第2話 怖かったよおおおおおおっ!

 クーデターを成功させ、一つの王国の歴史に終わりをもたらした男……ヴァン・アーレングス。

 捕虜として拘束したメディナ・アイドランの幽閉を命じて向かったのは、王城の奥にある一室である。


「…………」


「お疲れさまでした、お兄様」


 そこはかつて国王が使っていた寝室だった。

 天蓋付きの大きなベッド。名のある職人に作られた家具。フカフカとした長毛の絨毯。

 その部屋にある全てのものが一級品。

 一つ一つが庶民の年収百年分をしのぐ値段の品々ばかりである。


「王女殿下を無事に保護できたようで何よりですわ。これで計画がスムーズに進みますの」


「……モア」


 ヴァンがベッドで優雅に横になっている少女の名を呼ぶ。


 モア・アーレングス。

 ヴァンの妹であり、クーデターを起こした反乱軍の参謀である人物だった。

 カラスのような黒髪を腰まで伸ばした小柄な美少女で、あどけない相貌には悪戯っぽい表情が浮かんでいた。


「王女殿下と随分と話し込んでいたようですけど、どんな話をしてましたの? 教えてくださいな」


「モア……」


「はい」


「妹ちゃああああああん! 怖かったよおおおおおおおおっ!」


 ヴァンが涙声で叫んで、妹に縋りついた。


「ひゃんっ」


 ベッドで寝転がっていたところを抱きつかれて、モアが甘い悲鳴を上げる。

 兄に押し倒されたような形になっているが、モアは何故か嬉しそうだった。


「王女様ってば、すっごく怒ってたんだよ! 俺のことをにらみつけてきて……思い出しても背筋がゾワッとするよ! ゾワッと!」


「そうですか、それは可哀そうに。よしよし……」


 モアが兄の頭を優しく撫でる。

 慈母のように優しい、包み込むような表情で。


「可哀そうなお兄様、いっぱい働いて偉いですねー」


「うう……」


 王国最強の騎士。

 竜殺しにして王殺し。

 一騎にして軍を滅ぼす男。

 ロイカルダン平原の人食い鬼。


 様々な異名で呼ばれるヴァンであったが、その正体がシスコンで優柔不断な弱気男であることを知る者は少ない。


 ヴァンは子供の頃から、物事を考えるのが苦手だった。

 思考速度が他者よりも遅く、他の人間が一分二分で考えつく答えにたどり着くのに一時間以上もかかってしまう。

 挙句、そうやって考え抜いた答えがまるで見当違いで、よく周りの人間から馬鹿にされて嘲笑を浴びていた。


 自分で考え、悩んだ末に導き出した行動が問題を引き起こすことも多い。

 そのため、ヴァンは自分よりもずっと頭が良い妹に依存していた。


 二十を超えた男が妹に縋りつく姿は情けなさ全開。

 ドン引きするような光景であったが、モアが兄を咎めることはしない。

 モアもまた兄のことを溺愛しており、ヴァンを否定する言葉を口にしたことは一度もなかった。


「妹ちゃん……俺は本当に正しいことをしたのかな? 反乱なんて起こして、国を滅ぼしたのは正しかったのかな?」


 ヴァンは力ない声で妹に訊ねる。

 彼なりの覚悟を決めて反乱軍のリーダーになったものの、王女に咎められてそんな覚悟もすっかり揺らいでしまった。


「お兄様。左遷なんて嫌だ、寒い土地に行きたくないと言ったのはお兄様ですわ」


 モアが兄の頭を撫でながら、落ち着いた口調で言う。


「王族によって苦しめられている人達を救いたいとも仰いましたね。忘れてしまったんですか?」


「だけど……他にやり方が無かったのかなって」


「あったかもしれません。ですが……それを見つけ出すまでにお兄様は北国へ左遷され、多くの民が命を落としていました。ならば、この結果は不可抗力というものでしょう」


「それは……そうなのかな?」


「はい、そうですとも」


「うい……」


 モアが兄の頭を抱きしめた。

 年齢よりもやや豊かな乳房で、愛おしそうにヴァンを抱擁する。


「優しいお兄様。これは仕方がない事だったのです」


 そう……仕方がないことだった。

 唯一、まともな王族であるメディナが国を立て直そうとしていた。

 しかし、それが成し遂げられるのには最短でも三年。場合によっては五年以上かかっただろう。

 それまでにどれほどの民が王族の圧政の犠牲になっていたかはわからない。

 国力が低下したタイミングを見計らい、隣国が攻めてくる可能性もあった。


 ヴァンが成し遂げたのは、そんな問題の大部分を片付けるものである。

 一気に、可能な限り被害が少ない形でクーデターを成し遂げたのだから。


(本当に仕方がないお兄様ですわ……あんな女の言葉で揺らぐだなんて)


 兄の頭をギュウギュウ抱きながら、モアはペロリと舌で唇を舐めた。


(本当に優しい。強いのに優しくて弱い……だからこそ、王に相応しい)


 モアは気弱な兄を下に見てはいない。

 むしろ、そういう人間だからこそ人の上に立つべきだと信じていた。


(お兄様が王になれば、きっと最高に強くて優しくて豊かな国ができる。私はそれを見てみたい……)


 ヴァンは最強の騎士。類まれな軍才の持ち主だ。

 それなのに自分に自信が無く、心が弱くて強い。

 人が傷つくのを目にして自分も傷つき、それでも誰かを守るために剣を振ることができる。

 そんな人だからこそ、モアはヴァンのことが大好きなのだ。

 反乱軍を組織して兄をリーダーに祭り上げ、暴政を行っていた王族を打倒させた。

 元々、圧倒的な強さを持ちながら、偉ぶらないヴァンを慕っている人間は多い。

 ヴァンがリーダーになるのを反対する人間はいなかった。


「お兄様は何も悪くありません。もしも自分を責めたくなったのなら、代わりに私を憎んでくださいな。反乱を起こすことを決めたのは私ですから」


「……それはダメだよ、モア」


「え?」


「俺が反乱軍のリーダーだ。城を攻め落とす指揮を執ったのは俺だ。それを誰かの責任になんてしない」


「…………!」


 ヴァンがモアの胸から顔を上げて、近距離から妹の目を見つめる。

 悲しそうに揺らいでいるのに真っすぐな瞳。

 モアが大好きな目だった。


「ましてや、妹ちゃんに責任を押しつけたりしない。悪いのは俺。地獄に落ちるのは俺一人だ」


「はうっ……!」


 兄の言葉にモアが身体をのけぞらせ、肌を真っ赤に紅潮させる。

 口端からは唾液が流れ落ちて、ベッドのシーツに小さなシミを作った。


「妹ちゃん?」


「し、失礼いたしました。お兄様が格好良過ぎて、ついつい濡れてしまいました」


「濡れる? どこが、何が?」


「いえ……お兄様は気にせずとも良いのです」


 モアはモジモジと両脚を擦りながら、恥ずかしそうにはにかんだ。


「明日にでも民衆の前で演説をしていただきます。スピーチの内容を考えておきましたので、覚えておいてくださいな」


「うん、わかった。いつも悪いね」


「私は戦いでは役に立ちませんから。これくらいのことはさせてくださいな」


 邪気の無い透明な笑みを浮かべるモアにヴァンは心から感謝した。

 しかし、そんなヴァンは妹の内心に気がついていない。

 スピーチの内容は婉曲的な言葉を使っていてわかりづらいが、要約すると「ヴァン・アーレングスが新たな王として君臨する」という内容になっていた。

 ヴァンがそれを理解できないことを良いことに、モアはなし崩し的に兄を玉座に座らせるつもりだった。


「それと、メディナ王女殿下の処遇ですが……」


「彼女は殺さない。絶対にだ」


 モアの言葉を途中で切って、ヴァンが断言した。


「王女殿下は俺達とは違うやり方だったけど、間違いなくこの国の民を救おうとしていた。あの人が殺されていい理由なんてない」


「……私もお兄様と同じ意見です。彼女は生まれ変わるこの国に必要な人間です」


 それはモアの本心だった。

 王族の生き残りがいれば、彼女を担ぎ出す人間も現れるだろう。

 後顧の憂いを断つために殺すべきという意見もあるが……モアは利用価値の方が大きいと考えていた。


(いくら愚かな王族とはいえ、血筋を重んじる人間はいます。王女殿下を無理やりにでも取り込んでしまえば、そういう連中も大人しくなるでしょう)


 メディナを盾にすることで、新政府に逆らう人間を減らすことができる。

 王族を憎んでいる民衆への生贄は国王と王妃、王太子の三人もいれば十分だ。


(今頃、彼らも石を投げつけられながら自らの愚かさを悟っていることでしょう……お兄様を冷遇していた罰です)


 反乱軍が王家を打倒したのはもちろん国民のためだが……それとはまったく別に、モアには個人的な私怨があった。


(平民の出身だからとお兄様を蔑んで危険な任務を押しつけ、手柄を奪ったりしたのです。彼らには十分に報いを受けてもらわないと)


 モアは内心で黒い笑みを浮かべる。

 結局、モアの行動原理の第一位は『兄』なのだ。


「メディナ王女殿下への対応はこちらで考えておきますわ。お兄様はこれまで通り……」


「うん、妹ちゃんの言うとおりにするよ」


「はい、よろしくお願いします」


 ヴァンとモアは抱き合いながら、朗らかに笑う。

 それは一刻を滅亡に追いやった首魁二人とは思えないほど、家族愛に満ちた光景だった。


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