第55話


 サンデルスとラッピンを乗せた車は、高速道路を4時間ほどでトアイトン特別区に入った。

 アビレーでは戒厳軍によるクーデターじみた動きが進行していたが、ボーリクヴィストの邸宅の在るここトアイトンでは、軍によって検問が敷かれるなどの不穏な動きは見受けられなかった。サンデルスはそのまま〝バーニーおじさんボーリクヴィスト〟の邸へ向かい、その書斎に迎えられた。



 ベルンハルド・ボーリクヴィストはこの年、58歳。幼少期に『フェルタ紛争』を経験している。紛争終結の5年後にアイブリー準州防衛軍が創設されると、同時に開校した防衛士官学校の第1期生となって黎明期の防衛軍に入隊、〝地上軍制服組トップ〟である〈第一幕僚長〉たるの現在に至る。

 士官学校時代から交換留学生として地球圏留学の経験があり、以来、事実上の同盟関係にある地球連邦第6軍の対応相手カウンターパートを長く務めてきた。そうしたこともあり、連邦政府や軍部内に広く人脈を持つ。〝行き過ぎた地球との一体化〟に歯止めを利かす〈守旧派〉の重鎮である。


 祖父の代からの旧交を温めるのも束の間、サンデルスはジーン・ラッピンを準州代表の使者としてボーリクヴィストに紹介し、ラッピンは現在進行中のいま起こっていることを簡潔に伝えて軍守旧派の協力を仰いだ。

 その返答は〝できない〟であった。

 彼の言は明瞭で「現実に中部都市圏からテロの脅威が去っていない以上、いま戒厳を解くことは軍の〝存在意義〟を問われかねない。それでも強硬すれば〝軍を割ること〟になるが、そんなことになれば内戦ということになり、一周巡って〝連邦軍を呼び込む〟ことになる」という。


 ラッピンとサンデルスは失望した。

 だが、それを表情に出すようなことはない。幕僚長の立場では当然の判断ことで、であることは理解している。理解した上で〝軍を動かす方便〟を探りに、ここに来ているのだ。


 二人が次なる手を探ろうと思案し始めると、ボーリクヴィストは機先を制した。

「条件が整わねば動くことはできない――」

「条件?」 サンデルスが質す。

 ボーリクヴィストはおもむろに言葉を継いだ。

「――…11月6日の戒厳の『必要規定』は〝テロの脅威〟だ。そしてこれまでに〝細胞〟(テロの実行犯グループ)はほぼ特定され制圧も進んでいる。……残る〝細胞〟は?」

「――…一つよ」 これにはラッピンが答えた。

 ボーリクヴィストは頷き続けた。

「……最後の〝細胞〟が取り除かれた時点で、戒厳の法的根拠が失われる」


 条件としては単純にして明快シンプルだった。そしてそれは正しい〝理由付け〟でもある。


 ボーリクヴィスト〈第一幕僚長〉は、来客二人の目に中に理解の色が広がるのを見届けると、高級軍人としての見解の言を結んだ。

「それまでは、戒厳を、軍が〝軍の都合〟でどうこうはできない」


 サンデルスとラッピンは、それぞれに得心をして防衛軍守旧派の宿将を見返した。

 戒厳軍が暴走しつつある、という逼迫ひっぱくの事態に際し『何とも杓子定規な』と言うのは簡単だ。だが軍とは無制限の暴力装置と成り得る危険な――…剣であってメスではない――存在である。その運用には何事にも〝手続き〟があるべきで、例えば〝超法規〟などという無責任な解釈による力の解放は最も忌むべき方便である。まして軍部内の閥がそれぞれに判断して成してよいものではない。

 でなければ軍は〝自らを律する術を持たない〟専制者そのものとなって、アイブリー市民の上に君臨することになる。……彼は言外にそう言ったのだ。


 そこに二人は、40年間、一度も実戦を指揮したことのない軍人の、内なる矜持を見た気がした。



 ラッピンは、真っ直ぐにボーリクヴィストを向いて訊いた。

「では、最後の細胞が除去された時点で、戒厳の解除を命令してくださいますか?」

 ボーリクヴィストはラッピンを見返した。

「準州代表はそれを望んでいるのだろう」 彼女が肯いて返すよりも前にハッキリと応じる。「――であれば統合幕僚会議はそのように軍令を伝える」


 ラッピンは一拍を置いて破顔すると、サンデルスに言った。

「戻りましょう、私たちの〝戦場〟アールーズに」

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