第参話 彼らは役立たず

「ところでイヴァーノフ研究室長。車椅子ということは足に何か怪我か後遺症でもあったのか?」

「いや、そういうわけじゃないんだけど......そろそろ大丈夫かな」


 ボケッと二人の会話を聞き流していると、唐突に体を持ち上げられてしまう。


「はっ、え?!」


 振り返ると持ち上げているのはエカテリーナだった。以外に力持ちなんだなと頭の片隅で驚いている隙に車椅子を引かれ、直に地面に下ろされる。さっきまで全く身体に力が入っていなかったルカは、なす術もなく地面に崩れ落ちる。


 そんな想像をして目を瞑る。


「......あ、あれ?」


 しかし、どれだけ待っても衝撃など来ず、足裏に体重が乗る感覚が鮮明に伝わる。さっきまで脱力しきっていたはずなのに、なぜか立てている。


「やっぱり大丈夫だったね。それじゃあ行ってらっしゃい!!」


 エカテリーナは困惑するルカの背中を叩く。急な衝撃に前のめりに倒れそうになるも、イヴァンナが片手で受け止めて事なきを得た。


「あ、すみません......」

「気にするな」


 イヴァンナはそれだけ言うと、ルカの姿勢を直して一足先にトラックへと乗り込んでいく。ルカも慌てて後に続く。


「運転手、出してくれ」


 イヴァンナは運転席とを隔てる鉄板の覗き窓から指示を飛ばす。ディーゼルエンジンがけたたましく唸りを上げて、トラックが動き始める。


 振り返ればエカテリーナが小さく手を振っていた。なんとなくルカも小さく手を振り返してやる。エカテリーナは一瞬驚いたように硬直して、今度は大きく手を振り直す。


「ところで少年。確か君は第一三期青年挺身隊の徴募兵だったよな?」


 唐突に口を開いたイヴァンナにルカは戸惑いつつも答える。


「え、えぇ。そうなりますね」

「ふむ......それなら座学はあまり受けていない。合ってるか?」

「はい、合ってます」


 イヴァンナの言う通りだ。ルカの志願した第一三期青年挺身隊は、訓練期間が一ヶ月に短縮されてしまった。そんな短期間で雑多な子供を兵士として使うようにするためには、座学を削りに削り、実技中心の訓練をするしかなかったのだ。


 そして、それを補うため、今期の少年兵達は補給や物資の運搬や積載などの単純作業をこなしつつ、所属部隊に赴任する教官から座学を並行して受ける。


 そういう予定だった。


 しかし、ルカは運悪く前線の補給班に配属されてしまい、更には配属初日に戦闘が勃発。教官の赴任前に死にかけて後方へと移送された結果、銃火器の取り扱い以外の知識は無いに等しかった。


「それなら異生物群グレート・ワンについてもよく知らんだろうな」

「はい......お恥ずかしい限りです」


 考え込むように俯くイヴァンナに、上目がちに睨まれた気がしてルカは姿勢を正す。


「よし、それならここは一つ、私が君の教官になってやろう」

「えっ、でも教官は新しく派遣されるはずじゃないんですか?」

「配属先の部隊は君を含めて三人だけだ。本部もそんなところにわざわざ教官を新しく派遣する余裕はないだろうよ」

「三人?!」


 どこかの師団の中隊だかに配属されると思っていたルカは小さく悲鳴を上げてしまう。なにせ現代の軍隊と言えば複数人で一個の部隊を作るのが基本で、その最小単位は分隊。分隊は九人ほどで構成されることが多く、三人だけの部隊などいくら軍事的な知識の少ないルカでさえ異常だと分かる。


「まぁ、確かにかなり例外的な部隊だ。本拠基地も少し特殊だしな」

「特殊?」

「そこは着けば分かるさ」


 教えてくれないことをルカは不満に思いつつも、それ以上は追及せず天幕以外に遮る物の無い荷台から外に目を移す。


 そうして、頭を空っぽにしたまま色の薄い雑木林をトラックが抜けていく。


 この雑木林は幸薄げな色彩に違わず鳥のさえずりすら聞こえない。加えてたまに姿を見せるやけに青い植物達が、監視しているかのように花弁を向けているものだからより不気味だ。


 そんな景色を眺めていると、突然トラックが急ブレーキを掛けて停止する。脱力しきって硬い背凭れに身体を預けていたルカは、突然の動きに対応できずゴンッと鈍い音を立てて鉄板に頭をぶつけてしまう。


「っ?!」


 ぶつけた箇所を手でさすりながら痛みに悶えるルカをよそに、イヴァンナは運転手から話を聞いている。


「な、何があったんですか?」


 丁度話が終わったであろうタイミングを見計らって声をかける。イヴァンナは僅かに表情を硬くして答える。


「......面倒な障害物に当たっただけだ」

「面倒な障害物?」

「私が対応する。君はそこで待っていろ」


 言い切ると同時にイヴァンナは荷台から飛び降りて足早にその障害物へと向かう。そうして取り残されたルカは大人しく待つのももどかしく、覗き窓に顔を張り付ける。


 凝らした目線の先に見えたのは倒木などではなく人間だった。人数は三人で、その全員が悪く言ってしまえばみすぼらしい格好をしていた。


 服は所々破け、泥がこびりつき黄ばんでいる。髪は遠目からでも分かるほどにギトギトしていて、長らく風呂に入っていないことは明らかだった。


「あれってもしかして......」


 ルカはその風貌に見覚えがあった。モスクワ市街から離れた場所に群を成す国連の難民キャンプ。それらの難民キャンプにすら受け入れてもらえず、従軍も就業もできない人達。


 仕事にあぶれた彼らは国の援助を受けることもできない。


 国連の難民キャンプも、数千万の避難民全てを受け入れることは不可能だ。


 追い詰められた彼らの辿る道は様々だが、真っ当な道を進める者は数少ない。ある者は犯罪に走り、またある者は死を選ぶ。


 いまあの場に居る三人もまたそういう人達だろう。


 仕事にあぶれ、援助に与れず。こうして道行く車を止めては、何かしら物質を貰おうという考えなのだろうか。


「何のつもりだ?」


 開け放した運転席の窓からイヴァンナの声が聞こえてくる。


 今までとは違って、腹の底に響くようなドスの効いた声だ。


 しかし、その声に怯むこともなく一人の男が口を開く。


「あんたら軍人だろ? それにそのトラック。なんかの物資の輸送とかじゃないのか?」

「それがどうした。貴様らと何か関係があるのか」

「分かるだろ。俺達は仕事もない、援助だって受けられない。少しくらい恵んでくれてもいいじゃないか。なぁ?」


 男は振り返り、後ろに控える二人に目を向ける。同意を求められた二人は特に何かを言ったわけではなかったが、それを無言の同意とでも受け取ったのか。男は不器用な笑みを浮かべてイヴァンナに向き直る。


「ほら、こいつらもそう言ってる」

「彼らは何も言っていないだろ。それは貴様の妄想だ」


 イヴァンナの語気が強くなる。それでも引き下がろうとしない男達に業を煮やしたのか、イヴァンナは大きくため息をつく。


「......これ以上足止めするなら多少の流血は覚悟してもらうぞ」


 そう言うなりイヴァンナは流れるようにホルスターからベレッタM9を取り出し、スライドを引く。


「い、いいのかよ。守るべき市民に銃なんか向けてよ」


 男はイヴァンナを上目がちにめ上げるも声が震えていて、威勢を張っているのは明らかだった。そんな様子にイヴァンナは更に大きく嘆息する。


「私はお偉いさんがたと親交がある。多少の流血沙汰、それも避難民トラッシュが三人程度死んだところでどうということもないだろう」


 それに、とイヴァンナは続けて言い放つ。


「こんなことして困るのは貴様らの方じゃないのか?」

「何を言って──」

「ただでさえ困窮している戦時にロクに働きもせずただただ物資と土地を消費し続ける避難民トラッシュ共。そんな貴様らがあまつさえ他人に迷惑を掛けるなんて許されるとでも?」

「だ、だってしょうがないだろ!! 俺達だって望んでこうなったわけじゃない!!」

「そうか仕方ないか。なら、私がここで貴様らを撃ち殺すのも仕方ないな。あーあ、私だってこんなことは望んでないんだかなー」


 イヴァンナは棒読みで返し、ゆっくりと拳銃を持ち上げていく。


「五秒だ。五秒以内に立ち去らなければ撃つ」

「っ......」

「五......四......三──」

「わ、分かった!! どく、どけばいいんだろ!!」


 男は震える声で残りの二人に声を掛けて脇道に逸れる。その様子をイヴァンナは鼻で笑う。


「今度からは慈悲に縋ってみたらどうだ? まぁ、こんな世界じゃもう貴様らに慈悲をかける人間なんて居ないと思うがな」


 すれ違いざまにそう言うとイヴァンナがトラックに戻ってくる。


「すまない、待たせたな」


 運転手はイヴァンナが座ったのを確認すると、エンジンを吹かしてトラックを前へと進めていく。後方に目を向ければ、さっきの男達が何か言いたげな様子でこちらを睨んでいた。


 イヴァンナが言った通りなのかもしれない。しかし、環境は違えど同じ避難民であるルカにとってはやりきれない思いであった。


「......良かったんですか?」

「何がだ?」

「あの人達のことです」

「あぁ......」


 ルカが目線で男達の方を示すとイヴァンナは興味無さげな声を漏らす。


「ああいう輩はこちらが下手したてに出れば延々と粘ってくるからな。とはいえ、君にとっては不愉快か......すまなかった」

「あっ、いえ、全然大丈夫ですから」

「そうか。気にしてないなら良かった」


 イヴァンナは実に淡白な声でそう言うと、腕を組んで天幕を見上げる。


「......ああは言ったが、彼らも被害者か」


 イヴァンナの言う通り、民間の輸送車両を足止めしては物資の一部を奪い去るネズミのような彼らも、一概に加害者とは言い切れないのだ。何の前触れもなく戦争が始まり、着の身着のままで住み家を追われ、ある者は家族すらも失ってしまった。


 冷戦の影響で身を寄せる相手も存在せず、かつて生まれ育った母国は灰燼と帰して久しい。


 そんな惨状の避難民は数千万にも及ぶ。


 いつしか役立たずトラッシュと蔑まれ、逃げ込んだ国家にすら半ば見放された彼らは、今日もどこかでその日その日を凌いでいるのだろうか。

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