第36話
「〝怒り〟?」
ベアタが小首を傾げて質す。
「少し違うかな。つまり……」
アメデオは、どう言えば伝わるだろうか、というふうに上を向いた。故郷の空はどこまでも高く、青かった。
「…――自分のために〝怒る〟ということをする、
地球連邦の〝武器支援〟という介入が始まると、サローノ政府の攻撃は激化の一途を辿り、ファテュの住民は一方的な暴力に曝されることとなった。連邦社会――地球もアイブリーも…――は、それを見て見ぬふりをして、
その間、犠牲者は何を思って傷つき死んでいったのだろう。やはり〝正義〟など信じられず、ただ〝怒り〟を胸に戦ったのだろうか。怒れる〝自分の魂〟を守ろうと……。
ベアタは言葉が出ない。それでも、大切なものが遠くへいってしまわぬよう、何か言わなければと言葉を探す。
「でも……死んだら、なにも残らない」
ようやくそう言ったベアタに、アメデオはほほ笑むと、ふわりと聞こえる声音で言った。
「だから…――〝生きる〟ということを選べた君には頼みたいんだ。僕のこと、憶えていてほしい、と」
そのときのアメデオの顔は、いまでも憶えている。
故郷の街の通りは、ところどころに紛争の傷を晒していたけれど、その上の空はどこまでも青く、そして高かった。
何と言葉を返せばいいのかわからなくなって立ち尽くすばかりのベアタに、アメデオは困ったふうに頭に手を遣った。中学の頃の、彼の仕草のいままに。
「…――忘れるはずない」
結局、それしか言えなかった。
アメデオは頷き、
「もう、時間かな」 と、
言って、大きく息を吐くと、安堵したように空を見上げた。
そうしてその後、アメデオはバスに乗り込み、ベアタは、彼の乗ったバスを見送った。
アビレーに戻ったベアタは、約束のとおり、彼から託されたノートを紐解いた。
中身は創作ノートだった。詩や戯曲といった、文学が趣味だった彼の手に成る小品が、その中に綴られていた。
題材は、紛争を、そこに住まう者の視線で書いたものが大半で、ほとんどが未成だった。
丁寧な自筆の文章の上に重ねられた粗雑な推敲の線。少なくない文章が乱暴に塗り潰されていた。
そこには彼の苦悩があった。
彼との別れの後、一度だけアメデオの家まで行った。
そこでベアタは、彼がなぜ消防服を着ていたのか、どうして
小ぶりの木造の家は、半ば以上焼け落ちた状態で放置されていた。
隣家の人の話では、サローノの治安部隊の砲撃で、そのときに彼の両親と妹は犠牲となって兄とアメデオが生き残った。3年前のことで、〝流れ弾〟だったそうだ。
その後、アメデオの兄がFLAに参加し、治安部隊との交戦で射殺されたことも聞いた。
最後のページ……一番新しいノートの末尾に次の一篇が綴られていた。それは塗り潰されておらず、推敲の線もなかった。
僕はいずれあの星の下で死ぬだろう
敵が憎いからでなく、祖国を愛しているからでもない
大義のためでなく、死んでいった懐かしい人たちのためでもない
あれが〝僕の星〟だと思う自分がいて、
ただそんなふうに願っているだけだ
すべてを思い起こして考えてみれば
明日にどんな意味がある 昨日のことすら、そこに意味はなかった
今、死に行く自らの魂の求めこそが、すべてだ
アメデオの見つけた〝彼の星〟…――。
それは自らの墓標だったのだろうか。
そう思いたくない自分がいて、一方で〝彼は自分の魂を自ら弔ったのだ〟と納得しようとする自分もいる。誰も関心を払わない戦渦の故郷で、自分で自分の魂を救ったのだと。
あの日以来、ベアタは
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