第15話
「そういえばさ、何でこの方法思いつかなかったんだろう」
三日後。真澄がいつものように夕食の準備をしていると、待っていた稜は声を上げた。
今日は真澄の誕生日。またいつものように家事代行のバイトをこなしてから、夕方に稜の家に行くと、タイミングよくデリバリーの食事が届く。便利になったよな、と言う稜が頼んでくれたらしい。パーティー用らしい華やかな飾り付けのちらし寿司と、お湯を注ぐだけのお吸い物、フライドチキンを、受け取った真澄がテーブルに置く。
その飾り付けが写真映えしそうだったのでスマホで写真を撮っていたら、稜が言ったのだ。
「真澄と写真取ればいいんだ」
「……ええ?」
何でまた、と思いかけて真澄は思い出す。彼は声だけでしか相手の感情が把握できないから、どんな表情で話しているのか知りたがっていたことを。もし自分が視覚障がい者だったら、友達の顔が見たいと思うのは普通のことだと思った。でも、外見にコンプレックスを持つ真澄は躊躇う。
「……どうしても撮りたい?」
「うん。ダメ?」
にこやかに言われて、断るのもなぁ、と思った真澄は、個人で楽しむだけにとどめるよう、念を押して了承する。
「っていうか、個人以外でどう楽しむんだ?」
「盗撮して勝手にSNSに上げたりするひとがいるからね」
「……あー」
SNSが普及して久しいが、ネットリテラシーも満遍なく広まっているとは言い難い。デジタルタトゥーと言われるほど、世界に拡散されたものは完全に消すことは難しいのだ。
なるほど、と稜は苦笑する。でも、と真澄はふと気付く。
「僕と写真撮ってどうするの?」
単純に見えないだろうに、と思っていると彼は笑う。
「雰囲気を楽しむんだよ。それに、……あとで真澄の顔を拡大して見てみる」
「……っ、それは!」
そんな目的で撮るなら、恥ずかしいからやめてくれと真澄は慌てた。大声で笑った稜は恥ずかしいだけなの? とか聞いてくる。
「当たり前だよっ」
「でも、真澄はアルバムとか見返したりしない? それに、嫌じゃないんだ?」
「……恥ずかしいから嫌だっ」
揚げ足を取ったような稜の言葉に、真澄は口を尖らせた。すると稜は、意外とあっさり引き下がる。
「わかったわかった。じゃあ、いつか一緒に写真撮ろう」
笑い混じりにそう言う稜は、これ以上ないくらい楽しそうだ。……自分をからかって笑っているのが複雑な気持ちだけれど。真澄は「いつかね!」と食事の準備を再開する。
「あれ? お酒は買ってこなかったの?」
つい先日、稜に二十歳になったらお酒を飲みたいかという話題を出したからか、稜は真澄が飲むと思ったらしい。真澄は麦茶を注いだグラスと麦茶ポットをカウンターに置くと、それをダイニングテーブルに置くためにキッチンを出た。
「一人で飲んでも楽しくないと思って。お酒は稜の誕生日まで取っておくよ」
「……そっか」
稜は目を細める。最初は切れ長のその目が鋭いと思っていたけれど、最近は凄く優しい目をしているなと感じた。稜が穏やかでいられる要因の一つに、自分がいたら良いなと思う。
――自分も、人のために役に立っていると、稜はやっぱりそう思わせてくれる。
「食べようか」
「……だな」
なぜか二人でクスクスと笑い、椅子に座った。今回は麦茶だけれど、次に豪華なご飯を食べる時は、お酒かな、と真澄はグラスを持つ。
「稜、乾杯しよ」
「うん」
一時の方向にグラスがあるよと伝えると、稜の右手がそろそろと伸びてそれを掴む。彼が掲げたグラスに真澄は軽く自分のを当てると、カチン、と軽く音がした。そして二人で麦茶を飲む。
「……ふふっ」
中身は麦茶なのに、わざわざ乾杯していることがおかしくて笑うと、稜も笑う。最近本当に明るくなったよなと言う稜に、真澄はそうかもね、と返す。
「やっぱり稜のおかげだと思う。稜は僕を否定しないでいてくれるから」
環境……人間関係が変わるだけで、自分にこんな変化があるとは思っていなかった。逆に、人は環境によってある程度変わるのかもしれないな、と真澄は思う。
「さ、食べよう。……すごく綺麗なちらし寿司だね」
真澄は具材たっぷりのちらし寿司を眺める。デリバリーなのでプラスチックのパックに入っているのはご愛嬌だが、そのパックすら高級に見えてくるから不思議だ。具材はレンコンに椎茸、角切りにしたマグロとサーモンときゅうり、イクラと錦糸卵と千切りした絹さやが散りばめられていて、見た目も鮮やかだ。
「画像で決めたらこうなった」
「具材見えないのに?」
「そう。綺麗そうだからこれにしよーって」
真澄は笑う。決め方は適当だけれど、お祝いしてくれる気持ちだけで十分嬉しい。お礼を言って箸を取り、ちらし寿司を掬う。ポロポロとイクラが溢れて、こんな豪華な食事、いつぶりだろうと頬張った。
「んん! ……美味しい!」
「よかった」
ちらし寿司はお世辞なしに美味しかった。酢飯の酸味と刺身の甘みも、イクラやきゅうりの食感も良い。美味しい美味しいと言いながら食べていると、稜が笑う。
「声色で本音だってわかるよ。よかった、これにして」
「ふふ、祝ってくれるだけでも嬉しいけどね」
真澄がそう言うと、稜も肩を竦めて笑う。
あっという間にちらし寿司とチキンを平らげ、真澄は一番楽しみにしていたケーキを冷蔵庫から出す。二人分にしては大きい箱だなと思ったら、中に入っていたのはホールケーキだった。しかもロウソクまで付いている。
「え、【誕生日おめでとう ますみさん】ってプレートまで付いてる……」
「レアチーズケーキだけどよかった?」
「え? うん、もちろんだけど……」
正直、カットケーキを食べるものだと思っていたから、不意をつかれた。すると稜は、察しているかのように笑う。
「真澄、嬉しすぎて戸惑ってる?」
「え……」
真澄は稜を見た。完全に思考が停止してしまっていて、どう反応したらいいのかわからないことに気付く。それが戸惑いというのなら、せっかくお祝いしてくれた稜に、失礼な態度を取ったのかもしれない。
「ご、ごめ……」
「あ、謝った。でも良いよ、びっくりした?」
稜は笑いながらそう言ってくる。そんな彼の表情を見てやっと、サプライズが現実味を帯びてきた。真澄は口角が勝手に上がっていくのを抑えられなくなる。
「……びっくりした。うん、……嬉しい」
肩を竦め、はにかみながらそう言うと、稜は小さくうわ、と声を上げる。それから口元を手で押さえたのでどうしたのかと思っていたら、彼の頬と耳が赤くなっていくのが見えた。
「ちょっと待て、何で俺まで……」
不本意だとでも言うような稜は、ああもう、と顔を手で扇いでいた。男二人して照れているのがおかしくて、真澄は笑う。
「ふふ、何で稜まで?」
「……真澄のせい」
「えっ、ごめんっ」
どうやら自分が知らないうちに何かしてしまったらしい。慌てて謝ると、稜は大きく深呼吸をした。それでどうやら落ち着いたらしい彼は、何やら真剣な声で言う。
「真澄は、なんかこう……声と感情が一致してるんだよ」
素直なんだ、と言われ、そうなのかな、と真澄は首を傾げた。叔母には可愛げがないと言われてきたし、【嫌だ】と言えなかったので、曖昧に笑って誤魔化してきたから、素直とは言い難いと思う。
(あ、そうか……)
嫌なのに、笑って誤魔化していたことが相手にも伝わっていたのかな、と思う。それが内藤たちの言動をエスカレートさせていたのかもしれない。
「でも、そこは真澄の長所だと思う。相手を想って発言すれば、ちゃんと伝わるよ」
俺はそういうところ、好きだなと言われ、頬が熱くなった。そういう稜も、言い方はキツイ時があるけれど、真澄を否定せずに見ていてくれる。
「稜こそ……僕を否定せずにいてくれるじゃないか。よく友達になろうって思ったよね」
「あー……そうだな。最初は本当に興味本位だった」
食べよう、と真澄はケーキを出し、ロウソクを立てる。そうしてから、火をどうやってつけるかに思い至り、仕方なくキッチンのコンロで火をつけた。
再びテーブルに着いて照明を消す。ロウソクのオレンジ色の光が暖かく感じて、胸も温かくなった。こんな風に、これからも友達と誕生日を祝うことができたらな、と思う。
「誕生日おめでとう」
バースデーソングを歌ったあと、薄暗闇の中、稜の声が妙に優しく聞こえた。それがくすぐったくて笑うと、真澄はひと息にロウソクの火を消す。
真澄は照明を点けると、稜がこっち来て、と呼んできた。何だろうと思って行くと、指点字、と言われて机に両手を置く。
稜は置かれた真澄の手を探って指先を合わせると、【誕生日おめでとう】と言葉と共に打ってくれた。
「今日のロウソクの火が、今までで一番綺麗に見えた」
微笑む稜は続いて無言で指点字を打つ。まだ覚えきれていない真澄は慌てたけれど、最後の二文字はわかった。左手の人差し指と中指を同時に二回……【いい】と言ったらしい。
「そもそも、指点字は盲ろう者のために開発されたんでしょ? 僕相手なら喋ればいいじゃん」
「あはは。これがわかったら指点字をマスターしたってことで」
そしたら答えを聞かせてくれというので、質問だったの? と真澄は聞いたけれど、稜は笑うだけで答えてくれなかった。ハッキリしない気持ち悪さはあったものの、稜が【いい】と言っているなら悪いことではなさそうだ。
そのあとは二人でケーキを食べる。案の定多くて食べきれなかったけれど、明日も食べよう、と稜が笑って言ってくれたので、真澄は冷蔵庫にケーキをしまった。
後片付けが終わると、今日は帰らなくていいんだ、ということに気付く。何だか不思議な感じだけれど、まだ稜と話ができると思えば嬉しい。
「お風呂の準備するね」
いつも通りに声を掛けて行くと、稜は「ありがとう」と笑った。自分もだけれど、稜も笑うことが増えたなと感じる。
それぞれ風呂に入り、あとに入った真澄がリビングに戻ると、稜はイヤホンで何かを聞いていた。本かな、と思いつつ彼が座るソファーの隣に座ると、気付いた稜がイヤホンを取る。
「あ、ごめん。邪魔しちゃった?」
「いや、……早かったな」
「ああ、何かいつもの癖で……」
真澄はほぼ自宅に帰っても寝るだけなので、とくに夏はシャワーのみでカラスの行水だ。そう言うと、稜はたまにウチに泊まればいいよ、と言ってくれる。一軒家にずっと一人なのも寂しい、と。
「稜も寂しいって思うことあるんだ?」
「そりゃあ……。真澄、もう寝る?」
俺はもう少し話したい、と言われ、真澄は逡巡したあと良いよと頷いた。
「ありがとう。……ちょっと待ってて」
そう言った稜は、いつもと同じように家具や柱などに指を滑らせながら二階へ上がっていく。その様子が少しウキウキしているように見えて、何をするんだろう、と真澄も自然と笑みが零れた。
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