第拾肆話 禁断の炎

 ──西暦二〇〇二年九月四日、キエフ要塞──


「それで、撤退計画は順調に進んでいると」


 情報を仲介人に渡し、ルカ達と合流したイヴァンナは不在の間に起きていたことを聞き出していた。なぜ不在だったのかについては、ルカには大人の事情と言うやつだと言って誤魔化した。本人は良い顔をせず、子供扱いするなと言われてしまった。全く、変に大人になろうとしている子供はこれだから面倒くさい。


 コーヒーを片手に基地を見渡す。たった三日では機甲部隊を下げるので手一杯なのか、未だに多くの歩兵が基地に居座っている。


「順調、なんですかね......核兵器も使うのに、まだこんなに残ってて......」

「順調とは言えないだろうな。まぁ、本部に全員を助ける意思がある場合での話ではあるが」

「え? それってどういうことです??」

「もしかしたら、ここに居る歩兵丸ごと焦土にするのもあり得る話ってことだ」

「さ、流石にそれは......」


 絶対に無いとは言い切れず、ルカは口ごもる。軍隊というのは、必要とあらば一万だろうと十万だろうと無慈悲に命を奪う選択を取る。それはこれまでの歴史が証明し、ルカの浅はかな軍歴の中でも身に染みている。


 だが、冷徹ではあっても冷酷ではない。


 可能な限り多くの命を救う方法を、今もモスクワの参謀本部では考えているはずだ。そうだと信じている。


「ま、どうするかは参謀本部次第。今出来るのは休んでおくことだけだ」

「そう......ですね......」


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 ──約二日後──


「クッソ!! なんで戦車部隊が居ねぇんだ!! 撤退命令なんか出てなかっただろ!!」

「俺は見たぞ!! 尻尾撒いて逃げてく戦車兵共を!!」

「司令部のグズ共が!! 俺達は捨て駒ってわけかよ?!」


 そんな怒号がドニエプル線のあらゆる基地から湧き出してくる。だが、異生物群グレート・ワンはそんなことは知ったこっちゃないと進攻を再開している。嘆きを、慟哭を、怒りを押し流し命を奪いさらっていく。


 戦車部隊はどこにもおらず、砲兵もほとんどが撤退。師団付きの支援砲兵が僅かに肉土砂を巻き上げるのみ。粗末な人類の抵抗をあざけり笑い、連なる塹壕を飛び越え奥へ奥へと浸透していく。


 そして、先鋒がどうしてか襲ってこなかったことに安堵した歩兵たちに、後続の異生物群グレート・ワンが襲い掛かる。まずは浸透襲撃種ガルマディアの一群が、次々と塹壕の中から歩兵を摘まみ上げて食い散らかす。さながら餌箱をついばむ鳥のように。


 次に一足遅く先行掃討種クリューエルが塹壕に殺到する。一メートル程度の小型さを生かして塹壕内部を駆け回り、酸弾を撒いて毒の坩堝るつぼへと変えていく。


 更に遅れて重装甲殻種ファントムが塹壕の頭上まで進出する。その場で止まり、ハチを思わせる針を地面に突き刺す。暫くして、差し込んだ針先の周辺を中心に大地の色がどす黒く変色していく。僅かに生き残っていた雑草達は枯れ果て、建物には黒い蔓が纏わりつき醜悪な姿へと変貌してしまう。


 色彩は消え、情景の全てが黒く染まる。オーロラ色の煌めきに照らされた大地に、暗い色の動植物が芽吹いていく。サソリに似た虫のような何か。根元から花弁の先まで真っ青な植物群。大自然の暖かさは消え去り、焦土染みた異形の大自然が出来上がる。


 しかして、蝕まれた大地の地中に埋められた兵器が稼働する。三重四重の安全装置が全て解除され、時限信管は間もなくしてゼロへと向かう。誰にも気付かれず、その兵器は最後に役目を果たす。


 異生物群グレート・ワンの先鋒が兵器の有効射程から逃れる直前。巨大な火の玉が、戦場の全てを、空を、大地を包み込む。実に七千度近い、直径二キロの火球が全てを消滅させる。敵も味方も、悪趣味な暗い暗い大自然も、僅かに緑の残る荒野も、人々が遺した街の残骸も。ありとあらゆる全てを蒸発させていく。


 閃光は昼よりも明るく空を照らし、光の津波が地上に襲い掛かる。超高温かつ高エネルギーの熱パルスが、半径一〇キロ圏内の全てを焼き尽くす。燃えるモノは全て自然発火し、異生物群グレート・ワンでさえ火だるまとなりて灰となる。


 数秒後には音速よりも速く、強烈な衝撃波が地上の全てを破壊していった。燃え尽きた木々を爪楊枝のようにへし折り、コンクリート製の建物は基礎を残して根こそぎさらわれる。


 巨大なキノコ雲が航空猟兵種ヴンダーヴァッフェの天蓋に防がれて、平たく広がる。周りの空気は爆心地へと集まり、炎と基地に残ったガソリンを共々に引き連れて火災旋風を引き起こしていく。


 通常の手段とは相対的に、最も低コストかつ最も効果的。それが核地雷ブルーピーコック。冷戦期特有の、あまりにも常軌を逸したこの兵器はドニエプル線の要塞基地に一つづつ配備された。試作品を含む計六発。それぞれキエフ、チェルカッシィ、クレメンチュグ、ドニエプロペトローフスク、ザポリージャ、ヘルソン。


 最初にザポリージャ及びドニエプロペトローフスクで、続いて他四つの基地で核地雷ブルーピーコックが起爆した。


 旧要塞基地周辺、半径約二〇キロの異生物群グレート・ワンは数万の歩兵諸共一撃で殲滅され、隊列に大きな穴が開く。しかしながら、大半の戦線では未だ元気に進撃を続けている。


 その核地雷ブルーピーコックが撃ち漏らした残りを掃討するのが、作戦の第二フェーズだ。


「フォールアウト作戦、第一フェーズ完了。続いて第二フェーズに移ります」


 ドニエプル線より遥か後方。モスクワ軍管区、ヴォロネジ南部方面軍作戦室にてオペレーターが神妙な面持ちで言う。


「ヴォロネジHQよりカリノフ砲兵隊。メギドの火を放て。繰り返す。メギドの火を放て」

『カリノフ砲兵隊了解。これよりメギドの火を放つ。ロシア万歳、祖国に栄光あれ』


 簡単な決別の電報を受け取り、無線が途絶える。これより先は、現地のカリノフ砲兵隊の活躍次第だ。


「アトミックカノン、準備よし!!」


 戦線の各所に配置された僅かながらの二〇三ミリ重砲がおもてを上げる。核砲弾が装薬共々閉鎖機に吸い込まれ、発射準備が終わる。


 アトミックカノンを運用するのは僅かに十名足らず。全員、決して優秀ではないが、普通でもない成績。いわゆる中の上くらいの技量の者共だ。


 そんな人の群れに囲まれ、戦場の女神は静かに火を吹き散らす。一発、核砲弾が放たれて数十秒。彼方の空に光が灯る。続いてキノコ雲が地平線越しに立ち上がり、威力もほどほどに落ちた衝撃波が強風となって砲兵達に吹き付ける。


 続けて少しずらしてもう一発。再び閃光とキノコ雲。ドニエプル線全域で、命知らずの砲兵達による核砲撃が始まった。閃光が空をあまねく照らし、核弾頭が絶え間なく大地を揺する。


 核の嵐が吹き荒れること数十分。この時点で異生物群グレート・ワン航空猟兵種ヴンダーヴァッフェも含めた約五割が死滅。しかし、先鋒として突出していった浸透襲撃種ガルマディアは核砲撃をすり抜け、カリノフ砲兵隊の砲陣地へと迫っていた。


 ──ハリコフ予備防御陣地──


『出番だ、ボールド・イーグル』


 手持ちの薄らデカい無線機が起動する。


『現在、ドニエプロジェルジンスクから北東に浸透した群体が、鉄道線沿いにパブログラード近郊のカリノフ砲陣地へと接近中。カリノフ砲兵隊には予備部隊が無い。ここが落とされれば、戦線中央北部に穴が開いてしまう。何としても守り抜け』

「......了解」


 まずはルカが出撃する。サーリヤは基地待機で、いわゆる予備だ。


『ボールド・イーグル。一応放射線防護はしてあるが、あまり長く留まると無線機が使えなくなる恐れがある。無線機が使えなくなった場合は、一度基地まで戻ってくれ』


 その言葉を最後に無線が途絶える。ルカは未だに逃げきれずにいる市民たちの間を掻き分け、市外へと抜ける。ジェットコースター染みた走り幅跳びにもそこそこ慣れ、背中で鎖を起爆。着地は相変わらず着弾と呼ぶに相応しいが、前より移動速度は上がっている。


 数分と経たずパブログラードのカリノフ砲陣地へと到着。砲陣地に迫る浸透襲撃種ガルマディアの群体を見て、ルカは突撃しようと前傾姿勢になる。


「ここで......」


 いざ、突撃。というタイミングで遥か彼方からの閃光がルカの目を焼いた。


「い゛っ?!」


 あまりの眩さに目を瞑るも、もはや再生するまでは何も見えない。それどころか鋭い痛みが目の奥へと突き進んでくる。


「あぁー! もう!! なんだよっ?!」


 眼球を潰してしまいそうな程に手で目を押さえ、空中で痛みに悶える。いつもなら数秒で回復するというのに、今日ばかりはどうしてか一分も時間を掛けてやっと視界に色が戻る。


 おぼろげな視界で大地を見れば、浸透襲撃種ガルマディアが砲陣地に今まさに襲い掛からんとしている。


 ルカは未だ鈍痛の響く頭を振って先頭の一匹に跳び蹴りを食らわせる。頭部が地面に擦り付けられ、削られる。起き上がろうとするのを見てルカは止めに鎖を振り降ろす。そして口から何やら黒い煙を吐いて沈黙。続いて両隣をすり抜けようとする浸透襲撃種ガルマディアに斬りかかる。


「クッソ、せめて小銃くらい持たせてくれれば......」

「つべこべ言うな!! さっさと次の砲弾を装填しろ!! そんな体たらくじゃカリノフ橋すら渡らせてもらえんぞ!!」


 浸透襲撃種ガルマディアの立てる地響きに紛れてそんな会話が聞こえてくる。


 カリノフ砲兵隊が核砲弾を詰めている間にも、ルカは必死に敵の数を減らしていく。首を切り落とし、残骸は蹴り飛ばして別の個体の足止めに使う。そんなルカを無視出来なくなったのか、次第に浸透襲撃種ガルマディア達がルカに集中して攻撃をし始める。


 そして、無数に襲い掛かる浸透襲撃種ガルマディアに紛れて、一匹の個体がルカの眼前に躍り出た。ルカは咄嗟に仕留めようと、黒い煙を口から絶え間なく垂らす個体に向けて横薙ぎに切り払おうとする。


 しかし、そうはいかなかった。


「ッ?!」


 黒い煙を垂れ流す浸透襲撃種ガルマディアの大口の奥に、赤い光の揺らめきが見えて、ルカは攻撃を中断して真上に跳び上がる。次の瞬間、浸透襲撃種ガルマディアが真っ赤な炎を吐いた。


「か、火炎放射?!」


 血のように赤いブレスが大地を焼き払う。一瞬で地面は黒焦げになり、周囲の植物すらも自然発火し始めている。空気は揺蕩たゆたい、陽炎が立っている。そして、焼けるような熱波がルカの身体を襲う。


「あ゛っ゛づ?!」


 ジュージューと肉の焼ける音がして、美味しそうな香りが鼻を突く。その匂いと音が、自分の身体が焼けているから出ているのだと気付くのに長い時間は掛からなかった。加えて軍服も、唐突に火が付いて燃え上がる。足元から首元まで。一気に炎が昇る。


「がッ──?!」


 あまりの痛みに叫び声を上げようと口を開くと、喉が熱波に焼かれて切れてしまった。心の中で叫び声を上げ、ルカは火だるまとなって地上に落下。全身の炎が皮膚を、筋肉を、神経系を焼いていく。いつもより遅い再生速度を上回り、炎が少しづつルカの身体を蝕んでいく。


 炎を消そうとのたうち回っていると、段々と全身の感覚が無くなってくる。痛みも消え、身体も動かず。ルカは一瞬安堵しつつも、すぐさまこの状況が危機的であることを思い出す。痛みが無いということは、皮下組織の奥深くまでやられている。


 このままではジワジワと焼き殺されてしまう。


 焦りと炎に焼かれ鈍りつつある頭でどうにか打開策を考え、一つの方法を思い付いた。ルカは助かりたい一心で大量の鎖を両手から引きずり出す。鎖を纏めてボールを作り、それを抱きかかえ起爆。強烈な爆風と共にルカの身体が地面から弾き飛ばされる。


 異常に頑丈な身体は爆風程度では千切れない。それを利用した爆風消火。ヤケクソだったが、上手くいってくれた。炎は軍服と共に消滅し、緩やかに身体が再生を始める。焼け焦げた表皮から、奥の機能不全となった神経系まで。気管が回復すると同時に、ルカは勢いよく息を吸い込む。


「──ッはっ......はー............」


 焼け爛れた喉では息が出来ず、数十秒か、体感的には数十分ぶりの酸素をむさぼる。煤けた表皮と癒着した軍服がボロボロと剥がれ落ち、冷たい風が全身に突き刺さる。


「うっ......もう寒い。おかしくなりそう............」


 凍えて縮こまり、震える身体を両手で抑え立ち上がる。


 まさか浸透襲撃種ガルマディアが炎を吐くとは思いもしなかった。それも生半可な火炎ではなく、さながら地獄の劫火の如き火力だった。ただ、どれがその異常な個体なのかは分かりやすいと言えば分かりやすい。


 見据えた先、ルカを無視して砲陣地へと一直線に走る浸透襲撃種ガルマディアの群れ。その中に数匹、黒い煙を口から垂れ流している個体が居る。奴らが火焔を吐く亜種。見た目がほとんど変わらない分紛らわしいことこの上ない。


「いっつもいっつも無視しやがって......!!」


 凍える寒さよりも怒りが勝った。


 ルカは両手から鎖を生やし、怒り任せに後ろから襲い掛かる。浸透襲撃種ガルマディアの尻尾を掴んで隣の個体に叩き付ける。それを纏めて切り裂き、足元で鎖を起爆し別の個体のタックルを回避。目を回し索敵。先頭集団の一匹、黒い煙を垂れ流す個体の口に赤い光が灯る。


「させるか!!」


 鎖を投げつけて頭部を貫通。頭から腹までを串刺しにして仕留める。溶岩のように赤く、ドロリとした液体を撒き散らして倒れ伏す。


「お前らの敵は僕だってのに、無視すんなよ!!」


 そんなことを叫びながら、ルカは戦闘を続けた。


 結果として、砲陣地は何とか無事。無線機は案の定放射線にやられて使えなくなっていた。


 ルカは事前に言われていた通り基地へと戻る。基地の入り口で止められ待機していると、何やら黄色一色の防護服に身を包んだ人たちが駆け寄ってきた。恐らくは、放射線防護服。


 今のルカは核砲撃吹き荒れる最前線で盛大に暴れてきた、いわば放射線物質そのもの。そんなことなどすっかり頭から抜けていたルカは、困惑と混乱を示しつつも指示に従う。しかしながら、意外なことに放射線量計測器ガイガーカウンターの値は正常値を示しており、ルカの身体から放射線が検出されることは無かった。


 だが、念には念を。ルカは無数に仕切られた放射線除去設備をくぐり、実に三十分かけて滅菌処理を施されたのち解放。ルカの再生能力が放射線を中和してくれたのかは分からないが、通常では耐えられない線量下でも活動可能というのは少々気味が悪い。


 この身体はもう、人間と呼べるものではないのかもしれない。


 そんな恐怖と不安を抱えつつ、ルカはセルゲイに火焔を吐く亜種のことを報告した。


『そうか、浸透襲撃種ガルマディアが火炎放射を......分かった。報告感謝する』

「......まだ待機ですか?」

『いや、突出部隊はボールド・イーグルが対処したものと、今現在ジャガーノートが対処中の群体以外には確認されていない。加えてカリノフ砲兵隊の活躍で、敵の八割は撃滅しつつある。待機は解除。好きにして大丈夫だ』

「そうですか......」


 ルカは無線機を切ろうと手を伸ばす。


『あ、少し待ってくれ』

「え、あっはい」


 腕を引っ込めて耳を傾ける。


『一応、全敵群体の掃討を確認後デブリーフィングがある。多少は前後するだろうが、予定通り進めば作戦終了予定時刻の二二〇〇頃、また通信を入れる。その時にはどこでもいいが無線の傍に居るように』

「了解しました。あと、一つ質問なんですけど」

『なんだ?』

放射性降下物フォールアウト作戦って、なんか悪趣味じゃないですか?」


 長い長い沈黙が下りる。


『............皮肉が効いてて良いネーミングだと思ったんだがな』

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