冒涜戦線

オジロワシ

第一章 ファースト・コンタクト

第壱話 ターニングポイント

 モスクワに程近い針葉樹林。その只中にたった一軒佇む古びた洋館。埃を被った一室で、少女はアンティーク調の椅子に腰掛け瞳を閉じていた。


 ふと、窓辺から射し込んでいた陽光が遮られ、辺りの光度が落ちる。


 少女は邪悪な気配を感じ取り、パチリと黒い瞳を晒す。直後、脳髄に突き刺さるが如き警報が館内に鳴り響く。


 少女は慣れた歩調で軋む廊下を渡り、ブリーフィングルームと手書きのプレートが提げられている部屋へと入る。


 部屋の片隅に置かれた無線機の電源を入れれば、短いブザー音を発し続ける警報も収まり。変わって男の声が無線機より発せられる。


『──聞こえるか?』

「聞こえる」

『よし。出撃命令だ、ジャガーノート。敵は大型五、その他多数』

「場所は?」

『モスクワより南西三○○キロ。スラージ近郊、第七七前進作戦基地F.O.B.77


 少女は了解、とだけ呟いて一方的に無線を切る。


 洋館を後にして、破壊の女神ジャガーノートと呼ばれる少女は遥か先を睨みて出で征く。


 深緑色の軍服に、足枷を付けたカラスのパーソナルマークを携えて。


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 ──西暦二〇〇二年八月二一日──


 極寒の国ロシア。その首都たるモスクワと言えど、夏になればそれなりに暖かい。


 柔らかい日差しが降りかかるクレムリンの御前、赤の広場。ここでは今日も、身寄りのない避難民達のため、国連から派遣された非政府組織NGOの職員が炊き出しを行っている。


「ふざけんな!! このガキのが多いじゃねぇか!! どうなってやがる!!」

「平等に分けらんねぇのか資本主義の犬どもはよォ!!」


 やれコイツの肉が大きいだとか、こっちはスープが少ないだとか。くたびれた服を羽織っただけの大の大人が、揃いも揃ってみっともなく叫んでいる。


 いつもはどんな文句にも押し黙っていた職員も、今日ばかりは堪忍袋の緒が切れたのか。険しく瞳を吊り上げて反論する。


「文句を言うならあんたらの分をホントに減らしてやろうか?! あ"ぁ"?! 穀潰しが飯にありつけるだけマシだと思ったらどうなんだ!!」

「んだとテメェ!!」

「何をしている! 黙って列に並べ!!」


 こうして事あるごとに騒ぎ立てては、AK-47を携えた警備員が威圧。必要とあらば、武力で取り押さえるのも日常茶飯事だ。


 そんな見飽きた光景を、憐れみを感じつつも自分は無関心だと遠目に眺めている少年が一人。


 少年の名前はパヴロフ・ルカ。ロシア生まれ、ロシア育ちの極々普通ではない程度に普通の少年。


 身長はロシアの中では少し低めの一六〇センチ台。絶妙にサイズの合わない、少しダボっとした服に身を包んでいる。


 体格は発達段階でやや心もとない。未だ幼げな童顔に、母親譲りのサラサラかつツヤツヤな黒髪ショートヘア―。その黒髪に対し、瞳は宝石のように蒼く輝き透き通っていて美しく、ミスマッチだ。


 そして、異生物群グレート・ワンと呼ばれる正体不明の化け物共に故郷を追われた避難民の一人でもある。母親は死んでしまってもう居ない。


 避難民ではあるが、今は母方の両親──祖父母に引き取られて穏やかに暮らしている。


 さて、そんなことはさておきルカは食料の買い出し中だ。向かう先は炊き出しを行っている場所から少し離れたところに群れを成す露店達。


 赤い壁のすぐ下、野菜や魚介類、洋服に生活必需品まで。様々な品が揃っているものの、どこもかしこもぼったくりのような値段で買えたものではない。


 特に穀物類を始めとした農作物は異常なまでに高騰している。それもこれも、異生物群グレート・ワンの進攻で、穀倉地帯たるウクライナ西部を失陥したことによる深刻な食糧不足が発生しているからだ。


 だが、今向かっている露店はこんな情勢では比較的良心的な価格をしている。


「お、ルカじゃないか! 今日は一人か?」


 加えて店主も優しく笑顔で良い人だ。


「えぇ。お婆ちゃん、急な仕事が入ったみたいで」

「なんだ、ママが居なくて寂しいか?」

「なっ?! なんでそうなるんですか!! 僕もう一六ですよ!? そんなわけないじゃないですか!」

「へへっ、わりーわりー。なんだか寂しそうに見えたもんでよ」


 店主はヘラヘラと笑っている。いつもこんな調子で、反省の色が見えない。


 もう一六歳なのだから、子供扱いはやめて欲しいものだ。


「まぁまぁ、そう怒んないでくれよ。ほら、一個くらいおまけしてやるからさ」

「はぁ......まぁいいや。取り敢えずいつものやつこれに詰めてください」

「はいよ」


 店主がリュックサックに野菜やらなんやらを詰めている間、特にすることもなく辺りを見渡す。


 未だにモスクワの中心地として様々な人達が行き交う赤の広場だが、戦争が始まってからはホームレスや雑多に作られたバラックが隅に身を寄せ合い少し窮屈だ。


 特に裏路地なんかは如何にも治安の悪そうなスラムと化している。


 そうして眺めていると、一つのポスターが目に入る。


 第一三期青年挺身隊。デカデカとそう書かれているのは、軍が足りない人員をどうにかして搔き集めようとした結果の産物だ。


 もはや大人だけでは足りず、避難民から子供まで。子供に関してはまだ志願制ではあるが、このまま戦況が悪化したらどうなるかは、ルカの知るところではない。


「あれが気になるのか?」

「へ? あれって?」

「青年挺身隊だ。いいか、絶対に入ろうなんて思うなよ。どうせ軍隊の良いように使われて終わりだからな」


 そう忠告されても、ルカとて未だ軍人に憧れを持つ少年でしかない。それに、絶対にダメと言われればその逆を生きたくなるのが子供の性というものだ。


「でも、恩を返したいですから」


 ルカは支払いを済ませて言い放つ。流石の店主もつい口を閉ざしてしまった。


 今こうして普通に暮らせているのは、全て祖父母のおかげだ。母さんはもう居ないけれど、救ってくれた恩には報いたい。


 ルカは一人帰路につく。両親も直ぐに認めてくれるだろうと、ルカは上機嫌だった。痩せ細った野犬に、貴重なパンを一切れくれてやるくらいには。


 家に戻っても、まだ祖父母は仕事中で家に居ない。これといってやることも無いルカは夕飯の仕込みを済ませ、祖父母の帰りを待っていた。


「ルカ―、帰ったぞ」


 聞き慣れた声が玄関から聞こえてくる。玄関で出迎える。祖父母だ。


 その後はいつもと同じだ。TVを点けて、薄っぺらいエンタメ番組を垂れ流しながら談笑。そして、夕飯の時に第一三期青年挺身隊のことを話した。


「ダメだ!! 絶対に許さんからな!!」


 お爺ちゃんはそう言って力強く机を叩いた。


「そうよ、ルカを戦場に送り出すなんて、私も反対よ」


 お婆ちゃんは優しくルカを諭す。


 しかしながら、ルカの決意は揺るがなかった。どれだけ説得しても引かず、毅然と自分を貫くルカの姿を見て祖父母は結局諦めたらしい。


 それが託された孫の望む道だと言うのなら、否定することなど出来なかったのだろう。


 結局祖父母はルカの想いを押しとどめるには至らず、絶対に生きて帰ってくることを条件に志願することを許した。


 だが、志願してから一ヵ月後。第一三期青年挺身隊は戦局の悪化によりマトモな訓練を受けられないまま前線配備が決まってしまった。


 訓練期間はたったの一ヵ月程度。本来は一年ほど掛かる訓練過程をここまで詰め込んでは、もはや兵士ではない。


 ましてや敵はこれまで人類のあらゆる抵抗を文字通り粉砕し、半年で欧州全土を飲み込んだ異生物群グレート・ワン。そんな相手に何の知識もなく、銃の撃ち方もままならない子供達。


 だが未だ待ち受ける結末は子供達の知るところではなく、意外にも早く訪れた実戦の機会に沸き立つ者も多かった。


「さっさと乗り込まんかガキ共!! お前ら意外にも積まなきゃいけねぇ荷物があるんだからよ!!」


 訓練用の兵舎に荒々しい怒号が響く。未だ幼く、十分に鍛えられていない子供達はヒイヒイと息を浅く繰り返しながら、三○キロにもなる背嚢はいのうを背にトラックへと乗り込んでいた。


「うぐ......もう無理......」

「何をしてる!! さっさとしろノロマ!!」


 あまりの重さに膝を折ったルカに、トラックの運転手は罵声を浴びせて首根っこを掴み上げる。


「いだっ?!」

「乗れねぇなら乗せてやる!!」


 そう言って、首根っこを掴んだままトラックの荷台に放り投げる。背嚢はいのうと合わせて実に八○キロ近いルカを、よくもぶん投げられるものだ。


 ルカは勢い余ってトラックの固い背もたれに頭をぶつけてしまう。鉄帽を被っていても、衝撃は頭骨を伝わって脳みそを揺らす。


 軽い脳震盪と、目眩で視界は歪む。クラクラと意識が揺れるような不快感に、何とも言えない不快感を伴う頭痛がルカを襲った。


「だ、大丈夫か?」

「ぁあー......たぶん、なんとか」


 朧気おぼろげな意識で同期──友達に言葉を返す。同期と言えど、配置次第では千キロを越える広大なロシア戦線で離れ離れになる。


 最悪、これが最後の会話になる。


「無理すんなよ。お前が一番の年少なんだからよ」

「うん、ありがとう」


 そんな会話をしているうちに、兵員と物資の積載が終わってトラックが走り出す。


 こうして、ルカ達の所属していた第一三期青年挺身隊は訓練期間を終えると共に解体。ロシアの広大な戦線各所の前進作戦基地F.O.B──つまるところ最前線に再配置となった。


 同期だからと引き剥がされることもなく、同じ配属になるでもなく。ただただ均等に、各前進作戦基地F.O.Bへと分配された。


 ルカは第七七前進作戦基地F.O.B.77の補給班配属となった。首都モスクワからは、三〇〇キロも離れたスラージ近郊の前線基地。


 なんとも不運なことに、ルカが第七七前進作戦基地F.O.B.77に到着してから僅かに一時間後。第七七前進作戦基地F.O.B.77は敵の攻撃に見舞われた。


 未だ部隊内での顔合わせや施設の案内もされないままに、ルカは塹壕へと飛び込み戦闘が始まる。


 異形の鳥が空を分厚く覆い、日光を遮り戦場は夜の如く暗い。照明弾が昼の暗闇に舞い踊り、二〇三ミリ重砲と一六インチ列車砲の榴爆弾が絶え間なく降り注ぐ。


「うッ.....どうして、こんなっ!!」


 なぜ、どうしてこんな目に遭わなければいけないのか。ルカはそう思わずにはいられなかった。圧倒的理不尽が、あらゆる不運がルカに降りかかる。


 それでも、閃光を散らす照明弾に目を眩ませ、重機関銃の唸りに耳を焼かれながらルカは塹壕を駆けていく。猛る砲火は大地を揺らし、五臓六腑に響き渡る。


 怒号と絶叫が飛び交い、気が狂うような化け物共の雄叫びに当てられる兵士達。ルカ意外の少年少女兵らはもはや使い物にならず、壊れたラジオのようにお母さんお父さん助けてと呟いている。


 正気をギリギリで保ち、塹壕内で変わらぬ道を行っては戻り物資を運ぶ。戦場は狂気に呑まれ、地獄の様相を呈している。


 精神を擦り減らし、生存の為に脳をフル稼働させているルカは、最初に言われた命令通りにローテーションをこなすことしかもう出来ることは無い。


 向かう先から走ってくる兵士達を避けて、その先へと進もうとするとどうしてか最後尾の兵士に引き留められる。


「おい! そっちはダメだ!!」

「へ? で、でもこれを......弾薬を届けないと......」

「そんなのはいい! そっちにはもう誰も居ない!! だから君も──」


 次の瞬間、一際強烈な爆風と激震がルカを襲った。全身に響く衝撃に悶え、耳鳴りが止まないまま恐る恐る目を開ける。


「なにが......」


 その光景にルカは言葉を失う。無数に積み上がった瓦礫の下半分が赤く染まっていた。地面には赤い液体が放射状に広がっていて、細かい肉片か、内蔵のような何かが飛び散っている。


「ぇ......あれ、なんで、なにが......」


 続いて二発目、三発目と味方の榴爆弾が雨あられと降り注ぐ。ルカの頭上に、塹壕でひしめく味方歩兵隊の頭上へと。


 正しく味方諸共吹き飛ばさんとする苛烈な砲撃。ルカは一気に目が覚めて、失いかけていた正気を取り戻してしまう。


 そして、目の前の肉と臓物の雪崩から逃げるように振り返り、この塹壕に居てはならない存在を目に映す。


「は、え゛?! なんでここに......?!?!」


 焦って覚束ない手付きで小銃を構えようとするルカに、ソレは振り返るような素振りを見せる。


 地球上のあらゆる生物とも似つかない、見たことの無い生き物がそこに居た。


 岩石に似た台座のような体躯から生えた八本の太く短い歩脚。せわしなくうごめく毛束状の触手。


 胴体と思しき台座に鎮座する、卵状のよく透き通った水晶体。その中はオレンジ色の液体で満たされていて、水泡がコポコポという音に合わせて下から上へと沸き立つ。


 ソレはオーロラ色の燐光を纏い佇んでいる。ルカは思い出す間もなく理解した。目の前の化け物が、異生物群グレート・ワンの一種であると。


 化け物は触手を激しく土壁に打ち付ける。銃声の如き音が鳴り、化け物が動き出す。狂ったように触手を振り回し、右へ左へとその身を揺らしながら迫る姿は狂気そのもの。戻りかけたルカの正気を奪うには十分すぎた。


「うわぁぁぁああぁぁぁぁぁ!!!??」


 ルカは腰だめでAK-47を構え、トリガーを引く。しかし、セーフティーが掛かったままの小銃が火を吹くことは無く、カチッという乾いた音が虚しく響くのみだ。


「へ? なんで、なんでなんで?!?!!!?」


 セーフティーの存在を忘れたままルカは混乱する。いくらトリガーを引いても弾丸は発射されない。それでも敵は目の前へと迫る。


 思考は漂白され考えることを許さない。狭窄きょうさくした視界にはオーロラ色の燐光ハローを纏った化け物だけが燦然と煌めいている。


 死の恐怖と狂気に支配された瞳が最後に見たのは、黒い閃光と黒煙だった。


 <<>>


『ほん......にい......のか? ......ノート』

「構わない。それに、この子なら......」


 白く濁ったルカの意識に声が飛び込んでくる。一つは無線越しなのかノイズだらけでよく聞き取れないが、恐らくは男性らしき声。


 そして、もう一つは小雪の落ちるような、脳に滑り込んできて優しく染み渡るような静謐で透き通った少女の声。


 誰か居るのかと声を出そうとするも、か細い吐息しか漏れない。目を開けようとも瞼が異様に重く、開こうとすると何故か頬が引きつられて酷く痛む。身体はピクリとも動かない。それに加えて、全身がヒリヒリしていて焼けるように熱い。


「起きたみたい。切るね」


 こちらの動きに気付いたのか。ザクザクと砂利を踏む足音が近付いてくる。聞き慣れた、それでいて少し軽すぎる軍靴の音。


「それじゃあ、帰ろうか」


 今度はすぐ近くで、恐らく目の前から声が脳に流れ込む。状況が理解できないまま、細々と言葉になれなかった吐息が口から流れ落ちる。


「大丈夫。安心して」


 恐ろしいほど冷たくて、温もりの一切を感じない何かが頬に触れた。細くて長く伸びる何か。恐らくは手だろうか。


 そうであるなら余りにも小さくて、子供としか思えないほどに華奢だ。


 濁ったままの意識でそんなことを考えていると、少女だろう声の主は良く分からないことを言い放つ。


「今日から少年は、私の眷属だから」

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