第10話

「内藤、くん……」


 今のいままで楽しい気分だったのに、一気に地へ落とされた気がした。顔が強ばったのが自分でもわかり、意識して笑顔を貼り付ける。


「あ? 見ない顔だな誰だよ?」

「こっ、この人は……」

「真澄の友達だけど?」


 真澄の代わりに答えたのは稜だ。しかし内藤は真澄の肩に腕を回し、友達だぁ? と敵意剥き出しにしている。


「なぁ真澄、お前は仲良く手を繋ぐ間柄が友達って言うのか?」

「え……っ?」


 覚えのないことに言及されて、真澄は戸惑った。そしてすぐに気付く。もしかして、指点字を見られていたのだろうか? それを勘違いして、手を繋いでいたと思われているのかもしれない。


「ち、違うよっ」


 真澄は慌てて否定した。


「この人は、その……視覚障がい者で。点字を教えてもらってたんだ」

「そうそう。……あ、もしかして、俺と真澄が特別な間柄だと勘違いした? それで怒ってんの?」

「あ? 誰が怒ってるって?」


 真澄はなぜか稜の言葉に、内藤を挑発するようなニュアンスを含んでいる気がした。案の定内藤は突っかかってきて、怖くなった真澄は肩に回された彼の腕を解こうとする。しかしグッと力を込められ、かなわなかった。


「何だ図星? ごめんごめん」


 しかし笑いながら言う稜の挑発は止まらない。真澄はその挑発の意味もわからず、戸惑うばかりだ。大体、内藤からこんな風に肩を組まれることなんて今までになく、それに対しても困惑する。


「真澄……」


 立った位置から肩を組まれ、間近で睨んでくる内藤の迫力は凄まじかった。反射的に真澄は謝る。


「ご、ごめんっ。でも本当に、この人は友達で……!」


 そう言いながら、真澄は「あれ?」と思う。なぜこんなことを内藤に弁解しなければならないのだろう、と。


「……あっそ。わかった」


 そう言った内藤は、するりと真澄から離れ、去っていく。いつもならもっと絡んでくる彼のあっさりとした引きに、真澄は呆然としてしまった。しかしすぐにハッとする。


「ちょっと脇崎さんっ、内藤くんを怒らせたら面倒なことになるのに……!」

「何で? あっさり引いたでしょ?」


 そう言った稜の声音は、少し冷たく感じた。そんな無責任な、と言いかけて口を噤む。そんな風には言いたくなかった。消息不明の同級生と、同じことを自分がしている気がして。


「何で、こんなことを……」

「理由として一つは、アイツが真澄に絡む根本的な理由をアイツに気付かせるため。もう一つは、真澄にもアイツ以外のコミュニティがあると知らしめるため」

「だから、何でっ?」


 今後、内藤にもっと執拗に絡まれたら困る。それを稜は考えなかったのだろうか。


「だって、アイツだよ? 僕に絡んで……ほかの仲間と店のもの盗んだの……!」

「うん。それはすぐにわかった」


 でも、これから真澄に対してどう接するかはアイツの問題でしょ、と彼は言う。


「それで真澄も、アイツに対してどう接するかだよ。あと、単純に俺はアイツが気に入らない」

「何で……っ?」

「真澄」


 静かだけれど鋭い声で、稜は真澄を止めた。


「自分が原因の一つだって、言ってたじゃないか。この状況が嫌なんじゃないの?」


 そう言われ、真澄はヒュッと息を飲む。それはそうだけれど、と思って、すぐにフッと肩の力を抜いた。

 ――やっぱり無理なんだ。人間そんな簡単には変われない。稜はそれも理解してくれているものだと思っていたけれど……何も自分のことなど理解していない。

 そう思ったら、自然と口の端が上がる。


「脇崎さんには、わからないよ……」

「そうだね。そうやってすぐ諦めて流される道を選ぶのに、文句は言うんだ?」


 稜の言葉に真澄はかあっと顔が熱くなった。図星すぎて胸がズキン、と痛む。

 確かにそうだ。正しい友達のあり方を示せず、相手の都合の良い存在になっていたにも関わらず、それが嫌だったとあとになって思っていた。内藤だって、その仲間だって、早く丸く収めたいからと自分から損を被ったにも関わらず、あの人らは面倒だと言っている。

 現状を変えるつもりがないのに、不満だけは一人前だ。


「真澄」


 稜の声が頭上でした。いつの間にか俯いていたらしい頭を上げると、真剣な眼差しの稜がいる。


(目が、……合ってる……)


 そう言えば、真澄の顔のパーツはわかりにくいと彼は言っていた。これは真澄が、偶然目が合っていると思い込んでいるのか、それとも……。


(僕を、ちゃんと見ようとしてくれている……?)


 色素が薄くて気持ち悪いと言われた、この目を。


「手、出して」


 稜はまた、テーブルの上に真澄の両手を置き、手を重ねる。そして指でタップしたのは、先程教えてもらったばかりの五文字。


【だいじょうぶ】


 そして彼は、真澄の両手を自身の両手でギュッと握った。


「大丈夫」


 力強い声と、温かい体温に、理解されていない訳じゃないとわかり、真澄は目頭が熱くなる。言葉は厳しいけれど、彼なりの発破だったのだ。

 どうしてここまでしてくれるのだろう、と思う。友達ってこんなに深いところまで踏み込むのか、と思ったけれど、真澄にとって友達は、稜が初めてなのでわからない。

 ――自分が健常者だから? それなら、何も自分じゃなくたって、ほかの人でも良い。


「どうして……ここまで……」


 真澄は握られた手をテーブルの下に下ろした。けれど稜の手は離れない。


「……似たような人を、俺は何人も知ってるから」

「え……」

「見えないから、……わからないから何をやってもいいって、人権を無視されたり、無視した行動を起こしたりした人を知ってるんだ」


 何でか、俺は「被害者」からのそういう相談をよく受けるんだよね、と稜は苦笑しながら言う。


「そういうのに遭わないために、相手を拒否するための【嫌だ】じゃなくて、自分を守るための【嫌だ】を使って欲しいって」


 そういう目に遭った人は、往々にして自分を責めてしまいがちだという。確かに真澄も、もっと自分にできることがあったんじゃないか、とか、苦しんでるなら助けてあげなきゃ、と思ったことがある。――自分のキャパシティを超えているにも関わらずだ。そして、真澄自身も周りに助けを求める方法がわからなかった。


「……」


 かなわないなぁ、と思う。そして稜はやっぱりちゃんと責任を持って、人に寄り添える人なのだ。


(責任……)


 そうだ、彼の言動には責任が伴っている。対して自分はどうだ? 自分ができること、できないこともわからず寄り添う振りをして……向き合ってる振りをした。

 思えば、消息不明の同級生も、内藤も、どうしてそんな行動に出るのか、深く知ろうとも思ってなかった。何かきっかけや原因があっただろうに。


「……脇崎さん、モテるでしょ……」


 自分の至らなさを自覚させられて、落ち込んでもそばにいてくれる。その心の広さと強さは、誰にとっても魅力的だろう。いつか稜に聞かれた質問を、真澄もしてみた。


「モテる、かなぁ? いや、普通だと思うけど?」


 首を傾げて苦笑した稜は、真澄から手を離した。少しそれが寂しいと思って、慌ててその考えを打ち消す。


「それよりも。真澄はちゃんと自分を守って? その上で、できることをすればいいよ」


 あと、名前で呼んでくれないの? と笑い混じりに言われて、真澄は照れて笑ってしまった。思えば、人を下の名前で呼ぶことなんて、したことがなかったなと思う。


「な、何か照れくさくて……」

「そうなの? ただの名前だよ」


 喉の奥で笑う稜は、何だか楽しそうだ。ほら呼んでみて、と言うので、真澄はひと呼吸置いた。


「……稜」


 やはり照れて小さな声になってしまったけれど、稜にはちゃんと届いたらしい。彼は嬉しそうに微笑み、それから声を上げて笑った。


「……ははっ、なるほど腑に落ちた」

「え?」


 何がなるほどなのだろう、と稜を眺めていると、彼はまだ声を抑えて笑っている。


「ごめん。でもそういうことか、納得」


 何やら自己解決したらしい稜。また手を出してと言うので言われた通りにすると、先程教えてくれた時よりも、数倍速いタップで指点字を伝えてくる。


「え、ちょっと、……待って、わかんないっ」


 ベースである【あいうえお】すらわからないのだ、真澄は慌てて「何て言ったの?」と尋ねたが、稜は笑うだけで答えてくれなかった。


「話せるんだから教えてよっ」

「それは真澄が【嫌だ】を使いこなせたらな」


 ぐう、と真澄の喉が鳴る。どうやら、そう簡単には教えてくれないようだ。でも、あまりにも優しい視線でこちらを見ているので、悪いことではなさそう、と思う。


「……そろそろ帰って、掃除と洗濯、買い物もしなきゃ」


 これ以上追求するのを諦めそう言うと、じゃあ行こう、と稜は立ち上がる。もちろん、これらの家事というのは脇崎家でする仕事のことだ。


「買い物、俺も一緒に行っていい? 遠い方のスーパー」

「良いけど……大丈夫? しんどくない?」

「いや、あの道に慣れておきたいし」


 行動範囲が広がるのは嬉しい、と稜は真澄の肩を掴んで歩き出した。こうして地道に、彼はできることを増やしている。真澄は素直に彼を尊敬した。

 だから自分もきちんと【嫌だ】を使いこなせるようにしたい。そしてそれにまつわる不安も、稜が【大丈夫】と言ってくれるから、大丈夫だと思える。努力してみようと思うのだ。


(……うん。頑張ろう)


 自分を勇気付けてくれる稜のために。何より自分のために。

 改めて、真澄は稜と友達になれてよかった、と思った。

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