第弐拾捌話 醜く、美しく、諦めず

 光芒一閃。世界を焼き尽くすかの如く輝く光の線が、中央正面に展開する混成機甲部隊の頭上を貫いた。


 光線は地平線の遥か奥まで一直線に伸び、明滅して消滅。数舜遅れて悍ましい灼熱の衝撃波が襲い掛かる。空間は歪み、昇華した瓦礫と鉄肉の霧に包まれて。


 そして、濃厚なピンク色に淀んだ一帯が、畳みかけるように赤く腫れあがった。


 音も無いままに大地が抉り取られ、円柱状にくり抜かれた破壊痕が延々と続く。周囲は焼け爛れ、真空となった空間には瓦礫と諸共に空気が轟音を立てて流れ込む。


 そこには敵も味方も消滅した、溶岩が沸々と沸く破壊痕だけが残っていた。


「すっご、何いまの」


 ルノレクスの頭上でエカテリーナは問う。


"我らが主が与えてくださった、破壊の力だ"


 ルノレクスは背中に一列に生える水晶をやや引っ込めて、煙幕が如き蒸気を放出する。水晶が仄かに朱く明滅し、徐々に光が溜まっていくのが見える。


 ルノレクスの三又に裂けた巨大な口からは黒い煙が延々と吐き捨てられていて、風に流されつつも地面へと流れ落ちている。


"どっちをやりたい?"

「少年の方!!」

"了解した。それでは、私は偽りの神共を喰らうとしよう"


 ミハイロフカまで僅かに五キロ地点。エカテリーナが飛び降りたのを確認して、ルノレクスは急上昇。黒き月光を遮り、ミハイロフカに展開する機甲部隊及び統合遊撃隊に対する直接攻撃を開始した。


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「な、なにが起きたんですの......?」


 焼ける痛みを堪えつつ、ノルトフォークはフラフラと立ち上がる。


 そして、目の前に広がる惨状に、流石に息を呑んだ。


「な、なんですの......これは......」


 ノルトフォークの眼前には、溶けた岩石が沸々と有害な白煙を上げる朱い川が形成されていた。川とは言っても、円筒状の破壊痕に沿っただけの幕のようなもの。その中心を、溶岩が下り流れていた。


 痛みも忘れて呆然と突っ立っていると、風が吹いた。ほんの些細な、いつもなら気にしないような弱い風。だが──。


「あつっ?!」


 素肌を少し風が撫でただけで、焼ける激痛が全身を貫く。ノルトフォークはすぐさま手袋とガスマスクを生成し、素肌の露出を無くす。


 ある程度はマシになって、巨大な破壊痕を睨んでいると、怪物の咆哮が彼方より轟いた。


「そういうこと......」


 ノルトフォークはガスマスクの下でニヤっと笑い、歯を食いしばる。あまりにも強く食いしばってしまったからか。ガリッと音がして、口の中に鉄の味が広がる。


「手間が省けますわ!!」


 持てるだけのエネルギーを全て解放。ノルトフォークはガトリングに機関砲。ミサイル、シールド、ロケット推進器をゴテゴテと身体中から生やす。


 ガスマスクを変形させヘッドマウントディスプレイHMDを装着。HUDが表示され、ゲーム的な視界へと移り変わる。


 黒い光の放射を遮って、ルノレクスが黒く染まる。


 広げれば三〇〇メートルにもなる翼を雄々しく、神々しく、悍ましく展開。嫌に人間染みた四本の腕を、まるで我こそが神だとでも言わんばかりに広げる。


 節々が朱く発光する尻尾をぶら下げ。背中の水晶が発する光で、輪郭が仄かに朱みがかる。


 天照大御神アマテラスを愚弄し、威光を遮る漆黒の影。黒き月夜の支配者ルノレクス


 偽物の神を討つ時だ。


「地獄の咆哮を吹き鳴らして差し上げますわ!!」


 ロケットエンジンに火を入れ、暴力的な加速を以てして飛翔。煙をもうもうと吐き連ねて、機甲部隊に襲い掛かるルノレクスの下へと向かった。


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 重戦車隊を殲滅し尽くして、次の獲物を求めていたルカは、強烈な殺気を感じて防御姿勢を取る。


「ありゃ、勘いいね!!」


 黒いもやに半身を包まれたエカテリーナの攻撃を容易く弾き、即座に距離を取る。


「エカテリーナっ!!」

「うわっ、なにいきなり大声出して怒鳴んないでよ」

「黙れ!!」


 仇を見つけて、ルカは激昂するままに燃え立つ鎖を投擲する。


 コイツが仇だ。両親を、罪の無い人々を何万も殺した大量殺人鬼だ。ここで、ここでコイツを殺さなければ。


「残念、それ効かない」

「なっ?!」


 エカテリーナは鎖をどす黒い左手で掴み、ルカを強引に引き寄せる。予想外の事態に姿勢を崩し、前のめりになるルカ。エカテリーナは身体を逸らし、鼻と鼻が触れそうなほどの近距離まで引き寄せる。


「まずいっぱ~つ!!」

「う゛っ?!」


 ルカはみぞおちを蹴り上げられ、胃液を吐き散らしながら吹き飛ばされてしまう。地面に転がり、腹を抱えてうずくまるルカに追撃を加えようと迫る。


 ゆっくりと、わざとらしいほどに遅い歩調で。


「早く立ちなよ~、じゃないとっ!!」


 振り上げられた足が、ルカの顔を嬲る。


「お顔がっ!!」


 一発。


「真っ赤にっ!!」


 更に一発。


「なっちゃうよっ!!」


 最後はおとぎ話に出てくる悪魔のような尻尾でルカを突き上げ、投げ飛ばす。


「くそっ、くそっくそっ!!」


 ルカは思考を脇に追いやり動く身体と情動に身を任せ、燃え立つ鎖を振るい投擲。怒りと怨嗟の籠った攻撃は単調であり、エカテリーナは口角を上げて攻撃を待ち受ける。


「はいキャッチ~!!」


 バキンッ、とエカテリーナは鎖を握り潰す。粉々に砕けた鎖の残骸がパラパラと落ちる。ルカはその光景を信じられず、目を見開き、何か言いたそうに口を開けるのみだ。


「......諦めたら? 少年?」

「な、なにを......諦める? なんで!!」

「だって今の君じゃ勝てないじゃん。私には」

「そんなこと!!」


 ルカはヤケクソ気味に猛進。燃える鎖を振り払い、拳で殴り掛かる。技術も何も無い、単なる暴力。エカテリーナは見事な身体捌きでルカの攻撃を受け流し、足を払って転倒させる。


「んー、優秀優秀。馴染むねぇ」


 黒くどよむ片手を振りながら、エカテリーナはルカを見下ろす。


「っ......なんなんだよ、それ......」

「気になる?」


 ふらふらと立ち上がるルカに対し、エカテリーナは首を掴み上げる。


 ギリギリと、凶悪な握力でルカの首を絞めつける。


「これは私。私だけのモノ。私だけの、特別だ!!」

「かッ......」


 首を絞めつける力を一瞬強め、エカテリーナはその辺の瓦礫にルカを投げつける。粉塵が舞い上がり視界が霞む。


 のしかかる瓦礫を退けると、何かハッチのようなものが見えてルカは動きを止める。少し古い見てくれだが、恐らくは核シェルターか何かのような。ともかく、中々に頑丈そうな扉だ。


 埃を被ったハッチに手を触れると、何故か人の気配を感じた。ルカは目を丸くした。自分の直感を信じていいのか大いに迷う。異生物群グレート・ワンに食い尽くされたと思っていたのに、どうしてか生き残っている。


 その事実に、どす黒い感情の波が少し引いていくような感覚に陥ってしまう。何故だろうか。この黒い感情を、失ってはならぬと無性に思ってしまうのは。


「どうかした? 何か見つけたの?」

「......何も」


 歌うように迫るエカテリーナに、ルカは毅然とした態度で返した。だが、エカテリーナは笑みを深め、瞬く間も与えずに距離を詰める。


「嘘は良くないねぇ......」

「なっ?!」


 ルカは咄嗟に鎖を殴りつけるも、鎖が切り伏せるより前に黒染めの尻尾に叩かれ、吹き飛ばされてしまう。吐き出した唾液に血が混じり、鉄の臭いが口いっぱいに広がる。


「さてさてさて。中身はなんだろな~」

「やめっ──」

「あんましつこいと嫌われるぞぉ?」


 エカテリーナは分厚いシェルターハッチを掴み、引き千切り。鉄骨とコンクリートの塊をルカに投げ付ける。


 大質量の衝突エネルギーが肋骨をバキッとへし折って、突き出た鉄骨が内腑の奥深くまで突き刺さる。衝突の勢いそのままに後方へと弾き飛ばされ、僅かに残っていた建物の壁にぶつかり押し潰される。


 痛みを振り切ってハッチを退かそうとするも、身体を動かす度にグチュグチュと気味の悪い音がルカの身体から発せられ、鈍く鋭い激痛が総身に走る。


「あら、こりゃまた珍しいモノが!!」


 嬉しそうに笑みを浮かべ、エカテリーナはハッチのあった場所から子供一人、大人二人を引きずり出した。大人は男女で、子供と女性の顔が似ているのを見るに夫婦だろうか。


 朱く染まっているお腹を抑えつつ、男が安堵の表情を浮かべて顔を上げる。そして、エカテリーナの風貌を見て直ぐに絶望色に染まった。


「あ、あれ......助け──」

「残念」


 エカテリーナは少しつまらなそうに告げて、男の頭を鷲掴みにする。


「あぐっ?! な、なにを......」

「何って、救済だよ」


 にっと笑みを見せて、男の肩に足を置いて蹴る。同時に鷲掴みにした頭を引っ張って、胴と頭が引き千切られる。ズルっと背骨ごと引っこ抜かれて、そこらへんに投げ捨てられ。


 少しバウンドして、間抜けな表情を見せたままの、血の気の無い頭がルカを見つめる。


 ルカはただ茫然と、その骸と目を合わせたまま動けなかった。


「ぃ、いや!! そんな?! なんで?! なんでこんなことを?!」


 残された女性が、涙ながらに悲鳴を上げた。まだ一〇になっても居ないだろう幼子を抱きかかえ、恐怖に満ちた瞳でエカテリーナを見上げている。


「さんざん奪っておいてなんでって? どうせ話しても人モドキには分からないよ!!」

「ぁぐっ?!」


 女性の頬を掴み、爪を立てる。血がたらたらと垂れて、涙と混ざる。


「貴様らは私から全部奪っていったんだよ?! 分かる?! 分かるわけないだろなぁ?!」

「なにを──っ?! いだっ?! いゃ、痛い!! 痛い痛い痛い!!」


 深々と爪が食い込んでいき、女性の声も曇ってくる。エカテリーナは目をギラギラを輝かせ、目の前の害悪を殺すのに夢中になっている。


 心底嬉しそうに口角を吊り上げ、身体を覆う黒いモヤが激しくうごめく。


「苦しい痛い怖い?! 私はもっと痛くて怖くて苦しかった!!」


 エカテリーナは立てた爪を引き抜く。鮮血が飛び散り、抱きかかえる子供の顔を汚す。


「ママ? だいじょう......ぶ......?」

「だ、大丈夫だよ~」


 血がぼたぼたと垂れ、激痛が口を動かすのを拒み。空気が空いた穴を往復する。それでも、我が子の為にと冷や汗を垂れ流し、痛みを堪え。血塗れで不格好な笑顔を見せて頭を撫でる。


 その様子を、エカテリーナはただただ眺めていた。顔は凍てつき、鋭い瞳には悍ましい憎悪と殺気が漂っている。


「............私の両親は私の為に笑ってくれなかった。私の為に泣いてなどくれなかった。なのにお前は......人モドキの癖して。なんで? 何が違うの?」


 乾いた瞳で、ブツブツと呟くエカテリーナ。


「親なんて。人間なんて。世界なんて。何もかも必要ないくせに!!」


 耳を切り裂くような絶叫が響く。女性は身を縮め、我が子を力強く抱いてエカテリーナに背を向ける。


 だが、そんな親と子の絆を体現したような様を見せつけられ、エカテリーナは瞳をキツく吊り上げる。愛への渇望を微塵も隠す気も無く、憎しみと悔しさの混じった表情で蹴り付ける。


 人ならざる威力の蹴りを受け、女性は抱きかかえた子供ごと廃屋の壁に打ち付けられる。


「クソっ!! なんなのよほんとに!! なんでこんな気分に!! クソクソクソ!!」


 エカテリーナは子供の形をした肉塊を引きずり出し、自身の纏うモヤで肉塊を包み込む。肉塊はブクブクと膨らみ、ある形を成していく。


 少しして、子供だったものは異生物群グレート・ワンの一種。鋼蟲種マンティスへと変貌した。


「はぁ......まぁ、いいや。全部ぶっ殺せば終わるんだし。終われるんだ。それまで、我慢しなきゃ............」


 溜息を付き続けるエカテリーナをよそに、鋼蟲種マンティスはよろめきながら手頃な目標たるルカへと向かう。


 ルカは未だ鉄骨とコンクリートの塊に押し潰されたまま、痛みを耐えるのに精いっぱいになっていた。汗は絶え間なく流れ、血も延々と固まることなく噴き出している。


 さっきまで弱気な表情だったエカテリーナは、ニマっとルカに笑顔を向ける。


「それ、素体は人間の子供でね。そのせいで動きはとろいし量産にも向かない。だけど、屋内に配置したり、君みたいなお人好しを仕留めるにはピッタリだと思うんだけど。どうかな?」


 ルカは血の気の薄い双眸で睨み付ける。抗議の声を出す気ももはや起きず、出来ることと言えば痛みに耐えることのみ。


 あまりにも、あまりにも惨めで、無様だ。


 感情に、憎悪に従った末路だ。エカテリーナと同じように堕ちた者の。憎悪に呑まれた者の最期。


 だが、納得など出来ない。敵はあまりにも卑怯で卑劣で下劣だ。例え姿形が化け物であろうと、元が子供と言われてはルカは手を出すのを躊躇わざる負えない。


 奥歯を噛み締め、ルカは静かに怒る。


 不甲斐なく、優柔不断。憎悪に呑まれる貧弱な理性に、仇討ちすら出来ぬ非力。守りたかったモノは消え去り、今もまた守れず。恩義を報うこともできない。


 こんな死に様、こんな最期、こんな、半端な所で。


 それでも──否、だからこそ、諦めるなんてことは出来なかった。


 失ったのならどうしようもない。やってしまったのなら次に生かせばいい。守れなかったなら、今度こそ守って見せてやる。


 だから、諦めない。軍服に掲げる、首を吊ったカラスのように、自ら首を絞める真似はしない。それこそ、全ての死に対する冒涜。


 カラスとは神の御使い、太陽の象徴。神よりのお告げを告げる神託の鳥。なればこそ、死に征く人々に。英霊達に、遍く星の命へとお告げを、しるべを示さなければならない。


 あるカラスは枷を付けられ飛び立てず。


 あるカラスは首を吊る未来を予言された。


 希望無き世界と、滅びの道を歩む人々。それが、二匹の鎖鴉に与えられた意味であった。


 鎖鴉は死に、希望の火が潰える。絶望の炎天が降る大地に、もう希望が芽吹くことは無い。く約束された未来、定められた破滅の年のある日のこと。


 勝利の女神が微笑んだ。

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