第15話


「――…せめて子供だけでも、解放してもらえないかしら」


 バンデーラのこの〝関係のない子供の解放を乞う〟という説得の筋書きシナリオは〝賭け〟だった。

 これまでのところ、こちらの呼び掛けに対して犯行グループは一切の応答を返していない。このまま状況が変わらないならば、やはりラッピンの言う通り、彼らに〝交渉する意思はない〟ということになる。そういうことなら打つ手はない。


 だから一縷いちるの望みに賭け、良心に訴えかける、ということをした。



 20秒ほど経った。

 …――バスに動きはない。


 ベアタは、ごくりと唾を飲み込んだ。

 このままバスが吹き飛んでもおかしくない状況だ。

 知らず、両の手を胸元で握りしめ、祈るようにバスの方を向いていた。


 ――…と、バスの前方の扉が開いた。

 乗降口に、子供たちの姿が見える。

 ベアタは、心の中で小さく歓声を上げた。

 子供たちが、こちらに向かって駆け出してきた。


 上空では報道ヘリが、その様子を画角フレームに収めようと、バスを取り巻きにして羽音を響かせた。


「ありがとう――」

 バンデーラの顔にも、安堵の表情が浮かんだ。

「心から感謝するわ。あなた達のそういう理性的ある態度に、私は敬意を表する。……もう一度礼を言わせ…――」



 だがバンデーラは、その〝感謝の意〟を最後まで口にすることはできなかった。

 彼女の目の前でバスは、内側から膨れ上がった炎に包まれ、そして、吹き飛んだ。



 その瞬間を、直後のベアタは憶えてはいない。

 音がして、熱と圧を感じたかもしれない。が、目前――バンデーラの背中の先――に捉えていた場面は、思い出せなかった。

 記憶にあるのは、自分に覆い被さっていたラフ・サンデルスが身を起こし、足に力が入らなくて立ち上がれない自分を覗き込んでいたこと。

 呆けたようになった自分に、無事かどうかを訊いた彼の側頭部からは、血が伝っていた。


 金属てつやらアスファルトやらのける臭いに、正気に戻ったベアタは目の前のサンデルスを押し退けるようにしてバスのあった方を見た。

 周囲には砕け散ったガラスや、金属片が散乱していた。

 視界の先に、倒れていた人影が喘ぐようにして半身を起こすのを見た。バンデーラ班長だった。

 そしてその先には、バスが黒煙と炎を上げて燃えていた。




 スアーナ街区スクェアで発生した『人質バス爆弾事件』は、アイブリーにおけるこの5年間での〝最悪のテロ事件〟となった。


 子供1人を含む犠牲者26 (……解放された6人の子供は爆散したバスの破片を被り2人が負傷し1人が死亡することとなった)という数字は、7年前の『メーツィア列車爆破テロ事件』の被害者――死亡58人・負傷者631人――に次ぐもので、マスコミは夕方のニュースの時間帯に生中継されたそのショッキングな映像とともに、〝アビレーは一瞬にしてファテュ武力係争地となった〟と報じた。




 その夜のPSIアビレー支部――。

 夕刻より解放された状況分析室シチュエーションルームには応召可能な全捜査官・職員が詰め、事件の分析・検討を重ねていた。

 支局長のアンテロ・ラウッカは指揮権を発動するにあたり、次のように訓示した。


「〝メーツィアを忘れるな〟

 ――初動の24時間がすべてを決める。ベスト尽くせ」


 作業に入った彼らの表情は、みな一様に重苦しい。誰もが〝怒り〟を感じており、さりとてそれをどこに振り下ろせばよいかわからない。わからないままに仕事に没頭していた。

 そんな状況分析室シチュエーションルームに入ってきたバンデーラとサンデルス、ベアタを、マズリエと並んで資料を検討していたトゥイガーが認めた。

 トゥイガーは、チームを代表してバンデーラらを出迎えた。


「怪我はいいのか?」

「ええ」「はい」

 ――バンデーラとベアタは声に出して、サンデルスは無言で肯いて返してきた。


 彼らは怪我の治療のために病院に送られたのだが、治療もそこそこに飛んで帰ってきたのだった。

 そんな彼らは、皆、いち様に、目に〝復讐を誓う者〟の光を宿していた。

 トゥイガーは、黙って頷いて返すだけとなった。

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