サンデルスの二人

第47話


 非番のその日、ラファエルラフ・サンデルスはアビレーでの一族の住まいである、富裕層街区トリックディストリクトでも指折りの高級集合住宅テラスハウスに祖父を訪ねていた。

 ベアタの妹エンマの件で彼なりに手を尽くしてみたものの、結局、サンデルスは祖父の政治力を頼るしかなかったのだ。――あの日以来ベアタはオフィスにも姿を見せず、会えないでいる。


 玄関の重たい樫の扉が開くと、面識のない執事に迎えられ、少し気まずく感じることとなった。ここを出てからもう4年が経つ。祖父・父の2代に仕えてくれた先代――よく可愛がってくれた…――は、もう引退したのだろう。仕方がない。

 ラフの来訪は予め伝えられていて、新しい執事は完璧な対応でラフを迎え入れてくれた。

 玄関エントランスを兼ねた吹き抜けの階段ホールの右手脇から、居間パーラーへと案内される。


 掃除の行き届いた邸内は、少しも変っていなかった。

 19世紀欧州のタウンハウスを模した古いスタイルの、両隣と外装を持たない構造壁で接続され1棟に連なる〝連続建て住居ロウハウス〟は、ラフの生家であり、大学を卒業するまで…――地球へ留学した1年間を除き――で育った。

 ミューズハウス離れ小屋の壁の裏に在る〝秘密の抜け道〟――自分が生まれる前の改築で造り出され、その後に忘れ去られた…――も知っている。恐らく、これの存在を知っているのは自分と姉のルイ-ズルゥだけだ。


「ラファエル――」

 座卓の上に置かれた小さな花瓶――それは子供時分に、彼が床に落として欠けさせてしまったものだ…――に手を伸ばしたりしてひとり待っていると、祖父ではなく祖母クリステル・マルチェが、満面に親愛の笑みを湛えて現れた。

「ようやく帰ってきた。さぁ、よく顔を見せてちょうだい」

 両腕を伸ばすようにして近付いてきた祖母に、ラフは花瓶を元の位置に戻し、苦笑の浮いた顔を向けた。


「大袈裟だな、おばあちゃん。同じアビレーに生きていますよ」

「だってあなた、この4年間、1度も顔を見せにこなかったでしょ。〝あなたの父さまアルベール〟も似たようなものだけれど、あなたは唯の一度、よ……。ずいぶんと悪い子になりましたね」

 そう言って、祖母は聞き分けのない子供を諭すように小首を傾げて見せる。

「ごめんなさい。ほんとに忙しかったんです」

 ラフの方はとりあえず畏まってみせつつも、笑みを浮かべて弁明を試みた。「……特別捜査官なんですよ、これでも」

 だがそれは祖母の持論を誘っただけだった。

「それです。あなたには〝犯罪者と向き合う仕事〟は向きません。そんなお仕事、今すぐ辞めるべきです…――」

 ――これを〝藪蛇〟という……。


 4年前、大学卒業を前に「公安調査部PSI捜査官になろうと思う」と打ち明けたとき、さんざん話し合ったことが返されそうな気配に、ラフは、慌てて今日の来訪の趣旨に戻るよう、話題を転じた。

「……あの、それでおじいちゃんは?」


 ありがたいことに祖母は、極まり悪そうな孫の表情に小さく溜息は吐いたものの、それ以上我を通すというようなことはしなかった。

「おじいさまは客間に居ます。でもこの後すぐに来客があるから、あなたはその後」

 客間は〝ハウスの共有庭園コミューナル・ガーデン〟の見える2階にある。現在いまはもう政界から身を引いているが、相変わらず来客が絶えぬ身らしい。

「……待ちます」

 ラフは肯いて応じてた。


 と、そのとき来客の気配があって、階段ホールの方に視線をやると、先の執事に2階へと案内される客人の姿を見た。

 おや、と、ラフの眉根が寄った。

 ブルーグレーのスーツを着こなす、小麦色の肌の美貌の女性おんなの横顔には見覚えがある。


「――お知り合いかしら?」

 孫の表情の変化にそっとそう訊いた祖母に、ラフは曖昧に応える。

「ええ。……職場で何度か」


 吹き抜け空間に伸びる階段を、執事に付いて上がって行くのは、ジーン・ラッピンだった。……いや、今日、前アイブリー準州代表トマ・サンデルスを訪ねてきたのは、シャノン・モーズリーだろうか。

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