第7話 さようなら(2)

 俺が強引に誘うのはいつもの事だった。しかしあの夜は、多分、サトシが最も嫌がる事をした。サトシが親しげに話していた相手に手を出すと揺すり、選択の余地を与えず、ホテルに着いた後は理由をつけてどこまでもしつこく抱いた。最低だ。

 

「なぁ、悪かった。本当にもう手ださねぇから」

「うるさい。お前とはもう会わない」


 時間が経っても、疲れていても、サトシの怒りは収まらなかった。淡白なサトシが、人への執着心を露わにしている。とにかくあいつには手を出すなと、俺に牽制を繰り返す。どんな声をかけても取り付く島もなかった。

 相手の男を守りたいのだろうか。

 俺の前ではあの男の名前を一切出さない。いつもなら、サトシは行為の後、眠ってしまう前に少しスマホを弄る。それなのに今日は、俺の目の前で一切スマホを触らない。夜中にスマホがうるさいほど鳴っていたのに、鞄から取り出すことさえしなかった。

 あまりの警戒心に、自分のしたことを棚に上げて苛立ちが湧いてくる。


 あの男に興味なんかない。俺がしつこくしている相手はサトシだけなのに。


 人付き合いが淡白なサトシの興味を引きたかった。その目にちゃんと俺を映したのは、きっとあの日が初めてだろう。

 そんな顔を見たかったわけじゃない。全く嬉しくない。一体俺は何をしているんだろう。

 背を向けて眠っているサトシの姿をみて、自分の行動に虚しさを覚えた。わかっていた。もう何をしたって、サトシは俺の前であんな楽しそうに笑わない。

 

 朝、あの男に手を出さないという約束をして、もう一度サトシを抱いた。セックスを楽しむためじゃなく恋人にするように。優しく、丁寧に、大切に、その痩せた体を抱いた。

 サトシと寝るのはきっとこれで最後だ。散々嫌がることをして分厚くなった壁はそんな事じゃ取り除けないが、乱暴に抱いたセックスが最後になるのは嫌だった。

 

 帰り支度を済ませてホテルのドアを開くその背中に話しかけた。


 「……しつこくしてごめんなぁ」


 返事はない。サトシは俺を振り返りもせずに部屋を出ていった。



 「冷静になれよ――あいつ、多分、既婚者じゃねぇよ」


 ドアの向こう、もう声の届かない相手に呟いた。

 人の姿を観察してまうのは自分の癖だった。サトシといた茶髪の男は好みではないが、顔立ちが華やかでセンスも良かったから、目をひいた。だからこそ指先にも目がいく。

 あの男の薬指に指輪は無かった。

 それに俺がサトシに声をかけた瞬間、俺達の関係を悟ったのかあの男はこちらを睨んだ。あからさまな嫉妬の色。

 

「馬鹿馬鹿しい。好きなら早く言ってやれよ」

 

 そこにいない、名前も知らない奴に毒づいた後、妙に疲れてベッドにごろんと仰向けに寝転んだ。

 

 冷静になれだなんて自分の行動を棚に上げて。俺の行動こそ馬鹿げている。

 昨日の言葉だって嘘だ。既婚者を相手ににするなんて面倒ごとしかないからごめんだ。

 三回目、四回目……初めて会った日と偶然会った二回目以外は、全部自分から誘った。二回目でサトシの『抱かれたい時』が、誰でもいい訳じゃないと何となく悟ったからだ。

 俺が抱きたい、サトシが抱かれたいという欲求が少ないタイミングなら、少しは自分の方を向くんじゃないかと期待した。強引にいかなければ会えない関係だった。強引にいくにしても、もっと言葉を選べば良かった。

 最初はただ、素面と行為の時の顔が違うように、もう少し近づければ違う顔が見られるかもしれない、という好奇心だけだったのに。

 あいつが違う誰かを重ねてみている気がしてからは、こっちを向かないサトシに段々躍起になった。


 馬鹿だな。よく知らない相手に大切な人間を重ねたって、代わりになんかならないのに。その時だけでも忘れてしまえばいいのに。忘れられないのが辛いなら、そう言ってしまえばいいのに。

 抱え込むから自分の中から出ていかないんだ。片思いに縛られていないでこっちを見ろよ。


『今だけ忘れたら』


 そんなことが言えたら、サトシも少しはあの男から意識がそれただろうか。


「あーあ、どうしたら振り向いたんだろうな、あいつ」


 全然好みじゃないと思っていたのに、結構好きだったのかもしれない。追う方が夢中になれるのか。それとも、ただ同情していただけなのか。

 あれだけ自分に興味がない相手にしがみついていた俺も大概だ。好きだったかもしれないなんて、今更思ったところで遅い。叶わない恋愛に縛られるのはごめんだ。


 その日以来、俺はサトシに連絡するのをやめた。

 どうせあの二人が付き合うのは時間の問題だ。最初から他人が入る隙なんかなかった。

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