にじゅうろくわめ
「……大丈夫か。」
険しい表情の椿に、あの興が思わず口を開いた。
表情だけじゃないオーラまでが、喧々としていた。
「そんなに新学期が嫌か。」
椿はむっとしたまま首を横に振る。
寝不足なだけだ。
人は本当に眠らないとあくびすらでなくなるのだと椿は初めて知った。
――いや、そんなことはどうでもいいのだ。
椿が夜通し考え込んでいたのは、あのすっごくかわいいアイドルみたいな女子のことだ。
椿より背が低い彼女は椿も知っている人だった。
一つ上の先輩。二年生のマドンナ、米山美夏だ。
学校イチかわいいとまで噂される美少女で、ファンクラブまである。
そんな彼女は清臣を下の名前で呼んで、親し気に話していた。
まるで昨日が初めてではないかのような話の弾みっぷりだった。
清臣にしてみても、椿と話すときより柔らかい声で、しかもずっと笑顔を見せていた。
「寝不足ですか?」
椿のどんよりとした空気に清臣も思わずいつもよりさらに低い声で聴いた。
頷くだけの椿はそれ以上も何も言わない。
清臣もなにも聞かなかった。
なにが嫌なのか、と言われれば自分でもよくわからないけど、たぶん、悔しいんだと思う。
清臣が自分に対して少し冷たいのも、自分の知らないところであの二人が仲良くなっていたことも。
あの二人とて、何か悪いことをしたわけでもないのに。
椿はその暗い雰囲気のまま、学校に着いた。
考え事をしている時の椿はとてもテキパキとしている。
そのせいか、学校へはいつもより十分以上早く着いた。
「あれ、早いじゃん。」
葵が長い手足をバタバタさせて椿に手を振る。
「おはよ、みんなは?」
「唯華と梨乃はいつも通りだからまだ来てない。菜乃花は寝坊。恵那は部活、舞香は他のクラス。」
たった十分早いだけでこんなに景色が違って見えるものだろうか。
「みんな案外ゆっくりなんだね。」
太陽もはっさんもいなくて、教室は二人の話し声がよく響いた。
「夏休みどうだった?」
椿が聞くと、葵はんー、と考えた。
「よくもなく、悪くもなく?……やっぱ家族といる時間長いとね。」
葵が家族とうまく行っていないというのは前々から聞いていた。
椿は?と葵は聞く。
「私も、まあまあかな。」
だよね、と葵は笑う。
椿がきょとんとすると、葵はますます笑った。
「だって、すごい顔してるよ。」
椿の真似をしているのか、葵は口を固く結んで、虚ろな目をして見せた。
「うそ、私そんな顔してる?」
椿が目を点にして顔を覆うと、葵は大きく口を開けてゲラゲラと笑った。
「ねえねえねえ!!」
騒がしい足音が廊下に響いたかと思うと、恵那が興奮した様子で教室に駆け込んできた。
「なに?」
おはようも言わず、恵那は駆け寄ってくる。
その後ろには梨乃の姿もあった。
「守間くんと、米山先輩が密会してた!」
椿の顔が一瞬で曇る。
「米山?」
葵が怪訝そうな顔で聞く。
「米山美夏先輩!あのめっちゃ可愛い!」
葵は机をひっくり返す勢いで立ち上がる。
「行くよ!」
荒い息を吐いて、椿の手首を掴んだ。
「待ってろ、米山ぁ!!」
「先輩ね!」
「いつのまにこんな良い雰囲気になったのかしらねぇ?」
椿、葵、恵那、梨乃、舞香、そして唯華の六人は廊下の隅から顔をひょっこりと出して覗き見していた。
「そういう唯華いつのまに来たのよ。」
葵が聞くと、唯華はくすりと笑う。
「来たらみんなが走って行くからついてきちゃった。」
「舞香も?」
唯華と同じくいつのまにかいた舞香は、歯を見せてニカリと笑う。
「いいもん見れたわ。」
六人は視線を二人の密会に向けた。
「いいのかなぁ、こんなこと……」
「なに言ってんの!密会なんて見てくれ、って言ってるようなもんでしょ。」
葵がむちゃくちゃな理論を立てる。
「楽しそー。」
梨乃が思ってないような口調で言う。
だが、二人は本当に楽しそうだった。
昨日見たように、清臣は優しげな笑顔で笑っている。
「女の顔。」
恵那が低い声で言った。
米山先輩の瞳は恋する乙女のそのものだった。
どんな話してるんだろう。
椿の沈み様と、米山先輩の幸福に満ちた顔は、まるで相対していた。
「あ、やばい。」
舞香がそう言って立ち上がる。
そろそろHRの時間だからだろうか、二人は話を切り上げようとしている。
手を振る米山先輩を見て、六人は逃げの体勢をとった。
「逃げるよ!」
葵の一言を合図に、六人はそろってかけだした。
「おい!廊下は走るな!」
種田先生の怒鳴り声が追いかける。
「夏休みは思いっきりハメ外したかもしれないが……」
椿はむすっとした顔で頬杖をついていた。
なんだか釈然としない。
清臣のあんな優しい顔、椿は一度だって見たことはない。
清臣は、米山先輩が好きなのだろうか。
つまり、両思いなのだろうか。
米山先輩は可愛いけど、そのせいか男が絶えない。
夏休み前にはまだ同学年の男子と付き合っていたはずだ。
そんな人を、いや、椿が知らないだけでいい人なのかもしれないけれど、清臣は好きなんだろうか。
清臣に、恋という感情があるのだろうか。
でも、私、なんでこんなにモヤモヤしてるんだろうか。
清臣のことは、椿には関係ないはずなのに。
椿は小さくため息をつく。
考えることは苦手だ。
椿は顔を上げる。
「え……誰。」
「京極、誰ってそれはひどいだろ。」
思わずつぶやいた椿に、ひがっちは眉を下げて言う。
椿は肩をすくめた誤った。
爽やかな顔立ちのイケメンがいた。
だが、クラスメイトではない。
「転校生だよ。」
と、唯華も苦笑混じりに言う。
ちゃんと話聞けよ、と太陽が笑った。
椿はその転校生にちゃんと目を合わせて謝る。
「本当にごめんなさい。」
せっかくの初日、嫌な気分にさせたかもしれない。
「大丈夫だよ。」
爽やかな笑みをまとって、転校生は優しく言う。
「東仁です。早くこの学校に馴染めるように、がんばります。」
言ってることは普通なんだけど、彼が言うとどうも特別に聞こえる。
「東は、イタリア帰りのエリートだ。」
彼は肩をすくめた。
「そんな堅苦しいものじゃないですよ。」
椿は一人、首を傾げる。
じっと転校生の顔を見ていた。
どこか、見覚えのあるような気がする。
ずっと見ていたせいで、目が合ってしまう。
綺麗な瞳が、椿に向かって微笑みかける。
「イケメンパラダイス〜」
葵と菜乃花がアホみたいな顔でふざけ合っている。
「守間くんを、先輩に取られたと思って落ち込んでたけど、東くんのおかげでプラマイプラスかなぁ。」
唯華までもがそう言う。
声色といい、わざとらしい言い方と言い、ふざけているのは明らかだが。
チラリと椿が見れば、東仁は男子たちに囲まれている。
その彼が周囲を見渡したと思うと、立ち上がって、その輪を割って出る。
椿は目を離せなかった。
やっぱり、どこかで知っている。
彼は迷うことなく椿の元へまっすぐと来た。
もう夏も終わりに近いというのに、初夏の風が吹いてくるようだ。
優しすぎる声で彼は言う。
「椿、久しぶり。」
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