第三章 我らの灯台

第拾玖話 双頭の猟犬

 次の日、ロシアは国際会議において限りなく強い言葉による批判の集中砲火を浴びた。ロシア戦線全域に対する無差別核攻撃の事後承認を行った大統領は弁解の余地も無く、その様はさながら言葉によるリンチであった。


 また、無差別核攻撃が断行されたのは、ロシアが核兵器使用による異生物群グレート・ワンの突然変異の可能性に関するレポートを提出した直後。ある国からは、これ以降、各戦線で敗北が相次いだ場合、それは全てロシアの責任だ。とまで言われる始末だった。


 ロシアの大統領は責任を取って辞任しようにも、もはや他に適任はおらず。大統領としての職務を継続することに対して、世界中からまたもや非難の声が上がった。


 それでもロシアがユーラシア大陸における最前線かつ、アジア各国にとっての緩衝地帯であることに変わりはなく、レンドリースと食糧援助は更に数を増して続けられている。


 また無差別核攻撃を実行した参謀はモスクワの参謀本部で既に死亡が確認されていたものの、処罰しないというのも対外的な印象が悪いとされ、本人不在の中死刑宣告が下された。


 そうして残った次なる課題。


「さてはて、モスクワに居座るルノレクスと、エカテリーナをどう撃滅すべきか......」


 正直言ってしまえば、この両者の撃滅に拘る必要はない。むしろ、反攻作戦となることが予想される以上、無視して防衛戦に徹するべきだ。しかし、サーリヤ曰くルノレクスだけは撃破しなければ、人類は負けるという。


 どういう理屈なのかは説明してくれなかったが、先日世界中に轟いた絶叫と関係があるらしい。そのことを主要各国に伝達するも、信頼を失ったロシア政府では相手にはしてもらえなかった。


 結局、サーリヤが直接国際社会に対して危機的状況であると布告。この異例とも言えるやり方のおかげで、なんとか全面的な支援を行うという言葉を引きずり出せた。


 サーリヤ達のような特殊戦術兵器群STAGは人類の希望であり、唯一無二の異生物群グレート・ワンに対する対抗手段。それが危機的状況で、協力しなければ人類の防衛という役目を放棄するとまで言ったのだ。協力せざる負えないだろう。


 しかしながら支援を貰えると言えど、ルノレクスの撃破は無謀も良い所だ。


 サーリヤから伝えられたタイムリミットは残り二ヵ月程度。モスクワまで最も近いウリヤノフスク要塞からでも直線距離七〇〇キロ。気温も下がり、ポツポツと雪も降り始めて地面はぬかるんできている。インフラもあまり整ってはいない。反攻作戦を仕掛ける時期としては最悪だ。


 予備兵力無し、生産能力無し、装甲兵力皆無。肉壁にも使えぬ民兵師団。指揮系統もボロボロ。先の無差別核攻撃で、モスクワと元最前線周辺は放射能で汚染されつくしている。


「どうしろってんだよ......」


 何もかもが足りないというのに、反攻作戦をしなければならない。そんなふざけた状況に、頭を抱えられずにはいられない。


 ため息をついて、山を成している報告書に目を通していると、突然電話がかかってきた。


「誰か?」

『ジャガーノートちゃんはいらっしゃいますの?』

「......誰だ。所属と官姓名を名乗れ」


 電話に出て見れば、全く聞き覚えの無い声に、やたらと古風な話し方をする女だった。こんな人間は知らぬと、お前は誰だと口を鋭くして問うた。


『はぁ......仕方ありませんわね』


 何様なんだと、セルゲイは目を眇める。


『謹んでお聞きしなさい!! わたくしはアメリカ合衆国陸軍、特殊戦術兵器群STAG[第二遊撃隊ヴェーダ聖典]所属、ノルトフォーク・デューク=ドレッドノート。コールサイン[ブラフマー]ですわ!! 聞いたこと無いなどとは仰りませんわよね!!』


 ブラフマー、聞いたことのある名だ。電話越しの女が言う通り、アメリカ合衆国陸軍に属する特殊戦術兵器群STAG。サーリヤとは違った能力を持つ人類の救世主の一人である。


「......大統領はどうした?」

『大統領? どちらのですの?』

「アメリカのに決まってるだろ!!」


 ついついセルゲイは怒鳴ってしまう。人類の保有する特殊戦術兵器群STAGは全部で三つ存在するが、そのどれもこれもが国家間のパワーバランスを揺るがす戦略兵器以上の力を持っている。


 通常、彼女達から国外への通信は大統領や大使館を通して行われる。サーリヤのように直接の布告がある場合も、事前に国際連合に通達し、国際会議の議場での布告が絶対だ。


 だというのにこの女は......。


『アメリカの大統領は仕事が遅いですもの。というか、そんなお遊びに付き合ってあげられる程の余裕が貴方たちにおありで?』

「............」


 セルゲイは黙るこくる。ロシア政府が半ば崩壊状態になってからというもの、米中のスパイは情報を抜き放題見放題。どうせこの会話も盗聴されている。明日にはロシアの国際社会への従属を強めるための手段の一つとして、議題に上がるのだろう。


 だったらと、セルゲイは口を開く。


「そうだ、無い。で、要件はなんだ?」

『話が速くて助かりますわ。それで、要件なのですけれど──』


 ──二日後、ヴォルゴグラード空軍基地──


 四機のF-15イーグルを連れた輸送機が滑走路へと着陸する。輸送機はC-17軍用長距離輸送機という大層な代物だ。


 巨大なランディングギアを下ろし、豪快なエンジン音を響かせながらタッチダウン。管制塔の指示に従い、ロシア政府高官に加えて正装に身を包んだルカ達の下へと接近する。


 空は黒く、昼間だというのに薄暗く、分厚い正装越しに冷たい風が吹き付ける。


 ルカの真横にはサーリヤに、ロシア現大統領と政府高官らが立ち並んでいる。ルカは緊張で身を固め、余裕ありげなサーリヤとは裏腹に背筋を伸ばして冷や汗を流す。


 そして、輸送機のドアが開かれる。一人二人と兵士が出て来て、ドアの横で背筋を張って立ち尽くす。本命と言わんばかりに、一人の女性が現れる。


 その女性は耳当ての付いた真っ白なウシャンカを被っており、帽子の真ん中には双頭の鷲が象られている。一部に毛皮のあしらわれた分厚いコートを、袖は通さずマントのように羽織っていて、さながら悪の幹部染みた着こなしだ。


 コートの下は修道服だか軍服だかを足して二で割ったような、中途半端な衣装だ。足音を鳴らすは軍靴ではなく、中世の狩人を思わせる長く茶色いブーツ。白を主として、金色と赤色の装飾が施された装い。全身真っ白の衣装だからか、燃えるように赤い長髪が目立つ。


 白、赤、金。高潔、勇気、気品。いつかの大貴族か大司教かの如く偉容だった。彼女の第一声を聞くまでは。


「久しぶりですわ!! ジャガーノートちゃん!!」


 大司教染みた女はサーリヤを目にするや否やそう叫んだ。そして、靴底から何やら火を吹いたと思えば高く跳び上がる。ベルトで絞められ、足先に向けて広がるスカートのような上着の一部が優雅に舞う。


 一瞬炎を強く吹かし、微動だにしないサーリヤの目の前へと降り立つ。


「久しぶりね!! 敬礼は無しかしら?!」


 ただただ無言で見上げるサーリヤに、彼女は声をデカくして威圧するように言う。サーリヤは締まりのない動きで敬礼し、地面を蹴って軍靴をカッと鳴らす。


「締まりのない動きですわね!! そんなんじゃ凱旋パレードの時に笑いものになりましてよ?!」

「うるさい」


 サーリヤは嫌そうでも無くそう呟いて、ルカに瞳を向ける。女は視線を追い、傍目で様子を伺っていたルカと目を合わせた。


「そう、貴方がジャガーノートちゃんの眷属というわけですのね!!」


 即座に視線を逸らすルカのことなど鑑みず、女は目を輝かせたままルカへと接近する。冷や汗を流し、身体を硬直させるルカを見下ろし、女はルカの肩を掴んで目線を合わせる。


 この女にとっても、ルカは子供扱いが分相応らしい。


「ロシア人は背が高いと聞いておりましたけど、意外とちっこいのですね!!」


 さらりと一言多いことを言う。


 この女の自由奔放な振る舞いに、事態を静観していたセルゲイが流石にと仲裁に入る。


「ノルトフォーク嬢、失礼ながらそこまでにしていただけるとありがたい」

「あら、これは失礼致しましたわ閣下」


 一切たりとも申し訳ないなど思っていなさそうな笑顔で女は頭を下げる。頭を上げ、佇まいを正すとすかさずロシアの政府高官が話しかけて、ロシア大統領らと共に黒塗りの車列へと歩いていく。


 最後にルカの方へと振り返り手を振って、黒塗りの御料車へと乗り込んで黒い車列は消えていった。


 そうして残された第一遊撃隊グレイプニールの僅か四名と、F-15やらのパイロット達。ルカは長く長く、緊張を吐き出すようにため息を付いて張った背筋をだらしなく曲げる。


「緊張したな」


 セルゲイがルカの肩に手を置く。セルゲイは苦笑いを浮かべており、冷や汗の一つも無い。参謀なだけあって、こういう空気には慣れているのだろう。


「えぇ、まぁ......というか、さっきの女の人って誰なんです?」

「アレか。アレはな、サーリヤと同種のモンだと思っとけばいい。ちと性質は違うがな」

「......適当過ぎませんか?」


 少し悪意を孕んだ雑な紹介。それを見かねて、イヴァンナが口を開く。


「アメリカ合衆国陸軍、特殊戦術兵器群STAG[第二遊撃隊ヴェーダ聖典]所属。姓はデューク=ドレッドノート、名はノルトフォーク。コールサイン[ブラフマー]。あだ名は双頭の猟犬オルトロス

「意外と詳しいのだな、イヴァンナ中尉」

「国際新聞を読んでいれば嫌でも目に入る」


 瞳の奥に疑いの光を灯すセルゲイに、イヴァンナはどこから引っ張り出したのか。UNICのロゴが描かれた国際新聞を見せつける。


「なるほどな。やはりアレは人気なのか」

「世界中にファンが居るらしい。特に日本は多いと聞く。まぁ、こんな戦時でも呑気にアニメだの漫画だのを作り続けてる日本じゃ、ああいうのはウケるんだろうな」


 セルゲイの目の前から新聞をけて、イヴァンナはルカに新聞を渡す。突然新聞を渡され、戸惑いつつも受け取る。


「毎日特集組んであるから、気になるなら見つけて読んでみろ」

「はぁ......」


 そうして今日は敵の襲撃も無く一日が終わった。一日が終わったとは言うものの、空は四六時中真っ黒で頼りになるのは、デジタル時計の数字だけだ。


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「レッドバロンにサン・トロンの幽霊を撃墜だと? ふざけてるのかね、ゲロルト大佐」

「こんな状況でふざけるほど狂ってねぇ。それは事実だ。俺がこの目で見た。他の奴らもだ」


 ゲロルトは心底真面目な顔で返す。執務机で、傍から見ればデタラメな報告書に目を通しているのは基地司令のノーランド。老いを感じさせぬ鋭い緑色の双眸に、赤みがかった茶髪で、突き出た腹をロシア製の空軍制服が締め付けている。


 今や見ぬ王立空軍の軍帽。栄華を誇るが如く、軍制服に並ぶ王立空軍の勲章達。


 あの地獄のロンドンからよくもまぁ生き残ったものだ。


「............私は君を精神病棟に送るべきなのか?」

「そんなことしたらこの基地を爆撃してやる」

「......冗談だ」


 その後もたっぷり時間を掛けて報告書を読み、頭を抱えてノーランドは再び口を開く。


「分かった。受け入れがたいが、君の目を信じよう」

「そうこなくっちゃな」

「で、残りの三機。Ju87G-2、Bf109G-6、La-5は逃したのだな?」

「そうだ」


 突然化け物の断末魔が聞こえたかと思えば、残りの三機は尻尾を撒いて逃げ出したのだ。追撃しようにも、猛る暴風と稲妻を走らせる黒雲の中へと逃げ込まれ、司令部からの撤退命令もあり出来なかった。


 今度こそは墜としてやると逃げ帰ってきたんだ。精神病棟なんかにぶち込まれてはたまったもんじゃない。


「分かった。戻っていい」

「了解」


 軽く敬礼を交わし、ゲロルトは執務室を後にする。どうにかこうにか、ウリヤノフスク要塞近郊の空軍基地へと帰ってくることはできた。兵舎の窓から見る空は真っ暗で、降り始めの細かく小さい雪が良く見える。


 シベリアの凍てつく風が、ガタつく窓の隙間を縫って頬をなぞる。


「さっむ......ったく、これで冬じゃないとかふざけてるぜ......」


 雪を被る格納庫。その中にひっそりと、寂しげに佇むトーネード達。シャッターがゆっくり降りていく。


「次はどこの空を飛ぶと思うよ、相棒トーネード


 窓越しに、少し遠くに眺めて、少しだけ詩的に呟いた。

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