第1章 ぶっ殺します

 真夜中、月明かりだけが照らす無人の古代円形闘技場の真ん中で、シンシア・クロス・ドロップエンドは待ちぼうけをくらっていた。


「――ぶっ殺す」


 彼女の怒りは頂点に達していた。


 伯爵令嬢、最終階位魔法習得者、S級ダンジョン制覇者と、超一流の肩書きを持つ彼女だが、残念ながらこれまであまたの侮辱を受け続けてきた。


 THE残念令嬢、ガリのやせっぽち、灰色キツネのお姫さま、役立たず最終階位魔法発動装置、鋼鉄の乙女アイアンメイデン、親の金でのS級ダンジョン制覇。


 屈辱的なあだ名の由来には心当たりがある。前半の外見に関しては、本人も諦めているが後半に関しては世間に大いにものを言いたかった。流言と異なる本人の努力がそのプライドだけでなく彼女の人格そのものを支えていたのだが、今晩の出来事で彼女の世間の評判は更に落ちたに違いなかった。


 月は約束の天頂に至ったが、決闘相手の姿は見えない。


 万が一、更にこの、一度は承諾された決闘相手に逃げられ、侮辱を重ねられたことが広まれば、彼女はもう伯爵家の敷地から出ることは叶わないだろう。それほどの恥辱だ。


 もう一度、彼女の中に渦巻くドロドロした感情を言葉にしそうになったが、伯爵令嬢にはふさわしくない言葉遣いである。彼女はこう言い直した。


「――ぶっ殺します」




時は6時間ほど遡る。




 この大陸最大の貿易港湾都市オンポリッジの社交界シーズンは季節の良い7月に始まる。


 雨期が終わり気温が上がっても、湿度が低いため、屋外庭園でのパーティーに適しているからだ。


 今晩行われるパーティはその中でも特に大規模なもので、オンポリッジの顔役である辺境伯の主催だ。会場も辺境伯がオンポリッジ郊外に持つ大きな狩猟館である。歴史的に価値がある狩猟館で、高位の貴族でもなかなか招かれることはなく、そこを会場としたパーティに招かれるのは名誉なことだった。


 しかしそれでもシンシアはパーティに行きたくない。


 魔道士シンシアとしてはともかく、年頃の伯爵令嬢シンシアとしては逃れることができない特別なイベントである。父の面子もある。そして彼女も18歳。社交界デビュー3年目で、そろそろ結婚相手が見つかることを非常に強く期待される時期になっていたから、余計である。


 狩猟館には貴族の子弟はもちろんのこと、魔道士を始めとする、貴族に準ずる階級である特殊技能習得者スペシャルも大勢招待されていた。パーティの規模が大きければ大きいほど、その参加者が著名であればあるほど、辺境伯の威信もより輝くというもので、シンシアがよく知る著名の独身者のスペシャルが多く参加していた。


 彼らの2つ名を挙げていくと切りがないので省略するが、彼女が結婚相手として相手にして貰うどころか、その多くは疑念のまなざしを向けてくれる対象だった。


 一方、貴族の子息の方も彼女を相手にすることはない。


 なにせ『灰色キツネのお姫さま』である。


 灰色の髪、赤い瞳といういかにも魔女の外見で、金髪碧眼が流行の昨今ではもうそれだけで疎まれる対象だが、その上、彼女は本物の灰色キツネのようにガリガリに痩せていた。


 飢饉の時代が長く続いたこともあり、美の基準は豊満グラマー寄りであり、下手をすると社交界シーズンによっては下ぶくれに二段腹がもてはやされるということもあるくらいで、シンシアの外見は真逆どころか女扱いされない域に差しかかっていた。


 いわゆる醜女ブスの部類としてカテゴライズされていたのである。


 怪しげな魔道士の上、醜女ブスでは彼女の手をとる男が現れるはずもない。


 だからパーティには来たくなかったのだ。


 今夜も彼女の耳には嘲笑の声が聞こえている。


「珍しい! あそこの壁の花は灰色キツネのお姫さまじゃないか」


「ああ、親の金で勇者候補パーティを雇ったっていう」


「あのしかめっ面じゃ社交辞令でも声かけられんわ」


「あれでは高級な逸品ものオートクチュールが泣きますわね」


「マイスター・ドルシアのイブニングドレスがかわいそうですわ」


 マイスター・ドルシアは大陸で1、2を争う著名なオートクチュールデザイナーである。オーダーが多すぎて、注文すらできないことで知られている。


 本当に父に申し訳なかった。


 不出来な娘で本当にすみません。


 できれば本当に壁の花になってしまいたい。


 シンシアは消えてしまいたい気持ちで一杯になりながら、会場の隅で1分を10分の思いで過ごすしかなかった。


 パーティはまだ始まったばかり。シンシアの受難はまだまだ続きそうだった。

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