第三章 訪問

 レイラの告白を受けた日から、直斗を取り巻く環境は変化を見せた。その要因の一つが、レイラの執拗なアプローチだった。そのアプローチは、半ば、ストーカーじみており、対応自体に四苦八苦した。


 レイラと交換を行ったSNSでのメッセージにおいても同じだった。家に帰ってから、毎日大量のチャットが届くのである。返信が少しでも遅れると、今度は電話が掛かってくるのだ。


 そういったレイラの行動に、なぜか周囲のクラスメイト達は疑問を持っておらず、羨むばかりだった。レイラの美貌のせいで、皆は、盲目になっているのだろうか。


 そして、もう一つの変化が、周囲の目であった。学校のアイドルとなった異世界人から告白を受けたのだ。直斗は注目の的となった。それまで、他者に注目を受けるような人間ではなかった直斗は、強い戸惑いを覚えた。


 直斗自身、レイラを避けたい気持ちがあったのだが、周囲の生徒がそれを許さなかった。少しでもレイラに対し、無礼があれば、非難が集中するのだ。


 そのように変化した環境の中、一つのことが判明した。レイラの告白を受けて、ちょうど一週間が経過した時だった。


 レイラの『目的』がわかったのである。


 放課後のことだった。


 いつも付き纏ってくるはずのレイラは、その日に限って、神妙な顔で、直斗を体育館裏へと呼び出した。


 姿を見せた直斗に対し、レイラは、直斗の胸に縋り付き、こう懇願したのだ。


 「もう限界なの。血を飲ませて」


 薄々は察していたものの、その言葉により、ようやくレイラの本当の目的が明らかとなった。やはり、直斗の『血』を欲していたようだ。


 直斗は、その事実を知り、むしろホッとしていた。『ロビン・フッド』である疑いを抱かれるよりも、遥かに安全と言える事実だった。『血』が目的の場合、その『血』さえ摂取されなければ問題ないからだ。


 レイラの言動からは、その『性質』までは気付いておらず、ただ単に、『血』が魅力的に映っているだけのようだった。もしも、レイラに『血』を摂取されれば、『性質』を見抜かれ『ロビン・フッド』とは別の形で脅威とはなるかもしれない。しかし、それでも、世界を丸ごと相手に回してしまう『ロビン・フッド』だという事実が判明するより、リスクは低いはずである。 


 そうは言っても。もちろん、直斗の『血』の力が判明したために背負う危険も、決して無視出来ることではない。なので、断固として、レイラの要求は断らなければならない。


 そこで、直斗は取り付く島を与えないほど、はっきりと拒否の構えを取った。


 血を飲まれるのは怖く、精神的に受入れる事が出来ない、体を傷付けられるのがどうしても嫌だ、だから、絶対に血を飲ませるわけには行かない、とそう伝えた。これは事実でもあった。


 直斗から拒否を受けたレイラは、過剰な反応を見せた。大きな胸を押し付け、哀願した。


 「お願い、何でもするから」


 レイラは真に迫るような必死の形相だった。麻薬に漬けになった女が、売人に、薬を懇願するような姿であった。


 「無理だよ。諦めて」


 直斗は突き放すように言い放った。そして、やんわりと、レイラの体を自身の体から引き離し、レイラに背を向けて歩き出した。


 「待って!」


 背後から、レイラの悲痛の声が響く。その声を聞き、直斗は一瞬、レイラが襲って来るのではないかと警戒をした。それほど、鬼気迫る思いが、声に込められているように感じられた。


 仮にレイラが吸血鬼の力を以って、襲って来たとしても、直斗の『血の力』を使えば、撃退できる自信はある。しかし、それはやはりリスクを増大させる行為だった。体育館裏は閑散としており、人は自分達以外いなかった。そのため目撃者の心配は無かったが、レイラはそうはいかない。力を行使すれば、血を飲まれたケースとほぼ同等の疑念をレイラに与えてしまうだろう。


 詰まる所、面倒なことに、血を飲まれるのも、撃退するのも、避けなければならない。可能な限り、水際で止めるべきなのだ。


 だからここは、天に祈るしかない。


 頼むから、何もするなよ。


 直斗の祈りが届いたのか、レイラは何のアクションも示さず、うな垂れたまま、その場から動くことは無かった。


 直斗は、心に少しだけ、罪悪感を覚えつつ、体育館裏を後にした。



 

 その夜のことだった。


 自室で《Z会》の過去問を解いていると、直斗のスマートフォンに、レイラからSNSのチャットが届いた。あれだけ突っぱねたにも関わらず、すぐにでもコミュニケーションを取ろうとする気概に直斗は感心を覚えた。


 内容を確認してみる。

 

 《今日はごめんなさい。あまりにも直斗の血が魅力的だから、我を忘れちゃって。もう二度と、血を欲しいなんてお願いをしないから、嫌いにならないで》

 

 絵文字や顔文字を使用していないシンプルな構成だった。内容を見ても、真摯な気持ちが強いように思える。


 だが鵜呑みにしていいものだろうか。


 直斗は少し思案し、無難な返答を送った。

 

 《気持ちはわかってるよ。気にしていないから、安心して》

 

 あまりにレイラを無下に扱うと、今度は学校の同級生達が怖かった。下手をすると、学校生活が立ち行かなくなってしまう。それはロビン・フッドだと判明することと同等なほど、破滅的なものに直斗は感じていた。


 レイラから返信があった。

 

 《よかった。直斗って優しいね。大好き》

 

 先ほどのチャットとは打って変わって、ハートや顔文字を使用しての、派手にデコレーションされた文章だった。


 直斗がどう返信しようか悩んでいると、部屋のドアが、ノックも無しに急に開かれた。


 そこから春香が、ひょっこりと顔を出す。


 「お兄ちゃん。何をしているの?」


 三つ編みを下ろした髪を揺らしながら、春香がトコトコ部屋の中へ入ってくる。春香はパジャマ姿だった。風呂から上がり、暇を持て余したため、直斗の部屋へと赴いたようだ。


 「勉強」


 直斗のすぐそばまでやって来た春香に、直斗はさらりと答えた。春香は頬を膨らませる。


 「嘘ばっかり。スマホをいじっているじゃん」


 「連絡してるんだよ」


 「誰と?」


 春香は、直斗の手元にあるスマートフォンを覗き込もうとした。直斗は慌てて、スマートフォンの画面を春香の目から遠ざけた。


 これは、あまり人目に触れさせるような内容のチャットではない。ましてや妹だ。見せない方がいいだろう。


 「あー、なんで隠すの?、もしかして女の子?」


 春香は幼さを感じさせる顔に、悲しさを滲ませながら、拗ねた声を出す。


 「違うよ。裕也だよ」


 直斗は嘘をつき、裕也の名前を上げた。裕也は、何度かこの家に遊びに来たことがあり、春香とは顔見知りだった。


 「嘘。裕也君だったら見せてよ」


 「また今度な。それより遊びに来たんだろ?」


 直斗はそう言いながら、《Z会》の参考書を閉じ、スマートフォンをチノパンのポケットに入れた。レイラへの返信は後回しにしようと思う。妹を構っていたため、返信できなかったと説明すれば納得してくれるだろう。


 「うん。ゲームしよ」


 春香はなおも、チャットの相手が気になるのか、スマートフォンを入れた直斗のチノパンのポケットを気にしながら、そう答えた。


 「オッケー」


 直斗は据え置きのゲーム機を準備し、二人で遊び始める。


 遊んでいる間、頻繁にチャットの受信を告げるバイブレーションが脅迫のように、ポケットの中で鳴っていた。しかし、直斗はそれを無視した。春香は直斗のその行動に対し、不思議そうな顔をしていたが、質問してくることはなかった。


 やがて階下から、風呂へ入れという、蛍子の声が直斗へと飛び、兄妹のレクリエーションは終わりを迎えた。


 春香が自室へ戻ったのを見届けた後、スマートフォンを確認する。

 

 《107件》

 

 レイラからの受信件数だった。背筋が寒くなるものを感じるが、連日のことなので、少し慣れてしまっていた。


 《ごめん! 妹にせがまれて遊んでいたら返信できなかった》

 

 そして送信。


 送ると同時に、そのチャットを相手が読んだことを示す「既読」の文字が表示された。送信から、既読表示までのスパンが全くなかったことから、画面を開いたまま、ずっと直斗からの返信を待っていた可能性がある。 

 そして案の定、すぐさまレスポンスがあった。


 《妹さんがいるのね! 今度、会ってみたい》

 

 妹の話を出したことに対する後悔の念が、直斗の頭に、少しだけよぎる。大した問題ではないだろうが、あまりこちらのプライベートの情報を明かすべきではなかったかもしれない。


 直斗は、それから何度かレイラと無難なやりとりを続けた。そして、いよいよ蛍子が部屋に乗り込んできそうなほどの、怒声が家中に響き渡ったことから、すぐにでも直斗は風呂へ入ることを余儀なくされた。



 

 就寝後のことだ。


 直斗は夢を見ていた。


 またあの夢だと直斗は思った。


 どことも知れぬ場所で、ベッドに張り付けにされ、少女に血を吸われる、あの夢だ。


 今回はその続きのようだった。


 前回、直斗の首筋に噛み付き、血を啜り始めた少女は、今は姿が見えなかった。天井のライトがベッドの周囲を照らしてはいるものの、光が届く範囲が狭いので、ベッドから離れた場所は薄暗く、見通しがきかなかった。


 そのため、ここが部屋の中なのか、あるいは広大な空間の中にいるのかすらわからなかった。そのせいで、宇宙空間に放り出されたような、強い孤独感と不安を覚える。


 足音が聞こえた。肌を打つような、ペタペタとした足音だ。


 その足音は、こちらに向かってきていた。


 直斗は辛うじて自由が利く首を、足音が聞こえる方へ向けた。


 暗闇から、幽霊のように、あの時の少女が姿を見せた。


 少女は全裸だった。ほっそりとした華奢な肉体に、一糸も纏うことなく、透き通るような白い素肌を外気に晒していた。


 なぜか、少女の顔には光が当たっていなかった。サンバイザーで光を遮っているかのように、影が差しているのだ。そのため、顔の輪郭しかわからない。


 全裸の少女は、直斗の側まで来ると、直斗に馬乗りになった。直斗は抵抗しようと手足を動かしたが、金属音が虚しく響くだけで、無駄に終わった。


 少女は手に何かを持っていた。長いホースと、血圧計に付属している、ポンプを組み合わせたような器具である。


 少女は、ホースの先端を直斗の首筋に近づけた。そのホースの先端には、鋭い針が付いていた。


 首筋に激痛が走る。針を刺したようだ。


 そして、少女は、ポンプを何度か握る。すると、そのポンプの反対側から伸びているホースの先端から、勢い良く、赤い液体が排出された。


 それは自分の血だと、直斗は悟った。


 少女は、ホースから流れ出るその血を、シャワーのように浴びた。顔が見えないにも関わらず、少女が恍惚の表情を浮かべていることが、はっきりとわかった。


 少女は、エリザベート・バートリーのように、血を浴び続けた。華奢で白かった少女の体は、次第にどす黒い血に塗れていく。まるで白薔薇が、ブラッディマリーへと、生まれ変わる過程を見ているかのようだった。


 直斗は、恐怖と痛苦による悲鳴を上げた。


 だが、少女の耳には入っていないようだった。


 少女は自らの体を、歓喜に震えさせた。シルエットになっている顔が、快楽に歪んだことがわかった。唇の隙間から、長い八重歯がチラリと覗き、そこだけ白く輝いていた。




 目覚まし時計が鳴っている。


 目を覚ました直斗は、慌てて首筋に触れた。


傷跡はない。しかし、体は貧血状態に陥った時のように、冷え切っていた。それなのに、全身は、ぐっしょりと汗をかいている。


 直斗は手を伸ばし、鳴り続けている目覚まし時計を止めた。そして、病人のように、緩慢な動きで体を起こす。


 タオルを用意していなかったので、仕方なく、着ているTシャツを脱いで、タオル代わりにした。こちらも汗で濡れているが、無いよりマシだった。


 汗を拭きながら、直斗は愕然としていた。なんだ。あの夢は。


 前回と同じ系統の夢だったが、今回は質が違っていた。あまりにも臨場感が強過ぎた。


夢の中で死ぬと、それに影響を受けて、現実でも心臓が止まるという、都市伝説がある。今日見た夢は、それに匹敵するレベルと言えた。現に、血の気が引き、体の血液を失ったような倦怠感を覚えていた。それほど、真に迫る夢だった。


 直斗は、ベッドサイドに腰掛けた。そして、疑問に思う。なぜこれほど悪夢に苛まれたのか。


 夢の内容の元凶は、レイラの件が関わっていることは想像に難くない。だが、ここまで怯える必要はなかった。もし、現実でこれと同じ状況に陥っても、自分ならどうとでも出来るはずである。いくら臨場感があったとは言え、恐怖感が強すぎるような気がする。


 それとも何かあるのだろうか。自覚しない内に蓄積した、無意識の警告のようなものが。


 「お兄ちゃん、おはよー!」


 春香が突然、直斗の部屋の中へ飛び込んできた。身構えていなかった直斗は、驚きのあまり、ギョッとした目を春香に向けた。


 「どうしたの? お兄ちゃん」


 直斗の反応を見て、春香も驚いた顔をした。


 「急に入ってくるなよ。驚くだろ」


 直斗は叱責したが、春香は聞いていないようだった。春香は直斗の格好を見て、さらに目を丸くする。


 「どうして裸なの?」


 「汗をかいたんだよ。それでTシャツを脱いだんだ」


 直斗はありのままを説明し、ベッドサイドから立ち上がった。いつもの朝のようにカーテンを開け、朝日を取り入れる。しかし、今日は連日の快晴とは違い、沈み込んだような曇り空だった。


 「ほら、下に行くぞ」


 直斗は、なおも、部屋の中央で突っ立ている春香を促した。春香は、じっと直斗を見つめていた。よほど、直斗が上半身裸だったことが、不思議らしい。


 直斗が、春香の肩をポンと叩いた。


 「うん」

 春香は我に返ったように、こくりと頷く。 


 そして、直斗は、春香と共に階下へと降り

た。


 

 汗にまみれていた直斗は、カラスの行水よりも短い時間で、シャワーを浴びた後、朝食をとった。


 朝食を終え、準備を済ませてから、またいつものように、春香と共に登校する。


 家の門扉前には、やはり春香の友達が待っていた。春香と同様、今日もJENNIで纏めた服装だ。他の小学生達も、似たようなブランドばかりなので、もういっそ、制服にしたらどうかと思う。


 通学路途中で春香達と別れ、直斗は扶桑高校へ向かった。空はどんよりと暗く、今にも雨が降り出しそうだった。傘を持ってきたのは正解だったようだ。


 程なくして、高校へと到着した。余裕の時間を以って、二年三組の教室へと入った。


 直斗が姿を見せると、先に登校していたクラスメイト達は、一斉に視線を向けてくる。ここ一週間でお馴染みになった光景だ。


 直斗は窓際にある自分の席へ向かう。その席には、すでに先客がいた。


 「おはよう、直斗」


 レイラが優しく、直斗に微笑みかける。夢の中の少女のように、唇の隙間から、長い八重歯が覗く。


 「おはよう」


 直斗は挨拶を返しながら、通学鞄を机のフックへと掛けた。


 「直斗、昨日は本当にごめんなさい。変なお願いして」


 レイラは、昨夜に引き続き、謝罪を行った。レイラの均整の取れた顔に、悲痛な表情が刻まれている。そういった表情も、魅惑的に映ってしまう。こういった魅力が、多数の男子生徒を虜にするのだと、直斗はあらためて認識した。


 「気にしていないから、もう謝らなくていいよ」


 直斗は席に座りながら、レイラを宥めた。


 「ありがとう!」


 レイラは、今にも抱き付いて来そうなほどの、喜びに満ちた表情をした。レイラが心底、安堵したことが、直斗にも伝わった。


 昨日のわだかまりが解けたことで、明るくなったレイラと話をする。裕也と俊一が登校してきたが、気を使っているつもりか、近づいて来なかった。


 直斗としては、レイラと二人っきりより、第三者がいる方が精神的に楽である。しかし、そう思っている時に限って、願いは叶わない。いつもレイラに恋慕しているのだから、こんな時も遠慮せず、寄って来いと、直斗は心の中で、裕也達に毒づく。


 やがて、始業のチャイムが鳴り、レイラは自身の教室へ帰って行った。


 SHRショートホームルームでは、遠田により、今日からテスト一週間前に入るため、部活動停止が行われるとの連絡があった。これで今日から、裕也達と帰宅することになる。



 

 「あそこに寄って行こうぜ」


 放課後になり、裕也は、直斗と俊一にそう進言した。裕也の言うあそことは、扶桑高校から十分ほど木更津朝日方面に歩いた場所にある、イオンタウンのことだ。


 本来、部活動停止は、勉学の時間を確保するために設けられた制度のはずだが、裕也は完全に、フリーの時間と受け取っているようだ。日曜日の子供のように、生き生きとしている。


 「レイラちゃんも呼べよ。四人で回ろうぜ」


 裕也は目を輝かせながら、直斗に指示を出す。あくまでレイラは、直斗にくっついて来るのであって、裕也に対しては、おまけのようにしか見ていないはずだ。しかし、裕也は、自分とのデートであるかのような気分でいるらしい。


 そんなやりとりを直斗達が交わしていると、レイラが直斗達の教室へ入ってきた。レイラはこの一週間、下校の時刻になると、さよならの挨拶を言いに、直斗の元へとやって来ていた。今日もそのつもりのようだった。


 そのレイラに、直斗は誘いの言葉をかける。


 レイラは子供のように喜んで、誘いを了承した。直斗からレイラに、何かを誘ったのは、今回が初めてだった。


 四人は揃って学校を出た。朝から引き続き、空は暗雲に覆われていた。幸い、空は持ち堪えてくれているらしく、雨は降っていなかった。


 裕也は、自転車通学であるため、自転車を取りに行った。俊一はバス通学通学なので、自転車はなかった。


 直斗も自転車通学を望んでいたが、不幸にも、自転車通学の許可が下りる校区から、ギリギリ外れていたため、徒歩通学を余儀なくされていた。当初は、己の不運を恨みながら登下校をしたものである。


 裕也が自転車を押しながら戻ってきた。


 四人はイオンタウンへと向かった。



 

 ゲームセンターや、本屋などを一通り見て回る。


 ここでも学校と同じく、レイラは人々の視線を集めていた。中には、露骨に、スマートフォンのカメラでレイラを撮影しようとした中年の女性がいたが、裕也が注意をし、撤退をさせていた。


 そのような中、四人は買い物を終え、店の外へと出た。空はいよいよ今にも降り出しそうだった。


 「早めに帰った方がいいかもな」


 空を見上げながら、裕也が呟いた。すると、突然、レイラが口を開いた。


 「ねえ、今から直斗の家に行っていい?」


 レイラは胸の前で手を合わせ、そう訊く。


 直斗は首を振った。


 「雨が降りそうだから、止めていた方がいいよ。それに、今から来ていたら遅くなるよ。下宿先の人も心配するんじゃない?」


 レイラは、学校近くの民家にホームステイをしていた。


 「直斗、妹さんがいるんでしょ? 私、会いたい」


 断られたことにもめげず、レイラは食い下がった。以前、打診して来た時よりも必死だった。


 裕也が口を挟んだ。


 「春香ちゃんのことかな? 可愛いよな。いいじゃん、直斗。少しくらいなら会わせてやっても」


 裕也はレイラに助け舟を出す。こいつはまた、余計なことを。


 直斗の心中などお構いなしに、俊一も援護射撃を行った。


 「そうだよ。こんなに頼んでいるんだし。あまりレイラさんを悲しませると、親衛隊や、ファンの連中が怖いよ」


 俊一は、実際に直斗が懸念していることに言及した。確かにそれがある以上、無下に断ることは避けたかった。しかし、やはりレイラを家に招き入れるのは、気が引けるのだ。


 「私が家にお邪魔するのが、そんなに嫌なの?」


 レイラは、悲痛な面持ちで、直斗に訴えかける。


 レイラの大きな目が、微かに潤んでいた。


 「直斗、連れて行ってやれよ。可哀相だろ」


 裕也は、レイラの表情を見て、感化されたのか、直斗を責める。俊一も、そうだそうだと、エールを送った。


 直斗は心の中で溜息をついた。二人共知らないのだ。レイラが直斗の血を狙っていることを。この娘は、吸血の対象として、俺を見ているんだぞ?


 そう二人に暴露するわけにもいかず、直斗は仕方なく頷いた。


 「わかったよ。うちにおいでよ」


 「うん! ありがとう」

 レイラ、はちきれんばかりの喜びの表情で、直斗に礼を言った。その笑顔から覗く、白くて長い八重歯が、輝いたように見えた。



 

 裕也達と別れ、レイラと共に清見台を目指す。一緒に歩いている間、レイラは、直斗の血には、一切手を出さないことを何度も誓った。直斗が吸血に対して、警戒しているのを気付いていたようだ。


 清見台の自宅へと到着し、レイラを玄関に入らせる。思えば、高校生になってから、女の子を家に連れ込んだのは、これが初めてだった。しかもそれが、異世界人の女の子になるとは、なんとも数奇な運命を辿っているような気がする。


 「ただいま」


 直斗は土間から、家の中に声をかけた。玄関の鍵が掛かっておらず、土間に靴があったため、春香は帰ってきているはずだった。


 ドタバタと、階段を駆け降りて来る音が聞こえる。


 「おかえり!」


 春香は、無邪気な笑みを浮かべながら、出迎えた。しかし、直斗の隣にレイラがいることに気が付き、硬直する。春香は、大きい動物と対峙した猫のように、まじまじとした目で、レイラを見つめた。


 春香が直接、異世界人を目にするのは、この時が初めてのはずだった。その上、突然、それが自身の家で起こってしまったのだ。動揺するのも無理はない。


 直斗が、硬直したままの春香に、声を掛けようとすると、レイラがその先を越した。


 「あなたが春香ちゃん? 初めまして。レイラって言います。話で聞いた通り、可愛い子ね」


 レイラは、全ての人間の心に、隙を作らせるような、愛くるしい微笑を春香に向けた。


 そのお陰か春香は、幾分か警戒が解けたようだった。僅かに、はにかんだ表情で、挨拶を返す。


 「こ、こんにちわ」


 春香は、もじもじと、後ろに組んだ手を、恥ずかしそうに動かしていた。

 直斗は靴を脱ぎ、家の中へ上がる。そして、春香の頭を優しくなでた。


 「さあ、レイラも入って」


 あまり気が進まないものの、ここまで来たのだ。仕方ない。


 直斗はレイラを招き入れた。



 

 直斗は自室で、春香を交え、レイラとトランプで遊んでいた。春香は当初と打って変わって、すっかり、レイラに心を許したようだった。レイラにぴったりとくっつき、楽しそうに笑っている。まるで実の姉妹になったかのようだ。


 ゲームの内容は、ババ抜きだった。だが、春香とレイラは同盟を結んでおり、直斗は二対一の苦戦を強いられていた。


 「はい、お兄ちゃんの負けーっ!」


 春香の手元に残った、最後のトランプを直斗が取り、直斗の負けが確定した。


 「いえーい!」


 先に上がっていたレイラと、春香は、勝ち誇ったようにハイタッチを行った。直斗は、憮然とした表情で、ババをカードの山に捨てる。


 「お兄ちゃん弱いー」


 「ねー」


 二人は笑い合う。すでに十何年来の仲良しといった雰囲気だ。レイラの美貌のお陰だろうか、やはり容姿が優位であることは、人の警戒心すら、解きほぐす力があるようだった。


 直斗は、自室の時計に目を走らせる。そろそろ、六時に差し掛かる頃だ。


 「ねえ、レイラ、時間大丈夫? そろそろ帰らないと、下宿先の人が探し出すかもよ」


 直斗はレイラに訊く。もうトランプは止めにして、お開きにしたらどうか、というニュアンスを込めた。徒党を組まれ、こちらが負け続けなのは構わないが、このまま遊んでいても、時間の浪費のような気がする。今はテスト直前なのだ。勉強をしたかった。学年の順位を落としたくない。それに、レイラを自分の家に留めておくことは、爆弾を置いているような、妙な危機感を直斗にもたらすのだ。


 レイラは、直斗の思惑とは裏腹に、首を横に振った。


 「まだ大丈夫だよ。ホストの方にはちゃんと説明するから。私、春香ちゃんのこと気に入っちゃった。ずっと一緒にいたい!」


 「あたしも! ずっとここに居て」


 レイラと春香は抱き締め合った。先程から、レイラのスカートの裾が捲り上がり、レイラの白くて綺麗な太腿が、露になっている。下着も見えそうになっていた。


 レイラは、それを直そうとはしなかった。意図的なのかもしれない。直斗を誘惑するような、そんな気配を覚える。


 直斗は、レイラの太腿から目線を逸らし、春香に語りかける。


 「そんなこと言ったって、レイラは家に帰らなくちゃいけないんだぞ。諦めろよ」

 春香は聞く耳を持たなかった。


 「いやだー。レイラお姉ちゃん、私のお姉ちゃんになって」


 「うん、なるなる。ずっと春香ちゃんみたいな妹欲しかったんだ」


 レイラは、春香の三つ編み頭を、優しくなでる。


 直斗は二人のやり取りを、若干嫌気が差しながら、眺めていた。


 「嬉しい!レイラお姉ちゃん、ずっと一緒に居てね」


 「もちろん。直斗お兄ちゃんと一緒に、ずっと春香ちゃんのそばに居るよ」


 レイラの言葉に、春香は顔を上げる。春香の頬は膨れていた。


 「それがねー、お兄ちゃん、ずっと一緒に居てくれなかったんだよ」


 「どういうこと?」


 レイラの質問に、春香は、じっとりとした目を直斗に向けた。


 春香は答える。


 「去年『ロビン・フッド』が戦った日だよ。お兄ちゃん、友達と一緒に観るって言って、途中で出掛けちゃったんだ」


 春香は、あの日のことを独白した。直斗は、しまったと、心の中で後悔する。口止めをしておくべきだったかもしれない。


 「へーそうなんだ」


 レイラはぼんやりと頷くと、直斗の方へ顔を向けた。


 「誰と会ってたの?」


 「え?」


 「だから、去年の決闘の日、家から出て、誰と会ってたの? 同じクラスの人?」


 レイラの詰問に、直斗は一瞬、目が泳いでしまった。当時の台本では、家が近いクラスメイトと会っていたとする筋書きだったが、それはあくまで家族用だった。いくら蛍子とは言え、わざわざ確認など行わないだろうと踏んだ上の考えだった。


 しかし、レイラは違う。同じ高校の生徒なのだ。確認など容易い。


 そのため、別の筋書きを模索しようと頭が働き、結果、逡巡が生じてしまった。それが表情に表れたのだ。


 目の前の吸血鬼は、それをどう受け取ったのだろう?


 「……レイラの知らない人だよ」


 「他校の人?」


 「そんな感じ」


 「ふうん」


 直斗の曖昧な返答に、レイラは、微妙な顔で頷いた。納得しているのか、していないのか、よくわからない表情だ。


 不都合な展開に、直斗は内心、困惑していた。レイラを家に招くことに対し、拒否感があったのは、無意識下で、こういった出来事を予想していたせいかもしれない。


 元凶を招いた春香は、自らの失言に気付くことなく、二人の雰囲気が少し変わったことに、きょとんとした表情をしていた。


 「どうしたの?」


 春香は、レイラの胸に抱きついた。レイラは微笑み、春香の背中をさする。


 「なんでもないよ」


 レイラはそう春香に声をかけた後、直斗の方へ向き直った。直斗は、また何かを言われるのかと、ドキリとする。


 「直斗、ごめんなさい。今日はこれで帰るね。雨も降りそうだし」


 「う、うん。わかった」


 別段、何も言われず、直斗はホッとする。


 春香が、悲しみが混じった抗議の声を上げた。しかし、レイラのまた来るから、という諌めの言葉に、引き下がった。


 玄関口にて、ローファーを履いたレイラは、可憐な笑みを直斗と春香に向け、頭を下げた。


 「それじゃあ、お邪魔しました。また明日、学校でね」


 「ああ、気をつけて」


 「バイバイ」


 レイラは、二人の言葉を背に、玄関から出て行った。


 そして、その後、すぐに小豆を挽くような音と共に、大雨が降り出した。

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