに座る全員の顔を見比べた。キョロキョロと辺りを見回みまわす者。ジッと腕を組んで考え込む者。冷たい汗をひたいから流す者。一体誰が犯人なんだ。この酒場さかばに犯人はいる。


2

 僕とワイさんと最近バイトとして入った黒音由良くろねゆらは3人でバーに来ていた。しかし、バーと言っても近未来風きんみらいふう小洒落こじゃれた店ではなく、どちらかと言うとレトロなカフェに近い店だった。部屋の四隅よすみほこりの1つもないほど綺麗きれいで、床にはフカフカのウール製の絨毯じゅうたんが引いてある。実家のようなバーだった。黒音がもらってきた割引券を利用するためにおとずれたのだが、高校生がなぜ、こんなバーの割引きを貰えるのだろうか。僕は不思議だった。


 僕らの他には2組のお客さんがいた。1組は30代ぐらいの夫婦。主人はタートルネックの似合う色男いろおとこで、その妻は黒髪を丁寧に巻いた色気のある女性だった。テーブルに置かれたあのブランド物の小さなバッグには何が入っているのだろう。僕はそれが気になった。もう1組は女性2人だった。左側の席の女性のだるがらみを右側の席の女性があしらっている。よくある光景だ。みんな、和気藹々わきあいあいと喋っている。僕らは人がギリギリ1人通れるぐらいの狭い通路の先にある席に座ると、もらった割引券に書いてあるサービスのカシスオレンジを頼み、ワイさんはココア、黒音はジンジャエールを頼んだ。50代ぐらいのマスターが入れたグラスが僕たちの前に届くと、僕らは「乾杯」と言って、それを飲み始めた。


「僕さん。右側の女性、可愛くないですか?」と黒音が僕に話しかけて来た。


「そうかな?僕は隣の奥さんの方がすごく綺麗に見えるけど」


「げっ、熟女好きですか。趣味が合いませんね」


「酒も飲めないキッズには少し苦味が強いかな」


「黙れマザコン」


 黒音が僕に悪態を着く横で、ワイさんも恋バナに混ざりたいのかソワソワと貧乏ゆすりをしながら僕らの方を見ている。黒音はそれを無視した。


 そんな中、場面は急転した。どこからか白い煙が溢れて来たのだ。煙は一気に部屋を包み込み、僕らの視界を鈍くした。すると、ガタンッと音を立てて、部屋の電気が消えた。これで完全に見えなくなってしまったのだ。


「火事!?火事なの!?出口は!?!」と、隣の女性グループの焦った声と悲鳴が余計に僕らをパニック状態にさせる。


「ぐわっ。お、おい!なにすんだ!やめろおおおおおおおおお」と、男性の低く掠れた悲鳴が突如と部屋に響いた。女性2人はそれに上乗せするようにさらに悲鳴を上げる。そんな中、黒音とワイさんは冷静に机の下に避難していた。そして、ワイさんは「換気扇をつけるんご!」とマスターに指示を出すと、マスターは物を倒してぶつかりながら、なんとか換気扇を点けた。どうやら、煙は引いていったらしい。そして、ワイさんはマスターにスマホのライトを渡すと、ブレーカーの元まで行って部屋の電気を取り戻させた。ガラス瓶やグラスが倒れた店内はお酒や飲み物でビショビショだった。それに、服や肌も少し濡れている。僕らは光に慣れるために一度目をつむり、ゆっくりと、そのまぶたを開けた。クリーム色のカーペットに赤いシミ。何のシミだ?僕はそれを目で追っていくと、そこには男性が倒れていた。おそらく、息をしていない。死んでいた。


「キャーーーーー!!!!」という耳の痛くなる悲鳴がした。僕は耳を押さえながら携帯を取り出して急いで警察に通報をした。そして、辺りをじっくりと見渡す。床には色とりどりの飲み物が散っており、カーペットの色を変色させている。そして、テーブルの中央の席には血のついたナイフが置かれていた。黒音が可愛いと言っていた女性の元にあった。全員の視線が彼女に集まる。


「違う。私じゃない!!」


 彼女はボロボロと涙をこぼしながら言った。それが嘘か本当かは司法が決める。今はただ、警察の到着を待つしか、他はないのかもしれない。


「VIP共、落ちつくんや」と、ワイさんが名刺を出しながら言った。そこには会社の名前とワイさんの職業が書かれてある。探偵。その2文字の眩しさが僕らの救いになるようで自然と心が落ち着いていった。


「犯人はこの中におるやで。1人1人、話しを聞かせてくれんか?」


 僕は息を飲んだ。この中に犯人がいる。



3

1.妻の証言

「正直、まだ気が動転しています。主人が殺されたのですから」


「電気が消えた瞬間は主人の指示に従って机の下で伏せてました。ハンカチで鼻を押さながら、片手で四つん這い?になっていました」


「殺された瞬間に気づいたことですか?周囲の人達もパニックになっていて、音だけでは何とも...。ただ、主人が私の頭に触れた感触がありました。ゴツゴツとした手と婚約指輪が頭で擦れて少し痛かったです」


2.右側に座っていた女性の証言


「本当に、私は殺してません。信じてください。あのとき、私は友達に体を寄せていました。1人だと怖かったのです。証拠ならあります。実際に彼女に聞いてみてください」


3.左側に座っていた女性の証言


「事件が起きたとき、友達が私に寄って来ました。そのとき、私は壁にもたれていたので、2人で身を寄せていました。え?あそこの席の奥さん?さあ?事件時に何をしていたかだなんて、わからないです」


5.マスターの証言


「私はこの調理場から動いていません。この調理スペースから出るには裏の休憩スペースにまでいく必要があります。ただ、あの暗闇の中でそちらに移るのは不可能です。事件時は煙を吸わないように体勢を低くしていました」


 僕たちはある程度の証言をまとめ終えると、部屋の捜査を続けた。まず、あの煙の中でなぜ、火災報知器が鳴らなかったのかだ。僕は天井に取り付けられた火災報知器を確認した。 


「その火災報知器は定温式やな。室内しつないが一定の温度以上になるとサイレンが鳴るんや」


「じゃあ、あの煙は一体何だったの?」と黒音が尋ねる。


「あの煙はおそらく水蒸気やな。ワイや黒音ちゃんの服や顔も水でびしょびしょやから、たぶん無害な目眩めくらましを使いたかったんやないか?それに、火災報知器が鳴ると外部の助けや消防が来てしまうから、それも避けたかったんやないか?」


「それであの煙で火災報知器が鳴らなかったのね」


 なるほど。納得がいく。だとすると、犯人はかなり用意周到にこの事件を起こしたのだな。


 次に、僕たちはご主人の死体を確認するために顔をのぞき込んだ。苦しそうな表情を浮かべる男はすでに死んでいる。僕は刺し傷を見た。ナイフは右肩に刺さったのだろう。だが、なぜ肩なのか。普通はもっと致命傷ちめいしょうねらうはずだろう。ワイさんは被害者の体の隅々すみずみを調べている途中で、夫婦の座っていたテーブルの下で何かを見つけた。「犯人は大体わかったんご」とワイさんが言った。黒音は全く検討がつかないようで、周囲の人をキョロキョロと見ている。さて、誰が犯人なのだろうか。


3

「あなたが殺したんでしょう」と奥さんが容疑をかけられている女性に話しかけた。その目はいきどおりの念で今にも引きちぎれそうだった。


「違う!犯人なら、わざわざ自分の手元にナイフを残さないでしょう!あなたの方こそ、私の近くに座ってたのだから、ナイフをこっそり私の席まで持ってきたのでしょう!」


「何を言うの!私が主人を殺すわけないでしょう!」


 混沌こんとんとした現場だったが、ワイさんの"パンッ"という手拍子てびょうし1つで静けさを取り戻した。


「ワイの推理を聞いて欲しいんや。やがその前に、今回の事件について軽く説明するやで。今回の被害者は刺殺しさつされた。よって、凶器はナイフ...」


 中央の女性の顔がくもる。僕はそれを見逃さなかった。周囲の人の視線がナイフに集まった。


「ではない。死因は絞殺こうさつ、よって凶器はロープや」


 一同の視線が一気にワイさんに戻った。ロープ?カーペットについた血液やナイフがあるのに、なぜロープで殺したことになるのだ?それに、ロープで殺された外傷なんてなかったはずだ。


「ほんまにナイフで殺したのなら、電気が戻ったあとに返り血でバレるやろ。だったら、ロープで首を絞める。不幸にもご主人の着ていたタートルネックが原因でその外傷には気づかん人も多かったはずや。つまり、ナイフは犯人による意図的なミスリードや」


 僕は被害者の服の首元をめくった。たしかに、絞められたような痕が残っている。


「さて、次に犯人を消去法しょうきょほうで調べていくやで。まず、そこの女子2人は犯行中に壁に寄りかかっとったらしい。それが本当やったら、その2人の奥のテーブルにおったワイ達は彼女達が塞いでいた通路を通れないから犯人にはなれんな」


「その狭い通路に寄りかかっていた証拠はないじゃない!」と奥さんが突っかかって来たが、ワイさんは落ち着いて反論する。


「あの煙は水蒸気やった。つまり、この2人が壁に寄りかかっていた部分は水蒸気で濡れていないはずや」とワイさんは言いながら、彼女達の座る背後はいごの壁を触った。他の人たちも順に触っていく。たしかに、壁は乾いていた。つまり、僕たちと女性2人が犯人の候補から外される。では、つまりだ。残されたのは。


「旦那さんが殺された事件。犯人はあんたや」


 その場の全員が固唾かたずを飲んだ。被害者の妻だけは深刻そうな顔でワイさんをジッと見ている。


「マスター。あんたやろ?」


 黒音が「えっ!」と声を漏らす。被害者の妻が犯人だと思っていたのだろう。しかし、被害者の妻が犯人だと、説明がつかない要素がいくつかあるのだ。


「奥さんの持つ小さいブランド物のバッグにナイフもロープも入らんやろ。それに、目が見えん状態での現場で、女性があの短時間で男性の首を絞めるだけの腕力はないはずや」


 この事件は短期決戦だった。手際良く人を殺すための訓練とそれを隠すためのトリックが用いられている。人を素早く殺すには、奥さんのその細い腕では力不足なのだ。


「では、どうして私が犯人なのですか?」とマスターは冷や汗1つも落とさずに尋ねる。


「まず、この店がおかしいんや。普通の飲食店は消防法の決まりで消化器を設置しとかんといけんはずなのに、この部屋の四隅には綺麗に何もない。それに、法律上飲食店はウールなどの燃えやすい素材のカーテンやカーペットを使ってはいけないんや。それなのにここの床はモフモフしすぎやないか?ここは、本当は飲食店でも何でもない、ただの空きテナントやろ?そして、何よりも怪しいのはアンタがいる調理場や。オーナーは普通は食い逃げなどの防止のためにいつでもカウンターから出れるように別の出口があるはずや。わざわざ裏を通って出てこんやろ。アンタの証言は嘘やな?」


 ワイさんが言い終わると、マスターは小さく笑いながら首を振った。楽しんでいるようだった。


「証拠はあるんですか?探偵さん?」


「ある。男性の刺された傷の場所や。男性の刺された右肩は四つん這いになっていると、かなり刺しにくい場所にある。しかし、アンタの言う通り、調理場から客席に出てくるような別の出口は一見無いようにも思える。けれど、見えんだけであったんや。アンタや夫婦のように四つん這いになったら見える、テーブルの下に人が1人通れるぐらいの小さな引き戸や。アンタはこの引き戸を通って主人を刺し、首を絞めて殺害した。そうやろ?」


「ハッハッハ」と、マスターは笑いながらワイさんに反論した。


「その推理は面白いが、少しズレている。右肩を下の引き戸から刺すことは不可能だろう。夫が四つん這いになったとき、右肩は壁側にあるはずだ。下の引き戸から刺すと、左肩に刺さるはずだ」


「いや。それは違うやで。旦那さんは右肩をテーブルの方に向けていたはずや」


「なぜ、それが言いきれる」


「旦那さんは死ぬ直前に奥さんの頭を撫でていた。手のひらが奥さんの方に向いているということは、旦那さんの右肩もテーブル側にあったということやで」


「そんなわけがないだろう!コイツは一目散に逃げるために...」


「最後まで、愛する人を守りたかったんやないか?」


 奥さんは、静かに涙を落とした。左手で目を拭う。キラキラと光る薬指くすりゆびの宝石は、古いものなのか少しいたんでいる。それでもなお、大切なものなのだろう。奥さんは主人の体を抱き寄せた。血で服が汚れようが、死体に触れようが関係ない様子だった。


「1人にしないでよ。ばか...」


4

 事件の次の日、朝刊ちょうかんに昨日の事件とそれを解決した探偵の名前が上がっていた。ワイさんもこれで一躍有名人いちやくゆうめいじんなのだが、どうも浮かない顔をしている。


「どうしたのですか?」


「それがな。昨日ワイの胸ポケットに名刺が入っとったんや」


ワイさんがその名刺を取り出した。


有限会社 クローン人材派遣

コードネーム キツネ


と、書かれてある。世間一般的に聞き覚えのない会社と人物の名前だった。僕は首を傾げた。


「昨日の事件な。犯人の動機は人を殺してみたかったとからしいんや。そんな動機であんな大掛かりな場所の確保とかも大変やろう。やったら、大きな組織が裏にいた可能性も0じゃないんやろうなって」


 ワイさんが腕を組んで深く考え込んでいた。これから、ワイさんの名前が知れ渡るにつれて、どんどんと敵対する相手も大きくなっていくのかもしれない。僕はいつまで彼のそばで共に戦い続けれるだろうか。そんな不安があの名刺には詰まっていた。

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