ごわめ

「あ、椿きたよー!」

聞き慣れた明るい声が言う。

椿は走って乱れた髪を手櫛で直しながら友達の元へ行く。

「遅いなぁ。」

1、2、3……全部で6人。

なかなかの大所帯だ。

一貫校だから、これまでと学年のメンツはほとんど変わらない。

10クラスあるとはいえ、3年間も過ごしていれば、そこそこの交友関係はできる。

椿のところでは、もうすでに仲良し同士でグループができているようだった。

全員が知り合いのことにホッと胸を撫で下ろす。

こう見えて人見知りなのだ。

「私の席どこ?」

軽い通学バックを肩から下ろしながら聞く。

「ここ。」

椿は瞬きを繰り返した。

「ここだって。」

繰り返して言う。

「なに?私の席で話してたの?」

頷く面々に、椿は意味わかんない、と笑う。

こういうくだらない時間が椿は好きだった。

「今日も寝坊?」

「別にいつも寝坊してるわけじゃないけど」

単に起きるのが遅いだけだ。

「でも今日は6時に起きた。」

歓声が上がる。

偉いじゃん、とか、すごい、とか。

子どもかよ、そう笑いながら、椿はこっそり教室を見回す。

「そういえばさ、転入生っているの?」

椿の学校では高校になるタイミングで、外部からの転入生が10人くらい入学する。

倍率もかなり高いから頭のいい人たちだ。

「いるよ、あの人。」

あの人、じゃわかんないかもな、と思いつつ視線の先を見る。

すぐにわかった。

「イケメンっしょ。」

なぜか自慢げに言う。

あんなイケメンはこの学校にはいなかったからすぐにわかる。

「イケメンで頭も良いって勝てねぇ。」

「私席隣なんだけどさ。」

そう言ったのは大井唯華。

学年一のモテ女だ。容姿はもちろん、この人のずるいところは性格までいいところだ。

椿は一年の頃からずっと仲がいい。

「じゃ、LINE聞いといてよ。」

そしてこれは、福本葵。

こちらも、一年の頃から仲がいい。

交友関係は太平洋のごとき広さで、たいていの噂は葵から聞く。

「好きになられたらごめん。」

「は?やっぱいいや。自分から行く。」

「お、やるねぇ。」

椿は再び彼の方を見る。

なんだか無愛想だな、そう思って友人たちとの会話に戻った。


「お前ら席つけー!」

「え、まってひがっちじゃん!!」

葵が嬉しそうに言う。

「ひがっち担任!?」

「じゃなきゃ来ねーよ。」

比嘉先生。

数学教師には珍しい熱血教師で、授業はわかりやすいし、フレンドリーだしで、生徒からは人気だ。

椿は教卓に近い1番前の席だった。

椿は振り向いて後ろの席の子に声をかける。

「今年もよろしくね。」

去年も前後だった子だ。

「こちらこそー。椿ちゃんが前でよかった。」

「ほんと?」

うん、と頷く子に笑顔で返す。

「この席よく当たるよね。」

「そうなの?」

やだなー、と思う。

椿は勉強ができない。

「また勉強教えてね。」

去年も何度か勉強を教えてもらったのだ。

「もちろん。」

体の向きを前に戻すと、ひがっちと目が合う。

「お、京極じゃん。」

椿は軽い会釈をした。

「このクラスは騒がしくなるなぁ。」

「私のこと見て言わないでくださいよ。」

椿は苦笑する。

「別に悪いことじゃないだろー」

ひがっちは手をパンと叩いて切り替える。

さあ、とハキハキした声で始める。

「4年5組のみなさん、おはよう!!」

高校生らしい、どこか気だるげな挨拶が椿の後ろから返ってくる。

「お前ら、元気ないなー。」

と笑いながらひがっちは進める。

「今日から高校生だけど、高校生らしく生活するように。」

はーい、とまた気だるげな返事。

でも、高校生ってそんなもんだよな。

「今日は、9時15分から始業式があるんだけど、それまで暇だから……何やると思う?」

不意に椿が指される。

「……先生の話。」

ひがっちはニヤッと笑う。

「そんなに先生の話聞きたいか。」

「いや、結構です。」

教室のあちこちから笑い声が聞こえる。

1番前の席で椿は小さく肩をすくめた。


「椿〜!!」

大きく手を振っているのは去年同じクラスだった白井カレンだ。

「同じクラスがよかったよー!!」

「もうちょっと静かにしなさいよ。」

そう言ってカレンの頭を小突くのは、同じクラスになったことはないけれど仲のいい村上天音だ。

「体育一緒だよね?」

椿が聞くと、カレンは泣きそうな顔をつくる。

「そうだけど、私はずっと椿と同じ空間にいたいんだから。」

カレンは滝のようにすさまじい勢いで話す。

「てかさ、そっちのクラス担任だれ?」

「ひがっち。」

二人揃って驚いた顔をする。

「ひがっちって、最高学年の担任しかやらないんだと思ってた。」

確かに、椿が入学してからはずっと高校3年を担任していた。

「いいなー。うらやましい。」

「そっちは?」

「なんか、新任の先生らしいよ。」

「めっちゃ貫禄あって、全然そんな感じしないけどね。」

ほら、あの人。と天音が指差すのは、確かに若いけれど、気の強そうな女性。

「でも美人じゃん。」

椿が言うと、それはそう、とカレンは頷いた。

「うちのクラスさ、吉川、三好、市之川が一緒なの。」

天音は声を顰めて言う。

スラスラと出てくる3人は、悪ガキとして悪名高い。

小学生みたいな嫌がらせから、物を壊すことまでなんでもしてきた。

この学年の問題ごとはだいたい、あいつらが原因だ。

「なんか闇感じるよね。」

どんな闇だろう、と思いながら、隣のクラスの担任だと言う女性を見る。

この人なら大丈夫そう。

なんの根拠もなしにそう思った。

「イケメンいた?」

カレンがさらに声を顰めて言う。

「いたよ、転入生。」

まじかあ、とカレンは体の力を抜く。

「後で教えてよ。」

椿は小さく頷いた。

「今年は椿も彼氏できるといいね。」

その言葉に返事しようとした時、後ろから声をかけられる。

「そこ、静かに。」

椿とカレンは二人揃って肩をすくめ、天音は知らんぷりだ。

いいじゃん、まだ他のクラス揃ってないし。


「校長の話つまんなすぎ。」

「もう内容覚えてないわ。」

「あんたずっとカレンと話してたでしょ。」

「ずっとじゃないよ。ときどきね。」

階段を登りながら話す。

声を張り上げなければ聞こえないほどの喧騒は、階数が増えるにつれて減っていく。

「お、椿じゃん!!」

他クラスの子が椿に声をかけた。

「今日もかわいいよー!!」

ホストみたいな掛け声、と口に出すと、相手には聞こえなかったらしいが、唯華には聞こえていたらしい。

「あの子と仲良いの?」

笑いがおさまった唯華に聞かれる。

「なんかね……この間声かけられて、連絡先交換したんだけど。」

「ナンパかよ。」

唯華が言いたいことはわかる。

あの子はあまりいい噂の聞かない子だから。

椿だって仲良くする人は選びたいが、どうしても流されてしまう性分のために、“気づいたら”と言うことがすごく多い。

「ほんと、友達多いよね。」

「唯華ほどじゃないよ。」

「嘘だ。」

椿の交友関係といえば女子に限定される。

椿は男子が苦手だ。

ただ性別が違うと言うだけなのに、いざ話すとなると緊張してしまう。

それが相手には無愛想に見えるせいか、溝は深まるばかりだ。

どうも男子の間では恐れられているらしい。

「お、なんだ。」

唯華の視線の先には人だかりができている。

椿の教室のあたりだ。

「イケメン見に来たのか。」

なるほど、椿は頷く。

それにしても噂が回るのは早い。

「すごいよ、あのイケメン。隣にいるだけなのにすごい緊張する。」

「あの唯華が?」

「そう、あの私が。」

なかなかの強者だ、と思う。

よく顔を見ていないけど、芸能人みたいだな、とは思った。

「教室もどれ!!散れ!!」

ひがっちが集団を解いていく。

そのおかげで椿たちも教室に入ることができた。


「せっかくの新学期だしな、自己紹介でもするか。」

歓声が上がる。

椿は自己紹介が苦手だ。

というより、不特定多数の注目を集めることが苦手だ。

注目を集める行動ばかりとるくせに。

「転入生もいるし。な、カミマ。」

「あ、先生、名前言うなよー!ネタバレ!」

クラスの男子——榊太陽と八戸陸が声を上げた。

二人は唯一、椿が普通に話せる男子だ。

たぶん、一年の頃から話しかけてくれていたから。

それにしても、カミマってどんな字を書くかわからないが、珍しい名前だ。

「じゃあ、1番から。名前と、趣味くらい言っとくか。」

そうして、すぐに椿の一つ前、転入生の番になる。

徐に立ち上がる彼は、すらっとした頭身の持ち主だった。

唯華といい、生まれ持ったものが特別な人は、オーラさえ特別らしい。

教室は波を打つように静かになった。

「カミマキヨオミです。趣味は映画鑑賞です。」

ぽいなー、と椿は心の中でつぶやく。

「名前、どういう字で書くんですか!?」

太陽が聞く。

相変わらずの元気さだ。

「守るに間って書いて守間。下の名前は清いに忠臣の臣です。」

守間清臣カミマキヨオミか。

思ったよりも和風だ。

「よし次。」

椿はゆっくりと立ち上がって振り向く。

36人のクラスメイトと目が合う。

「京極椿です。ピアノをよく弾きます。よろしくお願いします。」

椿は小さく会釈して座る。

「合唱コンの伴奏やるか?」

「いや……そこまで上手くないです。」

あくまで趣味の範疇だ。

そうこうして、自己紹介は終わった。


「椿、午後暇?」

唯華の問いに頷きそうになって留まる。

「ごめん、用事あって。」

「珍しいじゃん。男?」

葵は遠慮しない。

「私に男できると思う?」

「思うよー、こんな可愛いんだもん。」

横から抱きついたのは、尾崎菜乃花。

去年までは、クラスは違った。

菜乃花もコミュ力が高くて、特に先輩に知り合いが多い。

「椿に彼氏ができないのはさ。」

落ち着いた声。伊達恵那だ。

恵那も今年、初めて同じクラスになった。

もとはカレンの部活の友達で、その関係で知り合った。

「男に見る目がないからだよね。」

「あと度胸。」

大人っぽい静かな声で言うのは、真鍋梨乃。

菜乃花、恵那に続いて初めての同じクラスだ。

椿に負けないくらい人に恐れられている。

クールなところはあるが、仲良くしてみるとかなりいい子だ。

「度胸がないと椿には釣り合わないよね。」

ギリギリバレそうなスクールメイクを施したザ・Jk顔の渡辺舞香。

去年、委員会が同じで仲良くなった。

「褒めすぎだって。」

「褒めてないけど。」

椿の言葉に梨乃が即答する。

仲が良いからこそのやり取りだ。

「お前らも帰れ!」

ひがっちの言葉に追い立てられるように椿たちは教室を出る。

「さよならー。」

「じゃーね、ひがっち。」

相変わらずフランクな葵。

「あんたもう高校生でしょうが。」

菜乃花が葵に言った。


学校の最寄駅に着くと、それぞれの方面の電車に乗るためにバラける。

椿は唯華と同じ沿線に住んでいる。

「引っ越したんだね。」

「通学時間は変わんないんだけど。」

兄たちはそれを条件に家を探したらしく、起きる時間も家を出る時間も、わざわざ早めたり、遅めたりする必要はなかった。 

「椿と一緒に帰れるの嬉しいな。」

「前も一緒に帰ってたじゃん。」

椿たちはこの電車を降りる駅で乗り換えをする。

前まではそこで別れていたのだが、引っ越したおかげで乗り換えの後の電車も同じになった。

「今日はなんの用事?」

なんと答えるべきか少し悩んだ。

「家族サービスかな。」

いいな、と唯華は小さい声で呟く。

唯華の両親は忙しいらしく、家にいないことがほとんどだと言う。

今なら椿も唯華の気持ちがわかる気がする。

「今度、唯華サービスもするね。」

「ほんと?」

唯華は嬉しそうに言う。

普段はどこか壁を感じさせるのに、友達の前では素直でいれることが、唯華の良さだ。

椿はたぶん、どこにいても素直すぎる。

唯華は遠慮の壁なのに対して、椿が苦手な人の前で壁を作ってしまうのも、素直だからだ。

もう高校生だし。

窓の外を流れる見慣れた景色を見ながら思う。

緊張するという理由だけで他人を苦手だと思うのはやめよう。

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