第拾壱話 防衛戦
──西暦二〇〇二年九月三日、午前八時──
「何が起きている!! 誰か説明しろ!!」
モスクワ参謀本部にて、参謀長のがなり声が、慌ただしい作戦室に響き渡る。
「す、すみません!! 現状は情報収集中でして、未だ全容を把握できておらず......」
「不確かでもいい!! 何が起きている!!」
「は、はい!! 本日午前八時、黒海から正体不明の飛翔体が複数射出され、クリミア大橋、バクー油田、イスタンブール要塞に着弾した模様。被害状況は不明ですが、射出された飛翔体は
「大西洋の海洋種がなぜこんなところに居るんだ!! ボスポラス海峡は封鎖したはずだろ!!」
「知りませんよそんなの!!」
延々と怒鳴り散らすだけの参謀長に、オペレーターもつい怒鳴り返す。
その威勢に正気を取り戻したのか、参謀長は一瞬硬直。目元を抑えて俯く。
「......すまない、取り乱した。とにかく今は被害状況を最優先に調べてくれ」
「りょうか──」
「ウクライナ保護国より緊急入電!!
ややうわずった悲鳴のような声と共に、作戦室に静寂が訪れた。
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最初の出撃命令が下り、いつも通りの局所的で雑な攻勢を退けたルカは、未だ市街地の名残が色濃く残るキエフ要塞で警戒待機をしていた。ルカは基地から少し離れたキエフ市の図書館から、置き去りにされたままの本を幾つか見繕い、基地司令部の傍で読書に耽っていた。
そんな時だった。今まで見たことも無い地獄が始まったのは。
けたたましいサイレンがキエフ要塞に鳴り響く。ルカは未だ慣れない不協和音に身体を強張らせ、少しの硬直の後に立ち上がる。心は慣れずとも、身体は慣れてしまう。少し心拍を上げた心臓も直ぐに落ち着き、震える脚も立ち上がってしまえば何ともない。
レジャーシート代わりに敷いたパラトカを大きく振り、細かい汚れを落として羽織る。緊張で自然と表情が強張る。傍から見れば少し怖い表情をしているだろうが、こればかりはルカにとっても改善が難しい。
「ボールド・イーグル!!!!」
「ひゃいっ?!」
視界の外から凄まじい怒号が聞こえて、ルカは変な声を出してしまう。何事かと振り返ると、基地司令部の通信員がやけに怖い顔を浮かべていた。
「何をしている!! お前の出番だ!! さっさと行け!!」
「い、行けってどこに?!」
「最前線だ!! どこでもいいからさっさと出撃しろ!!」
「あっ、わ、分かりました!!」
ルカは酷く曖昧な命令に困惑しつつも急いで最前線へと向かう。こうも急かされては心の準備もままならない。恐怖と責任感。色々な感情がルカの中で渦巻き、重くのしかかる。だからといって逃げられるものでもないが、やはりどうしても逃げたいという気持ちは心の底で
そんな気持ちに後ろ髪を引かれつつ、ルカは最前線へと降り立つ。そして、目の前の光景に立ち尽くした。
T-72の車列が火を吹き、重砲と列車砲の炸裂音が無際限に轟きはらわたを揺する。熾烈な砲火の中を突き進んでいるのは敵、敵、敵。
多少は見慣れたと思っていた。だが、この光景は今まで見てきた攻勢のどれよりも恐ろしく、狂気的で、逃げたいという思いが強く思考を支配する。片足が一歩、後ろへと下がる。砂利を踏んだ時の乾いた音が嫌に響く。
今すぐ後ろを向いて走り出したい。そう訴える心を抑え込んで、ルカは戦闘態勢を整える。奥歯を食いしばり、鎖を体内から引き出す。空中を漂う鎖を両手で構え、唸りを上げる鉄獅子の横をすり抜け、渦中の中へと身を投じる。
横薙ぎに鎖を振り、着地点周辺の一群を一掃する。僅かに空いた間隙に着地し、続けざまに身体を捻り回転切りを食らわしてやる。脆い
ルカは無意識のうちに止めていた呼吸を再開し、大きく息を吐く。その一瞬の隙を逃さんと、立て続けざまに
「ぐッ──」
見れば
「ヴォェッ!!」
圧迫された胃から朝飯と血が喉を登り、口から吐き出される。血生臭く強烈な臭いが鼻を突く。顔を上げると、ルカを吹き飛ばした個体が目の前に居た。
「ヒッ?!」
直後に強烈な閃光が目を焼いた。視界は漂白され、焼けるような衝撃波に吹き飛ばされ、無数の鉄片が全身を切り裂いていく。ルカは地面に伏し、二〇三ミリ榴弾の巻き上げた土砂が降り注ぐ。
「あぁ......クッソ......」
腹の底まで侵入した鉄片が、肉体の再生に伴って体外に排出される。傷口が一つ治るたびに、忍び込んだ鉄片やら土塊やらの異物がまた身体を傷付けていく。身体の節々から血が噴き出す。焼かれた目も元通りに、視界に色が戻る。耳鳴りも止み、
全身の傷が再生し、よろよろと立ち上がる。幸いにも初撃で一掃した荒野に投げ出されたようで、他の敵はすぐ接敵するような場所には居ない。とはいえ、
不意に、ルカの瞳から涙が零れる。ルカは泣いている場合ではないとかぶりを振って周囲に目を向ける。辺りは
そして、味方の戦車部隊へと殺到する
「まずい!!」
守らなければ。力を持った責任が強くルカの背中を押し、恐怖を置き去りにして
突き立てた鎖を引き抜き、すり抜けていく個体の正面へと飛ぶ。猪突猛進に突撃する
獅子奮迅にルカは暴れるも、数の暴力には勝てず、隙を突いた一群がT-72に飛び掛かる。端の一両がやられ、砲塔が引き抜かれる。
「まって!!」
聞く耳を持たぬ怪物にそう叫ぶ。
「逃げて!!」
車外に投げ出された戦車兵に告げる。どこへ、などは意識の外だった。
「君はっ......」
「速く!!」
ルカの気迫に押され、戦車兵は頭を抑えながら立ち上がる。車内に残された操縦手と共に味方の陣地へと走っていく。T-72の乗員は三名。一人足りない。
ルカは捨て置かれた砲塔に目を向ける。そこには戦車兵が一人、必死に自分の足を砲塔から引き抜こうと踏ん張っていた。何かしらに挟まれ、身動きが取れないのだろう。
「大丈夫ですか?!」
ルカは戦車兵の下へと近付き声を掛ける。
「これが大丈夫に見えるかよ......」
「ご、ごめんなさい。とにかく、少し失礼しますっ」
ルカは砲塔を覗き込み、戦車兵の足を挟んでいる部分を力任せにこじ開ける。
「足、抜けますか?」
「あ、あぁ......」
戦車兵は心底驚いた表情を浮かべ足を引き抜く。
「すまない、助かった」
ルカは速く逃げるよう促す。同時に
すぐに駆け付けようと地面を踏みしめた瞬間。ルカは真横から
そのままうつ伏せに倒れ込むルカに、
「ッ──??!」
再生途中の背骨を粉々に砕かれ、ルカは声にならない悲鳴を上げる。内臓は潰され、腹部の感覚が消える。血を吐いて、地面に突っ伏したままの頭を上げる。視界の先では、逃がした戦車兵達が
砕けた骨も、ひしゃげた内腑も元通り。既に戦える程に肉体は回復していたが、心は疲弊し、戦うことを拒んでいた。
「──まだ、まだ!!」
足元の
「うぐっ、くそ!! まだ!! まだやれる!!」
そう自身に言い聞かせる。無くなった足の代わりに拳を地面に叩き付け、生やした鎖の勢いのまま跳び上がる。取り囲んでいたうちの一匹に鎖を振り降ろす。中途半端に裂けた体内から血が噴水のように吹き出る。ルカは僅かに口角を上げ、次の一匹を仕留めようと手を振り上げる。
「そこまで」
聞き慣れた声が聞こえ、ルカは咄嗟に振り返る。
「アルバトフ大尉?!」
叫んだ直後、サーリヤに腕を掴まれる。
「それ以上はいけない」
「どうして?! 僕はまだやれます!!」
「いいから、戻りなさい」
「でも──」
「戻れ」
ドスの効いた声で命令されると共に、ルカは蹴り飛ばされた。蹴りの威力は尋常じゃなく、ものの数秒で遥か後方の野戦病院近くまで飛翔。地響きと轟音、そして土煙を巻き上げて着弾。衛生兵と傷病者たちの注意を一気に引き付ける。
「なんだ?! 何が起きた!!」
耳鳴りに紛れて怒号が聞こえてくる。ルカはやけに痛む腹部を手でさすりつつ起き上がり、ふらつく足取りで近くの電柱に
「だ、大丈夫......か?」
衛生兵の一人が、恐る恐るルカに声を掛けてくる。ルカは言葉を返す気力も無くうなだれる。浅く呼吸を繰り返すだけのルカを見てどう思ったのか。衛生兵は多少躊躇いつつも、ルカを野戦病院の簡易ベッドに寝かせた。
おぼろげな瞳で周囲を見渡すと、意外にも傷病者は少なかった。それもそうだろう。
そんなことを考えていると、段々と意識が薄れていくのを感じる。視界に白いもやが入り込み、意識はどんどん霧の中に吸い込まれていく。虚ろな意識のまま、どこか深い所へと──。
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「やぁ少年。久しぶり」
聞き覚えのある声でルカは目を覚ます。開けた視界にまず映ったのは、金色に煌めく髪と、琥珀色の瞳。幼げな童顔に白いワンピースが良く似合う少女の姿......。
「エリ......シャス......?」
「そう! 君の夢の中の恋人、エリシャスちゃん!!」
エリシャスはあざとく舌を出し、ウィンクを送る。
「......なんでエリシャスが?」
辺りを見渡せば、前と同じように一寸先も見えないような霧の中。場所はルカが最後に意識を失った野戦病院と全く同じところだろう。それよりも、あの琥珀色の石を握った覚えは無かった。それなのに、どうしてここに居るのだろうか。
「あれ? 効果なし?」
ルカはエリシャスを睨み付ける。
「そーんな怖い顔しないでよー。君が会いたいって言ったからわざわざ来てあげたんだよ?」
「呼んだ覚えは無いですけど......」
ルカは警戒心を隠そうともせず、目じりを吊り上げ、可能な限りの威圧を籠めた声音で話す。
「うっそだー!!」
「............」
無言を貫くルカに、エリシャスも笑みを引っ込める。
「ま、いっか。でもさ、私の事無下に扱っていいの?」
「何を──」
「いま現実は大変なことになっているみたいじゃないか。ドニエプル川全域で、私の子供達が大攻勢の真っ最中。サーリヤちゃんと愛しい人間たちの奮戦虚しく大・敗・北!!」
一々煽るようなエリシャスの口ぶりに、ルカは段々イラついてくる。
「君の祖父母諸共、人類はチェックメイトってわけ」
「そんなわけない!!」
ルカは怒りで歪んだ表情を見せつけ、力強くエリシャスの言葉を否定する。自分には守ることの出来る力がある。精強な戦車師団に、サーリヤだって居る。負けるわけが無い。そんな根拠も無い楽観的な憶測に、ルカは縋りたくてしょうがなかった。
「でも現に何も出来ずに君はここに来た。違う?」
「ッ......それは......」
ルカは言葉が出なかった。エリシャスの言っていることはある意味正論で、ルカも心の底では分かっていたことだ。未だに怖気づいて力は使いこなせない。そんなルカに、誰かを守る力など無い。
「困ってるんでしょ? 相談乗るよ?」
「......エリシャスに話すことなんてない」
「ほんとに? 三日くらいなら、あの子達の進攻止めてあげてもいいけど」
「えっ?」
ルカはつい、エリシャスの話に耳を傾けてしまう。
「止めるって、ほんとに?」
「そう、ほんと。マジ。アクチュアリー」
話に食いついたルカを見てエリシャスはニヤニヤと笑みを浮かべる。前の一件のことをルカは忘れたわけでもなく、未だに信用はしていない。だが、最前線であの規模の大攻勢を目の当たりにしてしまったのだ。ルカとしては、エリシャスの提案は地獄に垂らされた蜘蛛の糸であった。
「そ、それをしてエリシャスになんの得があるの?」
「得? そうだねぇ、確かに私にメリットが無いと不自然か!」
ケラケラと笑い声を織り交ぜながらエリシャスは話す。
「じゃあさ、私に少し力を分けて欲しいな」
「力を?」
「そう、ちょこっと君の血を少し分けてくれればそれでいいからさ!!」
いいよね、いいよね、などとせがむエリシャスにルカは判断が鈍ってしまう。エリシャスに力を分けたらどうなってしまうのだろうか。嫌な予感しかしないが、現状は地獄そのもの。今をどうにかしなければ、悩むべき今後すら消滅しかねない。それにルカの血少しで猶予が生まれるのであれば、安いものだろう。熟考し、答えを出す。
「......分かりました。少しだけなら......」
「ほんと?! よっし、交渉成立だね!!」
興奮した様子でエリシャスはルカの腕を掴む。
「じゃ、少し我慢してね!」
「は、はい......」
エリシャスの様子に少し恐怖を覚えつつ、ルカは息を呑む。
そして、エリシャスは大きく口を開けてルカの腕に歯を突き立てた。
「い゛っ?! いだッ?! ちょっ、痛い!! やめ──」
「
エリシャスの髪が
「──っよし。このくらいでいいかな」
数十秒ほどしてルカは解放された。噛み付かれた腕は真っ赤に染まり、歯型が線上に入っていて、感覚が無い。痛みが消えたのは良いが、治ってくれるだろうか。ルカはそう思わざる負えなかった。というか、これは少しどころでは無いのでは。また騙されたのだろうか。
「いやー、あの子の眷属なだけあって凄いパワーだ。力がみなぎってくるよ」
「............それは良かったですね」
「それじゃ、約束通り三日間。子供達の進攻を止めてあげる」
ルカは放心状態のまま唸り声を出す。ともあれ、現状の地獄は何とかなったのだ。後は参謀本部のセルゲイ達の仕事だ。そう言い聞かせて不安を投げ飛ばす。
「それじゃ、また会おうね!!」
嫌だ。二度と会いたくない。そんなことを思いながら、ルカの意識はまた霧の中へと呑まれていった。
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