にじゅうよんわめ
「元気だねぇ、あの子たちは。」
「何言ってるんですか。」
椿は日よけのパラソルの下で太陽光を反射してキラキラと光る海を眺めている。
「お嬢も遊んで来たらいいじゃないですか。」
サンサンと降り注ぐ太陽の下で、子ども顔負けにはしゃいでいるのは、まごうことなき同級生である。
なんなら、よく知っている。
「葵のばーか!」
「はぁ!?奈乃香のほうがバカでしょ!期末の点数言ってみろー!」
高校生とは思えないはしゃぎっぷりである。
「お前らも、こっち来いよー!」
まぶしすぎる笑顔で言う太陽は、はるか頭上にある太陽より太陽らしい。
「私は荷物番してあげてるのー!」
椿は腕を組んでそこから動かないという意思表示をしてみせた。
海に行かないか、と椿から誘われたのは一週間前。
京極本家への帰省からの帰り道でのことだった。
別に、特別期待していたわけじゃなかったけれど。
清臣はチラリと横の椿を見た。
パーカーを羽織っているけれど、服の隙間から覗く細身の体は色白で、赤子のような透明感があってなめらかだった。
そこには、触れればすぐに壊れてしまいそうな繊細さがあった。
「なに見てんの。」
いや、と清臣はまた視線を逸らす。
ふうん、と椿は清臣の顔を覗き込む。
目を合わせようとしても合わない、と思ったら、ふいに目が合う。
「お嬢こそ、さっきから俺のほう見ようとしないじゃないですか。」
椿はうっと喉を詰まらせて、視線を逸らす。
椿にしてみても、細身だと思っていた清臣の体の意外なたくましさに、面と向かうことができなかった。
「私は人の体をじろじろと見るほど無神経じゃないんです!」
「なにあの二人、いつのまにあんなに仲良くなってんの?」
奈乃香、葵、太陽、はっさんの四人は水面から顔だけを出して、二人の様子を見ている。
「私の椿にあーんな顔させちゃって。」
その言葉に太陽は怪訝な顔をして葵を見る。
「冗談よ。あんたはなんでも真に受けるんだから。」
「それにしても、清臣誘うなんて珍しくね?」
はっさんが話題を変える。
奈乃香はうっとりとした顔で言った。
「誘ってよかったわぁ。」
今度ははっさんが怪訝な顔で奈乃香は見た。
「なによ、別に変な意味はないわよ。」
奈乃香は海の中に沈んだと思えば、ぷかりと水面に浮かび上がる。
「あいつがいたら椿も喜ぶでしょーって。」
知らない?と奈乃香は太陽のほうを見る。
「あの二人、幼馴染なんだって。」
「それマジ?」
太陽が水しぶきを上げて立ち上がる。
「少女漫画にありがちな展開だよね。」
「で、京極は何でずっと陸にいるんだ。」
またもやはっさんが話を変えた。
「あぁ、あの子実はね……」
「ねぇ、それ脱がないの?」
葵が椿のパーカーのチャックに触れる。
「恥ずかしいの?」
椿はぷくっと頬を膨らませて、葵の胸元をトン、とたたく。
「葵はいいよねー。」
おっきくて、と葵の胸元をじとりと見る。
「椿だっていい体してるじゃーん。」
葵は豪快に笑う。
「ほら、持って。」
椿は葵にタコ焼きやら焼きそばやらの入ったパックを持たせる。
「守間くんがいるから緊張してんの?」
え?と椿は葵に聞き返す。
そんな椿に葵もえ?と聞き返した。
「違うの?」
「違うよー。」
いや、確かに清臣の存在は椿が身を固くする理由の一つかもしれないけれど、それで言えば太陽やはっさんだって同列だ。
単に異性の前だと緊張する、それだけ。
「なーんだ。まあ確かに、そういうこと気にするタイプじゃないか。」
椿は頷く。
それに……
「おみ……守間くん、彼女いるよ。」
「え?」
葵がぱちぱちと数回瞬きをする。
「えぇぇぇぇ!!!」
葵の気迫に押されて、椿は一歩後ろに下がる。
「うそ!なんでぇ!?」
周囲の視線が二人に集まっている。
「ちょっと、静かに……」
椿は葵をなだめてから言う。
「たぶん、たぶんね。」
一呼吸置いた椿はいっそう声を潜めた。
「あの人から、女物の香水のにおいがしたの。」
四月か五月頃、清臣と一緒に帰った時に、ふわりと香ってきたのだ。
実は他人より五感の鋭い椿にははっきりと感じ取れた。
「浮気じゃん。」
「違うよ。」
「女物って、どういう?」
んー、と椿は思い出す。
「シャロルの香水って言ったらわかる?そんな感じ。」
バニラの風味のする甘くて濃い匂いだった。
鼻のいい椿には、適量でもキツイ種類の匂いだ。
「確かに、あれをつける男はいないわね。」
葵は深くうなずいた。
「相手も結構年上じゃない?」
「だよねー!」
椿もそう思っていた。
思わず声を高くすると、また周囲の視線が集まる。
椿は小さく頭を下げて、声を小さくする。
「守間くんには、椿みたいなあほッ子がちょうどいいと思うんだけどなぁ。」
「だからそういうんじゃないって。あほじゃないし。」
葵は椿の声など無視して考えている。
「お姉ちゃんとか、親とかの可能性は?」
残念だが、ない。
それはよく椿が知っている。
「一人暮らしなんだよね。」
じゃあ違うか……と葵はまた考え込む。
ついでに、椿は京極家の女性をある程度よく知っているが、そもそも香水をつけているような人は思い当たらないし、つけてももう少しさわやかな香りだ。
それこそ、清臣のようにシトラスの香り……
「ねぇ、私ってどういうにおいする?」
突然の質問に葵は目を白黒させた。
「はぁ……どういうにおいって……」
困惑した表情だった葵の顔が一瞬で明るくなる。
「あ!赤ちゃんの匂い。」
「え?」
赤ちゃんの匂いって、どんなにおいだろうか。
「ほんと、元気ね。」
真夏の太陽の下、椿は腕を組んではしゃぐ友人たちを眺めている。
「お嬢こそ、本当に海に入らないんですね。」
「泳ぎたいならどうぞ。」
椿は清臣のほうを見ない。
心の中でため息をついて海のほうを見る。
「……なにを恥ずかしがってるんですか」
椿は何も返さない。
待ちくたびれて椿のほうを見ると、椿は顔を青くしている。
「別に、そういうわけじゃない……けど。」
ふうん?と清臣が意味ありげに相槌をうつと、椿はむっとした。
「本当に、そういうわけじゃなくて……!お、臣こそ、泳げないからずっとここにいるんじゃないの?」
清臣は眉をくいっと上げった。
「まさか。仕事のためですよ。」
椿の顔は、いつのまにか青色から赤色に代わっている。
「ちょっと待ってて!」
椿はくるりと後ろを向くと、白い砂を蹴散らしながら走っていく。
清臣は驚いて顔を硬直させた。
「……なにやってんだ、あいつら。」
遠くで見ていた太陽は一人、そうつぶやく。
別に、恥ずかしいとかじゃない。
いや、確かにちょっと恥ずかしいけれど。
椿はパーカーのチャックを下げる。
綺麗な白い肌があらわになる。
この体は、私の努力の結晶だから、自信がないわけじゃないし。
椿は青い海を見つめながら顔をこわばらせる。
私はただ……
「ねぇ。」
聞きなれない声がして椿は思わず振り向いた。
「やっと、気づいた。」
その声が自分に向けられたものだとは思わなかった。
金髪にピアスをいくつかつけた、似たような格好の男が二人。
「君、一人だよね?」
「……友達と来てますけど。」
ははっと、男たちは笑う。
「いや、今一人じゃん。ちょっと時間良い?」
よくない……と言っても聞き入れられないことは確かだ。
椿は少しずつ後ずさりした。
「ちょっとどこ行くの。」
男のよく焼けた手が椿の腕をつかんで引き留める。
「逃げんなよ。」
低い声がそう言った。
――逃げんなよ、このガキ!
暑さのせいだろうか、視界がぐらりとゆがむ。
脳裏に浮かぶ、遠い昔の記憶。
人を殴りつける鈍い音。
だんだんと小さくなって聞こえなくなる泣き声と、うめき声。
蝉の声がひどくうるさかった。
「何してるんですか。」
男の手がパッと振り払われる。
男がにらみつけた先にいたのは、やはり清臣だった。
「やめてくれます?」
男たちは大きく舌打ちをする。
「彼氏持ちかよ。」
そして、そのまま立ち去って行った。
「勝手にいなくならないでください。」
男たちの姿が見えなくなる前に清臣は言う。
だがそれに答える前に、椿の体がふらりと揺れた。
「お嬢……!」
清臣が椿の体を支える。
「ごめん、大丈夫。」
まぶしい太陽のせいで椿の視界は白んでいた。
「ちょっと立ち眩み。」
だがすぐにその視界も元通りになる。
ゆっくりと息を吐いて、椿は顔を上げる。
「ありがとう。」
その先の言葉が、でなかった。
清臣の瞳が椿をじっと見つめている。
少し熱を持ったような色の瞳が揺れもせず椿を真っすぐにとらえている。
その強い瞳から、椿も逃れることができない。
「お嬢……」
清臣は何か言いかけて、止まる。
「臣……?」
椿が名前を呼ぶと、清臣の視線がそれて、椿はびくりとしてしまう。
ずっと静止していたものが突然動いたら、驚いてしまう。
「なんでもないです。」
清臣は体中の二酸化炭素を抜くくらいの勢いで長い息を吐いた。
「えー、気になるんだけど!」
「それより、いい加減、海入りませんか。」
椿は不満そうに口を尖らせた。
「いいよ、入ってきて。荷物のところにいるから。」
「せっかく来たのに、ですか?」
「そうだけど……」
椿はうつむいてごにょごにょと何かを言っている。
「お嬢……もしかして、ですけど。」
清臣は少し間を置いた。
「……泳げないんですか?」
ぶわっと、椿の顔に紅色が広がる。
椿はうつむいたまま体を小さくしている。
「そうだけど……」
これは太陽の熱のせいだけじゃない。
耳まで真っ赤になった顔は、ショートしそうなくらいの熱を持っている。
「そこまで深いところに行かなきゃいい話じゃないですか。」
椿が思わず顔を上げたのは、その声に笑みが含まれていたような気がしたから。
「臣……」
椿の驚いたような声に清臣はいつも通りに怪訝そうな表情を作る。
「笑った、よね。」
学校の女子たちに見せる笑顔とはまた少し違う、困ったように眉を下げた笑い方。
「俺を何だと思ってるんですか。」
それでも、私に笑顔を向けてくれたのは、初めてだったから。
なんだか、心を開いてくれたような気がして。
臣は椿の顔を見て、肩をすくめた。
「行きますよ。」
椿は我に返る。
「どこに?」
清臣は透き通った海面を指さす。
「大丈夫です。俺がいる限り、溺れたりはしません。」
清臣は椿の手を引いた。
真夏の太陽の強い光が二人に降り注いでいる。
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