第拾漆話 再臨の日

「クソッ、振り切れねぇ!!」

『複葉機の癖してなんでジェット機に追い付けるのよ!?』

『ダメだ、全く機関砲が当たらないっ』


 繊細にして大胆な英霊達の機動に、エース達は逃げるだけで精一杯だ。残弾の心配など要らないのか、英霊達を象った化け物共は敵機を照準に捉えた瞬間弾幕を張ってくる。


 鈍麻なトーネード一二機に対し、敵はかつての英霊達。重戦闘機たるBf110G-4であっても、現代のジェット戦闘機よりかは旋回性能において秀でている。英霊に扮した化け物共は、英霊の姿に恥じぬ技量まで有している。


 どちらが勝つか。それは明白だ。


 なれども、エース達は意地で英霊達に喰らいつく。機体の性能を限界まで引き出して、悲鳴を上げる翼に耐えろと念じ祈って。被弾を重ね、黒煙を吹き、満身創痍の最中で気分は高揚していく。


 一撃必殺の三七ミリ対戦車砲が機体を掠め、七ミリ機関銃の弾幕がそこかしこに飛び交う乱戦。凶悪なGに全身を侵され、血は足へ頭へと縦横無尽に流れる。目眩のする瞳をかっぴらき、ふわふわと、今にも途切れそうな意識の中でグリフィンは思考を巡らせる。


 そして、ふと一つの方法を思い付く。


「キャンディ!! てめェのケツに付いてるのはレッドバロンか?!」

『そうっ、だけど!! なに、何かいい案でも思い付いた?!』

「いいか、俺が合図したらフレアを全部、一気に放出しろ!!」

『フレアを......了解。グリフィンに命預けたからね!!』


 殺したらただじゃおかないから、などとキャンディは吐き捨てる。


 グリフィンはBf109G-6の射撃を巧みに避けていく。グリフィンのケツを追い掛けるBf109G-6の更に後ろ。二機のトーネードが二七ミリ機関砲を撃ち放す。その度にグリフィン機の上下左右を流れ弾が飛んでいく。


 綱渡りのドッグファイト中に、グリフィンはじっくりとキャンディとレッドバロンの動きを観察。レッドバロンの機動の癖を見出して、そろそろとキャンディに合図を送る。


「キャンディ、フレア!!」

『フレア!!』


 宙返りをするキャンディ機が、丁度天辺に達したところで濃密なフレアの弾幕がレッドバロンに降りかかる。キャンディのケツにピッタリとくっ付いていたレッドバロン──フォッカーDr.Iは避け切れず、フレアの弾幕の中に突っ込んでいく。


 そして、案の定フォッカーDr.Iは盛大に燃え上がった。


 第一次大戦当時の複葉機は胴体はともかく、翼は帆布張り。よく燃えている。


「っしゃあ!! 盛大に燃えてやがるぜ!!」

『......まさか成功するなんてね』


 フォッカーDr.Iはそのまま、火の玉となって地上へと墜落。その様子に動揺でもしたのか、トーネードのケツを追いかけていた四機の英霊達は急上昇。高度を取り、黒い薔薇のBf109G-6を先頭に編隊を組み直している。


 奴らは意外と人間らしいところを持っているようだ。


「化け物共もビビっちまったみたいだぜ」

『でも高度はかなり取られてる。どうするの?』

『逃げ切ろうにも、たぶん追い付いてくるよね』


 これからどうするかは知らないが、ともあれチャンスだ。トーネードも編隊を組み直し、英霊達から距離を稼ぎつつ高度を取る。ジャミングも薄れてきたのか、レーダーも回復しつつある。


「どうするかなんて決まってるだろ。あいつらが混乱してるうちにケリを付けるぞ」

『相変わらず血の気が多いわね』

『ま、機関砲じゃやりづらい複葉機も居なくなった。僕としても楽になるね』

「よし、お前ら!! 仕返しペイバックタイムだ!!」

『『了解ウィルコ!!』』


 さっきまで逃げ回っているだけだった割には、どいつもこいつも乗り気だ。全く、都合の良い脳みそしてやがる。俺も、こいつらも。


 <<>>


「奪う番って......それに僕らが奪ったって、エカテリーナさんは避難民だったんですか?!」


 ルカはエカテリーナの言葉の真意を理解しかねて、困惑の表情を滲ませる。エカテリーナは避難民なのだろうか。そうだとしても、奪われたとは具体的に何を。ルカの頭の中は疑問で一杯だった。


「そんなのと一緒にしないでよ。私は純正ロシア人。あんな役立たずのゴミクズ共と、私みたいな天才を一緒くたに語らないで!!」


 ヘラヘラと笑いながらエカテリーナは言う。


「お前らが奪ったんだ!! 忘れもしない!!」


 エカテリーナはルカに対して奪ったんだと叫ぶだけで、ルカは全貌が見えずただただ困惑を深めていく。


「う、奪ったって、いったい何を......」

「忘れたなんて言わせない!!」


 エカテリーナはずかずかとルカに近付いて、手を伸ばし首を掴む。


「な......何を......」

「知らないでしょ、首を絞められた時の息苦しさなんて!!」


 一瞬力強く締められ、ルカは声が出なくなる。暫く締め上げられて、ルカはルノレクスの背に叩き付けられる。エカテリーナは馬乗りに、手を振り上げ、一瞬躊躇って手の平をルカの頬に向けて叩き付ける。


 エカテリーナの行動に理解が及ばず、かといってエカテリーナという一人の人間を傷付けたくは無く、ルカは成されるがままになる。


 エカテリーナはルカの首根っこを掴み睨む。


「知らないだろ!! 理不尽に怒られ、こうやって殴られる痛みも!!」

「何を言って──」

「口答えするな!! お前は黙って殴られてればいいんだよ!!」


 エカテリーナの言葉ではないと、ルカはどうしてか思った。


「お前は幸せだよな!! 上手い飯が食えて、マトモな家族が居て、マトモな家族をマトモに愛することが出来てっ!!」


 泣き叫ぶように、エカテリーナはただただ吐き出していく。


「私がお前が心底憎い!! 幸せそうな面して、マトモで優しそうな家族と暮らしてっ!! なんで私も同じじゃないんだよ!! 私とお前、何が違う!! 私の何がおかしい?! 何が間違ってる?!」


 次第に涙を零すエカテリーナに、ルカはつい同情してしまう。何があったかは分からない。だが、間違いなく何かがあったのだろうと、そう思わずにはいられない。


 そして、同情は顔に出てしまうものだ。


「今更同情か?! 今更、散々奪って滅茶苦茶にしておいて今更か?!」


 エカテリーナはルカの首根っこを掴んだまま後ろに投げ飛ばす。


「うぐっ......」


 ルカは何とかルノレクスの背から落ちぬようにと受け身を取る。投げ飛ばしたエカテリーナの力は異常に強かった。まさか──。


「殺す!! 殺してやる!! お前を、アイツを、人間を、世界を!!」


 エカテリーナの背中から、真っ黒で不定形の翼が現れる。身体の半分を黒いもやのような何かが包んでいて、さながら悪魔のようだ。


「ぶっ壊して奪って殺して殺して殺して──」


 エカテリーナの瞳は焦点を失い、グラグラと歪んだ狂気に呑まれていく。


「はっ、ハッはハハははははは!!」


 大声で嬉しそうな笑い声を上げる。


「殺せ!! 奴らを、黒い炎で!! ねじ切って、切り裂いて、バラバラにして!!」


 爪は鋭く、口からは牙を剥き出しに。右目の強膜は黒く染まり、瞳孔は朱く、朱く染まる。半身を黒い何かに蝕まれ、腰からは尾が伸びている。その半身は悪魔と化して、エカテリーナは荒々しく天に向けて叫ぶ。


「ニンゲンも、地球モ、スベて全テ殺し壊シて。それかラソれカら、私モ死んでハッピーエンドだ!!」


 狂気、怨嗟、憎悪、怒り、復讐。歪みに歪んで、狂いに狂って壊れた人間を目の当たりにして、ルカは言葉を失い、ただただ驚愕と恐怖の混ざった瞳でエカテリーナを見つめる。


 この憎悪の化身を、人類を破滅へと導こうとする一人の人間を、ルカは止めなければならない。だが、ルカは動けなかった。もはやエカテリーナはあらゆる言葉を受け入れようとしないだろう。最後に残された手段は、エカテリーナを殺すこと。


 そんなことは、出来ない。


 彼らも被害者。イヴァンナの言っていた言葉を思い出す。エカテリーナも被害者だ。ただただ不幸なだけだった人間だ。けれど、殺さなければならない。


「どうして......なんで、そこまで......」


 拙く言葉が零れる。


「救済ダ。幸せモ不幸も無けレばもう苦しマない。これハ、皆を楽ニするタめノ救済なんダ!!」

「そんなのって......」


 目の前の狂気に気圧され、ルカは一歩後退る。


 エカテリーナは長く息を吐きながら顔を正面に下ろす。双眸が嬉しそうに釣り上がり、笑顔に歪んだ口からはおぞましい牙が見える。


 何をそんなに喜んでいるのかと、ルカは後ろへと振り返る。


 その目に映るはクレムリンの赤い星に、赤いレンガの壁。立ち並ぶ住居と、赤の広場に群を成すバラック。


「虐殺だ!!」


 慌てるルカを差し置いて、ルノレクスはモスクワ市内へと突入。朱い炎が街を焼き焦がし、無数の悲鳴が上がっては途絶えていく。クレムリン宮殿まで、数万人の命を焼き払い飛翔。赤い星を掲げる塔を蹴り倒し、ルノレクスは雄々おおしく翼を広げる。


 クレムリン宮殿を踏みつけて、広げた翼から朱い鱗粉が周囲に舞い落ちる。鱗粉は赤の広場全体に降り注ぎ、次々と真っ赤な炎が湧き上がる。


 ルカは地上へと振り落とされ、燃えるモスクワを目の当たりにした。


 喉を焼く熱風。揺らめく炎。揺蕩たゆたう陽炎。


 肉の焼ける良い匂いが鼻を突く。パチパチと、炭火の音がする。


 朱い鱗粉に触れて、火だるまになった大人がその場で激しくのた打ち回っている。手足をジタバタと振り回し、何度も何度も寝返りを打つように転がって動かなくなった。


 赤ん坊らしき白布を抱えた女性が、藁に火を付けたみたいに轟々と燃えている。噴水に頭を突っ込んだまま、子供が燃えている。バラックはいとも容易く燃え上がり、火が伝播でんぱして、赤い壁を焼き溶かす。


 いくつもの車が炎に包まれて爆発している。可愛らしい人形を手にしたまま、子供が泣き喚いている。そして、鱗粉に触れて燃え上がる。一瞬で炎に包まれて、バタっと受け身も取らず、地面に全身を叩き付けてべちゃっと音がした。


 真っ赤な炎に溶かされて、ゆっくりと潰れるように地面に溶けていく。後には黒い影だけが、クッキリと残っていた。


 モスクワはもはや都市と呼ぶには烏滸おこがましく、血のように真っ赤な炎と煙がもうもうと立ち込め、一寸先も見えない。大火に包まれたモスクワは、さながら炎に照らし出された巨大な炉のようであった。


「ぁぁ......」


 情けない声を出して、ルカは膝から崩れ落ちる。


 あの時、軍隊に志願しようと決意した日に訪れた商店も、盛大に燃え上がっている。黒い人型の影を、赤い壁に焼き付けて。


 そして、ふと思い至る。モスクワには、祖父母が居る。しかも、赤の広場のすぐ近くの住居地域に住んでいる。


「ま、まさか?!」


 ルカは急いで家へと向かう。祖父母が帰りを待つ、懐かしい家へと。


 炎の森を駆け抜け、舞い落ちる鱗粉を避けて走る。無数に火柱を上げる人間達を横目に、人型の炭に足を取られながら。


 そして、案の定目にしたのは燃え尽きて灰となった自分の家だった。


「素晴らしい!!」


 憎たらしい声が空から聞こえてくる。空を見上げれば、半身を黒く染めた人ならざるエカテリーナが居た。


「これで君も親という呪縛から解放されたんだ!!」


 エカテリーナは灰となったルカの家を掘り返し、黒い人型の何かを引きずり出す。二つ、顔も何も分からないが、どうしてか祖父母だと分かる。


「これは正当な報復だ!! 私は幸せも普通も奪われた!!」


 狂った瞳のままエカテリーナは大きく叫ぶ。


「だから君も、これで同じだ!! 私と同じように、奪われた!!」


 エカテリーナは大声で笑い声を上げる。大いに嗤い、黒くておおきな人形をルカに投げ付ける。


 目の前の光景に考えが及びつかないルカでも、咄嗟に受け止めようとする。けれど、おおきな人形はルカの身体に当たった瞬間砕け散った。砂の弾ける音がして、ボロボロと崩れ、塵となって、熱風に容易く飛ばされていく。


 ルカの瞳は大きく見開かれ、不思議にも涙は出なかった。ただ、ただ、何が起きたかを分かりかねているように、迷子の子供のようにその場に立ち尽くす。


 守りたかった。でも、守れなかった。どうして守れなかったのだろう、と自分に問わずにはいられなかった。誰よりも強い力を持っているのに。どれだけ死にかけても死ねない身体を持っているのに。


 どうして守れなかったのだろう。今も、これまでも。


 喪失感に心を蝕まれ、自分を支える柱がぐらついて、心の奥の底から何か得体の知れない感情が湧き上がってくる。瞳が曇る。身体は硬直したまま動かない。


 ただ、身体の奥底で沸々と沸き上がる激情が、頭の中を満たしていく。


 守れぬ後悔を後に回して、その場その場をのらりくらりと凌いできたツケが、今ここで払われようとしている。


 今まで見せ付けてきた力の強さが、ルカに自信を付けた。


 死ねない身体は、守らなければならないという重圧を、枷をルカに施した。


 他部隊と隔離され、豪奢で朽ちかけた洋館での生活は、無意識の下、エリート意識を育んだ。


 そうして積み重ねられたのは、自分は特別なのだという自尊心。きっと負けやしないという、根拠のない自信。守らなければいけない責任感と、それでも全てを守れぬことに対する疑念。


 疑念は大きく膨らみ、自信と自尊心ゆえに大きく歪んだ。


 そして、逃げ場も拠り所も消え失せたルカの思考は、酷く歪んだ答えを導き出した。


「──僕は、僕は強い......はず」


 ノイズが掛かったような頭の中で、視界で。ノイズがかって聞こえる炎の猛る音も遠く感じる。


「守れるくらい、強いのに......なんで、なんで......」


 ようやく、涙が溢れてきた。


 あれだけ頑張って、痛い思いをして、死にかけて。その結果がこれなのだと、受け入れたくは無かった。否、受け入れることなど出来なかった。


「どうして......」


 ポツポツと言葉を零していくルカを、エカテリーナは心底嬉しそうに眺めている。ルカの中で渦巻く感情の行き着く先を、答えを待ちわびて、エカテリーナは笑みを深めていく。


 そうして、喉の奥に押し込んだ答えを、言ってはいけない言葉をルカは口にする。


「お前が、お前らがっ......!!」


 口にした瞬間、抑え込めようとしていた全てが噴き出した。


「お前らのせいだ!! 僕は、僕は戦ったのにっ!! 僕が何も守れないのも、守れなかったのも、全部全部お前らが悪いんだ!!」


 誰に向けるでもなく、しかし誰に向けてであるかを明確に指差して叫ぶ。


「僕は頑張ったんだ!! 戦ったんだ!! 守ったんだ!! なのに、なのに全部滅茶苦茶にしてっ......なんでこうなるんだよ!!」


 ルカの瞳に明確な殺意が宿る。憎悪は心の器を一杯にして、絶え間なく溢れていく。どこまでも暗く、黒く、おぞましい影がルカを包み込む。


 ルカはエカテリーナを睨み付けて、ハッキリと言い放つ。


「殺す!! お前らを、敵を、全部!!」


 瞬間、バンシーの叫びが世界中に響き渡る。この世の全ての生物の断末魔を乱雑に切り取って張り合わせたような、世界に死を宣告するが如き慟哭。


 ルノレクスは天を仰ぎ、咆哮する。


 あらゆる戦線で、化け物達は唄を謳い始める。


 顔のあるものは天を仰ぎ、無いものであっても体躯の全てを使って天を仰いだ。


 デタラメな絶叫の唄は、天への贈り物。


 主達に対する明確な害意は、新たな主を呼び覚ます。


 幾千幾億の人の魂を贄として、再臨の儀式が始まる。


 天より顕現されるは、古き時より封印されし禁断の邪神。世界を創り変える為に、全てを滅ぼす権限を与えられし者。彼らが主と崇め奉る外世界の為政者にして、そのいただきに最も近き世界の主。


 化け物達は天へ謳う。主へ謳う。


 それは、主達へと、人類の殲滅を願う唄。


 それは、次なる時代は主達のものだと、高らかに謳われる讃美の唄。


 それは、次なる千年を支配する御国の建国の唄。


 それは、千年王国ミレニアムの聖誕を祝う唄。

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