第七章 《レッド・レウ》テュポエウス

 直斗ら三人と別れた後、ルカは、戦獣を『駆除』しながら、首謀者を探していた。三人に言及した通り、この戦獣達を統率するならば、必ず使役者が一定の範囲内にいるはずだ。ましてや、相手は結界を張っている。確実に、高校の敷地内に潜んでいるはずだ。


 問題はその場所だった。慎重なタイプならば、入念なカモフラージュを施し、姿を眩ましているだろう。それをすぐに発見することは、困難を極める。姿を見つけた時には、おそらく、大部分の生徒が殺された後に違いない。


 相手が、慎重ではないタイプでも、結果は似たようなものになるはずだ。わざわざ堂々と姿を晒すような真似をするわけがない。こうやって戦獣をけしかけ、殺戮を行っているのだ。殺戮が目的ならば、姿を晒す意味がない。


 他に何か意図がない限り。


 ルカは、運動場の戦獣を殺した後、B棟とC棟の間にいた。周りは惨殺体か、パニックになって逃げ惑う生徒の姿しか見えない。


 ルカは、頭の中に、扶桑高校の校内の見取り図を思い浮かべた。北側にある食堂から、南に向かい、A棟からD棟まで校舎が並んでいる。そしてその西側には、南側から体育館、武道場、そして、部室棟が建てられていた。


 その何処かに、該当者はいるはずである。体育館よりも、さらに西側にある運動場には、その姿がないことは確認済みだった。


 再び、生徒の悲鳴。B棟内部からだ。二階の廊下に、戦獣がいる。女子制服姿の悲鳴の主が、今にも襲われそうになっていた。


 ルカは、校舎の壁を蹴り上がり、二階へ飛び込む。そして、間髪を入れず、電撃を叩き込んだ。この戦獣は相当頑丈であり、意識して強力な攻撃をしないと、一撃では倒せなかった。始めの内は仕留め損なったが、今では力加減がわかり、即死させることが出来ていた。


 戦獣は、髪の毛が焼けるような嫌な臭いを放ちながら、倒れた。襲われていた女子生徒が、怯え切った表情で、こちらを凝視している。そして、呆然と呟く。


 「ルカ君?」


 血に塗れてすぐには気付かなかったが、その女子生徒は、志保だった。


 「志保さん」


 志保は、ルカに駆け寄ると、抱き付いた。そして、震えながらすすり泣く。


 「怪我は?」


 ルカの問いに、志保は首を振る。ルカは、ひとまずホッとする。多少なりとも関わりのある人なのだ。無事なのは嬉しい。


 志保は、泣きながら訴える。


 「木場君が……。クラスの皆が……」


 ルカは頷いた。


 「どこも安全な所はありません。今から僕は、この化け物を操っている人物を探して、倒します。それまで、近くの教室へ隠れていてください」


 志保は、顔を上げ、涙に濡れた目をルカに向けた。


 「行かないで! 一緒に居て」


 ルカは、優しく志保の肩を抱いた。


 「これ以上犠牲者を増やさないためにも、僕は行かないといけません。わかってください」


 その後、縋り付く志保を説得し、ルカは、志保の元を離れた。志保は、近くの教室へ隠れるようだ。運が良ければ、生き延びるだろう。


 ルカは、B棟から、そのままC棟へと飛び移った。そして、屋上へと駆け上がる。高い所から見渡せば、何かわかるかもしれない。


 ルカはそう考えた。しかし、その必要がなかった。


 D棟の屋上に、そいつ等はいた。


 大柄な黒甲冑と、白甲冑の人物だ。


 あろうことか、黒甲冑は、髑髏をあしらった椅子に座り、堂々とその姿を晒していた。背後には、旗すら立ててあった。赤の下地に、黒い狼の刺繍を施したデザインだ。何処かで見た記憶がある。名前まではわからないが、リウド国の傭兵団だったはず。


 あまりにも堂々としたその光景に、ルカは面食らう。いささか滑稽にも見えるが、明らかに不自然だった。


 なぜ、姿を晒しているのか。


 戦獣を放った以上、統率者が姿を晒すメリットはない。行使者が倒されれば、戦獣は制御出来なくなるからだ。


 罠だろうか。ルカは訝しむ。しかし、躊躇っている余裕はない。あの二人が首謀者なのは明白だ。仕留めなければ。


 ルカは、C棟の屋上から、D棟の屋上へと飛び移った。飛び移ったにも関わらず、二人は、何らアクションを取らなかった。元々、ルカの接近を感知していたようだ。


 ルカは、二人へと近付いた。


 そしてようやく、黒甲冑が口を開いた。それは、リウド国の言語だった。


 「違う奴が釣れたな」


 野太く、力強さと、残忍さを感じさせる声質だ。


 「しかし、なかなかやるなお前。戦獣をあんなに殺すとは。もう半分程度しか残っていない。さすがは吸血鬼様か」


 どうやら黒甲冑が頭らしい。ルカは、リウド語を使い、黒甲冑に向けて言い放った。


 「今すぐ、戦獣を引き上げてください」


 黒甲冑は、くつくつと笑った。


 「勘違いするな。お前はお呼びじゃないんだよ」


 黒甲冑は、右手を上げた。すると、隣に控えていた白甲冑が、前へと出る。


 「戦獣は幾分か減ったが、本隊を出すまでもない。さっさと殺せ」


 黒甲冑が指示を出す。白甲冑は頷くと、こちらに向かって歩いてくる。そして、一定の距離まで近付き、立ち止まった。


 白甲冑は言葉を発した。


 「私の名前は、キルウル・ロウロ・スルルクル。お前の名前は?」


 リウド国らしい、決闘前の口上だ。相手はやる気らしい。言葉での説得は不可能なことは、先ほどのやり取りでわかった。ここは腹を括るしかない。


 これから戦いが始まるのだ。


 ルカも名乗り返す。


 「ルカ・ケイオス・ハイラート」


 キルウルと名乗った白甲冑は、頷いた。


 「赤獅子傭兵団副団長の名にかけて、お前を殺す」


 キルウルは、そう宣言し、右手を上に掲げた。


 そして、拳を握る。


 空中に、大量の石の塊のような物が出現した。だが、それは、石ではなかった。刃物だった。刀剣の刃の部分のみを取り出したような、刃が、いくつも空中へ浮いている。百はあるだろうか。


 キルウルは、右腕を振った。


 空中に浮いていた刃物の群れが、一斉にルカへ襲い掛かった。矢のように早い。


 ルカは、真横へ移動し、軸をずらす。


 だが、刃物達は、軌道修正を行った。まるで、エサを狙うムクドリの群れのように、身を翻しながら、ルカを追う。


 大量の刃物がルカの身に迫った瞬間、ルカは電撃を放った。相当大きな電撃だった。


 ルカを襲っていた刃物のほとんどを、それで叩き落す。いくつかは手で受け止めた。そして、一時の間も与えず、ルカは、キルウルへと距離を詰めるために、駆け出す。


 だが、キルウルは冷静に対処した。D棟屋上の床板が盛り上がり、グラディウスのような巨大な刃が剣山の如く、いくつも下から突き上げた。


 ルカは、咄嗟に身を翻し、背後へと飛び退る。刃物が少しだけ掠り、左腕に切創を負う。


 ルカは、左腕から流れる血を舐めながら、相手の様子を伺った。


 キルウルは余裕綽々のようだ。当然だ。まだ戦闘は始まったばかりだ。反面、自分は、戦獣との戦いに続き、連戦となっている。魔力も随分と消費してしまった。


 可能な限り、早めにケリを着けたい。まだ黒甲冑が残っている。そして、その黒甲冑こそが、最も危険な存在だと、直感が告げていた。


 ルカは、先ほどキルウルが作り出した床板の剣山を足蹴にし、上空へと跳んだ。そして、右手をキルウルへと向ける。


 キルウルの頭上に、強烈な雷鳴と雷光が発生した。強力な稲妻が、キルウルへ青白い触手を伸ばす。確実に稲妻は、相手を捉えたはずだった。


 だが、キルウルは先読みをしていた。雷光が迸る直前に、キルウルの左右に、電柱ほどの長さの剣が出現した。それが避雷針となり、稲妻は全て逸れてしまった。


 しかし、それでも良かった。


 ルカは、懐に入れていた刃物をキルウルへ向かって投げた。これは、先ほど、ルカへと襲い掛かった刃物だ。受け止めた内のいくつかを懐へと入れていたのだ。


 だが、それすらもキルウルは難なく避けた。ルカが投げた刃物は、虚しく、キルウルの背後の床板へと刺さる。


 キルウルは、ルカが着地することを許さなかった。


 D棟屋上の至る所が、盛り上がったと思うと、発破したような、大きな音がした。屋上の床板から、巨大な剣や、鎖鎌を模した刃物が、無数に出現した。それらは、意思を持っているかのように、一斉にルカへと襲い掛かる。


 刃物の森と化した屋上に、プラズマに似た発光球体が発生した。ルカを中心に、強力な電撃が放たれたのだ。


 襲い来る刃物を、いくつかは、それで弾き返すことに成功したものの、大部分が掻い潜ってしまう。


 刃物の集団が肉薄する。


 手足が、次々に切り裂かれた。体のあちらこちらに、切創が付けられ、血が噴き出す。


 凶刃がルカの胴体に迫る。魔法で作られた刃物は、通常の刃物より殺傷能力が数段高い。薄い制服に包まれたルカの胴体など、容易く貫くだろう。


 だが、刃物達の先端が、ルカの体に触れる直前、電池が切れたかのように、刃物達の動きが唐突に止まった。


 同時に、キルウルが、ひざまづく。キルウルは、胸部を押さえていた。その胸部から、アンテナのように、ナイフの突端が突き出ている。


 それは、ルカが投げたキルウル製の刃物だった。キルウルへと投げる際、ルカは、刃物に磁力を帯びさせた。その後、キルウルの背後の床板に刺さった刃物を、キルウルの攻撃を防御する傍ら、磁石のように引き寄せたのだ。


 ちょうど自身と刃物の間に、キルウルが位置するように調整していたため、刃物は、見事、キルウルを背後から襲う結果になった。


 刃物には、強力な魔力が込められていたため、白甲冑ごと、キルウルを難なく貫いた。


 だが、致命傷には至っていなかったようだ。


 ルカは、方々から突き出ている刃物の山を避け、屋上へ降り立つと、即座にキルウルへと突進した。刃物の森を縫うようにして、進む。付けられた手足の傷がひどく痛むが、気にしてはいられない。


 すぐさま間合いが詰まる。キルウルは、体勢を立て直しつつあった。間に合うか。


 ルカはキルウルへ肉薄した。キルウルは、中途半端な体勢のまま、右腕のガンドレット部分を剣化し、突き出してくる。ルカはそれをウィービングし、ギリギリの所で避ける。


 剣が、こめかみを掠るように通過し、ルカの銀色の髪が数本切断された。


 がら空きになったキルウルの胴体へ、ルカは渾身の電撃を叩き込んだ。それも、一撃ではなく、連続で叩き込む。


 一撃。


 二撃。


 三撃。


 電撃が迸る度に、キルウルの体が大きく跳ねる。戦獣ならば、この時点で、即死のはずだ。しかし、キルウルは、そうはいかなかった。


 キルウルは、電撃で硬直する体を何とか動かし、右腕の剣の先端を、ルカへと向けようと、必死にもがく。


 まだ死なないのか。ルカは、目の前の、傭兵団副団長の頑丈さに驚嘆する。これほど電撃に耐えた生物は、初めてだった。


 それでも、ルカは、攻撃を続けた。


 四撃。


 五撃。


 奇妙なオブジェと化したD棟屋上に、雷光が瞬く。


 やがて、必死に反撃しようと、もがき続けたキルウルの動きが緩慢になり、とうとう、完全に停止した。


 ルカは、息を荒げながら、一歩離れた


 甲冑に包まれたキルウルの体が、床板へと倒れ込む。スクラップを地面に叩き付けたような、耳障りな音が響く。


 倒れた衝撃で、白甲冑のヘルムが脱げた。中からは、虎に似た顔が現れる。人虎種だ。マガン・ガドゥンガン。


 鋭い虎の目は、電撃の影響で、冗談のように飛び出し、血が溢れていた。それにより、キルウルが、完全に絶命していることを確信させた。


 突然、周囲に拍手が起こった。なおも息を上げ続けているルカは、そちらを見た。


 黒甲冑が、髑髏の椅子から立ち上がり、拍手をしていた。何処か馬鹿しているかのような、おどけた動作が入り混じっていた。


 「いやいや、やっぱ強いわ、お前。ガキとは言え、吸血鬼は別格だな」


 黒甲冑が前に進み出る。ルカは警戒し、同じ距離だけ、後ろに下がった。


 黒甲冑は嘲笑した。


 「まあ、そう警戒するなよ。坊や」


 そして、さらに近付く。やがて、絶命しているキルウルの横まで来ると、黒甲冑はヘルムを脱いだ。


 燃えるような真っ赤なたてがみを持つ、厳つい顔が外に晒された。野生の獣を思わせる風貌だ。


 黒甲冑は、屋上に倒れ伏している、キルウルを顎でしゃくった。


 「この雑魚には失望したよ。油断するとはな」


 そして、ルカへと視線を向ける。レッドスピネルのような、赤い瞳が、ルカを真っ直ぐ射抜く。ルカは、威圧され、再び少しだけ、後ろへと後退った。


 そんなルカの行動に気を留めることなく、黒甲冑は、声をかけた。


 「なあ、お前、ウチに入らないか? 若いし、強いから、簡単に出世出来るぞ」


 まさかのヘットハンティング。ルカは一瞬目を丸くするが、その質問には答えなかった。そんなことよりも、大切なことがある。


 「今すぐ、戦獣を停止させろ」


 「ま、そうなるわな」


 黒甲冑は、にやりと笑うと、再びヘルムを被った。そして、バイザー部分を上げ、顔面を露出させる。


 黒甲冑は、告げた。


 「俺の名は、テュポエウス・セリアン・スロビィ。《レッド・レウ》とも呼ばれている」


 テュポエウスは、脇に差しているロングソードを抜いた。


 「赤獅子団、団長として、お前を殺す」


 テュポエウスは、ロングソードを、床板へと突き刺した。


 猛烈な『熱』をルカは感じた。急速に、屋上の床板が、焼けた鉄板のように熱を帯び始めたのだ。


 驚くべき現象が起こった。


 屋上全体が『溶け』始めた。キルウルが作り出した刃物の森が、熱したバターのように、溶解している。絶命しているキルウルの死体も、甲冑ごと、蝋人形のように崩れ始めた。


 あまりの熱に、ルカは、跳躍した。屋上には、他に足場がないため、屋上外へと逃れようとする。


 だが、そのルカの全身に、激痛が走る。手足を見ると、制服が焼け始め、皮膚が露出していた。そして、白いはずのルカの皮膚が、まるで酸を浴びたかのように、赤く爛れている。その上、砂を飲んだように、喉に猛烈な痛みがあった。熱した空気を吸い込んだからだ。


 テュポエウスの能力は、空気すらも焼き、屋上を、呼吸も不可能なほどの、灼熱の地獄へと変貌させたのだ。


 ルカは、息を止め、渾身の電撃をテュポエウスに向かって放った。テュポエウスは、眉一つ動かさず、腕を軽く振るう。


 テュポエウスの周囲の床板が赤く染まり、陽炎が発生した。瞬時に、莫大な熱が生み出されたのだ。


 電撃は、テュポエウスの体に到達する前に、消滅した。熱に飲み込まれたのだと、ルカは悟った。


 ルカは愕然とする。これまで、電撃を避けられたり、防がれたりしたことはあっても、消滅させられたことはなかった。それは、ルカの電撃が、完全に無効化されたことを意味していた。


 それが可能なほどの実力者を、これまで見たことがなかった。


 周囲の熱は、ルカに深刻なダメージをもたらしていた。もうすでに全身が火傷で覆われ、感覚が次第に消えつつある。戦闘を続行出来る時間が、極端に減少していた。


 ルカは、再び、電撃を放とうとした。


 だが、テュポエウスの姿が消えていた。


 落下を始めたルカの背後に、テュポエウスは回り込んでいた。


 ルカは、咄嗟に、右腕を伸ばし、背後に向かって、電撃を叩き込んだ。テュポエウスへと直撃したはずだが、電撃は、いとも容易く霧散した。


 テュポエウスは、ルカの右腕を掴んだ。テュポエウスの顔が、極めて残忍な表情に歪んでいた。獲物を弄ぶような、悪意のある感情が入り混じっていた。


 ルカの右腕が、溶解する。皮膚の下にある筋繊維が、海老の皮を剥いたように剥き出しになり、蝋のように溶ける瞬間をルカは目撃した。やがては、熱したチーズ同然に、骨まで溶け出す。


 そして、それは、肩から、右脇腹まで、広がった。溶けた右脇腹から、腸が覗いている。


 あまりの熱さと痛みに、ルカは絶叫した。


 だが、テュポエウスはそれでは済ませなかった。


 テュポエウスは、ルカの頭部を大きな手で鷲掴みにすると、陽炎に包まれた屋上へと叩き付けた。ルカの体は、ボールのように跳ねながら、灼熱の床板の上に落ちた。


 間髪入れず、テュポエウスは、ルカの上へ落下し、勢い良く踏みつける。大柄なテュポエウスの重量と、膂力により、肉が潰れる湿った音と、骨が砕かれる乾いた音がした。その相反する二重奏をかき消すように、ルカの内臓を吐き出すような、うめき声が、屋上へ拡散する。


 「そおれ!」


 テュポエウスは、はしゃいだ声と共に、さらにルカの小柄な体を蹴り飛ばした。ルカは、溶けた床板の上を転がる。テュポエウスは、それを再び蹴る。ルカが転がる。また、蹴る。それを繰り返した。まるでボール遊びだった。


 テュポエウスに蹴られる度に、ルカの内臓と骨は、潰れ、砕けていた。折れた骨が方々から飛び出す。


 その上、灼熱の床板の上を転げ回っているのだ。フライパンの上で、ミートボールを転がすように、ルカの全身は『焼け』ていた。


 ルカの意識が消失しつつあった。痛みも、もう感じなかった。自分はもう死ぬのだ。そう思った。


 せめて、最後に、直斗の血を飲めたらな、と、馬鹿みたいな願いが首をもたげる。


 テュポエウスの攻撃が、止んでいるような気がした。だが、それは、もう痛みを全く感じなくなり、死ぬ寸前のせいだと、ルカは理解した。


 本当に、テュポエウスの攻撃が止んでいた。


 ルカは、ぼやけた目で、テュポエウスの姿を見る。


 テュポエウスは、ルカを見ていなかった。ハッとした表情で、中空に視線を向けていた。



 

 テュポエウスは、眉をひそめた。急速に、戦獣がその数を減らし始めたからだ。


 そして、テュポエウスが、その原因に思い当たるまでに、学校中に展開させていた戦獣の生体反応が、一つ残らず消失した。


 吸血鬼のガキが、ある程度減らしていたとはいえ、この殲滅の早さは尋常ではなかった。


 ようやく本命のお出ましか。


 テュポエウスは、足元で、ボロ布のように転がっているルカを蹴り上げると、そのままD棟外周部へと落とした。もう既に虫の息なのだ。いずれくたばるだろう。


 テュポエウスは、胸元のチャネリングストーンへ伝達を行う。チャネリングストーンは、思念による会話が行える優れものだ。


 『本隊各位に告ぐ。標的が現れた。速やかに殺害せよ』


 そして、次々に了解を告げる声が複数届く。その数、十。一隊を十人とした、百人からなる戦術部隊だ。皆、戦闘に秀でている、百戦錬磨の傭兵だ。


 姿を消させ、学校に潜ませていた『本隊』だった。


 確実に『ロビン・フッド』を仕留めることが可能な連中だ。


 テュポエウスは、いずれ送られてくるであろう、勝利の報告を待った。



 

 体育館へ避難した生徒達は、恐怖に戦慄していた。先ほどから、例の黒い化け物が、体育館の扉をこじ開けようとしていたからだ。だが、その音が唐突に止んだと思ったら、今度は、合戦のような怒号と、大勢の人間が暴れまわるような音が聞こえてきた。


 しかし、それもやがては止み、静寂が訪れた。


 何が起きているのだろう。助けが来たのか。


 裕也は外部の様子が気になり、扉を開けてみることにした。制止する生徒もいたが、無視をして、扉を少しだけ開けた。そして、隙間からそっと、外を覗く。


 外の風景は、凄惨を極めていた。スペインのトマト祭りを行ったかのように、辺りは血で溢れ返っている。扉のすぐ近くに、例の黒い獣がいた。胴体に、太い槍を突き刺されたような、大きな穴が開いていた。その隣の獣は、真っ二つに切り裂かれていた。


 驚くべきことに、死体はそれだけではなく、どういったわけか、銀色の甲冑に身を包んだ人型の生物の死体も複数、並んでいた。ここからは、A棟とB棟の一部しか見えないが、そこに至るまでの空間に、その甲冑姿の死体が、いくつも転がっているのだ。


 脱げた甲冑の頭部分から、蜥蜴のような風貌の顔が外へと向けられていた。他にも、猪のような顔をしている死体もあった。


 明らかに『人』ではない。


 全く状況を掴めないでいる裕也の目の隅に、ふと動く何かかが映った。


 あれは、と思う。以前、テレビや雑誌で見たことがある。


 緑色のマントに身を包んだ、かつて、世界を救った『英雄』の姿だった。




 テュポエウスは、少しだけ混乱していた。チャネリングストーンが混線でもしたのか、本隊からの連絡が途絶えていた。『標的』との接触を告げる言葉を最後に、音沙汰がないのだ。それは、どの部隊も同様だった。


 まさかな、とテュポエウスは思う。あまりにも、早過ぎる。


 『戦術部隊に告ぐ。応答せよ!』


 無音。やはり通じない。何かトラブルがあったのか。


 黒い影が、地面から、D棟屋上へと、着地した。


 テュポエウスは、ハッと振り向く。


 緑色のマントと、黒いズボンを身に付けた人間が立っていた。フードやサングラス、マスクのせいで、顔はわからない。だが、アレーナ・ディ・ヴェローナで見た姿と、全く同じだった。


 『ロビン・フッド』だ。


 テュポエウスは、瞬時に理解した。チャネリングストーンが応答しなかったのは、混線のせいでも、故障のせいでもない。こいつのせいだ。こいつが、ごく短時間に『本隊』を壊滅させたのだ。


 テュポエウスは、ヘルムに包まれた自身のたてがみが、逆立つのを覚えた。強力な獲物を前に、武者震いすら起こる。


 「待ってたぜ! 二十五億ルーグ!」


 テュポエウスは、両手を広げ、ロビン・フッドを歓待した


 ロビン・フッドは、何も答えない。リウド国の言語なので、理解出来ていないだけか。しかし、構わない。


 「悪いが、お前は俺のエサだ!」


 テュポエウスは、自身の力を全て解放した。そして、拳を屋上へと叩き込む。


 たちまち、屋上の床板が、猛烈な熱を帯び、マグマのように赤色化する。膨大な陽炎が発生し、蜃気楼の中にいるかのように、屋上の空間が歪む。D棟屋上が、燃え盛る蝋燭の如く、ドロドロに溶け始めた。


 一瞬のうちに、屋上は、生物が即死してしまう環境に変貌した。テュポエウスの能力によって生み出された熱は、全てを焼き尽くす地獄の業火となった。


 はずだった。


 テュポエウスは、首を傾げた。ロビン・フッドが、悠然と、何事もないかのように、こちらに向かって歩み寄ってきていた。緑色のマントには、焦げ一つ付いていない。マグマ化した床板に接触しているブーツすら、無傷だ。高熱対策でも施しているのか。


 いや、こちらの世界の人間が、アンチマジックを施せるわけがない。テュポエウスは、自分の考えを否定した。そもそも、生半可なアンチマジックでは、俺の『灼熱』の力は防げないはずだ。


 どんなトリックだ? テュポエウスは、怪訝に思う。しかし、関係ない。次は直接、叩き込めば済む話だ。直に『灼熱』を送り込んで、溶解しない物体など、この世に存在しない。


 テュポエウスは、陽炎の中、歩いてくるロビン・フッドの背後へと回り込んだ。


 そして、殴り付ける。それと同時に、『灼熱』を送り込む。


 拳を叩き込んだ瞬間、アダマンタイトを殴ったような硬さを覚えた。そして、大地に根付いているかの如く、微動だにしなかった。


 送り込んだはずの『灼熱』は、ロビン・フッドの体から、煙一つ発生させることが叶わなかった。


 テュポエウスは、驚愕した。獅子の如き鋭い目が、見開かれる。


 ――なぜ、溶けないんだ、てめえは!


 その言葉をテュポエウスが発する前に、黒甲冑に包まれているテュポエウスの右腕が、飛んだ。


 キョトンとした目のテュポエウスが、状況を理解する時間はなかった。右半身に凄まじい衝撃が走った。テュポエウスは、吹き飛び、赤色化した屋上の上を転がった。


 起き上がったテュポエウスは、黒甲冑ごと、自身の右肩から、右脇腹まで切り裂かれていることに気が付いた。右脇腹から、腸が、すだれのように垂れている。


 テュポエウスは、ロビン・フッドの右手に握られている物を見た。ちっぽけな、折りたたみ式ナイフだった。刃の部分が血で染まっている。


 自身の右半身を切り落とした物が、そのようなちっぽけなナイフだと知り、テュポエウスは、頭に血が上るのを感じた。


 残った左腕で、再び、床板を叩く。


 極めて膨大な熱が、ロビン・フッドを襲う。すでに床板と呼べるものではなくなった、屋上のコンクリートが赤く溶け、屋上の縁から、コップの水のように、流れ落ちる。そして、相手の姿がかき消されるほどの、多量の陽炎が立ち上った。


 それでも、ロビン・フッドは、少しもダメージを負っていなかった。鉄の塊に、松明を押し付けているような、無力さを覚える。


 「何なんだ!? てめえは!」


 テュポエウスは怒鳴った。リウド国の言葉であるため、通じないかもしれないが、口にせざるを得なかった。


 テュポエウスの視界が回転した。空が揺れている。瞬時に肉薄したロビン・フッドが、テュポエウスを蹴り上げたのだ。


 テュポエウスは、それを把握出来ないまま、D棟の外周部へと落ちていく。今の一撃で、左足から骨盤まで、いとも容易く砕けていた。黒甲冑がスクラップのように、体へ食い込んでいる。内臓も、損傷したようだ。


 テュポエウスは、派手に地面へと叩き付けられた。ろくに受身を取れず、潰されたカエルのような声を出す。


 落ちた地面の上で、テュポエウスは、息も絶え絶え、のたうち回っていた。テュポエウスの中に、恐怖心が芽生える。何だ、あの化け物は。


 テュポエウスは、なおも苦しそうに息を乱しながら、辛うじて動く左腕を動かし、這いずって移動を始めた。あいつから離れなければ、という一心だった。


 テュポエウスは、芋虫のように蠢きながら、少しずつ、進む。


 近くに、砂袋を落としたような音がした。


 そちらを見る。ロビン・フッドが、地面へと着地していた。


 テュポエウスの恐怖心が、さらに跳ね上がった。体が震え、頭が真っ白になる。


 どうにかしなければ。今すぐにでも止めを刺されてしまう。


 這いつくばって逃げるテュポエウスの目に、あるものが映った。


 人間の女だった。ポカンとした表情で、こちらを見つめている。服装から察するに、ここの学校の女子生徒なのだろう。逃げる最中に、不意にこの状況に遭遇して、硬直しているようだ。


 テュポエウスは、このチャンスを逃さなかった。左腕で地面を叩き、飛び跳ねると、女子生徒へと踊りかかった。そして、女子生徒を引きずり倒し、左手で、首を掴む。


 「動くな! こいつを溶かすぞ」


 テュポエウスは、ロビン・フッドへと叫んだ。言葉は通じないが、意味は通じるはずだ。


 ロビン・フッドは、立ち止まった。相変わらず顔は見えないが、動揺のようなものが生まれたことを、テュポエウスは感じ取った。


 テュポエウスは、震えている女子生徒の体を起こした。そして、立ち上がらせる。


 このまま、逃げ切って見せるつもりだった。このロビン・フッドから離れてしまえすれば、どうとでもなる。テュポエウスはそう考えた。


 その時だった。


 テュポエウスの全身に、ハンマーで殴られたような衝撃が走った。続いて、雷鳴。


 思わず、掴んでいた女子生徒を離してしまう。もう一度掴もうとするが、筋肉が硬直し、動かない。


 再度、青白い光と共に、雷鳴が轟き、全身が痺れる。


 テュポエウスは、何とか首を動かし、攻撃があった方向へ、血走った目を向けた。


 視線の先に、先ほど戦った、銀髪の吸血鬼がいた。ボロ布のようになって、地面へと落としたはずだ。それなのに、五体満足だった。どういうわけか、服まで元に戻っている。


 一体、なぜ?


 テュポエウスの思考はそこまでだった。その後、連続で放たれた吸血鬼の電撃により、テュポエウスの意識は消失した。


 赤獅子傭兵団、団長レッド・レウテュポエウスの最後だった。



 

 テュポエウスの絶命を確信したルカは、電撃を止めた。テュポエウスの体が、地面へと倒れ込み、派手な音を立てる。


 ルカは、テュポエウスの顔を見る。肉食獣を思わせる、鋭利な目がカッと見開き、赤い瞳が、黒く変色していた。そこにはもう、命が宿っていないことが、はっきりと示されていた。


 ルカは、目を逸らし、人質になっていた女子生徒を助け起こした。怪我がないことを確認する。


 女子生徒は、茫然自失だったが、ルカの介抱で我に返り、顔を赤らめながら、その場を離れていった。


 女子生徒の後姿を見送った後、ルカは緑マント姿の直斗へ声をかけた。


 「それ、レイラさんが用意した服ですね。家にまで取りに行っていたとは、知りませんでした」


 直斗は肩をすくめた。


 「面倒だったよ。結界も一部、壊したし」


 「《レッド・レウ》をあそこまで追い詰めた上に、あの結界を破壊できるなんて、信じられません」


 ルカは、感極まったように、首を振った。


 「それに、僕の傷を完治させたあなたの血、一体、何なのですか?」


 直斗は、ルカの質問には答えなかった。


 その時、遠くから、パトカーや、救急車のサイレンの音が聞こえてきた。


 「結界が全て消え去ったみたいですね」


 ルカは、空を見上げる。扶桑高校全体を覆っていた、黒いフィルターのような膜が、消滅しており、本来の暖かい日差しが差し込んでいた。


 「外では、既に学校の異変に気付き、パトカーや救急車が待機していたようです」


 次第に大きくなるサイレンに対し、ルカが言及する。


 直斗は、溜息をついた。


 「俺はもう離れるよ。この服を脱がないと。このままじゃ、俺がロビン・フッドだとばれるからな」


 「ええ。わかりました」


 直斗が立ち去ろうと、歩き始めた時、直斗の体がふらついた。ルカは慌てて直斗を支える。


 「大丈夫ですか?」


 「ああ、ちょっと血を使い過ぎた」


 マスクとサングラスの隙間から覗く、直斗の肌の色が、少し白いような気がした。


 「建物の中まで連れて行きますよ」


 「いや、いい」


 直斗は、再度、歩き出す。今度は、ふらつかなかった。しっかりとした足取りで、C棟校舎へと向かう。


 ルカは、直斗の姿が見えなくなるまで、見守った。


 やがて、いくつものサイレンが学校の敷地内へと入ってきた。そして、大勢の人間が降りてくる気配が伝わってきた。



 

 扶桑高校を襲った事件は、大きなニュースとなり、全世界に広がった。異世界の生物と、傭兵団による襲撃は、世界を震撼させた。比較的順調に進んでいた、異世界との交流に対し、一石を投じる結果となった。


 しかし、不可解な点がいくつもあった。強力な魔獣による殺戮や、傭兵団の襲撃があったにも関わらず、人類側の犠牲者がゼロなのだ。


 被害にあった生徒や、教師の証言によれば、確かに殺された記憶はあるが、気が付いたら、無傷で倒れていたという。


 魔獣を撃退したのは、留学生の男子生徒だと報道されていたが、一方で、別の証言があった。


 ロビン・フッドの関与である。


 ロビン・フッドが、現れ、魔獣はおろか、傭兵団全てを倒し、犠牲者や、怪我人を次々に救ったらしい。それは、まさに『英雄』の名にふさわしい行動だったようだ。


 だが、それについて、確固たる証拠がなく、パニック同然の状況だったため、疑問視する声もあった。


 それでも信じる声は多く、一年前のアレーナ・ディ・ヴェローナの件のように、ロビン・フッドは再び、話題に上がるようになった。それに加え、確実に証言がある、異世界からの留学生も、同様に注目を浴び始めた。


 正体不明の『英雄』ロビン・フッドと、異世界からやってきた美少年である、ルカ・ケイオス・ハイラートは、連日ニュースで取り上げられるようになった。

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